確認男 パン屋さん編

 自動ドアが開くと同時に、焼きたてのパンの香りに包まれる。

 甘さと香ばしさが混じった香り、ここに来て初めて、自分が空腹であることに気付かされる。

 ここのパンはどれも美味しい。毎朝通っているから、ここのパンは全種類一通り食べた。ここまで外れのないパンを売ってるパン屋は他にあるのか? と声を大にして言いたいくらい全部美味しい。

 中でも、メロンパンが一番好きで、最近はほぼ毎日買っている。


 この店は親子三代でやっているようだが、店主の孫に当たる、文字通りの看板娘のみなみちゃんの笑顔に癒やされている。パンも好きだが、それ以上にみなみちゃんの虜になっている。もう非の打ち所がないこのパン屋に、自分の朝ごはんの権利を捧げている。


 いつもなら、朝7時の開店と同時にパン屋に入るが、今日は午前休だったから、昼すぎに来た。

「いらっしゃいませー」

 俺が店に入るやいなや、レジからみなみちゃんが笑顔で迎えてくれた。

 他に客はおらず、まるでみなみちゃんが俺を待っていたかのように感じた。


 俺は軽く会釈して、トレイとトングを持って、店内を物色する。

 朝の開店直後と違って、結構パンが減っていた。

 まぁ、昼となると仕方ないよなと見ていると、クロワッサンとサンドイッチを選び、レジに向かった。

 

「ありがとうございます! あっ、今日はクロワッサンなんですね?」

「えっ?」

「いやっ、いつもメロンパンを買ってくださってるのが印象的だったんで」

 みなみちゃんは少し焦りながらパンを紙袋に詰め始めた。


 みなみちゃんに俺が毎日メロンパンを買っていたことを覚えられていた。

 けど、今日は昼に来たせいか、メロンパンのトレーのところに、「完売」と張り紙がされていた。


「いやー、今日は完売になってたんで」

 俺は覚えれていた嬉しさを隠しながら、財布を開いた。

「あっ、そっか。そうだった! ごめんなさい」

 みなみちゃんは、一度メロンパンのトレーの方を見てから、頭を下げた

「いやいや、今日は僕が昼に来たから仕方ないですよ!」

「そうですよね! いつも開店前から待ってくださってますもんね」


 これもまた覚えられていた。そして、隠れているつもりがバレていた。

 俺は毎日、開店前の6時半から店の前の電柱に隠れて、ガラスの向こうで、一生懸命パンを陳列するみなみちゃんを眺めていた。この為に朝起きるのが1時間早くなった。けれども、みなみちゃんを見れると思うと、全く苦にはならなかった。


「あっ、えっと......知ってたんですね」

 ごく普通に、俺が店の前に張っていることを言った、みなみちゃんに動揺した。

「いつも早くから来てくださってるなって、気になってたんですよ」

「えっ、気になってた?」

 まさか知られていただけでなく、気になられてたと知って、声が大きくなった。

「いやだって、開店を待ってまで買ってくれる人なんて、なかなかいないですし......」みなみちゃんはレジを打つ手を止めて、手元見ながら、「毎朝、あなたが来ているのを見ると、嬉しくなって、頑張れるんですよね」と言った。

「え? 嬉しくなる?」思わずニヤける口元を、慌てて手で隠した。「えっ......なんで?」

 俺が来ているのを見ると、嬉しくなると聞いて、シンプルに、なんで? という疑問で頭がいっぱいになった。

 えっ、だって普通に客が店の前にいたら、あぁ今日もいるなー、くらいで済むはずだ。

 でも、みなみちゃんは嬉しくなるって、これはなんでだ?

 俺なら、開店30分前に電信柱から、気持ち悪い目線を向けられたら、出禁にしたくなるぞ。


「えっ?」

 俺の確認に、思わずみなみちゃんは俺の顔を見た。

「いや、嬉しくなるって......なんでかなーって」

「えっ......いや、自分の店の開店前から待ってくれてるお客さんがいたら、それは嬉しくなりますよ」

 みなみちゃんは再びレジを打ち始めて、「540円になります」と業務的な声色に戻った。


「俺だったら、開店30分前から待ってる客がいたら引くけどなぁ」

 みなみちゃんの嬉しさは、店員としての嬉しさか、と落ち込んだ。けど、俺はここで諦めたくなかったから、自分の行動を否定しながらも確認した。だって、どんな雨の日、風の日でも、地蔵のようにずっと店の前にいる客に、いい印象なんて持たない。

