確認男 花粉症の男女編
「桜キレイだねー」
隣で女友達の蘭世が目を潤々とさせながら言った。
桜並木の想像以上の美しさに、感極まって、涙を浮かべているわけじゃないと、僕には分かった。
蘭世は、今日会ったときから、目を赤くしながらマスクをつけていた。
僕も、おそろコーデと言わんばかりに、マスクをつけて、目は赤くなっていたと思う。
この時期の風物詩。
花粉症。
そう、2人とも花粉症を患っている。
目も鼻も、取り外して家に置いたまま外出したいくらいだ。花粉の時期は、目と鼻を外に連れていきたくない。
蘭世に誘われて、この近辺では有名な河川敷の桜並木を2人で見に来た。道を挟んで咲き誇る桜並木は、まるで桜のトンネルだった。
誘われて来たはいいが、目は痛いし、鼻水は垂れ流し状態で、純粋に桜を楽しめていない。蘭世に誘われなきゃ、こんなに晴れて、致死量の花粉が飛んでいるような日に外出なんてしなかった。
「うん、キレイだね......」
僕は花粉への悪態しか、頭の中には浮かんでいなかった。憎き鼻水をすすりながら、全く感情の籠もっていない共感を口にした。
「でもさ、やっぱりさ」蘭世は、笑いながら真っ赤な目を拭った。「目、痒くない?」
「いやぁ、今すごいよね、この花粉がさ」
「ねー、かゆいねー」
蘭世はあまりの花粉量に諦めているのか、ずっと笑っている。
「すっげえ、桜はいいんだけど――」一息で話そうにも、一度鼻をすすらないと、鼻水がたれてくる。「やっぱりこの時期、外出んのキツイわ」
僕は笑えない花粉の量に、苛立ちを隠しきれなかった。もはや桜を見ずに、見えない敵を睨みつけている。
「ねぇー。むずむずするねー」
僕よりも、蘭世のほうが重症なはずなのに、花粉に対しての怒りは見えなかった。諦めているのか、花粉症の自分を受け入れているようにも感じる。
「んー」
花粉に対して寛容な蘭世に、これ以上は花粉への怒りを共感してもらえない気がして、他に話が浮かんでこなかった。
桜に対しての感想も、さっきの「キレイだね」以外に思いつかない。強いて言うなら、桜の花粉でも花粉症になるのかな? といったところだ。
けれども、そんなことを実際に口にするほど、僕はバカじゃない。
「んー」
蘭世もなにも言い出せない様子だ。
さっきから、桜なんて見ずにうつむきがちだ。よほど、辛いのだろう。自分が誘ったから、もう帰ろうなんて言い出せるはずもない。
「もうでも、花粉キツイし、そろそろ、…...帰んない?」
蘭世もキツそうだし、自分もキツイし、もうこれ以上はガマン大会でしかない。
「ん?」
聞き取れなかったのか、蘭世は耳を突き出した。
「いや――」
「聞こえないよ。うちら、鼻詰まっててなに言ってるか分かんないよ」
もう一度言おうとすると、蘭世が遮ってきた。
たしかに、2人共ひどい鼻声で、常に鼻を摘みながら話しているみたいだ。その上、マスクを装着してるんだから、日本語のリスニングの問題だと難問に分類されるほど聞き取りづらい。
「あーそっか。…...いや、花粉キツイし、もうそろそろ帰ろっかなって」
とりあえず声を大きくして、精一杯滑舌を良くした。
それでも蘭世は、「え? いま帰るって言った?」と確認してきた。
眉間にシワを寄せて、なにやら不満を顔に出している。
花粉に対しては見せていなかった態度になった。
「うーん、だって、もう......いいかなって……」
こんな状態になってまで、蘭世が桜を見たい理由が分からなかった。
僕なんて、花粉のせいで、罪のない桜すらも嫌いになってきているというのに。
「なんで?」
蘭世は機嫌悪そうに僕の顔を覗き込んできた。
こんなにキレイなのに、もう帰りたいの? とでも言いたいのだろうか。
「なんか、キツそうだし」
蘭世は涙目にしている。その目はウサギみたいに真っ赤だし、マスクを取ったら、鼻もピエロみたいに真っ赤に膨れているはずだ。
なのに、蘭世は、「きつくないよ」と平然に言う。
「え? きつくないの?」
「だってさ――」
「だって、すごいきつそうだよ?」
思わず二度確認した。一体何を目的に、そんなやせ我慢をするのだろうか。
バラエティ番組で、感情をオフにすれば、ノーリアクションでいられる能力を持ったアイドルは見たことある。それでも、2人っきりで、蘭世にそんな特殊能力を見せつけられても困る。
「だってさ…。ほんとにキツかったら、来ようって、私から誘わないじゃん」
「あー…...。え? その……それだけ桜を見たかったってこと?」
必死に理解しようとしたが、よく分からなかった。
花粉にどれだけいじめられても、絶対にここの桜を見たかったということだろうか?
