一番、大好きな人。

成井露丸

一番、大好きな人。

「あっ、西川さん!」

「美咲~!」


 開け放たれていた廊下の窓ガラスから、吹き込んだ冷たい風に広げられた髪を押さえる。仲良さそうな二人の声に、ビクッと身をちぢこまらせて、窓を閉じようと伸ばしていた、左手を引っ込めた。

 私の恋人の六条ろくじょう聖司せいじくんと、私の親友の結城ゆうき香菜かなちゃんの二人の声。二人は幼馴染同士だ。


「あっ、二人共おつかれさま~。そっちのクラスも終わったの?」

 歩いてくる二人に、私は努めて笑顔を作る。


「ホームルームで、担任の話が長かったんだけど、終わったよ。まぁ、試験前だし、みんなそれどころじゃないし、――なぁ?」

 そう言って、六条くんは左隣の香菜ちゃんの顔を見た。


「まっ、聖司は特に、勉強しなきゃピンチだからね~」

 背の高い六条くんの隣。香菜ちゃんは、スラリとしたスタイルに形の良いボブカット。少女は猫のように悪戯っぽくて可愛らしい笑みを浮かべて、彼の視線を受け止める。


「何だよ、香菜。俺、そんなに馬鹿じゃないって。志望校決めてから、頑張ってるの知ってるだろ?」

「はいはい。美咲と同じ大学受けるんですよね。お熱いことで~」

 息巻いきまく六条くんに、香菜ちゃんは肩をすぼめた。

 

「前回なんて、赤点一個も無かったし、俺の勢い凄いんだぜ」

「ホント、ちゃんと志望校に受からないと、美咲に捨てられちゃいますよ~」

 香菜ちゃんは「ねー」っと、悪戯っぽいウィンク。そのお茶目な仕草に、私は困って、曖昧に微笑みを返した。

 

 先月のバレンタインデー。ずっと好きだった、六条くんに告白した。


 高校一年生の春に、同じクラスになった六条くん。香菜ちゃんをはさんで、彼とよく喋るようになって、その無邪気さ、優しさ、いろいろ含めて、気付いたら好きになっていた。

 一年生の時は、特別なことをしなくても、同じクラスだったし、よく三人で居た。だから、それで良かった。でも、二年生になってクラスも別々になって、六条くんと会える機会もずっと減ると、私の気持ちは彼を求めて彷徨いだした。夏休みが迫る頃には、さすがの私も「あぁ、やっぱり、六条くんのことが好きなんだ」って、気付かずには居られなかった。


 気付いたからって、すぐに告白するとか、そういうのは無理。

 自分の気持ちに気付いて勇気を持つまでに半年かかった。

 ようやく、彼に告白しようと思った年明けに、私は香菜ちゃんに相談したのだ。


 香菜ちゃんは、六条くんの幼馴染。いつも一緒にいる。それが幼馴染だからで、二人が付き合ってはいないことを、私も知っていたけれど。でも、もしかすると、香菜ちゃんも六条くんのことを好きなのかもしれない。だから、告白の前に、その気持ちは確かめなくっちゃって思っていた。


 私が「六条くんに告白しようと思うの」って言った時には、香菜ちゃんは驚いた顔をしていたけれど、すぐに「頑張って、応援してる」って言ってくれた。

 それから、私が

「香菜ちゃん、六条くんのこと、……本当は好きだったりする?」

 って聞いたら、香菜ちゃんは胸の前で両手を振って

「それはナイナイ! 聖司は幼馴染。それ以上でも、それ以下でもないよ」

 と微笑んだ。

「告白して、もし駄目だったとしても、私は美咲の味方。遠慮せず、どーんっと行っちゃいなさい!」

 って、香菜ちゃんは背中を押してくれた。



「あの……、六条くん!」

「どうしたの? 西川さん?」

 バレンタインデーの放課後、私は六条くんを呼び止めた。彼は、驚いた顔をしていたし、私だって、緊張で頭がおかしくなりそうだった。

 振り返った彼に、私は両手で小さな手提げ袋を差し出した。


「チョコレート作ったの……。六条くんに渡したくて」

「西川さん、これって?」

 子犬のように首を傾げた六条くん。私の顔は燃えそうなくらいに真っ赤だったと思う。


「ず……ずっと、好きだったの。六条くんのことが――」

 私は俯いたままで、彼の顔は見れなかった。

 彼の手が、するりと私の紙袋に伸びて、私の手に少しだけ触れた。


「もしかして、……これって、……告白?」

 六条くんが戸惑いながら身も蓋もないことを言うので、私はコクリと頷く。

「もしよかったら……。六条くんに、私と、その……、付き合って欲しい……の」

 そんな表現が、私に出来る精一杯だった。


 六条くんは、私からチョコレートを受け取ると、「少しだけ、考えさせてもらって良いかな?」と頬を左手の人差し指で掻きながら答えた。

 紙袋を手放した私は、うんうんと、首を縦に振るしかなかった。


 ――西川さんの気持ち嬉しかったです。返事はオッケーで。これからよろしく。


 その晩、スマートフォンに届いた、六条くんからのメッセージを抱きかかえて、私は何度もベッドの上で飛び跳ねた。「彼氏」と「彼女」っていう言葉が、頭の中をグルグルと飛び回って、私の頭の中にはお花畑が広がっていたのだと思う。


