作品の感想は良い点のみを書く理由
松宮かさね
感想を書くときの姿勢
カクヨム等の小説投稿サイトにおいて、感想、レビューを書くときのスタンスは、人によって様々であると思います。
自分は、「批判的なことは極力書かずに、良い点を見つけて書く」という姿勢です。
どの作品にも長所と短所は存在するはずです。客観的な視点でそれらを見つけて作者に伝えることは、どちらもそれぞれ異なる有益な効果をもらたすと考えます。
しかしあくまで自分個人の姿勢としては、とくに頼まれない限りは、極力、作品の良い点を見つけることに専念して、それを作者様に伝えていきたいと考えています。
そう思うに至ったわけはいくつかあります。
何より大きい理由のひとつは、自分がカルチャースクールに通っていた頃の経験からのものです。
童話教室に通っていた頃、生徒はそれぞれ自分の短編作品をみんなに読んでもらい、先生を含む全員からの批評を受けていました。
良いところは褒められて、欠点は容赦なく批判されます。その意見を元に、作品を書きなおし、次回また批評を頂いては手直しをして、先生の許可が出るまで完成度を高めていきました。
褒めて頂いたことも、厳しく批判されたことも、どちらも得難い宝となっています。その両方があったから、自分の作品を冷静な目で見て、手直ししていこうという意欲も持つことができました。長所の指摘も欠点の指摘も、どちらも書き手にとってはありがたいものだと感じました。
こてんぱんに批判されて「もうどうやっていいのかわからない」としょげることもあり、逆に「言い過ぎたかな……」と後悔することもありましたが。
だけど、本当に教室に通ってこのような経験ができてよかったなあと思っています。
その授業になれてきた頃に、気づいたことがありました。
「批判するのは簡単だけど、良い点を見つけるのは意外と難しい」
長く続けて書いてらっしゃる方は相当な腕前だったりしますが、自分をはじめ基本、素人の書いた文章です。誰もが目を見張るような作品は、そうそう出てきません。
毎回、長所も短所もバランスよく指摘したいと頭を悩ませるうちに、「先生はその人の持ち味や美点を見つけることがうまい」ということに気づきました。
先生は厳しい方でしたが、「その人らしさ」といった独特の良い点を見つけることもうまく、容赦のないダメ出しの中にお褒めの言葉を頂くと、それは嬉しい気持ちになりました。
そんな先生の「見る力」に憧れを抱きました。
それが妥当であるかを別にすれば、批判はどの作品にだってできるのです。
誰もが知るような文豪の作品にだって、「文体が独特で読みづらい。読者のことを考えていない」「起承転結がはっきりしていない。結末があまりにあっけない」「主人公に魅力を感じない」「なにが言いたいのかわからない」「独りよがりである」などなど……。
どんな作品にだって、教室でしていたように批判をしなさいと言われたら、できます。
※ただ、その批判が適切であるかはまた別の問題です。
的を射た批判をできるか否かには、読書量が大いに関係するように感じます。
人の心に響くような小説を書くための感性を持つことも、文章の技術を高めることも、どちらも大切だとは思います。ただ、文章力を高めることは、読み書きの経験を積み適正な努力を重ねたなら、そう遠くないうちにそれなりのレベルになることは可能だと思います。
しかし同じように「感性」のレベルアップをしようとしても、容易ではありません。小説に「その人独自の色」を出せるような感性を磨くことは、文章の腕を磨くより、さらに時間のかかることだと考えています。
そんな原石のように光る美しい部分を見つけて、感性を磨き上げるお手伝いをするなんて、素敵なことだと憧れます。プロである童話教室の先生にはできても、自分には難しいと怖気づく心もあります。でもとてもやりがいのある勉強ですし、やってみたいのです。
これが、自分が感想で積極的に作品の長所を書きたい一つ目の理由です。
欠点を探すことより、美点を探すことの方が難易度が高く、自分の感性や見る目も養ってくれるのではないかと思うからです。
ここでいう「美点」は主に感性に訴えるものという意味です。国語の授業でバツをもらうような語法的な間違いは、できるだけ厳しく見つける目を養うべきだと思っています(ご本人に伝えるべきかはその時々によりますが)
二つ目の理由。それは「素人の小説で欠点や長所を指摘することにおいてのメリットとデメリット」を考えた場合、「褒めた方がメリットが多そうだ。欠点の指摘の効果はケースバイケースだ」と考えたことによります。
