確認男 バス停の男女編

 バス停の目の前に広がる水も張られていない、土色の田んぼを見ると余計に寂しさが増した。

 今は遠くに見える橋を通って、東京に行くんだな、と上京の直前になって実感した。

 2時間に1本のバスなんて、東京に行ったら有り得ない。最終バスが17時なんて、都会の発展に明らかに置いていかれているダイヤだ。時間の流れ方がまるで違う。


 ぎこちなく風に吹かれて、身震いした。スマホのロック画面の時刻と、古ぼけたバス停のダイヤの時刻を見比べた。

「そろそろ、バスが来るはずなんだけどなぁ」

 一人ぼそっとつぶやきながら、右左と道路の先に目をやると、バスよりも先に、後輩の松村が走ってくるのが見えた。


「せんぱーい」

 松村は大声で叫びながら、手を振っていた。


「ん、あれ.....」

 思わぬ見送りに俺は戸惑った。学校の奴らには送別会は昨日してもらったし、行きたくなくなるから、今日は見送りに来なくていいと言っていたから。


「ま、間に合った」

 相当な距離を走ってきたらしく、松村は息を切らしながら、両膝に手をついた。


「ま、松村」

「先輩......」松村は一度息をゆっくり吸った。「行っちゃうんですか?」

「うーん。まぁ俺の夢だからな」

 俺は橋の向こうの山を眺めて言った。あの山の向こうに、夢の東京がある。

「夢か……じゃあ、あたしも来年卒業したら、先輩の所に行きます」

 松村は、まっすぐ立って、まっすぐ俺に熱い視線を送ってきた。


「えっ……」

 松村の言葉に違和感を覚えた。

 卒業したら東京に行きます。ならまだ俺もすんなりと飲み込める。

 けど、今松村は、「先輩の所に行きます」と言った。まるで、俺のことを追いかけて東京に来るような言い方だ。

 いや、東京=先輩の所、という単純な比喩かも知れない。

 危ない危ない。先走るところだった。松村が俺のことが好きなんじゃないかって期待が膨らみかけていたところで、全力で否定し萎ませた。


「んー、松村もそっか、バンドやりたかったのか」

 そんなこと聞いたこともなかったが、東京を先輩の所と言ったのだから、もしかすると、俺が目指しているように、松村もバンドがしたいのかも知れないと思った。


 俺の読みは見事に外れて、「えー違いますよ」と松村に笑われた。

「本当は家を継ごうと思ってたんですけど。先輩が行っちゃうから……だから、私も行きます」

 松村はさっきよりも目力を強くした。だから余計に、寂しくなったからその場しのぎで言っているようには聞こえなかった。

 松村はここ地元では人気の肉屋の娘だ。普段から楽しそうに店を手伝っているところを俺も見ていたから、そんな家を出るという松村の気持ちが生半なものには感じなかった。


 そうなると、いっそう松村の発言の意図が分からなくなった。俺のことが好きなら好きで、「先輩のことが好きだから、私も行きます」と言ってくれりゃいいものの、俺が東京行くから、私も行くだけじゃ、安心できない。

 地元から東京に行く人間なんてほとんどいないから、俺が東京行けたから、松村に私も行けるんじゃないかと思われたと感じなくもない。


「そっかー……この町、そんなに就職先もないしな」

「でも、いい町ですよ」

 松村は辺りを見渡す。

「うん、俺も好き」

 生まれて18年間過ごしてきた、この町での思い出が多すぎて、忘れようとしても切り替えられない。俺もできることなら離れたくない。

 でも、バンドで売れるためには、こんな田舎で路上ライブしたところで売れるわけがない。仕事が来たとして、せめて小学校の行事での演奏が精一杯のはずだ。

 この町を捨てるわけじゃない、ビッグになって必ず帰ってくる。そして、ここでライブをしてやるんだ。


「じゃあ好きなら、あたしと一緒にここにいてくださいよ」

「ん?」

 好き? 

 いやいや、違う違う。今の好きは、この町に対しての好きだ。また勘違いするところだった。

 まず、松村の言い方が悪い。自分の気持ち素直に言えない小学生のようだった。どんどん声が小さくなっていって、語尾が聞き取りづらくて仕方がなかった。

 でも、松村は「あたしと一緒にここにいてくださいよ」と言った。その言葉だけが俺の頭を駆け巡る。松村の声で何度も何度も再生される。


 「ん? どういうことだ?」自分の中で消化できずに確認してしまった。「いや、俺は向こうでバンドやろうと思ってるわけだから……んー読めないな……」

 どうやっても理解できずに疑問がそのまま声になった。

 やっぱり、松村は俺のこと好きなんじゃないか?

