【楽観主義の男】

扉の向こうは、また初めの場所に戻ったみたいだった。ガラクタがまだまだ沢山転がっている。向こう側も、その先も、永遠に続いているかのように……。

もうなんだか、どこにも行く気がしない。よく分からないところに、腰を下ろした。

気のせいかと思ったけど、確かに聞こえる。顔を上げると、見たことのない楽器を持ち歩いている男が見えた。

派手な服に身に包んだ男は、だんだんこちらに近づいてくる。演奏をしながら玉を投げたり回したり……大道芸かしら、とても器用だ。今までで一番このガラクタ達、遊園地と関係がありそうな気はする。

でも私がいなかったら、こんな芸だって誰に向けて見せるんだろう……。

彼は左手で演奏を続けながら、右手で帽子を取ってお辞儀をした。

「やぁ、お嬢さん」

軽快にステップを踏み、ターンを決める。

「楽しんでいるかい?」

廃墟で何を楽しむのか聞きたかったけれど、実際少し楽しいこともあった。それはみんな思い出になってしまったけど。

「まぁ、少しね」

だからこんな風に返しておく。

「そうかい、それは良かった」

満足そうにうんうんと微笑み、男は演奏を再開させる。

「あなたは楽しいの?」

「ああ、楽しいさ」

「……一人なのに?」

ふと、彼女が笑ってくれた顔を思い出した。もう会えないアンドレ。あんな別れ方をしたのだから、最初のおじいさんも少年も、この先会えないんだろう。

「君がいるじゃないか」

「でもさっきまでは一人だった」

「ああ、そうだよ。でも俺はいつだって楽しいのさ」

「どうして?」

「楽しいことに理由がいるかい」

「……よく分からないわ」

「だったら君も楽しんでみたらいい」

なんだか話が堂々巡りしそうだ。ため息を吐くと、彼はこちらに顔を近づけた。

「君は生きていて楽しいかい?」

またか、討論バトルでもするつもりなのか。

「いいえ楽しくないわ」

「そうなんだ」

「そうよ」

「どうしてだい」

「疲れるのよ。どんなに頑張ったって、結局意味なんてないんだもの。人生って何よ。生きる意味を教えられる人なんて誰もいないの。良い人生って何? 仮に良い人生だからってなんなの? 生まれて死ぬことに理由なんてない。ただ存在してしまっただけよ。それを適当な、良さそうな言葉なんかで誤魔化さないでほしいわ。そんなのに騙される人が一番滑稽よ。で、あなたはどうなの。楽しいの? やっぱり」

「ああ、そうだよ」

「あなたって楽観主義ね」

「俺は楽しむことしか脳がないからさ」

「へぇ……いいわね」

「そうかい?」

「ええ、うらやましがる人は多いと思うわよ」

「俺が楽しむことをやめたら、それは自分ではなくなってしまう。だから俺は何があっても楽しいんだ」

「人が死んでも?」

「その人がそれまで楽しんでいたなら、俺は楽しむよ」

「自分がいなくなっても?」

「ああ」

「……私がいなくなっても?」

これには少しだけ間を開けて――ああ、と答えた。

そんな様子につい捻くれたような顔を向けてしまう。

「まぁ下手に悲しまれるよりは、楽しんでくれた方がいいわね。私がいなくなったら楽しんで」

「笑うのと、バカにするのと、楽しむことは違う。俺は君がいなくなったら、楽しくしているところを想像して楽しむんだ」

初めて真剣な口調で、静かに言った。

「……分かった。ありがとう」

男は軽く帽子を上げ、また笑みを作って歩き出した。

なんだか変な人だった。でも少し気分が晴れたかも。




【無人駅】

手を動かすと、何かに当たった。箱のようだ。手繰り寄せてみると、それはキャラメルだった。

「あの人が置いていったのかな」

ここには食べられるものなんてなかったし、特にお腹はすいてないけど、ありがたくもらっちゃおう。

「あ、おいしい……」

思わず口に出してしまうぐらい好みのお菓子だった。でも甘い。キャラメルで元々甘いのに、クリームが入っていて更に甘くなっている。でもなんだろう、クセになるというかやめられない感じ。懐かしい気もする。