 だから、みなみちゃんは俺に気があると感じた。


「......そんなことないですよ」

 みなみちゃんは目を合わせようとしなかった。

 これは怪しい。ここでさらに、みなみちゃんの心を揺さぶることにした。


「もしかしたら、これから来れなくなっちゃうかも知れないんですよね」

 財布の小銭入れの中を見ながらつぶやいたら、「えっ!」とみなみちゃんは声を大きくした。

 みなみちゃんを見たら、目を大きく開いたまま固まっていた。


 来れくなるなんて、全くの嘘だ。ここでみなみちゃんの本音を確認したかったからついた嘘だ。

 しかし、思ってた以上にいい反応。これはもっと賭けてみてもいいかもしれない。


「そんな......、じゃあ今日が最後なんですか?」

 俺は神妙な面持ちで、「そう......だね」と哀愁を漂わせて言った。そして、「悲しいですか?」と確認した。

「......はい」とみなみちゃんも神妙な面持ちになる。

 来ている、確実に俺の流れが来ている。更に踏み込むしかない。


「えっ、どうして?」

「え......どうしてって......」

「なんで、俺が来れなくなって悲しいの?」

「いや......それは、やっぱり常連さんだから......」

 みなみちゃんの哀愁漂う、「常連さんだから」にただの常連だからに向けての言葉とは思えなかった。

「常連さんだから......悲しいの?」

 俺が追い確認をすると、みなみちゃんは、「あっ!」と突然何かを思い出したのか、厨房の方へ引っ込んでしまった。


 追い込みすぎたかと俺は焦った。

 ここで、みなみちゃんから、「好きだから悲しいの」って言ってもらうはずだったのに。

 にしても、あんな下手な演技で逃げるなんて、みなみちゃんも大分シャイだなと思う。


 みなみちゃんの代わりにお母さんが来るのかなと思いきや、すぐにみなみちゃんが戻ってきた。


 みなみちゃんの手にはメロンパンがあった。


「あっ」と俺がメロンパンを指差すと、「ちょうど今焼いてたんです!」とみなみちゃんは笑顔をはじけさせた。


 なんだよ。俺の好物のメロンパンを焼いていることを思い出しての行動だったのか、安心した。

 わざわざ普通の客に、こんなサービスしないよなと、自分に言い聞かせる。


「えっ? いいんですか?」

「いいんですよー、だって今日が最後なんですもんね?」

「えっ......まぁそうですけど......。えっ、なんで?」

 確認せずにはいられない。

 ここまでの過剰なサービス。これはもう、店員と客の関係を超えているサービスだ。こんなの俺のこと絶対好きじゃん。もうこれ勝ちパターンじゃん。なんだよ、最後なんて嘘ついちゃったよ。あとで、撤回したらものすごく喜んでくれるんだろうけど。意図しないサプライズをしてしまった。


「今日が最後なのに、お好きなメロンパンを食べてもらえないなんて、パン屋として失格だって思ってたんですけど。ちょうど焼き上がってよかったです! これはサービスです! この店の味忘れないでくださいね」

 みなみちゃんは笑顔で俺にメロンパンを入れた紙袋を渡してきた。


「えっと、えっ?」

 聞き間違いかと思った。

 だって、常連客としてのお礼を言われただけにしか聞こえなかったから。

 俺個人への想いが含まれてなかったから。


「お代は結構ですから! いいんですよ! 気にしないでください!」

 みなみちゃんは、さっきまでの哀愁漂う表情から一変、ずっと営業スマイルだ。

「えっ、あの僕のこと好きだから、メロンパンくれたんですよね?」

 今度こそ確認せずにはいられない。このまま、「はい、ありがとうございました!」で帰るわけには行かない。

 おかしい、俺の思っていた展開と違う。


「そりゃそうですよ! いつも来てくださってたんですから」

 みなみちゃんは笑顔のままだ。

 しかし、照れ笑いでもない、営業スマイル。それに、言葉をつまらせることなく、ハキハキと喋っている。おかしい、俺の思っていたみなみちゃんの様子じゃない。


「それって、客として......俺のこと好きって......こと?」

 俺は確信に迫った。

「えっ......」とみなみちゃんは目を泳がせた。

 そう、この反応。

 この反応を待っていた。好きな人に自分の気持を確認されて、どうようする姿。それを見たかったんだ俺は。


「俺のことが好きだから、開店前に俺が見えると嬉しくなったんだよね? 俺のことが好きだから、メロンパンをよく食べることも覚えてたんだよね? 今日も俺のことが好きだったから、悲しくなったんだよね? ねぇ!そうだよね?」

 俺はレジのテーブルに両手をついて、熱量マックスで確認を畳み掛けた。

 みなみちゃんの俺に対する行動が、全て好意によるものだと確認したかった。


 みなみちゃんは、「えっと」と言ったまま、少し固まった。

 そして、「いつも来てくれる大事なお客さんとして好きってだけで、異性としては別に好きとかそんなんじゃないです」と真顔で答えた。


 俺はその日を最後に、本当にみなみちゃんのパン屋に来れなくなった。

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