確認男 本屋さん編

 書店で本をとろうとした時にお互いの手と手が触れ合った瞬間。まるで、電流が走ったように、君に恋をした。

 時が止まったように、お互いを見つめたまま、「運命の出会いだ」と脳内の言葉がハモる。


 けど現実はそんな甘くない。

 そんな出会いなんて、物語の中だけで存在すると思っていた。

 そう思っていた。

 薄汚れた現代で、こんな妄想をしている人なんて、温室育ちの純粋無垢な人でもいないんじゃないだろうか。

 だから、そんな期待は一切せずに、俺は純粋にただ面白い小説を探しに書店に来た。そして、前から気になっていた小説のタイトルを見つけて、背表紙に手をかけた。

 俺の手が本に触れたと同時に、俺の手に隣から伸びてきた小さな白い手が被さった。


 その瞬間に電流が走った。


 物理的に。


 パチっと輪ゴム鉄砲で打たれたような痛みを感じて、俺はひるんで手を引っ込めた。隣からは、女の子の「痛っ」と小さな声が聞こえてきた。

 手が触れ合ったとは言え、残念ながら、手を重ねたまま時が止まることも、無言で見つめ合うこともなかった。真冬の乾燥した季節に手が触れ合って起きる現象は運命の出会いじゃなくて、静電気。これもまた現実らしい。


「あ、ごめんなさい」

 女の子は俺と目が合った瞬間謝ってきた。どちらが多く電気を貯めていたなんか分かりもしないし、被害者とか加害者とかないのに。

「いやいや、こちらこそ申し訳ないです」

「いやいや、私の方が後からとろうとしたので......」

 そう言って、頭を下げながら女の子は、手が触れ合ったことをなかったことのように、その場を去ろうとした。


「ちょっと待って」

 無意識に声が出ていた。

 このまま彼女を見逃すわけには行かなかった。物語とは違う書店での出会い。でも、俺は今確実に彼女と出会った。話しかける口実ができたんだ。

 それなのに、他人に元通りだなんて俺は嫌だった。これはナンパじゃない、純粋な出会いだ。

 一瞬見つめ合った瞬間に、俺は彼女の可愛さにやられた。幼さの中に大人の雰囲気があった。二重の幅の広さ。しっかりとした自眉。長い黒髪。

 俺のタイプの直球ど真ん中ストレートにボールが飛んできたんだ、フルスイング以外に手はないだろう。


 人の第一印象が決まるのは1秒未満と聞く。だから一目惚れというのも人間の本能的に備えられた機能の一つであることは間違いない。

 静電気で運命の出会いを遮られたと思いきや、どうやら、俺の恋愛のガゾリンに引火して爆発させたみたいだ。


 とはいえ、特に口説き落とす言葉も用意できていない。見切り発車も良いところだった。


 彼女はすぐに歩みを止めて、こちらを振り向いた。猫背で小さくなっていて、怒鳴られるんじゃないかと、怯えてる子供のようだった。

 俺が理不尽に怒鳴り散らすとでも思ったのだろうか。


「この本買おうとしてたんですか?」

 その本を本棚から取り出して、表紙を女の子に見せた。

「えっ......」

「この本そんな有名じゃないですし、この作家さん自体も、そこまで知名度ないから、欲しい人しか手に取らないと思って」

 古本屋にすら並んでない本で、この書店にあったら買おうかなと思っていたところ見つけたから、俺はこの本を取ろうとした。

 だから、彼女もそうだろうと安直に決めつけた。


「そう......ですよね」

 女の子は俺が差し出した本を手に取り、表紙をまじまじと見つめた。

「これ、古本屋さんにもないですよね? この書店でも前見た時はなかったし」

「そうなんですよね。私も前見た時ちょうど、この本の場所だけ空いていて」

 女の子は満足そうに、裏表紙を見て、あらすじを目で追っていたが、読み終えたと同時に急にこちらを見てきて、「でも、貴方のが先だった!」と俺の手に触れたことを思い出したのか、彼女は本を突き返そうとしてきたから、両手で制止した。


「いいですよ。別に」

「だって、せっかく見つけたのに......」

「別に絶版した本でもないですし、ここで売られていることも分かりましたから、また気が向いたときにでも買いに来ますよ」

「いや、それは悪いですよ」

「いやいやいや、もういいんですよ。気にしないでください」

 俺はとりあえず爽やかに微笑みかけた。いい人オーラムンムンにするのが精一杯だった。他に気の利いた言葉が浮かばなかった。


「そんな.....」と笑顔の押し売りをされて、彼女は言葉を失っていた。いくら欲しかった本でも、他に欲しがっていた人間に譲られたら、素直に買えない気持ちも分からなくもない。

 買えた喜びよりも、不自然な気まずさが残って、さっきまでは欲しかったのに、急にいらなくなる。


「なら、私が読んだ後に、読みますか?」

 彼女はそのまま逃げるように立ち去るかと思いきや、思いもよらぬ提案をしてきた。

「......え?」

 まさかの提案に思考が止まった。

「私がこの本買って、先に読んで、その後に貴方が読むっていうのはどうですか? 私もこのまま素直に受け取れないので、そうしていただいたほうが心置きなく読めますし......」