 去年の体育祭で、なぜか大量に唐揚げくれたりしたし。文化祭じゃ手作りの豚のぬいぐるみをくれた。どういうわけか、豚のぬいぐるみの中に、小さな封筒が入っていて、その中に松村のものと思われる髪の毛が、まとめられてたのは血の気が引いたが。

 そして、今、町外れのバス停にわざわざ走ってきた。これはやはり期待してもいいんじゃないか? そう思って、さっき萎ませて、伸びてしわしわになった期待を再び膨らませた。


「夢を追いかけている先輩もかっこいいので、応援してます」

「そっか……えっ、ど、どっち? 東京来るの? 残るの?」

 応援してますと言われて素直に喜べなかった。

 さっきまで俺と一緒にいたがってたのに、今の言い方じゃ、松村は遠くから俺のことを応援してる。と解釈できた。

「来年東京行きます。絶対」

 松村がそういった瞬間、バスが目の前で止まって、俺を迎え入れるようにドアが開いた。

 そう言ってくれて嬉しかったが、はっきり好きとは言ってくれないのかと、諦めて、キャリーケースに手をかけた。

 それでも、松村はバスを一切見ることなく、「なんなら、じゃあ、今から一緒のバス乗っていいですか?」と続けた。


「今から」という言葉が俺の脳内にエコーがかかったように反響した。

 え、今から俺と一緒に東京に来るの? なにそれ、駆け落ちみたいじゃん。今は春休みだから、松村も学校はないが、4月になったらどうするの? え? てことは4月までは一緒に住むの?

 俺は考えるので精一杯でその場で動けなくなった。


「え? 俺と? え? え? どうして?」

 なんでそこまでして俺に執着するのか確認した。肝心な俺を好きという言葉は、聞けていない。


「先輩と一緒にいたいから」

「いま? 東京行くんだよ?」

 寂しさのあまり気が動転してるんじゃないかとも思った。今の松村はどこかおかしい。

「私も行きます」

 松村の言い方には確固たる意志があった。半泣きになっても、自分の意志を曲げない幼稚園児みたいだった。何を言っても言うことを聞かない鬼金棒。


「えっ? 俺は向こうで部屋借りてるけどー。え? どこいくの?」

 あまりにも無計画な松村の発言に、俺は確認した。この場合、松村が来るのは俺の家であるはず。でも、もし東京に松村の知り合いがいるとかだったら、とんだ勘違い野郎になると不安になった。


「えー、言わせないでくださいよー先輩の……お家!」

 松村は口をとがらせながら言った。

 まさかの俺の家。え? もうそんなのなんか色々すっ飛ばして告白してるもんじゃないのか? 違うのか? 

 いや、ただただ東京に憧れすぎて、俺を利用したいだけなのかもしれない。年頃の女子高生が原宿とかに無関心な訳がない。東京の宿に俺の家を利用しているだけなんじゃないかと感じた。俺をぬか喜びさせておいて、いいように使うつもりなのかも知れない。

 

「んーなるほど。え? ど、どうして?」

 それでも、俺は確認を止めなかった。ここまできたら、俺のことが好きだと言わせないと安心できない。


「やっぱり、夢を追いかけている先輩を一番近くで見てたいからです」

「えっ? 俺の曲が好きなの? 最前列で見たいってこと?」

 松村の目に濁りはなかった。でも、ここで簡単に乗せられるわけにはいかないと、ニヤけるのは耐えた。

 それと、松村の発言が本音として、単純に俺の曲が好きってだけなのかも知れないという可能性も浮上したから、ここでの確認は不可欠だった。


「先輩が歌ってたら、どんな曲でも好きです」

「え? 俺んち来てから、最前列って……」ただ俺の歌声が好きってことなのかも知れないが、それでも、こんな顎に右ストレートを決めるような褒め言葉に、俺はノックアウト寸前だった。もう笑いが溢れて仕方がなかった。「えっ? 歌うの? どういうこと?」


「先輩が、もし夢叶えれなくて、そうやってステージで立てなくても、ダメダメな先輩でも、私はずっと一緒にいます」

 バンドマンには最高の言葉を松村は言った。もはや、これは告白だ。

今の強烈な左フックの台詞に俺は気がついたらボクシングリングに倒れているレベルだ。

 夢を諦めるのなら1人でもいいけど、夢を見るなら松村と一緒がいいと思えた。


 俺は無意識に「ずっと? え? 何ヶ月くらい?」と混乱のあまり、訳の分からないことを言っていた。

 松村が食い気味に「ずっとですよ」と答えたせいで、せっかく立ち上がった俺は再びダウンさせられる衝撃だった。

 もうプロポーズじゃねえかと心の中で叫んだ。

「ずっと……えっえっえっ、どうして?」とノーガードで、顔面に打ってこいと言わんばかりに告白を誘発させる確認をした。


 松村は、その期待に答えるように、「先輩が好きだから」と惜しげもなく言った。


 三回目のダウンだ。完全に試合には負けた。でも、勝負に勝った。最高だ。


 松村の告白を反芻していると、バスのドアが閉まり走り去って行った。

 行かなきゃダメだと、頭じゃわかってても、身体は分かっていなかった。全身の血が上って、一気に興奮していた。

 

 ここまできて、先輩が好きじゃ満足いかなかった。俺の名前を読んでちゃんと告白してほしかった。


「それは……先輩っていう存在が?」と意地悪な確認をした。 

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