第3話 滑り出し

「ねえ、軽羽さん」


 入学式の翌日はさっそく授業が始まったのだけど、それでも各教科の最初は担当教員の自己紹介などが繰り返されるので教室の空気は弛緩しきっていた。

 そうして終わった数学のあとの休み時間、亜珠美はクラスメイトから声を掛けられた。

 話しかけてきたのは平山という女子で、髪を高い位置で束ねた気の強そうな顔立ちをしていた。

 教室での席も離れていて、前日には言葉を交わしておらず、ということはつまり話したことはないはずだ。

 

「昨日、ヒロミちゃんと一緒に帰ってなかった?」


 確かに、前夜は七時を過ぎて見回りの教員に怒られた後で亜珠美はヒロミと一緒に帰った。手伝った礼におごると言われたので、途中で肉まんを買ってもらってイートインで食べた後に分かれた。

 昨夕の疲労を思い出すと急に疲れがぶり返して来る。

 ヒロミがガラクタの一つ一つを手に取って鑑定していく間、亜珠美は部屋の隅にあったバラバラの棚を一人で組み立てていたのである。

 制服は埃だらけになるし、指にトゲが刺さるし散々だった。

 とはいえ、平山は自分とヒロミのエピソードを聞きたい訳ではなさそうだ。

 

「私たちが誘ったのに、用事があるって断ったんだよ。でもアンタとは遊ぶんだ」


 不満そうな顔。

 鞘当て、牽制、マウンティング。つまりはそういう類の行動なのだろう。

 そうして、仮にも十五年も女子をやって来たのでわかる。

 この手の輩は頼まれずともクラスの中心に居座るのだ。無難に高校生活を送るなら角は立てない方がいい。

 でも、そういうのは中学までにさんざんやったじゃないか。

 

「ヒロミ本人に聞きなさいよ」


 亜珠美はため息とともに言い捨て、席を立った。

 相手が噛みつき返してくるとそれだけで怯む人間もいて、平山もその手合いだったらしい。なにか言いたそうに亜珠美を睨みながら廊下へ去って行った。


「アーシュ、私の名前が聞こえたけどどうしたの?」


 ちょうど、廊下から戻って来たヒロミが平山と入れ替わりに近寄って来る。

 

「私の名前はアスミね。それよりも、あんたのせいで私、ハブられそうなんですけど」


 思わず、クレームを入れ、キョトンとしたヒロミの表情になんだか怒りがバカバカしくなった。


「人間関係、気をつけなさい。シカトされたら嫌でしょ?」


 せめてもの警告を告げて、亜珠美は椅子に座りなおす。

 彼女が上手くやれば自分にも必要以上に絡んでは来ないはずだ。


「ええ、なに。私はアーシュをハブったりしないよ」


 いまいち理解していない顔でヒロミは笑い、思い出したようにポケットからディスクを取り出した。


「そうそう、今日の放課後に浮遊スクーターを動かそうと思うんだ。昨日のお礼に乗せてあげるよ」


 そのディスクが一体、何なのかわからない亜珠美を放ったままヒロミは自席に戻っていき、そのまま授業が始まった。


 *


「え、浮遊スクーターって免許が要らなかったっけ?」


 亜珠美は浮遊スクーターを整備するヒロミに後ろから声を掛けた。

 二人の服装は前日に汚れた反省を生かし、すでにジャージに変えられている。


「ええとね、浮遊スクーターは自転車とかと同じ軽車両の扱いになるの。だから、公安委員会の免許は要らない。でも、魔術機械全般を稼働させるには県管理委員会の運用技術者免許が必要ね。これは十六歳以上ならペーパーテストに合格すると取得できるわ」


「へえ、ヒロミはもう誕生日になったんだ」


 それほど多くはないけれど、魔術道具は生活の隅で見かけることもあるし、なんとなく豆知識としてその免許の存在は知っていた。

 

「え、まだよ。私は十月。アーシュは?」


 言いながら、浮遊スクーターの前部にあるパネルデッキを外した。

 

「あ、ダメだよ魔術道具は資格持っている人しか触れないんだよ!」


 亜珠美は思わず大きな声を出していた。

 魔術道具は通常の機械よりもずっと不安定で素人が触ると事故の危険性が高い。

 その手のニュース映像も小さい頃はよく見ていた。

 魔術道具の稼働は十六歳で取れる二級でいいが、その整備作業などには一級の資格が必要だったはずだ。


「大丈夫、大丈夫。私ってば有資格者だから」


 言ってヒロミはテキパキと浮遊スクーターに手を入れていく。


「え、だって一級の資格ってメチャクチャ難しくて取れないってテレビで……」


「アーシュ、詳しいね」


 ヒロミが嬉しそうに言うのだけれど、まさか小学生の頃に『魔法』の響きにあこがれて勉強したとは恥ずかしくて言えない。

 

「そうね、一級資格は専門大学を出て三年の実務経験が必要なんだけど、抜け道もあるんだよ」


 へへんと笑うヒロミの手ではペン回しの要領でスパナが回る。

 

「ちょっと、冗談でも事故とかはやめてよ」


 亜珠美の上半身は思わずのけぞった。

 

「運用技術者とは別に魔力取扱者試験があって、魔力の充填にはその資格も要るわ。こういうところが科学魔術の衰退の要因だと思うのよ。しかも、それは実務経験が最低五年よ。仕事にはならないわね」


 知っている。亜珠美はその手の話題をテレビで見て魔法と携わる生き方を諦めたのだ。

 通常科学の発達により、かつて科学魔術が独占していた領域はどんどん減少してきている。これからの時代、科学魔術はもはや趣味の域であり仕事には成りえない。そんな常識を乗り越えて魔法を勉強しようとする子はどこか浮世離れした痛い子が多かった。

 

「だ、け、ど、きちんとやれば科学魔術との棲み分けは出来ると思うわけ」


 ヒロミは無造作に置いていたディスクをヒョイと持ち上げる。


「で、これが事故の元、魔力が封入されたディスク。開封に失敗すればこの部屋は木っ端みじん。さあ、上手くいくかはお立合い」


 楽しそうに言うヒロミを見て、亜珠美はのこのこついてきたのを後悔したのだった。

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