上記の童話教室においては、自分の作品の欠点をずばずばと指摘してくださった先生や生徒さんたちに、とても感謝しています。ただそれは、私がその方々の技量や見る目に信頼を置いており、人としても尊敬しており、なおかつこちらからお金を払って「批評をお願いします」と頼んでいるという条件でのことです。
小説投稿サイトはそうではありません。お互いにどんな方かもよくわかっていません。傷つきやすい方か、おおらかな方か。プロ志望の方か、趣味で楽しくやっていたい方か。そういったこともわからない方のコメント欄に批判めいたことを書くのは、慎重になった方がいいと思っております。
最初こそ、「小説を書いているのなら、みんなうまくなりたいはず」という思い込みがありましたが、それも違うのかもしれない。「ただ息抜きになればいい」「ストレス発散に書きたいだけ」という方もいるのかもしれない。
そのようなことを想像するうちに、より「相手から頼まれもしないのに、感想で気になった点を伝えるのは怖いな」と感じるようになりました。
三つ目の理由。「褒めて伸ばせが自分のモットーだから」
これは最も個人的な考えで、深い理由はないです。そういうのが好きなのです。
自分の言葉で誰かがやる気を出して、どんどん書いて、どんどん上達していってくれたら、すごく嬉しい。
もし、好意のつもりで告げた「ここ直した方が良いですよ」で相手が自信をなくして、筆を折ってしまったらと思うと、とても怖い。
なんとなく、ポジティブな言葉を使っていると、自分の気持ちも明るくなれそうで好きなのです。なぜかというと……。
四つ目の理由。「メンタルが激弱だから」「相手との距離感を掴むのが苦手だから」
どうしようもない理由ですが、正直なところです。メリットもデメリットもある批判より、ほぼメリットのみで構成されている「褒める」行為の方が気が楽です。小説執筆も交流も、自分のような神経質で気弱な人間は、できるだけ気を楽にしていないと長くは続けられません。
例えば友達が「小説の賞に応募するから批評してほしい。悪いところも指摘してほしい」と言えば、一生懸命に考えて、たくさんダメ出しもすると思います。賞を狙うのなら、客観的な視点も交えて、厳しい批判も受けながら推敲していかないと難しいだろうと思っています。ですので、相手にも自分にもデメリットがあろうが、がんばります。
それが相手のためになるという信念があれば批判もします。
でも自分の中では、よく知らない方相手にそれをすることが良いことなのかどうなのか、わからないのです。
だから、褒めます。どのような作品にでも、良いところ、美点を探すことに全力を尽くします。
良いところを探すといっても、無理をしているわけではありません。小説を読むことも感想を書くことも趣味であり娯楽ですし、しんどいと感じるならとても続けられません。
不思議と「楽しむぞ! 良いところを見つけるぞ」という姿勢で小説を読んでいるうちに、自然と向き合う作品の美点が目立って目に入ってくるようになりました。
逆に、「さあ、批判するぞ」と思って読んでいると、粗ばかりが目に付くようになるのです。人間の脳はおもしろいです。
美点の発掘に意識を向けることで、たくさんの作品を楽しめるようになることも、自分にとってのメリットのひとつです。
これは、自分の性格や特性や経験を踏まえた上でのごく個人的な考え方であり、厳しい批評をなさっている方を否定するものではありません。褒めることも批判することも、どちらも大切な営みだと思っています。
ただ、自分にはこういうのが向いてそうだなあ……という感じの意思表明です。
うちの作品に、気になる点を書いて頂くことに関しては、基本歓迎いたします。とくに文法の間違いや、言葉の誤用を教えて頂けたら、大変助かります!
もし「どうしても厳しい批判が必要だから欲しい」という方がいたら、可能であれば、がんばろうとも思っています(言葉は選びますし、キツイ言い方にならないようには気をつけます)
いつか、厳しく批評し合うような企画があれば、思い切って応募してみたいなと思ってもいます。自信作ができればですが……!
だけど、やっぱり褒めたいのです。人は褒めて伸ばせがモットーなのです。
小説が大好きなのです。小説は楽しいのです。
楽しくないと小説じゃないのです。
小説の中の美点を探すことは、私の「楽しい」を探すための旅なのです。
作品の感想は良い点のみを書く理由 松宮かさね @conure
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