第11話 1話の後で
結果から言えば夜回りは急ごしらえの準備ながら成功し、ヒロミと亜珠美は無事に学校に戻ってきた。
時計の針は夜の九時をとうに過ぎていて、宿直のオジサンに説明して鍵を開けて貰うと、部室まで上がっていく。
ゴー介は生徒玄関や教室の入り口を通れないので、外で組んだし、外で解体もしなければいけない。流石に暗すぎるし、時間もかかるということで校庭の隅にある体育倉庫へ連れていき、体操座りの状態でスリープモードに入ってもらっていた。
夜の学校は不気味だったのだけど、それ以上に不気味な存在と対峙したばかりで恐怖感は麻痺していた。
部室に入り、灯りを点けるなり亜珠美は椅子に座り込む。
激しい運動もしていないのに、心臓がバクバクと鳴っていた。
へんてこりんな外套を脱ぎ捨てる気力も出ない。
「いやぁ、なかなか大変だったね」
ヒロミが暢気に言って帽子を脱ぐ。
その言葉は亜珠美の胸中を激しく波立てた。
「ねえヒロミ、大変とかそんなレベルじゃなかったんじゃない?」
下手をすると死ぬかも知れなかった。その思いが言葉と態度に棘を立てる。
「そうだよ、だからその外套とかあってよかったでしょ」
へへ、と笑いながら小さなバッグからディスクを取り出す。
小鬼から取り出したものだが一枚いくらだったか。
亜珠美が脳裏で金額計算をしている内にヒロミの表情は変化していた。
いつもの楽しそうな表情はそのままに、妙な凄みを感じ亜珠美は怒りの言葉を飲み込む。
「間違い無く魔法を使った犯罪だったねえ。これはお仕置きが必要な案件ですな」
ヒロミの指がせわしなく動きテーブルを叩いた。
楽しそうに笑う口元から犬歯が覗き、その横顔はまさに『魔女』だな、と亜珠美は思う。
「お仕置きって、あの小鬼は全部壊したじゃない。調査や対策って範囲はもう終わりでしょ?」
「甘いな、アーシュ君。あんな自動人形、魔術に少し通じていればいくらでも作れちゃうのだよ。それに、私の『魔女』という肩書きには限定警察権という特典が着いてくる。つまり、魔法に関する犯罪に関してのみ、常時捜査権を持つの。あの小鬼に襲われて怪我人も出ていて、『私』が現地を把握までした。ここから先は慣例として『私たち』の縄張りになるのよ」
その面倒のどこに嬉しい要素があるのか、亜珠美にはさっぱりわからなかった。
「もう、あんなのとは関わり合いたくないんだけど」
亜珠美は率直に言った。
なんとなく、ズルズルと付き合わされていたものの生命の危険まで感じるようなら話は別だ。
キッパリと断り、以降は付き合わない。
「そう、か……まあ仕方がないよね。実際に危なかった訳だし」
ヒロミは元気なくつぶやき項垂れる。
冷たく突き放した手前、わずかな罪悪感はあったのだけど、これで日常が静かになると思えば安堵の方が大きい。
室内に静寂が満ち、同時に罪悪感が膨れ上がってくる。
「ねえ、アーシュ」
ヒロミが口を開いたのは亜珠美の胸を罪悪感が満タンにした頃だった。
「なに?」
「実は私、十四歳まで学校に行ったこと無かったんだよね」
ぎょっとする告白に亜珠美は鼻白んだ。
「え……と、それまではどうしてたの?」
「イギリスにいてね、パイキーのキャラバンで暮らしてたの。あ、パイキーって知ってる?」
亜珠美が首を振るとヒロミは悲しそうに笑う。
その顔は静謐で美しく、亜珠美は侵しがたいものの前にいるような気持ちにさせられた。
「日本語で言えば漂泊民とかサンカっていうのかな。集団で旅をして、まあ色々。みんないい人たちだったけど、あんまり誉められた感じの生活では無かったかな」
日本語に訳してさえ、イメージがつかめない。それでもヒロミの言葉を遮ることがはばかられ、亜珠美は黙って聞いていた。
「彼らはいろんな魔術に通じていて、私はそこで魔術を覚えたの。お父さんは日本人だったんだけど、ある時突然、私を日本へ連れてきた。それで中学校に編入しても馴染めなくてね。『魔女』になったのだって、資格取得中は学校に行かずに済むから、くらいの理由なのよ。実はね」
へへ、という自虐的な笑いに亜珠美は自分の中学時代を思い返した。
確かに、ヒロミの様な派手で毛色が変わった女の子がやってくると少女たちは様々な理由を付けて排斥しようと腐心するだろう。
「だっからねぇ、日本で出来た友達ってアーシュが初めてなんだ。私、はしゃいじゃってウザかった?」
表情を見られたくないのか、ヒロミは突っ伏して呟く。
「そんなことはないよ」
亜珠美はヒロミの細い肩に触れていいのか、悩んだ。
青白い蛍光灯に照らされたヒロミの白い肌は触れれば崩れてしまいそうだった。
「……私も、楽しかったし」
それは嘘ではない。
課題には差し支えたし、おかげで家も片づかないのだけど、この部室で過ごす時間は楽しかった。
今日だって、平山と三人で食べたクッキーは特別なものの様に美味しく感じた。
ヒロミと平山が、高校に入って最初に出来た友人であるのは事実である。
「ありがとう。アーシュは優しいね」
顔をあげたヒロミの目は涙ぐんでいて、真っ赤になっていた。
急激に申し訳なくなってくる。
「あの……ヒロミ、これからも部活自体は付き合うわ」
危険な仕事でなければ。
「うん、ありがとう。じゃあ、明日も少しだけ付き合って貰える? 今日のお礼にケーキでも食べに行こう」
「いいよ。わかった。明日ね」
思わず、亜珠美はヒロミの肩を触っていた。
この時、きちんと決別していれば。後に思い返して、亜珠美は何度もそう思うことになる。
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