エピローグ

 透明なガラスを全面に使った広々とした空間で、一人の青年が水晶を片手に地上を覗き込んでいた。


「やれやれ、確かに『記憶を消したら何度も同じことを繰り返すかもしれない』と予想していたものの、まさか一五回全て使い切るとは思っていませんでしたよ」


 水晶には先ほどまで真っ白だった少年が映っていたけれど、今はいない。本人もすでに監視はやめて、別の場所へ視線を向けようとしている。


「自業自得だ。あやうく世界が破滅するところだったのではないか?」

「さすがに二回目くらいで成功すると踏んでいたのですがね」


 トゲのある女性の声に対して、金色の髪と瞳を持つ青年はのんきそうにつぶやく。


「ところで、貴様はいったいどこまで関わっていた?」

「さあ、どうでしょう。私は力を貸しただけです。最初から最後まで彼を操っていたわけではありません。虹色の獣を倒したのは、彼自身の力ですよ」


 何食わぬ顔で告げた青年に対して、女性は露骨に不満げな表情を見せる。

 その黒紅色の着物をまとった、漆黒の垂髪の彼女は、次のように切り出す。


「私は確かに死んだはずだ。なぜ、ここにいる?」

「神に昇華したからでしょう。あなたは三〇〇〇年間、国を統治し続けた。影の支配者として。その功績が認められたのです。もっと喜んでもいいのですよ?」


 やわらかな口調で話しかける青年に対して、相手の態度は変わらない。


「やはり今の貴様は相手にしづらい。本当に神になってしまったのか」

「内面は変わっていません。ただ、演じているだけです。私は、地上の民が理想とする神を。神ならこうするだろうと思うようなことをしているだけです」

「それで、私は貴様をなんと呼ぶべきか?」

「本当の名前は捨てましたが、いいでしょう。太陽の神――ソルとでも」


 あっさりと軽い口調で言った太陽の神に対して、女性はため息をつく。


「いいから話せ。貴様はどこまで関わっていた? 本当のことをだ」

「信じてはくれないのですね? まあ、いいでしょう。私がやったことといっても、些細なことです。緋色の巫女を通して、真白という名の青年に力を与えた。これが全てです。それから、一五回ものループをする羽目になったのはおおかた彼女のせいです。その罪の償いとして、彼女に戦場へ飛ばしました。霊体ですがね。闇から彼を守るのには十分でしょう」


 神としてはすでにやるきった気持ちでいっぱいだった。


「あなたは反省してください。間接的な元凶はあなたですよ」

「よく言う」


 女性は露骨に顔を歪めた。


「でも、三〇〇〇年も、よく待ちましたね」


 淡々とした、抑揚のない口調でつむがれた言葉に対して、女性は目をそらす。


「私は、魔王だ。魔王たるもの、勇者との決着をつける義務がある。そのような役割を割り振られ、きちんと悪役を演じたつもりだ。それなのに、勇者は私を裁かなかった」


 それがどうしようもなく悔しくて仕方がないというように、彼女は言う。

 だが、違う。本音は別にあるはずだ。だけど、その全てを把握し理解するのは本人にも難しい。だけど、それでも、彼女は告げる。


「お前を信じていた。必ず勇者として、私の前に戻ってくると。ずっとお前のことだけを見て、お前のことだけを考えて、お前のためだけに生きてきた」


 遠くを見るような目で、彼女はつぶやく。


「私は全てを犠牲にするつもりでいた。世界を、この地上の全てを。貴様のために、貴様を絶望に追い込むためだけに。そんな私を、お前は許さないだろう?」


 ややあって、神は答える。


「許すよ」


 耳を通り抜けていくような、淡い声だった。


「憎めない。ごめん。俺には君の望んだ感情は得られない。この世の全ての人間がお前を恨んだとしても、罪を望んだとしても、俺は君の味方でいる。たとえ、この決断がどれだけの人間に否定されて責められたとしても、だ」


 少女は深く息を吸い込む。


「阿呆め、このバカが」


 振り絞るように、泣き出しそうな声で言った。

 それは、彼女が地上で何度もこぼした一言。

 この世界では優しいだけでは損をする。それを理解しておきながら、結局神はその優しさを捨てきれずにいる。


「愛は捨てた。憎しみだけとなったはずなのに、どうして……どうしても、お前に対する感情が消えてくれない」


 それでいい。それでよかったのだと、神は思う。

 だが、しかし、本当に憎しみだけが残るのなら、どれほどよかっただろうか。

 やはり、魔王にしては彼女も優しすぎる。


「貴様はどうなのだ? 後悔は、ないのか? 神に昇って、この世界に縛り付けられて」

「そうですね」


 息と一緒に青年は答えを述べる。


「正直な話、もはやどうだって構わないのです。私は自身が絶対の神、唯一神であることを望みます。ほかの神は必要ない。ゆえに、新たに宗教を興そうとした者は滅ぼす。神より下の身分でこの神の座にいたろうとした者は許しません。後はもう、なにも要りません。地位も名誉も、ほかの誰かに好かれようとも。私は偶像で構わない。あくまで神として君臨しつづけるのみです」


 淡々と語る青年の姿はまるで、第三者の立場で別の者に関して語っているようにも思えた。

 彼は唯一無二であるために、孤高であることを選んだ。誰とも感情を共有せず、分かり会えない。それでいいと断じた。

 その女よりも美しい顔をした金色の青年は自由を得るだけの資格と能力を有しているにも関わらず、この世の誰よりも自身の役職に縛られた存在だった。

 国民たちが抱いている神へのイメージが具現化した存在。正確にいうと、それを彼自身が演じている。誰も神本人を見たことがないため、イメージが一人歩きしている。無限とゼロ、永遠を司る。誰にでもなれるが、誰にもなれない存在。素の人格が存在しない、全てが演技。勇者としての自分はとうの昔に消え失せていた。

 たった一人で世界の情勢・物語を変えかねない、機械仕掛けの神。その機械的な動きは誰よりも人間離れしている。


「お前は唯一無二であることにこだわっている。ならばなぜ、ここに私を呼んだ?」

「さあ、どうでしょう。強いていうなら、私にはあなたが必要だった。神は要らない。ですが、女神は必要。これ以外の理由はいますかね?」


 すでに余分な感情は捨てたはずだった。

 世界を守護するためにシステムでい続けるために、ありとあらゆるものを切り捨てた。おそらくは自分自身すらも。

 だが、今この瞬間、確かに彼はなつかしいと思った。この感覚は確かに心地よいと。

 そして、二人の間を柔らかな風が吹き抜けていった。

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僕は勇者にならない(下書き) 白雪花房 @snowhite

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