「あぁ、そうだね」彼女の提案は最もだったが、疑問が生じた。これは本であって、漫画じゃない。漫画なら20分位で一冊読めるが、いくら文庫本の小説とは言え、早くても二時間はかかる。彼女が相当な速読ができるのであれば話は別だが、その可能性は低い。けれども、ここは確認する必要があった。


「君がその本を読んでからってことは......後日どこかで渡してくれるってこと?」

「......そうですね。ダメ......ですか?」

 彼女は胸の前で本を抱えて、不安そうにしていた。

「いやいや、全然全然。なんかゴメンね。変な気使わせて」

「こちらこそ、譲ってもらってる立場なんで.....」

 女の子は何度も頭を下げた。その度に黒い長い髪が激しく揺れた。

「連絡先とか......教えてもらってもいいですか?」

 女の子はそう俺に確認しながらも、ポケットからゆっくりとスマホを取り出していた。

「......え? どうして?」

 あまりにも自分に都合のいい流れで、これが現実か分からなくなっていた。


「どうしてって、後日会えるように」

「あ、そうですよね」

 そんな彼女とは反比例して、俺は人生で一番すばやくポケットからスマホを取り出していた。

 あまりの速さに彼女も吹き出して、顔をこちらに見えないように後ろに向けた。


 まさか、連絡先の交換にまでいけるとは思ってもいなかったから、スマホのロックの暗証番号を何度もミスした。

 だって、一目惚れした相手の方から、連絡先聞かれるなんて、人生で一回あるかないかの経験だ。

 これは期待しても良いのかもしれない。


 メッセージアプリのQRコードを表示さして、彼女に読み取ってもらい、無事連絡先を交換した。

「でも、俺だけお金出さないのは、なんか悪いよ」

「いいんですよ。譲っていただいたんで」

「じゃあ、半分出すよ。それならフェアでしょ」

 俺は財布を取り出して、中身を確認したが、あいにくにも小銭がなかった。

「あ、小銭ないや。俺がレジ持っていくよ」

 そのまま全額払ってしまおうとしたが、「いいですよ。私が払います」と彼女は本を宝物のように抱えて、俺に渡そうとはしなかった。

「いや、本は譲れても、それは譲れないよ」

 俺はしつこく手を伸ばした。


 彼女は俺の手に本を渡さずに、自分の手を重ねてきた。今度は静電気は起きなかった。

 俺は自分手に確かに、彼女の手が乗っていることを目で確認すると、彼女に視線を移した。この時どれだけ、目が大きくなっていたか分からないが目尻が切れそうになった。

「どうしてもって、言うなら......隣のカフェに付き合ってください。ご馳走はしなくていいので」彼女は悪戯な笑みで俺を見つめてきた。


 急な誘いで俺は、時が止まった。

 今度こそ、静電気起こさずに彼女と手を触れ合って、見つめ合ったまま時が止まった。何も言葉が出てこなかった。

 はい、の一択なのに、その二文字を言うだけなのに、口は上手く動かなかった。

 それなのに、彼女の誘いの疑問が口から出ていた。


「えっ......なんで?」

「なんでって、なんででしょう? なんでだと思いますか?」

 そんな俺の疑問に彼女は逆確認してきた。後ろで手を組んで、俺の顔をしゃがんで覗き込んでくる。そんな彼女の瞳に、俺は告白しそうになった。


「なんでって......えっなんで?」

 もう確認しかできない脳になっていた。自分ではもう何も考えられない。

 いや、え? 好きなの? 俺のこと好きなの? 

 いや、意味がわからない。だって今日はじめてあった男の子と好きになる?

 いや、俺は今日はじめてあった彼女を好きになった。なら彼女もそうだというのか?

 連絡先だけでなく、カフェに誘ってくる理由が、俺のこと好き以外に浮かばなかった。


 考え込んで俺が答えれれずにいると、「自分と同じ趣味の人ってよくないですか?」と彼女に聞かれた。

「えっ、あぁ。そうですね」

 心のこもっていない共感しか口にできなかった。

「そういうことですよ」と彼女はくるりとこちらに背を向けて、レジに向かって歩き始めた。


「それだけ? えっ、俺と連絡交換したのも、カフェに誘ってくれた理由もそれだけ?」

 解答を濁されて、俺はますます混乱した。そして、次々に確認した。


「ハハハッ」と彼女はお腹を抱えて笑った。「この本の作者さんって、結構難解な恋愛物書いてますけど、私の言動の意味がわからないんですね?」とお腹を抱えたまま、彼女は振り返った。相当面白かったのか、手で涙を拭っていた。


「難しい小説は読めるからと言って、賢いとは限らないよ」

「そんなもんなんですかね。じゃあ、なんで貴方は最初に私を呼び止めたんですか? 私はその理由がよくわからないなぁ」

 本当に分からない人間の表情じゃなかった。彼女の表情は余裕の笑みであふれていた。テストを自信満々で終えて、試験終了の時間を今か今かと楽しみにしているみたいだ。


 ここで一目惚れしたからなんて言えない。彼女には気づかれている気がするが、ここで自分の想いを吐露するのは譲れない。本を譲ったのだから、ここは先に彼女の方から、俺を誘った理由を言わせたかった。


「わかんないですね。コーヒーでも飲んで落ち着いたら、すんなり分かる気がします」

 俺は平然を装って言おうとしたが、声が震えた。


「そうですね。そうしたら、私も貴方の言動について理解できるかもしれないです」

 そう言うと、彼女はレジに向かって行った。

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