イマドキイブン
人見 鳴海
第1話 シェアしてください
11月22日(金) 23時43分
終電一本前の電車は人もまばら。男は空いている席に腰を落とすと軽くネクタイを緩めた。最近太ってきたせいか心なしか首周りが辛い気がする。運動不足だな、と男は内心で苦笑した。
携帯電話を取り出してお決まりの巡回作業。ショートメッセージを確認。珍しく友達から飲み会の誘い。これは後で返そう。次は今日の試合結果。くそっ、負けてやがる。
あまり投稿はしないが、覗くのが習慣となっているSNSを開く。
つらつらと流し読みをしている最中、ふっと男が鼻で笑った。ほんの極わずか、一瞬だけ男が指を止めた投稿。それは短い一文と添付された真っ黒い画像であった。
『この投稿を見た人は不幸になります。不幸になりたくなければ、今から1分以内にシェアしてくだーー』
「不幸の投稿? しょうもないな」
画像には白文字でなにか書かれていたが、小さくて拡大しなければ読めないサイズだ。さして興味も沸かず、その一文はーー
11月27日(水) 07時45分
男がノートパソコンを開いて画面に向かっている。朝のメールチェックの時間。フォルダ毎に振り分けられた中身に目を通す。
火急のトラブルは無し。仕事の進捗も上々。ふう、と男は一息ついて、飲みかけのインスタントコーヒーを口へ運ぶ。
自販機の紙コップでは洒落っけもないが、寒い日というだけでコーヒーは旨い。誰もが似たような経験があるのではないだろうか。
「古山さん、オハヨウございまーす」
「おー。おはよう。笹田、早いな」
「それ先輩が言います? 先輩に先に来られると後輩の僕の肩身が狭くなるんで止めませんか?」
「誰もお前に早く来いとは言ってないからな?」
「あるでしょう。暗黙のルールってやつが」
早出してきた後輩社員、笹田の苦笑にインスタントコーヒーを片手に持った先輩社員ーー古山も苦笑を返した。その時である。
「あっ」
古山がうっかり手を滑らせて持っていた紙コップをぽとりと落とした。温い泥水が膝上に広がって、濡れたスーツが肌に吸い付く。キーボードにぶち撒けずに済んだのは不幸中の幸いか。
「ったく……最悪だわ」
「……拭くもの、持ってきますね」
穏やかでささやかなーー慌ただしい日々の中では至福と言っても良いーー朝のひとときが台無しとなり、古山は苦々しい顔をした。
11月29日(金) 12時32分
某人気店にて看板メニューのトンカツ定食を注文。名店で楽しむたまの贅沢。いざ、という昼食時にトラブル発生。
11月30日(土) 21時15分
友人と飲み会。面子は看護婦の皆さん。左から二人目の子が明るくて可愛い系。ドストライクだったが、珍しく酷く酔ったのか吐気が収まらない。情けない姿を見せて泣く泣く1人で帰宅。
12月1日(日) 12時24分
野球観戦。今シーズンを決める一戦。快晴の下でビール片手にプレイボールを待つ。開始直前になって突如の大雨。ずぶ濡れになって試合も中止。天気予報の糞野郎、当たりやしない!