 それから一ヶ月が過ぎた。


 目の前では、六条くんと香菜ちゃんの楽しそうな会話が弾んでいる。肩と肩が触れ合わんばかりの距離感で。私と二人の間には三歩分ほどの隔たり。


 私と六条くんは付き合っている。でも、私と彼の距離は何も変わっていない。


「一緒に帰ろうか? 西川さん」

 六条くんが言う。その横で、「美咲も、一緒に帰ろ」と、香菜ちゃん。

 その近すぎる二人の間に、全然、私は割り込むことが出来ていない。

 私は彼女なのに。私が彼女なのに。


 二人に目を遣ると、香菜ちゃんと目が合って、彼女は「ん?」と小首を傾げる。

 いつも通りの無邪気な笑顔。

 その隣には、私の恋人――六条聖司くんの柔らかな表情。

 でも、その視線は、隣の香菜ちゃんの横顔へと注がれていて。


 付き合い始めた時は、ただ嬉しかった。

 私があなたの一番になれたって思ってたから。

 でも、今は、なんだかそれを信じられなくなってきちゃったの。


 ――六条くん。私はあなたの……


 ―――― ―――― ―――― ――――


「あっ、西川さん!」

「美咲~!」


 廊下の向こうで、窓ガラスに一人手を掛けていた長い髪の少女に、聖司が声を掛ける。追いかけて、私も。

 彼女は、窓ガラスから手を離すと、風に吹かれる髪を押さえた。

 その仕草が、とても可愛いなって思う。私の親友の西川美咲ちゃん。

 一ヶ月前から、私の幼馴染、六条聖司の恋人でもある。


「あっ、二人共おつかれさま~。そっちのクラスも終わったの?」

 美咲が振り向いて微笑んだ。


「ホームルームで、担任の話が長かったんだけど、終わったよ。まぁ、試験前だし、みんなそれどころじゃないし、――なぁ?」

 そう言って、聖司は、わざわざ私の意見を求めてくる。照れ隠しなのがバレバレ。

 恋人同士の会話は他所よそでやって欲しいものだよ。

 胸の中に隠した思いにチクリと針がささる。


「まっ、聖司は特に、勉強しなきゃピンチだからね~」

「何だよ、香菜。俺、そんなに馬鹿じゃないって。志望校決めてから、頑張ってるの知ってるだろ?」

「はいはい。美咲と同じ大学受けるんですよね。お熱いことで~」

 そう言って、茶化して見せると、聖司は「前回なんて、赤点一個もなかった」とか、自慢にもならないことを言うので、「志望校に落ちたら美咲に捨てられるよ」なんて、際どい冗談を投げておいた。


 そんな私と聖司のことを、美咲が穏やかな目で見つめている。


 ――そんな目で見ないでよ。


 最近、時々、急に泣きそうになる。

 だから、つい半歩だけ、聖司との距離を詰めてしまう。

 肩と肩が触れ合いそうな距離感。

 幼馴染だから――良いよね?


 先月のバレンタインデーの前に、「六条くんに告白しようと思うの」と、美咲が相談してきた時には驚いた。


 聖司は私の幼馴染。一番仲の良い男友達。

 その関係は、ずっと変わらないものだとばかり思っていた。でも、それと「男女として付き合う」っていうことは、まるで異なる概念で、――だから、私は何も出来なかったんだ。


「香菜ちゃん、六条くんのこと、……本当は好きだったりする?」

 突然、そんなことを美咲から聞かれて、あわてふためいた。


「それはナイナイ! 聖司は幼馴染。それ以上でも、それ以下でもないよ」

 そう答えてしまったけれど、きっと図星だったんだと思う。

 振り返れば、ずっと聖司のことを好きだったんだと思う。

 だけど、親友の美咲の思いを突き放すこともできなくて。


 「告白して、もし駄目だったとしても、私は美咲の味方。遠慮せず、どーんっと行っちゃいなさい!」

 気付けば美咲の背中を押していた。

 真剣な表情でコクリと頷く美咲は、本当に可愛いかった。私の自慢の親友。


 でも、私はその告白が、きっと上手くいかないと思い込んでいた。

「聖司の一番は今までも、これからも――きっと私なんだ」

 根拠の無い思い込み。幼馴染という立場の上でかいていた胡座あぐら


 だから、二人それぞれから届いた「付き合うことになりました」のメッセージに、私は目眩を覚えた。そして、私はベッドの上へと倒れ込んだ。

 気付けば、嗚咽が止まらずに、朝まで、枕に熱くなる両瞼りょうまぶたを押し付けていた。


 それから一ヶ月。

 目の前には美咲が、隣には聖司が立っている。

 二人の関係は順調に進展しているようだ。


 でも、私と聖司の距離感も変わらないままだ。

 今だって、聖司の隣に立っているのは、私。

 さっきだって、肩と肩が触れ合っていた。


 本当に、私はあなたにとって、一番の女の子じゃなくなったのかな?


 親友の視線から目を逸し、そっと隣の幼馴染の顔を見上げる。

 その男の子は私のことを見ていて、彼の視線と私の視線が、ぶつかった。


 ――聖司。私はあなたの……


 ―――― ―――― ―――― ――――


 廊下に並ぶ窓ガラスの一つが開いている。

 まだ冷たい隙間風が、そこから吹き込んで、私たちの取り繕った笑顔の間をすり抜ける。服の隙間から、肌を通って、冷たい風が胸の中へと忍び込む。


 六条くん。私たち、付き合っているんだよね?

 六条くんの恋人は私なんだよね?


 聖司。ずっと私のことが一番だったんだよね?

 今も、きっと、それは変わらないんだよね?


 私はじっと彼を見つめる。そして不安になる。

 

 ――私はあなたの? 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一番、大好きな人。 成井露丸 @tsuyumaru_n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