「る」から始まる君と俺

佐々木匙

いつものしりとり遊びの話

「パイナップル」

「ルイジアナ」


 俺が渾身の力を込めて打った球は、高橋さんの涼しげな声にいとも簡単に返された。比喩だ。俺と彼女はサークルの部室の少し大きめの机に向かい合って座っている。『言葉遊び研究会』の部員は全部で五人いるが、最近ほぼ毎日常連状態なのは文学部二年生の俺と、同じく文学部二年生で新入りの高橋さんふたりだけだった。


「ナ……ナノメートル」

「ルーマニア」


 谷川大学『言葉遊び研究会』の活動内容は簡単で、秋の学祭と春の新入生勧誘以外はだいたい、ひたすらに緩く部室で会話をすること、それだけ。それはただの雑談であることもあるし、その名にふさわしく言葉を使ったゲームのラリーであることもあるし、両方が含まれることもある。俺は潔く二番目から話題を切り替えることにした。


「あのさ、なんで国名で縛ってるのさ」

「さっきのは州の名前だけど」

「どっちでもいいけど、じゃあなんで地名縛り」

「理由……まあ、縛った方がやりやすいかなって」

「ていうと」

「途中から急にカタカナ縛りになったから、外国の地名を探せば楽でしょ」


 確かに。彼女はいつもクレバーだ。俺は時々彼女にこうしてしりとりを仕掛けるが、細かい決まりごとは決めない。一番単純な『前の人の言った単語の最後の文字から始まる単語を続ける』『一定時間以上詰まるか、「ん」で終わる言葉を続けたらそこでゲームセット』『一度使用された言葉はもう使えない』だけを採用する。その中でなんとなく流れが生まれていくのが楽しいのだ。今回もそうだった。高橋さんは短めの髪を軽く手で整えた。


「よし、じゃあまた続きをしようか」

「構わないけど、多田くんほんと粘るよね」

「ネパール」

「ルクセンブルク」

「クロール」

「……ルート」


 高橋さんの地名縛りが崩れた。そろそろかと思っていたのだ。内心喝采する。俺の選択した言葉を見てもらえばわかる通り、今回俺はひとつ作戦を組んでいた。作戦といっても有名でオーソドックスなものだ。『る攻め』である。


 『る攻め』とは、見てわかる通り『る』で終わる語をあえて選ぶことで相手の選択肢を狭めていく、というものだ。日本語には『る』で始まる名詞は少ない。よって、『る攻め』を行い、しかも途中からカタカナ縛りを入れることで彼女はぐっと不利になる、はずだった。


「トリコロール」

「ルシファー」

「ファウル」

「ルームメイト」


 高橋さんは淀みない。地名縛りはあくまで初期の利便性重視のものだったので、る攻めに対応して捨てることもやぶさかではない、という感じだった。重武装をパージしたメカのような印象だった。


「トラブル」

「ルーペ」

「ペンシル」

「ルイボス」


 戦い慣れている、というのが春の初戦からずっと感じていたことだった。すらすらと淀みない返答。新入りだが歴戦の猛者、と先輩たちは皆高橋さんを恐れ、またもてはやした。彼女に限って、うっかり『ん』を口にすることは絶対にない。


「スクロール」

「ルッコラ」


 いや、しかし。俺は彼女に絶対に勝たねばならないのだ。


 高橋さんに俺が告白したのは春の新入生歓迎会の後、つまり彼女が入会した直後だった。別に急な話ではない。俺は元から彼女と講義で知り合っていて、もう半年ばかりずっと綺麗な横顔を気にしていた。何の運命の悪戯か、彼女がサークルに入ってきたのをきっかけに、何かリードのようなものがぷつんと切れてしまったらしい。気がついたら二人きりになっていた駅までの帰り道、俺は思わず彼女に付き合ってほしいと告げていた。


 高橋さんは涼やかな笑顔を浮かべて、『私にしりとりで勝ったらね』とそう言った。


「ラベル」

「ルナパーク」


『楽しいのが好きなの。せっかく同じサークルなんだし』

『シンプルなルールで、私を十秒詰まらせたら負け』

『結構強いよ、私。頑張ってね』


 確かにその通りだった。いつも詰まるのは俺の方で、勝つのは高橋さんだ。だから今日は本気でいく。本気で勝つつもりの『る攻め』だったのだ。


「クリスタル」

「ルーフトップ」

「プードル」

「ルネサンス」


 楽しそうだな、高橋さん。そう思う。目をキラキラさせて、まだかまだかと待ち構えている。俺も、楽しかった。ずっとこの顔が見ていたかった。


 高橋さんとのラリーを、いつまでも終わらせたくなかった。


 だが、いずれ勝負はつく。俺は勝って、高橋さんの心を手に入れる。それだけだ。


「スリル」

「……類似」


 高橋さんがカタカナ縛りを崩した。今だ、と俺は意気込んだ。彼女は確実に動揺し、頭の中の辞書をフル回転させていた。俺だってやってやる。このままの余裕をキープするのだ!


「ジャンル」

「留守」

「スケール」

「流浪」

「ウイグル」

「盧遮那仏」


 対処は相変わらず的確だ。だが、少しずつ押しているのを感じる。徐々に彼女の反応が遅くなっている。このまま一気に行く!


「ツインテール!」


 彼女がすう、と息を吸った。答えはない。高橋さんはしばらく目を瞬かせながら止まっていた。ゆっくりと時間が過ぎる。勝った、のか、と思った。時計の秒針を見つめる。そう。十秒詰まったら負け。それがふたりの——。


「ルール」


 残り約二秒のところで、高橋さんはするりとその言葉を口にする。


 ルール。『る』で始まって『る』で終わる、ある意味『る攻め』最大の破壊攻撃にして反撃語。


 これまで高橋さんは、数々の『る』で始まる言葉を口にしてきた。『一度使用された言葉はもう使えない』。このルールに則り、俺が使える『る』で始まる語はかなり制限されている。


 『ルール』だよ。高橋さんは面白そうにきゅっと口の端を上げた。私を捕まえてみてよ、多田くん。できるかな?


 なんだってやってやる。俺はその笑みに応えて笑い返した。罠があろうがなんだろうが、ひらひらと軽やかに逃げるその後ろ姿を、絶対に手にしてみせる。


「ルーク」

「クレゾール」

「ルンバ」

「バロール」


 ルールの細い細い糸の上で、俺と高橋さんのラリーは続く。まるでダンスを踊っているようだな、とそう思った。楽しいのが好き。そうだな、俺もだよ。だから、できる限りずっとこうしていたい。何度負けたって、もう一度挑戦状を叩きつけたい。


 いつかどちらかが根負けするその時まで。きっとそうしていよう、高橋さん。

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「る」から始まる君と俺 佐々木匙 @sasasa3396

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