最終話「バイバイ」

 白い空間でひとしきり雪が降った後、白を背景に季節外れの桜が舞い散った。

 桜の一つ一つが、まるで粒子の美しさに似ている。

 移り変わる季節を眺めながら、力を振り絞る様に木徳直人が呟いた。


「綺麗だ」


 彼を抱えた黒川美月は無言で震えていた。

 直人が優しげに声をかける。


「見て、ほら……」


 光景が冬から春へ移り変わった様に、桜も再び形を変えていく。


 風で飛びながらも、蝶の姿へ――


 自力で飛ぶ優美な蝶達が、自由に空へ舞い散った。


「泣か、ないで。君も、いつか……この、蝶、みたいに……。君を縛る……のは、もう、ない、んだから……」


 彼女はぽろぽろと涙をこぼしていた。彼の心を想うと、とめどなく溢れてくる。

 その頬に直人がそっと触れた。


「短い、間、だったけ……ど、一緒に、いられ、て……楽し、かった……。ああ、す、好きな、子が、でき、できて。ほんとは、よ、よか……たんだ。こ、こんな……ほんとは、嬉しか……たんだ……」

「あたし――」


 濡れた唇を彼が指ですっとなぞる。

 美月は泣き顔で答えた。


「わからない。こんな、こんなの、どういえばいいか、わからないよ。でてこないよ」

「バイ……バイ、で、いいよ……」


 それでも言葉は出なかった。

 代わりに胸だけが張り裂けそうになる。

 直人が再び、力強い言葉を彼女へ投げかけた。


「美月は、生きて……。僕の、分の、苦しさも……。ずっと、先、長生き、するんだ……」

「わかった」

「耳を、かして……」

「うん……」


 彼が耳元で囁く。

 景色はいつの間にか夜の教室へと戻っていた。

 聞いた美月は精一杯の笑顔を振り絞り、直人に見せてやる。

 最後に彼は、幸せそうに笑っていた。

 そして身体の端から、黒い闇で徐々に消えていく。


「……直人……いやだ、やっぱりいやだよ、いかないで、直人いかないで、いなくならないで、直人、いや――」


 笑顔さえも消え失せて。

 最初から誰もいなかったみたいに、何もかもが消え去った。

 彼女の両手は、ただのくうを抱えていた。




 生まれて初めて、美月は大声で泣いた。


 子供みたいに。


 立ったまま泣き叫んだ。




 ――どれくらい時間が経過したか。

 泣いて泣いて泣き尽くして。

 理由も忘れるほど泣いてから。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、彼女は教室の窓から外を見た。




 月が出ている。


 星もなく、


 月だけが出ていた。


 立ち尽くす。


 一人だけで見る月夜。




 彼の言った通り、




 窓から見えたのは――




 綺麗な月だった。



















 春の桜も無事に咲いて、学年も新たになった頃。

 数か月前に起きた悲惨な飛行機事故や行方不明事件も、人々の記憶からは徐々に薄れていった。

 平凡な日常では、何事も起きなかったかの様に物事は忘れ去られていく。

 平行して神内こうち高校の三年A組は、クラス替えで新しい面子もいれば顔見知りの面子もしっかり揃っていた。

 二年の時と大して変わらない。似た者達やグループで、世界の違いが形作られている。

 けれど今年は、少し異彩を放つ者もいた。

 女子達による噂話の恰好の的にもなっている――


「黒川さんって、目が悪かったの?」

「最近眼鏡をかけ始めたっぽいよ」

「へぇ、ファッションかな? しっかり似合うし」

「けど性格はなんか変わったよね」

「あぁ、ちょっと人当たりが?」

「最近はずっと一人でいるしね」

「じゃあ黒川組も解散? どうしたんだろうね?」

「さぁ、優等生はストレスがあったとか?」

「かなぁ。なんか爆発しちゃったの」

「それでも相変わらずモテるよねぇ」 

「悔し~」

「ねぇ、羨ましい」


 噂話の先にいるのは、赤と黒のバレッタで髪を留めている女子。

 彼女の机はの席で外を

 髪の長さはもうロングヘアーの様相で、バレッタの赤と黒とがよく似合う。

 オーバルの赤い眼鏡をかけている美月は、頬杖をついてぼんやりと青い空を見つめていた。


「あの、黒川さん。俺、隣になった佐川だけども」


 気安い男子が馴れ馴れしく接してくる。


「この際だから、美月さんって呼んでもいい? お隣だしさ、これから仲良くなりたいな~なんてね」


 佐川という男子はこうもお喋りだったのかと、今更ながら彼女は知った。


「美月さんって、二年の時に眼鏡はかけてなかったよね。俺一応、二年の時から美月さんのファンね。だったから、眼鏡かけたんだなぁってすぐ分かったよー!」


 喋り続ける彼を尻目に、興味のない美月は姿勢を崩さずにいる。


「美月さんのその赤い眼鏡、似合うよね」

「……そう? ありがと」


 彼女は振り向かないまま礼を述べて、フフッと軽く笑った。


「いやぁ、美月さんって近くで見てたらホント美――」


 そこから先の言葉は、彼女の耳の入ってと、綺麗に抜けて出ていった。




 目的もなく青空を見つめ続けていた美月は、ふと何かを見つけた。

 桜の花だった。

 どこからか飛んできた花弁はなびらが、またどこかへと飛んでいく。

 まるで一時ひとときの蝶みたいだと、彼女は感じていた。




 今でもよく思い出す。

 彼と過ごした日の出来事を。

 その時の彼と、自分の感情を。


 思い描くと、また息ができなくなる。

 だから忘れるなんてありえない。

 これから先も、ずっと。


 けれど前とは少し違っている。

 考えている内に芽生えた、ある疑問。

 記憶の中の引っかかり。

 いつしかそれが、確信へと変わっていった。


 あの時。


 彼が消えていく、その間際。


 最後に見たのだ。


 確かにを。


 この目で。


 彼が完全に消える、ほんの一瞬前。


 ずっと目の錯覚かと思っていた。


 悲しみの渦で見間違えただけなのだと。 


 けれど今は、違うとハッキリ言える。


 錯覚でも、見間違いでもなかった。


 あれは――――


 あの些細な違和感は、


 確かに――


 夜空の粒の様な、


 ――――光。




 あの煌めきも結局一瞬だったと、美月はまた現実へ引き戻された。


 戻されても構わずに彼女は目で追う。


 幻の蝶を。


 必死で追いながら思い出す。


 彼がくれた言葉。


 今の自分に必要な


 言葉を静かに捕まえる。


 息を整え、気持ちを戻す。


 それからゆっくり――


 美月はそっと、呟いた。




「バイバイ」




 胸の暖かさが、甦る。


 悲しみも少し、蘇る。




 今も答えはまだ出ない。


 深い迷いの中にいる。


 苦しみもがく夜もあり、


 救いの光も見えはしない。




 それでも彼女は信じていた。




 彼の言葉の、その先を。




 だからこそ。


 全てを賭けても、


 美月はこう言えるのだ。







 いつか必ず、また会える。







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木徳直人はミズチを殺す(完結作) アンデッド @undead

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