12月2日(月) 08時45分
席の大半が既に埋まったオフィスに疲れた様子の古山が出勤してきた。始業少し前の時刻。あれ、と笹田は不思議に思った。
「おはようございます。古山さんがこの時間に来るなんて珍しいっすね」
「いやー。最寄り駅の階段ですっ転んでな。はは」
「えっ! 怪我とか大丈夫すか?」
「大した怪我はないけど身体中が痛いよ。それに擦って一着駄目にした。買ったばかりだったんだが」
はぁ、とため息をついてデスクに着席した古山。痛めたのだろうか。年寄りがかった仕草で右腕を揉んでいる。
「ここ最近なんだかツイてないんだよなあ」
「ツイてないですか……。不幸は一度始まると、坂道を転がり落ちるように続く、って言いますしね」
「おいおい。勘弁してくれ」
古山は肩を竦めておどけて見せる。始業時刻がやってくると否が応にも、
12月3日(火) 00時48分
深夜。自宅のベッドに横になりながら、古山はSNSを眺めていた。暗闇で光る液晶画面が、疲れの残る顔をぼうっと浮かび上がらせる。
「不幸は続く……か」
そう呟いて見ていたのはここ数日で目につくようになった投稿。最初に見たのは何時であったか。
『この投稿を見た人は不幸になります。不幸になりたくなければ、今から1分以内にシェアしてくだい。シェアしなければ、画像に書かれた不幸が貴方に訪れます』
なんとはなしに真っ黒い画像をタップする。液晶に画像が大きく表示される。そこには黒地に白い文字。
『シェアしてください。シェアせずにこの画像を見た貴方。駅のホームで災難にあいます』《12月3日(火)00時00分の投稿》
なんだこれ、と古山は失笑した。通勤で毎日電車に乗る人間にはどうしようも無い。災難? 電車遅延か? 明日も早い。そう思い古山は眠りについた。
12月3日(火) 07時15分
最寄り駅のホームで電車を待っていた。ホームには
じろじろと見ていたわけではない。ふっと視線が重なっただけだ。勿論、特別に言葉を交わすこともなく、青年は携帯電話に視線を戻す。
ピーッ。電車が到着します。白線の内側へーー
嗚呼、電車が来るな、とぼんやりと待つ。
ふっと青年が前に出た。おやーー
べちょり。と何かが古山の頬に付いた。
辺りを見ると、三歩ほど先に何か落ちている。あれはーー腕だ。先ほどまで横にいた青年の腕だ。頬に飛び散ったのは、青年の血。
きゃあ、とOL風の女が悲鳴をあげた。
12月3日(火) 23時50分
寝る前に音楽アプリを起動する。最近はジャズを聴くのに嵌まっている。知識はなくとも素人なりに、雰囲気は楽しめるものだ。
演奏に耳を傾けながら古山は「散々な1日だった」と今日の出来事を思い出す。朝から目の前で飛び降り自殺。マグロを間近で見てしまい、返り血まで飛んできた。
事情聴取を受け、出社したときには大遅刻。上司は口では仕方ないと言っていた。が、この忙しい時期にという非難の色がその目にはありありと見えた。
こっちだってあんな場面に好きで居合わせた訳じゃない。とんだ迷惑。散々だ。
今朝の酸鼻たる光景を思い出し、既に胃には吐く中身も無いというのに、古山はおえっとえずいた。気持ちが悪いといえば昨日寝る前に見たあの投稿だ。符号の一致がもたらすのは、胃酸の込み上げるような不快感。
「こんな下らない投稿をシェアしたやつは、一体どこのどいつだ」
SNSを開いて投稿画面を遡っていく。あった。昨晩の投稿を見つけたが、古山ははてと首をかしげた。おかしなことに気がついたのだ。
SNSに表示される投稿は二種類。自分が表示登録をしているアカウントの投稿と、登録しているアカウントがシェアした知らない誰かの投稿だ。
「こんなアカウント、登録した覚え無いぞ」
度々目にした不快な投稿。それはシェアされて表示されていたのでは無く、古山も知らぬ間に表示登録されていた、得体の知れないアカウントから直接投稿された物であった。
投稿元のアカウントを表示する。アカウント名は『不幸の投稿』。自己紹介文は無し。プロフィール画像は
投稿を見るために登録している相手の数は0人。登録されている相手の数は1人。
登録されている1人。それはーー俺だ。
「なんだよこれ……気持ち悪いな」
まるで覚えがない。非表示設定にしようとし、今朝の出来事が脳裏をよぎる。このアカウントが関係あるのか。いや、そんなこと、あるはずがない。
