美しい宝石

九十九

美しい宝石

「鬱蒼と茂る木々の中、光る宝石を探してはいけないよ」

 それがその小さな村での約束事である。森の中にぽつりと有るその村は、目が見えぬ大婆様が取り仕切る。村に外の者が訪れる事など稀であり、村を訪れた者が帰ったと言う話を聞く事も稀である。

 小さな村から戻った者達は皆口を揃えて「鬱蒼と茂る木々の中、光る宝石を探してはいけないよ」と、唯それだけを口にした。


 女は美しい物に強欲であった。女は己が美しい事を理解していたが故に、美しい物を美しく飾り立てるのは当然の義務だと心の底から信じており、それ故に美しい物には強欲であった。

 女には美しい物を手に収めるだけの地位も財産も有ったし、手に入れる為の強い精神と健康な肉体も持ち合わせていた。常に貪欲に、時には狡猾に、ありとあらゆる美しい物を手に入れて来た女は、特に宝石に関しては強い欲望を曝け出した。美しければ美しい程、得難ければ得難い程、女は宝石を強く欲した。

 そんな女が小さな村の光る宝石の噂を耳に挟めば直ぐ様欲するだろう事は火を見るより明らかであった。実際、女はその噂を聞いたその日には村から戻って来た者達の居場所を突き止め、翌日には話を聞きに奔走していた。それから一週間もしない内に女は村へと訪れた。


「鬱蒼と茂る木々の中、光る宝石を探してはいけないよ。見るだけなら良い。けれども見てしまえば魅せられてしまうからね。だから探してはいけないよ」

 訪れた女に大婆様はしわがれた声で諭す様にそう言った。

 女は村へと訪れた事の経緯を一つも、大婆様と呼ばれる目の前の盲目の老人にも目を覆い隠す服装に身を包んだ村人たちにも話してはいない。けれども女が訪れて開口一番、大婆様は女へと忠告した。

 誰も彼もが目を隠している村人にも、周りから絶えることなく鳴り続ける羽音や梟らしき鳴き声にも一切臆する事など無かった女は、己の内側が見透かされているような気がして此処で初めて臆した。が、恐らくこんな辺鄙な場所に自ら訪れる者の目的なんぞ大方決まっているのだろうと己を納得させて、無意識の内に僅かに引いた身を正した。

「此処に来た者の目的は大方決まっている」

 大婆様は溜め息を付きながらしわがれた声でそう言った。やはり、と女は笑うと話を切り出す。

「私は噂を聞いて此処まで来ました。宝石を見たいのです」

「そうだろうね。だが、お前さんは強欲だ。見るだけで済ます気なんて最初からないだろう?」

「まさか。そこまで愚かではありません」

「あぁ、お前さんは愚かじゃあない。賢い女だ。狡いとも言える。だが何よりも強欲だ」

 女は一度口を閉じた。そうして己より小さな老婆を見遣る。恐らく今まで相手にしてきたどんな交渉相手とも違うと女は理解した。

 女は小さく息を吐くと、大人しく撫でつけていた髪を掻き上げた。

「目が見えないと見えない物が見えると言うのは本当なのかしら?」

「見えている者とそう変わらんさ。唯そうだね。確かに見えない物も見える」

「なら、私がしたい事も分るでしょう? 私は私がしたいようにやって来たわ」

 女は不遜な態度で大婆様へと言葉を放った。それは女が引く気が無いと言う証、何が何でも手に入れたいのだと言う意思表明である。

 大婆様は正しく女の意図を理解し、そうして長く長くため息を吐いた。

「身を滅ぼすよ」

「何かを手に入れる時には必ず危険が存在するわ」

「ならば最後の言伝だ。生き物の命を容易く摘み取ってはいけないよ」

「言伝?」

「あぁ、我々の友からの言伝さ」

 大婆様はそれだけ告げると、帰りの為に村人を数人後ろに付けさせるという条件と共に、女が森の中へと入る許可を下した。女はその条件に頷くと早々に室内から退室する。

「大婆様、彼女は……」

 後ろに其れまで控えていた初老の男が申し出る。

「仕方がない。ああ言う子は聞かないからね。……昔の自分を見ている様かい?」

「……はい」

「……。好きに生きなさい、冒険家さん」

「はい」

 一拍置いて告げられた言葉に男は深く頭を下げる。大婆様は出会った頃と比べると幾分か小さくなった背を軽く叩いた。

 窓から一匹の梟が飛び込んで来ると男の肩へと着地する。片目が潰れた、若いとは言えないその梟の残された瞳は硬く閉じられていたが、淡い青色の光を孕んでいた。


 女は今一度準備を整えると薄暗い森の中へと足を踏み入れた。森の中には何度か人が立ち入った痕跡による道が出来ており、女が想像していたよりも楽に歩けそうであった。帰りの道は村人が案内して村まで戻ると聞いているが、念の為に目印を付けながら女は進む。

 後ろから付いて来る数人の村人は歩き慣れているのか、目を覆う服装であっても特に支障無く歩いて居る。その様子を確認した女は、村人の事は特に気には留めずに奥へ奥へと進んでいく事にした。

 森は奥に進むほどに暗く、日が殆ど差し込まぬ空間へと変わって来る。足元は見えない程ではないが走り出すとなると難しい道のりに、女は出来るだけ慎重に進む。辺りには女の足音と梟らしき鳥の鳴き声と羽音だけが響いていて、他には何の音もしない。