ポケットの中に入れて立ち上がった。スカートについた砂を払って前を見ると、右曲がりになっている道があった。カーブがキツイので先は見えない。

空が夕焼けに近い色になってきた。少しだけ周りの気温が下がった気がするけど、寒くはない。

――カチ、カチカチ……。

何の音だろう。先ほどからどこかでずっと、カチカチという音が鳴り続けている。多少耳障りだけど、仕方ない。私には耳を塞ぐぐらいのことしかできないし。

何かを踏んだ。硬いものだ。足元をそうっと見てみると、時計だった。手のひらサイズの目覚まし時計。

「うわぁ……」

その時計の先にはまた時計。狭くなった道に、敷き詰められているかのように大量の時計が落ちていた。なんだか不気味だ。踏むのは気がひけるけど、ここを進むしかない。ガチャガチャと歩きづらい道を頑張って進んだ。靴の中にネジの一つでも入り込んできそうだ。

曲がり角の先に、唐突に現れた。

「もしかして駅?」

煉瓦造りの大きな建物。駅名は書いてないけど、それっぽい。もしかして帰れるかもしれないと、駆け足で近寄った。

駅の中に入ると、そこは広い待合室みたいになっていた。ベンチが三つほど置いてある。それ以外は、真ん中に立っている大きい柱時計ぐらいしかなかった。改札や、売店もない。そもそも、今まで歩いた中で線路なんてなかったんだから気づけばよかった。

仕方なくベンチに座った。窓から入ってくる夕日によって、室内は赤に染められている。ちょっとノスタルジーだ。

「どうやったら、ここから出られるのかな」

まぁ変な世界だし、期待はそんなにしてなかったけど。

――ゴーンゴーン……ゴーン。

急に柱時計が鳴り始めた。針は上を指している。

「毎日ここで鳴っているの?」

誰も来ないこんな場所で……。

少し寂しい気持ちになって立ち上がる。時計に近づいてしばらく眺めてみた。かなり大きいので、随分首を倒さないと上まで見えない。

「あれ……?」

一分は絶対に経ったはずだ。しかし針が動く様子はない。もう針は動かないけれど、鐘だけ鳴るのかもしれない。見るからに古い時計なので、色々と壊れていても仕方ない。

「貴方もここで誰かを待っているの?」

頭の中に浮かんできたのは、小さい頃よく聴いた歌。大きなのっぽの古時計。あの曲は子供ながらに悲しいなって思っていた。今はもう動かないその時計……。でも時計はずっとおじいさんと歩んできた。それってちょっとうらやましい。

「……私は、誰を待てばいいのかな」

――カチ。針が一つだけ進んだ。まるで私の声に答えてくれたみたいに。

「……それとも誰かを待たせてる?」

自分がそうだと思っていても、事実が逆だということもある。

……ううん、私にはいない。そんな人も、モノもない。私は私の為にここから帰るんだ。


私の親友は私で、一番の理解者も私。


「そうだよね……」

だって、そうやって生きてきたはずだ。覚えてないけどそう思う。なんで頭の中に何も出てこないんだろう。自分のことなのに。

でも、私はそんなに重要なことじゃないと思ってる。思い出さなくてもいいものだって。頭が痛むこともない。ここまで出掛かってるとかそういうものでもない。もどかしいとすら思わない。多分無かっただけなんだろう。だったら思い出そうとしても無駄なことだ。

私のいた場所はここじゃないと、知識として、感覚としてなんとなく分かっている。それだけ。

「……じゃあ、行くね」

どことなく他人と思えない、なんて人じゃない時計に思うのは変なのかもしれない。でも、確かにこの時計からは暖かさと寂しさを感じた。

きっと、あの針が動くことはもうないだろう。

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