そう思いつつ、古山はその陰湿なアカウントの過去の投稿を
『シェアしてください。シェアせずにこの画像を見た貴方。階段の混雑に注意。怪我をします』《12月2日(月)00時00分の投稿》
はは、と乾いた声を古山が漏らす。
『シェアしてください。シェアせずにこの画像を見た貴方。雨で予定が台無しになります』《12月1日(日)00時00分の投稿》
ざわ、と首筋の肌が
『シェアせずにこの画像を見た貴方。酩酊して好機を逃します』《11月30日(金)00時00分の投稿》
なんだ。
『貴方。仕事で大きなトラブルに巻き込まれます』《11月29日(木)00時00分の投稿》
一体。
『熱いものに注意。火傷します』
なんなんだ。これは。
再生していたジャズが終わり、部屋にはひたと静寂がおりた。しかしながら、古山は音楽が途絶えたことにさえ終ぞ気が付きはしなかった。
12月4日(水)00時00分
音もない真夜中。SNSに新しい投稿が表示された。嗚呼、
『これは不幸の投稿です。不幸になりたくなければ、今から1分以内にシェアしてくだい。シェアしなければ、画像に書かれた不幸が貴方に訪れます』
添付された画像を押す。画面に大きく表示される黒。細く
そこに書かれているのはーー
『シェアしてください。明日は貴方の番ですよ』
ぴた、と古山の手が止まる。顔から表情が消え、残されたのは
1分以内にシェアしてくださいーー
それは深く考えた上での行動ではなかった。切り取られた1分間。常識的な思考と非日常的な感覚の境界が曖昧になった故のこと。
古山孝仁は『投稿をシェアする』を押した。
変わらぬ静寂。何も起きないーーいや、何かが起きるわけ無いではないか。変なアカウントの録でもない投稿をシェアした。ただそれだけだ。
「はは。こりゃ笹田にからかわれるな」
とどのつまり、誤操作で気がつかない内にアカウントを登録していたのだろう。中身については偶然。薄気味悪いが、そう考えるのがまともだ。
不気味なアカウントを非表示にする。これでもう見ることもない。似たような投稿がシェアされたとしても、気にしなければいいだけだ。
どうかしてたな、とすっきりとした気持ちで古山はベッドへ横になった。事実、それから古山がその投稿を目にすることは、二度となかった。
12月5日(木) 18時46分
定時は過ぎているというのに、オフィスにはまだ社員が当たり前のように残っていた。概ね普段通りの光景。そう、概ねは。
「おい笹田。古山さんの話聞いたか?」
「古山さんの話? なにそれ。そういば二日も休むなんて珍しいね」
何時も誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残る先輩の姿を、笹田は昨日の朝から見掛けていなかった。特に休む予定は聞いていなかった筈だ。
「ここだけの話……亡くなったらしいぞ」
「へっ? おとといは普通だったよ?」
「それがさ。無断欠勤の確認したら自宅で……って話らしい。部長から上が大慌て。やべーよな」
「本当に……? 信じられない……」
「心筋梗塞らしい。身体に大分キテたんじゃねえか。万が一過労死で訴えられたら言い逃れできないだろ。うちの会社」
「古山さんも最近歳だとか、不養生で太ったなんてよく笑ってたけど……そんな急に……」
「お前、良くして貰ってたから何か知ってるかと思ったんだけど……。その……すまん」
笹田の蒼白になった顔。噂好きの同僚は短く詫び、そそくさと退散していった。
笹田は力尽きたように椅子の背もたれに沈む。暫くすると、よろりと携帯電話を取り出してSNSを開いた。笹田が表示してみたのは、普段はあまり投稿の無い古山のアカウントであった。
死んだなんて、信じられない。
古山のアカウントからの投稿。最後の日付は一昨日の深夜であった。古山がシェアした投稿を見て、笹田は訝しく思って顔を顰める。
「不幸の投稿? なんだこれ……?」
なんだか厭な気分だ。笹田は携帯電話をそっとしまう。
彼がその投稿を思い出すのは、まだ少し先の話。
『シェアしてください』 完
イマドキイブン 人見 鳴海 @nryo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。イマドキイブンの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます