【泣く女】

「あー……大変な目にあった」

あの人形達よりはマシだけどね。それに私が、雨が降っても気がつかないほどの鈍感じゃなくて良かったわ。いや逆に気にしないぐらいおおらかな方が良いのかしら。でも着替えもタオルもないしね。

走った先はさっきの続きみたいだった。また暗くなってしまったけど、灰色の壁が確認できるぐらいの明るさはある。

「……っスンスン……スン」

小さく、だけど声が聞こえたので驚いてしまった。でも人に会えるなら嬉しいことだ。

「どこにいるの?」

鼻を啜る音とか、時折嗚咽が混ざる声が聞こえる。もしかして泣いているの? 何かあったのかな。

「ひぃっ!」

そのとき足に、ぴたりと冷たい何かが当たった。そうっと目を動かすと、大きな黒い塊が……。

「ひ、ひどぉい! やっぱり私は醜いんだわぁ! うわぁぁん……っ」

「ご、ごめんなさい。私、気がつかなくて」

「そうね……私のことなんて誰も見てないものね」

何だか面倒なそうな人に会っちゃったな……。

「今! ぜぇえったい私のこと面倒くさいって思った! 思ったでしょ!」

「えーっと、あの……」

「あああぁぁぁ! もういいわ! 私なんてどうせ嫌われ役よぉぉ!」

「ねぇ、落ち着いて」

「ぐすん……ひぃぃっ……ぐすっ」

どうしよう。話を聞くにもこれじゃあ……困ったな。

「ね、良かったらこれ。貴方にあげる」

ワンピースから花を外して、差し出した。

「えっ……私に? くれるって……うっ、うう……」

「ほら、その花は泣いてちゃ似合わないわよ。一回落ち着いて……えっと。笑って、ね?」

「本当だ……素敵」

よっぽど気に入ったのか、花を恍惚と眺めた後、髪につけてくれた。真っ黒で長い髪。さっきはこれが広がって黒い塊に見えていたのね。

ふらりと立ち上がった女の人は、意外と背が高い。白いワンピースを着ている。髪の間から見えた顔は、思っていたよりも若く見えた。

「それで、お話を聞いても良さそうかしら?」

「ええ……どうぞ。ふふふ……」

やけに気に入ったらしく、髪から外しては眺め、また髪につけていた。これだけ気に入ってくれたのなら、あげがいがあるというものだ。

「貴方もずっとここにいるの? ……ここは何なのかしら。うまく言えないけど、誰かが作った場所にしては不可解なことが多いし、誰かの夢に巻き込まれたような気分よ。こんなの現実じゃあり得ないわ。どう見たって私が住んでいたところじゃないの。その、帰り方とか知ってたら教えてほしいんだけど……」

「……ふふ」

「……ねぇ?」

「お花……ううん。プレゼントなんて貰うの初めてだわぁ……」

ダメだ。すっかり花に陶酔している。

「……ここは……分からないわ。私だってずっとここにいるもの……だから私にとってはここが世界の全て」

「本当にこんなところで暮らしているの? だって家は? 食べるものとか、寝るところだってないのに貴方は……」

「ちょっと……い、いっぺんに、言わな……いでよぉ……!」

「あっ……」

やってしまった。何がこの人の琴線に触れてしまうのか分からない。

「ごめんなさい……だからもう泣かないでって」

「ほらぁ! やっぱり貴方も私をいらないって思ってるのねぇ! いいわよいいわよもう! うああああああんっ」

ああ、何の話をしていたか忘れてしまいそうだ。この人ともう話すのは無理かもしれない。

「貴方もって……私以外に誰かといたの?」

「う、う、うわぁぁん! 思い出させないでよぉっ、せっかく忘れてたのにぃぃ! バカぁぁ!」

「そんなに辛いことがあったのね……可哀想に」

「可哀想なんて言わないでよぉぉー!」

「……よ、良かったら話してみて。楽になるかもしれないわよ」

それから相変わらず、ぐすぐす泣く女の話を堪えながら聞いていた。

「えっ何その男、最低!」

「でしょう! なのに私ったら本当にバカよね……」

「貴方は悪くないわ。そいつが全部悪いのよ!」

「そ、そうね……そうよね!」

彼女はかなりの恋愛不幸体質らしく、今まで出会った男達は、みんな分かりやすいぐらいのダメな人たちだったのだ。

いつのまにか私達は意気投合していた。

「でも貴方ずっとここにいるって言ってなかった? そんなに沢山の人がいるの?」

「あれ? そういえば……どうなのかしら」

「ちょっと、しっかりしてよ」

「ごめんなさいクリスティーナ」

「それ……私の名前?」

「素敵でしょうクリスティーナ。私はそうね……アンドレがいいわ」

彼女はキラキラした瞳で見つめてくる。

「わ、分かったわアンドレ……。そうだ。じゃあこれから一緒に来ない? 一人じゃ心細くて。ずっと誰かがいてくれたらって思ってたの」

「ええ、クリスティーナが言うなら!」


――全ては嘘なんだけどね。


「今……何か言った?」

「いいえ? どうしたのクリスティーナ」

「いえ……言ってないならいいの」

確かに誰かの声が、聞こえたハズなんだけどな……。でも彼女の声ではなかった。男か女かも分からない曖昧な、でも耳に馴染む不思議な声だ。

次の扉を見つけたので、彼女を呼んだ。

私は一足先に向こう側へと足を踏み入れる。振り返って、異変に気づいた。

「あれ……どうして」

絶対に届いているはずなのに、手が触れ合わなかった。伸ばしても彼女の手は透けてしまう。

「は、早く! 早く貴方も来るのよ!」

「ごめんね……クリスティーナ」

彼女からこぼれた涙が一筋頬に流れるのを見た。それを最後に扉は勝手に閉まってしまう。まるで誰かの意思でそうされたかのように、私は押し出されていた。ドンドンと叩いても、中の音は聞こえない。

一人しか出られないってことなの? いや、もしかしたらアンドレは、本当にここから出られない存在なのかもしれない。

……こっちが泣きそうになりながら暗い空を見上げた。戻ることは許されないようだ。

一体いつまで、こんなことを続ければいいの……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る