【私の世界】
「良かった。目が覚めたんだね」
私の前にいたのは、あの男だった。いつも楽しんでいる、おかしな人。
「あなたが……助け、てくれた、の……」
「ああ、もうあの場所には戻らなくていいんだよ」
「そう、なの……。ここは……どこ」
白に薄い灰色がぼやっとかかっているような色。何もない空間。そこに私たちは浮いていた。
「……どうしたの?」
体を私から少し離して、男は帽子を深くかぶった。
「ここからは道がないんだ」
「それじゃあ……どうするの?」
「もう少しだけ二人でここにいようか」
そうしたら話すからと、口元をニッと上げた。その仕草に、体の奥が僅かに騒ぐ。
「ここは全て君の世界なんだよ」
「私の?」
「うん。記憶の整理がてら、君のことを話してみてくれないかい」
私は少し迷いながら、歩いてきた道で起こったこと、私のこと、それに思い出した記憶を話した。色々なことを彼は真剣に聞いてくれる。そのときは笑顔の方が多かったけど、時折辛そうに眉を寄せたり、悲しそうな表情もしていた。
なんだかとても暖かい時間だった。
「ありがとう。君のことをたくさん知れたよ」
「あなたは話さないの?」
「思い出にするより、その場で楽しみたいからね。でも今の事はずっと覚えておきたいな」
「私も忘れないと思うわ」
男は小指を私の顔の前に持ってきた。
「忘れないって約束だ」
「うん……なんだか変な約束だけど、嬉しい」
指をぎゅっと絡めて笑う。
「さて、そろそろ話さなければいけないね」
「何を……?」
仕切り直したことに、少しだけ不安になった。
「ここから帰る方法さ」
「……!」
とっさに彼の腕を掴んでしまった。
「待って……私、ここが自分でもびっくりするんだけど、気に入っちゃったみたいで。えっと最後の場所以外は……。ここであなた達と一緒にいるのもいいなと思ってたんだけど……ダメかしら」
「……とりあえず聞いて? 帰る方法はね」
彼は相変わらず笑ったまま、その言葉を口にした。
「僕を殺すことさ」
「……えっ?」
「ここにもうすぐ剣が生まれる。それで僕のことを刺すんだ。やるなら一気にやってね、残っちゃうと痛そうだし」
「なに、言ってるの……だったらここに残るに決まってるじゃない!」
「でもそうしないと……君が、君が消えてしまう……。この世界に取り込まれてしまうんだよ」
キィィンと高い音がして、私の体に合ったサイズの剣が現れた。それは勝手に、私の手の中に納まる。
「……嫌よ。こんなこと出来るわけない……っ」
キラリと光る銀に、自分の顔が反射して目を背けた。
「大丈夫だよ。僕は君のことを忘れない。君に僕を消してほしい」
「どうしてそんなこと言うの……!」
「君のことがとても大事だから」
「分からないわ……ちゃんと説明してよ!」
「……大丈夫。ずっと側にいる……君の心の中で僕を生きさせてほしい」
「どうして……なんで!」
何を言っても、もう考えを改めてはくれないだろう。
私は、私は……。
剣を――
…………。
……………………。
何かが刺さった感覚はなかった。煙みたいに、ゆっくりと姿が消えていく。
――ありがとう。いつまでも、お前を愛しているよ。
突然世界が崩れ始めて、空が現れた。
お日様の匂いがする。沢山の花に囲まれて、暖かい空間の中で、みんなが空へと上がっていく。
そういえばあの子……。
森にいた男の子は近所に住んでいた。
私が捕まえた蝶を家では飼えなくて、二人で見つからない場所で世話をしていた。ある時からあまり飛ばなくなってしまって、それを心配だからと遅い時間になっても、一緒に見守ってくれていた。
やがてその蝶の寿命は尽きた。私が生き返らせてってワガママを言ったり、泣き出してしまったのを宥めてくれた。
その夜は彼の母にも、私の母にも叱られちゃったけど、彼がいたから心強かった。怒られるのは私だけでいいのに、ずっと付き添ってくれていた。
次の日、お墓を作ることにした。その時にあの子は教えてくれた。生まれ変わって、また元気に飛び立つんだって。
彼は……どうしたんだっけ。ああ、いなくなっちゃったんだ。私の手の届かないところに、飛んでいった。
アンドレは……私のたった一人のお友達だ。少し煩わしく思ったこともあったけど、本当は好きだったのに、私は彼女にヒドいことを言って突き放してしまった。ごめんなさい……。
そう――彼女はもう一人の私だ。親の気を引きたくて、困らせることばかりしていた。嘘を言ったり、よく泣いたり……。
でもそれは嫌われてしまったから、私は人に甘える自分を封印した。もう誰にも迷惑をかけたくなかった。
もしかして……これは私の人生を辿っていたの?
映画館で上映していたのかもしれないわね……私の走馬灯。
あれ? だったらあの人は……? 彼だって関係しているはずなのに、どうして思い出せないんだろう。
凄く近くて遠い……暖かくて、安心するあの人は……。
――大丈夫、戻ったらすぐに思い出せるよ。
私の体は金色の光に包まれて、上へと浮かんだ。
雲のところまで来ると、光る階段があった。一歩ずつ踏みしめながら、登っていく。
進むごとにだんだんと光が強くなって、瞳を閉じる。
――ピーピーッピッ。
「意識を取り戻しました!」
誰かの声が聞こえた。ざわざわと、多くの人がいる気配がする。
起きると白い天井が目に入った。なぜか机の上には鏡が置いてあって、それを覗くと頭に包帯が巻いてあった。
ナース服を来たお姉さんが扉から入ってきた。少し悲しそうな顔で笑うと、目を伏せる。
「お父様のお陰で貴方は助かったのよ」
「お父……さん?」
私とお父さんは一緒に病院に運ばれたらしい。線路に落ちた私を助けに、自分も線路に飛び込んで……。
どうしてそんなことしたの、私なんかの為に。
ああ、そっか……あの中で、最後に聞こえたのはお父さんの声だったんだ。
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