第5話 試し打ち
「ちなみにね、さっきのディスクが協会専売所で買えば八万円」
「たかっ!」
裏庭でヒロミが言った言葉に亜珠美は驚いた。
亜珠美の部屋代よりもずっと高い。
「そうなの。それでたった十キロ。燃費のいいスクーターだったら余裕で日本一周できちゃう金額で、隣の市まで行くのが精一杯なの。そりゃ、離れるよね」
へっへっへ、と笑いながらヒロミはレバーを動かす。
ちなみに、ガラクタ部屋からここまでもヒロミは浮遊スクーターを浮かせ廊下と亜珠美と一緒に歩いてきた。
「飛べるんだから、窓から出て行けばいいじゃない」
という亜珠美の言葉にヒロミは困ったように微笑んだのだけど、それも当然だ。
「高く飛べばそれだけ消費が早くなるから」
と言っていたけど、亜珠美も稼働にそこまで金がかかるとは思っていなかったのだ。
「じゃ、軽っくね」
ヒロミはフワリと浮き上がると、走るほどの速さで飛んでいき、帰ってきた。
その表情は楽しくて仕方なさそうで、亜珠美はベンチに座ってその様を眺める。
「動くよ、アーシュ。全然問題無い!」
ヒロミははしゃぎながら手を振り、今度はまっすぐ行って校舎の角を曲がった。
遠くでざわめきが起こるのは、部活生などに目撃されたのだろう。
亜珠美はその声を聞きながらため息と頬杖をついた。
あまり人に見られるな、とヒロミに伝えるつもりだったのだけど、あまりにも楽しそうで言えなかったのだ。
でも、これで魔女の存在は周知され、広まっていく。
異物としての、あるいは色物としてのヒロミが今後は話題にのぼるだろう。
などと考えている内に走っていった方とは逆の角からヒロミは現れ、亜珠美の前まで来て止まった。
浮いた機体は風船の空気が萎むように位置を下げ、接地する。
「ほら、楽しい。次、アーシュの番だよ!」
「私はいい」
亜珠美はヒロミの申し出をきっぱりと断った。
稼働に大金がかかるというのも確かにある。でも真の理由はかつて魔女に憧れた自分と相対するようで心が痛かったのだ。
憧れはしたものの、その夢とは決別し、心の整理も付けた。それがいま、目の前に転がっている事でどうしても心がうずく。
「ええ、大丈夫だよ。自転車に乗れればコツは一緒だから」
今を逃すと浮遊スクーターなんて一生乗れないかも知れない。そして、一生乗らない方がいい。
同じ学校に通いながら、自分とヒロミは全然違うのだと亜珠美は思った。
普通の人が一生を掛けて習得する知識と技能を中学生にして自分のものにした大天才は、きっと家が裕福なのだ。八万円のディスクをポンと買えるほどに。そして環境に恵まれ、周囲の理解も得られた。
自分とは何もかも違う。
無邪気で悪い子ではない。それは解る。けれども無邪気を裏支えする能力が、財力が、環境が天と地ほども自分とは違うのだ。
悪い子ではなくとも、いっしょにいて惨めになるくらいなら……。
「あ、もしかしてアーシュ自転車に……」
「乗れるわ、失敬ね」
あまり関わらないようにしようと思った端から突っ込んでしまった。
「まあ、怖いなら無理には……」
勝手に納得してヒロミは道具がいくつか入ったバッグを漁った。
いくつかの道具を手に取りうんうんと唸っていたが、やがて一本の棒を選び取る。
「これ、これならアーシュでも使えるよ。その名も『バントでホームランくん』」
棒は長さも太さも金属バットを半分に縮めたような形をしていた。
ヒロミは浮遊スクーターとバットをケーブルで繋ぐとなにやら作業を始める。
「アーシュは野球わかる?」
「ソフトボールなら体育で」
とは言っても中学の体育で、全部合わせても十時間に満たない経験しか無い。
「ホームランを打った経験は無いよね?」
「あたりまえじゃん」
亜珠美もヒロミもどちらかと言えば細身で、見た目通りの非力である。
しばらく浮遊スクーターのパネルを睨んでいたヒロミは「よし」と呟くとケーブルを引き抜く。
「じゃあ、これはアーシュが持ってね」
「あ、ちょっと私を巻き込まないでよ!」
抗議をする亜珠美を無視して、バットを押しつけるとヒロミはメモ帳を開いて読み込み、納得すると今度はバッグからゴムボールを取り出した。
「えっとね、持ち手の所を掴んでバットを倒してみて」
それを告げるヒロミの顔は真剣で、専門家然としていた。
なんとなく逆らい難く、亜珠美は言われるままにバットを横にして持った。
「それで、一番下の柄をひねる」
柄の端を右に捻ると、カチリと音がした。同時に形容しがたいエネルギーがあふれ出す。猛烈な馬力をもつエンジンが手の中に納まってしまったかのような凄み。
「えい」
ヒロミがゴムのボールを放り投げ、亜珠美はどうしていいのか解らないままバットをボールに合わせた。
瞬間、バットに内在していたエネルギーが飛び出し、ボールの接着面に収束されるのを感じた。
パン!
安物のゴムボールは空中で破裂し、乾いた音を残す。
亜珠美は驚いてバットを取り落とし、高鳴る胸を押さえた。
「あーやっぱり硬球じゃないと駄目か。軽いからいけると思ったんだけどな」
ヒロミは舌を出して苦笑する。
「ちょ……ちょっと、なんてことをさせるのよ!」
亜珠美はパクパクと口を動かし、なんとか言葉をひねり出した。
火の側の火薬より危険だ。魔術を指していう言葉が脳裏を掠める。
今のはまさに爆発そのものだった。
粉々に飛び散ったゴムボールの破片に、亜珠美の背に汗が流れる。
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