 「此処は?」

 暫く歩き続けると、暗い森の奥底で無数の色取り取りの光を放つ空間へと女は躍り出た。女は一度、後ろの村人を振り返って付いてきているのを確認すると、慎重に辺りを見渡した。

 木々に実が生る様に枝の隙間から光を放つ色取り取りの輝きは、宝石の輝きと寸分違わず、女が手にしてきたどんな宝石よりも美しかった。

 暗闇の中の光の瞬きに一度眩んだ眼が再び暗闇に慣れた頃、女はその光景に息を呑んだ。

 そこにいたのは梟だった。唯の梟では無い。双眸に色取り取りの光り輝く宝石を嵌めこまれた梟だ。

「あぁなんて美しい」

 美しい羽色の梟たちは、その眼下に宝石を嵌めて、鬱蒼と茂る木々の隙間を縫うように飛び立つ。

 女は光る宝石に手を伸ばした。どれにするかは見た瞬間に決まっていた。己の眼と同じ色を持つ宝石を嵌めこまれた梟だ。梟は何故だか逃げもせず、女と同じ色の瞳で女を見つめる。

 女は美しく保たれた細腕からは想像も出来ない強い力で梟を鷲掴むと、真っ赤な口紅で彩られた唇に獣じみた笑みを乗せ、躊躇すること無く梟の眼に爪を突き立てた。

「あ……が……」

 濁音が混じった嗚咽は女の口から知らず溢れた物だ。

 熱の塊が頭の内側で暴れ出し、右目から赤い液体となって溢れだす感覚に女は直感した。――梟と繋がっている。

「ぐ……い……」

 だが、それが何だと言うのか。女は歯を食いしばり笑う。

 欲しいものを手に入れる為には様々な犠牲が伴う。唯易々と手に入る物ばかりでは無いのだ。美しい物で有れば有る程其れは顕著だ。失ったのならばまた飾り立てればいいのだ。失った左足のように、左手の指のように美しく飾り立てれば良いのだ。

 女は遂にその指先に力を込めて、宝石を手中に収めた。


 瞬間、森の空気が変わる。辺りの音は静まり返り、口も開けぬほどの威圧感が漂う。

 女は梟と宝石を抱えたまま、唯茫然と、目の前に突如として現れたそれを見上げた。それは女が人生で二度目に感じた明確な「死」であった。

 それもまた梟だった。それもまた唯の梟では無かった。

 人の背丈など容易に超えた大きな体躯に、金属のように鋭く硬い羽、鋭い爪は人の柔肌など紙よりも容易く裂ける事だろう。大きな体躯に見合った鋭く硬い嘴は薄く開き、その隙間から覗くのは無数の鋭い棘だ。

 女の目の前に現れた梟を象った死は、人間の様に固く閉じた瞼を持ち上げた。

「っ……」

 見つめられた途端、女の心臓は思い出したかのように早鐘を打ち始める。逆らってはいけない。見つめられれば頭を垂れて死を受け入れる他無い。恐怖が女の心臓を鷲掴んだ。

 それでも女は冷静さを掻き集めて状況を見た。身体は動かない。逃げる事は許されない。村人は静かに息を殺して事の成り行きを見詰めている。恐らく手を出す事は許されていない。で、あるならばやはり目の前の存在は女にとって「死」そのものなのである。女は息を整えて目を閉じた。女に後悔は無い。


 死が大きく口を開けた。

 ――瞬間、片目の梟が女の身体を弾き飛ばした。

「え……?」

「走れ!」

 初老の男の声が響いたと同時に、女は腕の中の梟と共に村人達の元へと投げ飛ばされる。女が目を見開いた時には目の前に赤色が広がっていた。

 村人達は女をしっかりと抱えると走り出す。村人の数と同じ数だけの梟が木々から飛び出し村人達を先導する。

 女は抱えられた状態のまま、残った片目を見開いて「死」と男を見詰めた。身体が歪に折れ曲がった片目の梟を抱えて蹲る血塗れの初老の男は、青色の眼で女を見つめていた。男の身体からは白い物も赤い物も飛び出していて、立つ事は愚か、あと数分生きる事さえ難しいだろう。

「まっ……」

 待ってと、そうなるべきは己だと、女が声を上げる暇も無く男は「死」に食われた。最期まで青色の美しい瞳は女を見ていた。


 女は目を覚ました。半分暗い世界に見慣れない天井、直ぐ傍には大婆様が座っていた。

「お前さんは運が良い。身体と精神が強いのも良かった」

「……あれは友?」

「あぁ、あれもまたこの子等同様、友だ。友を守ろうとする友だ」

 大婆様はそう言うと肩に乗った盲目の梟を撫でた。

「あの人は」

「冒険家さ。昔の冒険の続きに出掛けたよ」

「そう……」

「欲しい物は得たかい?」

 大婆様がそう言うと、女と同じ目の色の梟がその眼下から抉り出された宝石を女の手の平へと乗せた。

 女は静かに宝石を見つめる。

「私、この世で一番美しい物を見たわ」

「あぁ」

「もう随分と長い事見ていなかった色を見たわ」

「お前の両親程の愛は無くとも、昔の自分を見ている様で放って置けなかったんだろう」

「私は美しいから、美しい物で飾り立てる事が私の義務だから」

「なれるさ」

「なれるかしら」

「お前さんは強欲だ。美しい物に強欲な女だ。答えはお前さんが持っているよ」

 

 美しく強欲な女が、その後小さな村から帰って来る事はなかった。

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美しい宝石 九十九 @chimaira

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