第6話 酒田教諭
ヒロミが校庭を浮遊スクーターで駆け抜けた翌日、亜珠美が登校してみるとすでに周囲の見る目が違っていた。
ひそひそと遠巻きに、魔女や不良などの不穏なワードが漏れ聞こえてくる。
県内屈指の進学校に通う優秀な生徒達だ。彼らは皆、異物とは距離を置きたがるのだろう。
まあ、気にすることもないか。
亜珠美は数学の問題集を取り出してまだ習っていない所を解いていく。
結局、高校生活は勉強に追い立てられるのだ。部活もよほど入れ込んだ人以外は二年生の夏休みまでに辞めるというし、放っておけば各人の忙しさを思い出して勉強に戻っていくだろう。
自分もヒロミと徐々に距離を取って行けばよく、入学初期だけ仲がよかった「元友」としていつか思い出すのだ。
「軽羽さん」
過去に流そうとした亜珠美の肩を掴む者がいた。
平山だった。
勝ち誇った顔をしており、立ったまま亜珠美を見下ろしている。
「サッカー部の先輩から聞いたんだけど、あんたとヒロミちゃん、バイクで校内を走り回ったんだって?」
まるで、自分は重大な秘密を握ったのだと言わんばかりなのだけど、内容も間違えているし、なかなか滑稽だと思った。
「ていうか、入学して二日で先輩に知り合いとかいるんだね。すごいね平山さん」
素直に、平山を賞賛してみる。亜珠美は入学してから今まで、まともに話した生徒は数える程しかいないし、連絡事項を除外すればヒロミと、この平山だけである。
「ふふん、これでも小学生まではサッカーのユースチームに入っていたのよ。もう辞めちゃったけどね」
はあ、それはまた文武両道だ。
平山の口から出たのはそれなりに有名でレベルの高いクラブユースだったので、幼い頃は練習に打ち込んだのだろう。
「ところで、この問題わかんないんだけど、平山さん解ける?」
亜珠美は平山の方に問題集を向け、わからないままとばしていた問題をペンで指す。
平山は一瞬、眉間にしわをよせたものの、ペンを取るとすらすらと書き出した。
「ええと、これはね」
そう言って順を追って説明してくれる。
問題に取り組む視線はまっすぐで、意外といっては失礼だけども頭がいい。
ひとしきり問題を解説し終わったあと、平山は我に返ったようで渋い顔をするとペンを叩き付けるように置いて問題集を亜珠美に戻す。
「無茶してたら退学になっちゃうんだからね!」
肩を怒らせて自席に戻る平山にお礼を言い、亜珠美は指先でペンをクルクル回した。
まあ、そうか。あの手の輩は面倒見もいいか。
すこしおかしくなって笑い、問題集に戻った。
※
「軽羽とヒロミ、ちょっとこっちに来い」
担任の酒田教諭に名前を呼ばれたのは朝のホームルームが終わった後だった。
ちらりと目をやると、平山が「いわんこっちゃない」と言いたそうな顔で睨んでいる。
亜珠美は冷や汗を掻きながら席を立つと、ヒロミは軽い足取りで酒田教諭に近づいて行った。
そうだ、校則も法律も触れていないはずだ。処分を受けるいわれはない。
自分に言い聞かせるものの、心拍は落ち着かなかった。
酒田教諭の表情から内容をくみ取ろうとしたのだけど、三十代半ばの女性教諭はいつもの表情で解らなかった。
亜珠美が重い足取りでヒロミの横に並ぶと、酒田教諭は手持ちのファイルから書類を取り出して亜珠美に突きつける。
「オマエたちなあ、新しい部活を作るのもいいがもう少し待て。それから、要件未達成だからどのみち書き直しだ」
渡された書類を見ると『部活動設立申請書』と書かれていて、設立人員の欄にヒロミと並んで亜珠美の名前が記されていた。
ヒロミの顔を見るとわざとらしく明後日の方を向いて口笛を吹き始める。
部室の場所は例のガラクタ部屋になっており、活動名は『科学魔術研究会』となっていた。
「あのぉ、私はこれ聞いていないんですけど」
亜珠美が訴えるように言うと、酒田教諭はため息を吐いてヒロミの頭をファイルで撫でた。
「駄目だぞ、ヒロミ。こういうのはズルだ。きちんと相手の同意を取ってから持ってきなさい。それから、どんな資格を持っているのかは別にして、校内でスクーターを飛ばすのは止めなさい」
言われてヒロミは渋々といった様子で頷く。どう見ても納得いってはいなかった。
酒田教諭が去ると、亜珠美はヒロミの尻を叩いた。
「勝手に私の名前を書いたな!」
「やめて、もう解ったから!」
ヒロミが手を広げながら逃げる。
この女は絶対に解っていない。
「アーシュも好きじゃん、魔法。一緒にやろうよ」
距離を取ったヒロミは両手を挙げて笑った。
「好きじゃないし、それに私は忙しいの!」
「ええ、ガネ高の科学魔術部を再興させるって約束……」
「誰がするか!」
と、亜珠美の持っていた書類が横から取られた。
「どれどれ。人数が足りないよ」
生徒手帳を片手に用紙を眺めるのは平山だった。
「部の新設には五名以上、休部の活動再開には三名以上が必要なんだって。ていうか、あんた達うるさいよ」
平山に言われて周囲を見渡せば、クラスの大多数が次の授業に向けて予習中で、彼らの視線が亜珠美には冷たく感じられるのだった。
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