16 カウントダウンは譲れない
事件から一週間後。大晦日。
龍一は寒空の下、あのドーナツ屋の前のベンチに座っていた。
救世主VRITRAこと右野貴徳は逮捕され事件は解決。
銀河京朔警部は病院に運ばれ、長時間拘束された水奈は入院を余儀なくされた。もはやクリスマスのイベントどころではなかった。
さらに忘れていた悲惨は想像を絶した。
自宅を襲った炎の広がりはそれほどの被害には及ばなかったのだが、消化水でぐちゃぐちゃになっていた。放火犯とされる男はやはりターゲットである龍一を狙っての犯行だったようだ。家にいないことをわかっていたからこそ、男は悪ふざけに放火という愚かな行為をしたのだとか。
だが、龍一にとっての悲劇は火災でなければ浸水でもない。後片づけの際に母に見つけられたバッグの中身だった。これに関しては言わずもがな。
居場所を失った親子はひとまず田舎の祖父母の家に身を寄せた。慣れない環境下ではあるものの妹の冴紀は体調を整え、またすぐに勉強に励み、母は落ち込んでいられないようで新たな新居を探している。
そして龍一は風邪を引いた。
長時間薄着でいてもなんともなく、水浸しの家を掃除しているときでさえ異常はなかった。なのにだ。祖父母の家でゆっくりした一日で熱を発症させた。
だがそれも一通の連絡でケロッと良くなった。年越しデートのお誘いだった。嬉しさのあまりに居てもたってもいられず龍一は布団を出た。驚く祖父母を横にすり抜け、雪の積もる世界を走り抜けた。胸の内にいたモヤモヤとした病気の気を拭い捨て、冷たい空気を肺へと送った。
待ち遠しい。彼女に会うことが待ち遠しい。ただその思いだけだった。
妹が笑って見ていたことは少し恥ずかしかったが……。
「なあ、俺この感覚がたまらなく好きなんだよ。新年もうすぐ春遠からじ」と罫太が横から声をかけてきた。
なんでいるの、と言いたくなったが我慢した。というのはデートのはずがRーFCのメンバーで集まろうということになったのだ。それは銀河警部からの申し出だったそうだ。
「お待たせ!」と向かいのドーナツ店から可愛い二人の女の子が出てきた。直視できないほどだ。たとえ隣に罫太がいようがこの気持ちは隠しようがない。
「どうかしたの?」と水奈が顔を覗き込んだ。
「いや……あまりに……その……なんて言うか」
「カワイイです」
「そう。かわいくて……?」
釣られて言った単語は間違いではないがその単語は罫太から出たものだった。
罫太は顔を真っ赤にして癒月蘭を見つめていた。蘭は言葉をどう捉えるべきかアタフタしていた。それが別の意味で可愛らしかった。
「龍一君もそう思うの?」と水奈は小悪魔的なまなざしで再び覗き込んだ。どうも最近は下心を読んでいるとしか思えない。挑発的な瞳に龍一はタジタジだった。
「わざわざ悪いね」
お見舞いの品にドーナツを差し上げた。
ベッドに横たわる銀河警部の顔色がすこぶるいいことに龍一は安堵した。
「まったく無茶ですよ。事故った足取りで救急車を抜け出し現場に向かったんですから」と言って隣で座っている三田がドーナツの箱を横に取った。
「俺はお前と違って気合いだけで生きているんだ」
「まるで俺に根性が無いみたいな言い方しますね」
「そうとも言うな」と京朔はドーナツの箱を京朔から奪い取りそれを開いた。そして「食べるか?」と龍一らに差し向けた。
「私たちの分はありますから」と水奈が遠慮した。
「これだよ。この気遣い」と言って京朔は三田の肩を叩いた。
「それなら僕だって」
「お前のは要らない。言っただろう。部下に気遣ってもらっているうちは俺もまだまだだから。本当に悪いねわざわざ病院にまで来てもらって」
「良いですよ。気になってましたから。ところでお話とは?」
龍一の催促に京朔はある問いかけをした。
あと30分ほどで新年。年の変わり目に初詣などという粋なことをしてこなかった龍一には空気を吸うだけでも新鮮な気持ちを味わえた。それは他の三人も同じだったようで、境内に近づくにつれてその思いは自然と強くなる。
人込みの中、離れ離れにならないように龍一は水奈の手を繋いだ。鼓動が手の震えから感じられる。年の終わりを憂い、新年への期待、心地よい寒さと胸のときめき。すべてが手に伝わった。
