【蝶と少年】

どこまで歩いても残骸の山。それにしても結構広いところだったみたいだ。半分ほど欠けた建物だったであろうコンクリートの物体は、いつまでも無くなりそうにない。

「ああ、ちょっと休もうかな」

だって何にも無さそうなんだもん……。

馬車についていたであろうタイヤがある山の一角に腰を下ろした。

それで、私はなんでこんな所にいるんだろう? さっきの映画館は入れなくなっちゃったし、もうあの人に話を聞くこともできない。まぁ、聞きたいことも分からないんだけどね。

もう一度周りを見渡した。入り口も出口もそれらしきものはない。あの人はどこに行っちゃったのかな、消えちゃったのかな。他に人はいなさそうだし、誰もいないよりは居てくれたほうがずっといいのに……。

「……あれ?」

何かが今、ひらひらと目の前を……。

顔を上げると、金色の蝶がふわりふわりと飛んでいた。正確に言うと白い蝶が金色の粉を落としながら、どこ行くでもなく右に左に私の前を移動している。

なんだろう?

「やぁ、お姉さん。それは惑わせ蝶さ」

「誰っ?」

突然少年の声が聞こえた。とっさに立ち上がったけれど、どこにも姿はない。

「ココだよ。ココ」

「うわっ! いつの間にっ」

すると目の前に、私のお腹ぐらいの身長の子供が立っていた。

「ハハハ、それにしても良かった。蝶に魅せられていたら、きっと戻れなくなっていたよ」

「戻るってどこに?」

「ふふふ……そんなの自分しか知らないに決まってるじゃないか」

「どういうこと……あっ」

よく見ると男の子の小さい指の先には、蝶が羽を振るわせながら止まっていた。逃げ出す様子はない。

「君は蝶に懐かれているの?」

「うーん……さぁ、どうなんだろうね」

この世界と一緒、セピア色の服を身につけた少年は小さく笑った。

「ついておいで」

「えっ? あなたは出口を知ってるの」

「出口……何それ? 僕の居場所に行くんだよ」

「お家があるの?」

少年は色んな質問をしてもときどき笑うだけで、ずんずんと進んでいってしまう。蝶は相変わらず金色を落としながら指先に止まったままだ。変なの……そう思っても何の手がかりも無い中、ついていくしか選択肢はなかった。


辿り着いた先は森だった。少しずつ緑が増えていく中で、さっきまでのセピアとは全然違う場所に出た。

「森があるとは思わなかったわ。広いのね、ここは」

「さぁ、お行き」

そっと少年の元から離れた蝶は、奥へと飛んでいく。

「逃がしちゃってよかったの?」

「あの子の家なのに、逃がすも何もあるかい」

「……君の居場所だって言ったじゃない」

「こんなに広いのに、僕だけのモノな訳ないじゃないか。せいぜいこれっぽっちさ」

そこにあった切り株に腰を下ろすと、ポケットから笛を取り出した。こちらが何か言う前に少年は演奏を始める。曲は知らないけれど、つい耳を傾けてしまう。澄んだ優しい音が森中に響き渡った。

「わぁ……素敵」

すると先ほどの蝶が何匹も集まって、キラキラと私の周りを照らした。演奏が終わって、思わず私は少年に駆け寄る。

「凄い! とっても上手だった」

「……別に君の為に吹いたんじゃない」

ちょっとそっぽを向いて小声で呟いた。その耳は赤くなってるように見える。

「今のは彼らを癒やす音色さ。飛びすぎてちょっと疲れていたようだからね」

「へぇそんなことができるのね。それで蝶は元気になったの?」

「僕は彼らと意志疎通ができる訳じゃない。でもこうして集まってくるから……続けてる」

「そうなんだ」

まぁ不思議な雰囲気のある子だからって、そんな魔法みたいなことはできないか。

「でも続けることって大事だと思うわ」

「……」

あれ上手くフォローできてなかったかも? そう思って少年の方を見ると、あちらは私の足元を見ていた

「あっ……」

そこには羽を弱々しく動かしている蝶がいた。きっともうダメだということは、直感で分かってしまった。

「お姉さんだったら、どうする」

「えっ?」

「この蝶がもう一度元気に飛んでいくのを信じるか、静かに眠りにつくのを見守るか」

「……そうね難しい問題だわ」

僅かに羽を震わせる蝶。金色の粉はもう出ていないけど、羽はまだ輝いていた。

「私……信じたい」

「そうか。まぁお姉さんはそういう人なんだろうな……分かったよ」

笛の音が聞こえると、微かに羽が動いた。

「頑張れっ! 飛ぶのよ!」

「……」

しばらく頑張っていたけど、やがて力尽きたように動かなくなった。

「……残念だったね」

「そうね……」

「でもお姉さんは信じたんだ。諦めずに」

できることなら、もう一度飛んでいく姿を見たかった。

「抗えないことは受け入れるしかない」

「……でも私は信じたいの」

「分かった。僕も付き合おう」

他の蝶が変わりをするように、周りを高く高く飛んでいた。

少年は笛を取り出し、静かな音色を奏でだした。先ほどより落ち着いた曲だ。それが響き渡ると、動かなかった蝶が光に包まれた。金色の粉が上へと舞い上がり、やがて消える。まるで蝶自身の魂であったかのように。

「どこかに埋めてあげましょ」

「だったらこっちがいいな」

更に奥に入った場所には湖があった。水は反射して虹色に光っている。

本当に楽園のような、天国みたいなところだ。少年が穴を掘って、私はそっと手のひらから離した。

「……ありがとう」

少年がぽつりと呟く。蝶に言っているのだと思ったけれど、振り返ると顔はこちらに向いていた。

「私?」

「一人だったらもっと苦しかった。でももう……大丈夫」

優しい顔をして、今度は蝶を埋めた場所を見ていた。私もしばらく彼の隣に座って、お別れを告げる。

立ち上がって森を見回す。さっきの場所まで一緒に戻ろうと、彼の方を向いた時だった。

「えっ、どうして」

また色が変わっていた。少年の姿もなくなっている。

「……入れない」

まるでそこに見えない壁があるみたいに、どうしても森に入ることはできなくなっていた。

「どうなってるの……なんなのここは」

色を無くしてしまった森を見つめ、途方に暮れた。

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