【誓いの前日】
あれから数日経って、家に帰ってきた。治ったはずなのに、まだなんとなく頭がぼうっとする。
お母さんは泣いて私を抱きしめてくれた。
「あの子も、とっても心配していたのよ」
「あの子……?」
「旦那様を忘れるなんて、ヒドいんじゃないか?」
「……ちょうちょ!」
「おいおい……確かに君と遊んでいた時はよく公園に行っていたし、蝶のことももちろん覚えているよ。でも第一声がそれはないだろ」
「ふふ……この子はムードを作れるような、おしとやかなレディーじゃないものね。貴方から言ってあげてちょうだいよ」
「お義母さん……それは無茶ぶりというものですよ」
「あらあらごめんなさい。貴方達、二人揃ってそういうのが苦手なのね。ふふっ、じゃあ後は若い人達でどうぞ」
少し沈黙が流れた。何か言おうか迷っていると、あちらが一歩近づいた。
「本当に大丈夫? まだ痛むところとか……」
「平気。……まだあの世界にいる気がするけど」
「あの世界?」
「そう夢みたいなもの……でも夢じゃないのよ」
「……? まぁ、いいや。退院したとはいえ、まだ安静にしていた方がいいだろう。日時をズラしてもらったから、ゆっくり休むといい」
「じゃあ、そうさせてもらおうかな」
「なぁ……」
「なに?」
「いや……君が生きていてくれて、本当に良かった」
それだけ言うと、赤くなった頬を隠すように出ていった。
自分の部屋に行く前に、お父さんの部屋を開ける。そこには普段着ることがなさそうな服が壁にかけられていた。
「これ……」
なんとなく机を見ると日記帳があったので、つい開いてしまった。
×月×日
娘を嫁にやるなんて……ついにこの日が来てしまったか。昔からよく言われているけど、この複雑な気持ちは何事にも変えられないものだ。
それでも相手があの子なのは幸運だ。いや、もう二人とも子供ではないんだ。……貴方になら任せられる。やっぱりちょっと悔しいけど。
ああ、こんなんだから母さんにもバカにされるんだろうな。私にも威厳とか、そういうものがいつか出てくるのだろうか。
それにしても試着したドレスはとても似合っていた。本番では、もう分かる。きっと、いや絶対泣いてしまうんだろう。この日ぐらいは父親らしく、格好良くしたいのに……。
その前に二人で出かける旅行が楽しみだ。奥さんになる前の、最後の……旅行。そこで、しっかり送り出す決意を固めないと。幸せになるんだよ。
「あなたってちっとも楽観主義なんかじゃない……私に似て、泣き虫……だわ! お父さん……っ」
柔らかな光が部屋の中を照らしていた。私はドレスを着た自分を鏡に映す。
「どう……かな?」
「ああ、とても……っ綺麗だ」
「もう、気が早いってば」
私は笑ってしまった。ハンカチを渡して、赤くなった目を見つめる。
「ねぇお父さ……ううん。楽観主義の男、さん?」
「なんだ、それは?」
「ふふっ……なーんで私の中では、あんなカッコよくなって出てきたのかしら」
じーっと似合わないスーツを着ている、中年代表みたいな背中を見つめる。
「あっ!」
「突然どうした」
「昔、私にずーっとカッコいい王子様の絵を見せて、それを自分だって言ってたのよ! 洗脳よ洗脳」
「お、おい……そんな前のこと思い出させないでくれよ」
「いいえ、許さないわ……ふふっ」
「ったく……そのことを思い出して集中できなかったらどうする」
「でも変にカッコつけるより、話してる時に噛んじゃったり、大事なところでやらかしちゃう方がお父さんらしいかもって、お母さんも言ってたわ」
「お前達は揃って俺をなんだと思っているんだ。ほら、そろそろ……」
私はあの日から止まったままの腕時計を外した。私は自分で針を動かす。
永遠の愛を誓う時――あの世界のみんなが見守ってくれている気がした。
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