「そう。でも、特別な人と見るからいいんじゃん」
蘭世はどこか満足気だった。口元はマスクで隠れていたが、薄っすら笑っている気がする。
”特別な人と見るからいいんじゃん”
今の蘭世の言葉が、山頂で「やっほー」と叫んだときのように、僕の中にこだました。
特別な人。花粉症で、どれだけ体がボロボロになっても、桜を見たかったのは、特別な人と見たかったからか。
ということは、その特別な人って、もしかして......、僕?
「え?」
まさか、嘘だろ、とにわかには信じられなかった。でも、体の方が正直で、思わず笑みが溢れた。
この時初めて、花粉症でマスクをしていることに感謝した。
「え?」
なぜか、蘭世は再び不満そうに聞き返してきた。
「ちょっと、ごめん。なんて?」
あまりの鼻声に、幻聴を疑うほどの聞き間違えをしている気もした。
いや……でも、どう聞き間違えても、特別な人と言っていたはずだ。
聞き間違いじゃなくても、もう一度蘭世の口からその言葉を聞きたかったから、確認した。
「だから、もう――」僕の魂胆がバレたのか、蘭世は急に近づいてきた。そして、堰を切ったように、「もう、耳! もう耳かせ! 耳をここにおけ!」と言いながら、僕の耳を乱暴に引っ張った。
「なんで? いて、いてぇ! 耳引っ張んなよ! なんだよ!」
加減なしに引っ張られて、パンの耳のように引きちぎられるかと思った。
本気で痛かったのが伝わったのか、蘭世はすぐに耳を開放してくれた。
「いーい? 聞こえる? 鼻詰まってるけど聞こえますか? いきますよ?」
小学校の先生が、生徒に大事なことを伝えるときのように、過剰に確認してきた。
「だから、好きだから一緒に来たの!」
「え? 桜がってこと? それは? どゆこと? ちょっと待って待って」
耳の近くで言われても、僕は自分の鼓膜が捉えた音を簡単には信用できなかった。
"好きだから"と言われても、主語がないから、はっきりと何が好きかが分からなかった。
この状況で考えられる主語に当てはまるのは、僕か桜だ。
さっきの”特別な人”を含めて考えると、蘭世は僕のことを好きということになるが、桜を好きな可能性も捨てきれない。
僕は確信が欲しい。蘭世が僕のことが好きという確信が。
「もーなんで……」
蘭世はそれ以上言葉を続けなかったが、僕には、「もーなんで分からないの?」と言おうとしたように思えた。
それでも、これはあくまでも、僕の予想。でも、確信にはまだ遠い。
「いや、聞こえたんだけど、桜がすごい好きだから…...、ここに来たかったってことだよね?」
僕はアカデミー俳優ばりの演技で、確信を得るための問いかけをした。この答えで、蘭世が好きなのは、僕か、桜かが分かる。
「ちーがーう」
蘭世は、歯がゆさを露呈させ、僕に背を向けた。
今、確実に蘭世は違うと言った。
蘭世が好きなのは桜じゃない。目からも鼻からも汁を垂れ流しながら、ただ桜を見たかったわけじゃない。
そうなると、答えはただ一つ。
蘭世が好きなのは僕だ。確実に僕だ。
僕は、蘭世にとって、花粉で苦しみながらも、一緒に桜を見に行きたくなる特別な人なんだ。
なんだよ。最高じゃねえか。
僕は心の中で勝利の雄叫びをあげていた。サッカーの試合で逆転ゴールを決めて、客席に向かってゴールパフォーマンスをしている気分だ。
「え? どゆこと?」
蘭世がこちらに背を向けているのと、マスクをしているのをいいことに、気持ち悪いくらいニヤけながら、確認した。
この状況。確信を得た今。楽しむ他ない。
はぁー、と蘭世は分かりやすく大きく息を吸った。
「だから、もうさぁ」振り向いた蘭世の目と声は完全に呆れていた。「何回もさぁ、遊びに誘ったり、とかさぁ、してるんだからさぁ いい加減気づいてよ」
「え? な、なにに?」
僕は本気で分かっていないふりをした。ただ、声は上ずっていた。
「だから……」
蘭世は僕が、鈍感過ぎるバカな男と思ったのか、途中で思わず吹き出した。
「うんっ。わっかんないよ、僕」
ここまで来ると、僕も意地だ。蘭世の口からはっきりと好きと聞けるまで確認してやる。
「1回しか言わないからね! ちゃんと聞いてよ!」
「うん」
「私は…...桜が見たかったじゃなくて…...」
蘭世は分かりやすく、もじもじと身をよじらせて、俯いた。
「うん」
僕は期待を込めて相槌をする。
「あんたと一緒にでかけたかったの! 好きなの!」
蘭世は相変わらず目に涙を溜めながら、僕を睨んだ。
「あっ……」
はっきり好きと言われて、僕は思わず声が漏れた。
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