あの事件で京朔の口から間接的に聞いた犠牲者のことが頭によぎった。須藤欣悟や井上先輩、速水先輩、内田先輩。みんなそれぞれに罪を抱えて生きていた。それに後からわかった事実として堺大機の遺体が山中で見つかったそうだ。
依頼人は内田聖杜、共犯者は須藤欣悟。殺害動機はおそらく学校を退学になったことと、当時付き合っていた彼女・谷岡侑子を根に持っての犯行だろう。
「見て。綺麗よ」と水奈は空を指さした。周囲に灯りがないおかげで夜空の星がきらめいて見えた。
「そうだ!こっち」と龍一は水奈の手を引いた。二人は人の流れに逆行した。
「どこ行くんだ?」と罫太が尋ねたが、蘭とともに流れて行った。
井上撤郎は内田聖杜を裏切っていた。それは当事者しか知り得ない事実。井上はおそらくこの過ちを墓場まで持っていくつもりだろう。一貫して黙秘を続けているが内田の携帯電話からあるメールが見つかったと母から聞いた。ちなみにそのメールの送り主は須藤欣悟だそうだ。
井上撤郎は坂江和観を奪った。急に出てきた名前に驚くかもしれないが彼女の存在こそがすべての始まりなのだ。当時内田が付き合っていた彼女は二人いた。一人は堺大機から脅迫を受けた谷岡侑子だった。この彼女が原因で龍一は悪い噂を流され試合でケガに遭った。というのが当時の警察、右野貴徳の見解だったし、学校側の判断だった。しかし、事実は少し違った。
谷岡侑子の件は別件だったと内田は後になって気が付いた。
もう一人の彼女坂江和観にちょっかいを掛けたのが井上であり、その噂は龍一であると独り歩きした。もしかしたらそのデマは独り歩きではなく井上がわざと流したデマ情報であったかもしれない。結果的に龍一はサッカー部を追い出され、堺大機の犯行を二度目の犯行だと勘違いした内田が激怒し暴力を振るったのだった。
それを知った内田は井上に殺意を抱き、結果的に亡くなった。隠された真実を突き付けるだけで彼らは自滅した。
速水を殺したのは右野貴徳であるという見方が強いらしく、近いうちに香川省三の疑いは晴れそうだ。
「どこ行くの?もう年が明けちゃうよ」と水奈は手を引いた。
境内の端、少し山を登ったあたりで龍一は「ここだ」と足を止め振り返った。
眼下に広がる光景に息をのんだ。連なる民家からの明かりや車のランプ。うっすらと夜空に輝く星々。一面、水奈が描いた夜景にそっくりだった。
「キレイ~」
うっとりして水奈は龍一の腕にくっついた。いつか一緒に見たかった景色がすぐそこに広がっていた。自分たちがこの中で暮らしていたことを俯瞰で見つめ直した。
「刑事さんからの提案どうするの?」と水奈は尋ねた。
「まだわからないよ。あの手帳の被害者の話を聞いたら揺らいでいる自分がいるし、だからと言って仇討ちをゲームのようにするのも違う。確かに機械で犯罪の管理が出来るのはすごいことだけど、技術は未完成だし……」
「でも、いずれはそうなるんだろうね。その先駆けになるかどうかなんて私たちには難しいよね……」
銀河京朔からの申し出というのはシステムの実用性をどうするか考えるようにというものだった。あの場では否定した警部も考えが揺らいでいた。もしかしたら話に出ていたように家族のことを思ったとも考えられる。そんな難しい決断を未成年に迫るのだから困ったものだが、そう言うと彼は切り返した。
「これからの社会を作る君たちだからこそ決断は君たちに任せるべきだと思う」と諭された。
「あ、4,3」と突然水奈がカウントダウンを始めた。
新たな年の幕開けに思いを寄せて二人は大いに盛り上がった。
京朔は人生初の病院のベッドでの年越しを迎えることになったのだが、新年を祝う気分ではなかった。何かを忘れているような、違和感。なぜこんな気持ちを抱くのか。
内田が受け取った井上の秘密を暴いたメールの送り主。メール着信の履歴は12月22日。そしていまだに見つかっていない携帯電話端末。そして不可解な自殺。
そのうち薬の影響で気を失ったかのように深い眠りに就いた。まどろみの中で抱いたその違和感は薬とともに忘却の彼方へと薄れゆくのだった。
完
公開元は秘密結社R‐FC サシガネ狸 @SracoonD
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