第7話受け継ぐ意志

義父様ととさま、ご気分はいかがですか……」

床に伏せる太郎を、心配そうに見つめる秋葉もみじ。遠慮がちにかけたその声は、消え入るような大きさでしかなかった。


だが、その声はしっかりと届いていた。ゆっくりと太郎の目が開いていく。

迷うことなく、その顔を秋葉もみじに向ける太郎。だがその目は、どこかうつろなままだった。


秋葉もみじ……。すまぬな……。お前をここから出すことが出来なくて」

義父様ととさまわたくしの家はここですから」


目を細め、そう告げた秋葉もみじを太郎は優しく微笑む。


「何かあれば、九郎に申せ。あれにはお前の事を託したのだ」

「はい、義父様ととさま。大丈夫です。兄様あにさまはとてもよくしてくださっています。けれど、そのせいで兄様あにさま義父様ととさまの仲がますます悪くなっていくのが……」

その笑みに、悲しい色が加わっていく。

その姿を見た太郎は、ゆっくりと秋葉もみじの方へ手を伸ばす。


「すまぬな、秋葉もみじ。あれの頑固は俺に似たのだろう」

「『だろう』ではありません。お二人共、とてもよく似ておいでです」

その手をしっかり取ったあと、きっぱりと秋葉もみじは返していた。


しばし見つめあった後、二人は互いに吹きだし、笑う。


温かな雰囲気がその場にゆったりと腰を落ち着けるかに思えた時、真剣な顔をした太郎がそれを追い出していた。

その姿に、秋葉もみじも表情を硬くする。


「いよいよ、来る。おそらくは次の年だ……」

「はい。母様かあさまが、以前そのようにお話でした。わたくしが十三となる年に、凶星がやってくると……」

「そうか、やはり聞いておったのだな……」


急にやってきた沈黙は、ずうずうしくも二人の間に居座ろうとする。だが、太郎はそれを許さなかった。


「早いものだ。あの時小さかったお前が、今ではどこに出しても恥ずかしくもない美しい姫となった。お前の父君ちちぎみも精悍な顔立ちだったが、お前は母君ははぎみによく似ておる。もう、あと二年もすれば、その美しさに磨きがかかるであろうな。そろそろ、三日夜みかよかよいの儀の準備をする頃か? 九郎が邪魔せぬように、密かに事を運ばねばならん。この里では、九郎に勝てる若者はおるまい。いや、そもそも九郎が目を光らせていては、お前に誰も近づけぬではないか……」

ため息をつく太郎。それを静かに秋葉もみじは見つめる。


「申し訳ありません。まだ、その時ではないようです。でも……」

「まあ、そなたの気持ちを想えば、九郎を勘当でもしておくか。息子を義理の息子にするのは前代未聞。だが、むしろその方が俺も気が楽でよいかもな。そうか、そうだな」

一変して楽しげに笑う太郎を、複雑な笑みで秋葉もみじは見つめる。

その視線に気づいたのだろう。太郎もそれは冗談だと言わんばかりに、片手をあげて笑うのをやめていた。


再び訪れた、静寂。

だが、太郎の言葉は再びそれを追い払う。


「だが、それまで俺はこの姿を保てないだろう。決めていたこととはいえ、すべてを九郎に委ねるしかない。歯がゆいことだ……。しかも、老いてからの子故に、俺の体が持たぬ。四郎たちのように、あれの力になってもやれぬ」

静かに目を瞑る太郎の手を、秋葉もみじはしっかりと握っていた。


「その兄様あにさまは、今どこに行かれているのですか? 他の兄様あにさま達もそうです。このところ、お姿を見ない方が多くいます」

力強く見つめるその目に、太郎は小さく微笑んでいた。だが、その有無を言わさぬ顔を前に、降参の意志を告げていた。


「念のために、結界を張っておこう」

太郎の言葉と共に、部屋の四方にある灯が大きく揺らぐ。


陰陽寮おんみょうりょうの目があるのでな。ことは内密に進めておる。猫目の里は、遠からず三つの道を歩むだろう。もっとも、長老様たちはただ一つの道を歩むのだがな。だが、俺はそれを受け入れられぬ。だから、せめて道だけは切り開いておきたいのだ。五郎と六郎と七郎には、そのための準備をさせておる。ここに残る者。長老様たちと人の世を離れて行く者。そして、新たな地で人として暮らす者とな。長老様たちは、猫目の力ある者たちをひきつれて行く。その中に九郎も入っておるが、九郎はその事を知らぬ。だが、薄々感じているのだろう。長老様と会うのを避けておる」

ため息をつく太郎に、秋葉もみじは憂いの色を表に出す。


わたくしがいるからですね……」

「そうだな。だが、あれは元々長老様たちが嫌いだ。素直にいう事を聞かぬだろう」

「そうなのですか? あっ、でも……。そうですね」

何か思うところがあったのだろう。秋葉もみじの顔が理解に染まる。


それを見て、満足そうに頷く太郎。しかも、とても晴れやかな笑みで、秋葉もみじを見つめて話し始めた。


「俺も嫌いだからな、血は争えぬというだろう? だから人一倍、力を欲しておる。でも、俺が直接稽古をつけてやれぬからな、全てまだらに頼んである。今は一族の鍛錬場に、こもっておるだろうな。昔はずっとこもっていた時もあったが、今はそうもいかぬのであろう。命じた俺が言うのもおかしいが、九郎は少し過保護な所があるからな。だが、その腕だけは信じてよい。『すでに並みの者では歯が立ちませぬ。十五になったばかりでこれとは、末恐ろしい』と、先日帰ってきたまだらが言っておった。さっきの話ではないが、お前の事となると別のようだ」

嬉しそうな顔をして、小さく息を吐く太郎。その顔に、秋葉もみじがにこやかにほほ笑みを返す。


「本当に、そうですね。義父様ととさま兄様あにさまは本当によく似ていらっしゃいます。ですが、義父様ととさま。もう少し兄様あにさまとお話し下さいませ。このまま兄様あにさまが誤解したままのお別れでは、わたくしも悲しくなります」


視線を落とす秋葉もみじの顔を、じっと見つめる太郎。だが、何かを思い至ったのだろう。大きく目を見開くと、ゆっくりと体を起こそうとした。


義父様ととさま!?」

「居るな?」


驚き、その背を支えようと秋葉もみじが体を動かしたとき、いつの間にか現れた黒装束の女が部屋の端に姿を見せる。


「これに控えておりますれば――」

それだけ告げて、女は太郎の指示を待っていた。


「長老様に預けてある小刀を持って参れ。『太郎の御神刀』と言えばよい」

「はっ!」


短くそう告げたあと、女は一瞬にして消えていた。

秋葉もみじが太郎に横になることを勧めても、太郎は頑なにそれを拒否する。


「九郎の中には鬼がおる。猫目一族がただの祭祀の一族ではなく、鬼喰いおにくいの一族でもあることは、以前話した通りだ。初めてあれに鬼をわせたのは、三つの頃。それは見事なものであった。俺の知る限り、ここまで鬼を取り込んだのは九郎が初めてだろう」


太郎の言葉が終わっていないと察しているのだろう。秋葉もみじは黙ってその先の話を待っていた。


「だが、いつか逆にわれるやもしれぬ。お前はそれを心配しておるのだろう? 何か見えたのか? お前の母君ははぎみは先の世を見る力があった。その目、犬神の巫女の証であるその目を持つお前にも、その力が宿っているのか?」


わたくしには、母様かあさまのような力はありません。ただ、兄様あにさまが――」

「――太郎様。お話の所申し訳ございませぬ。長老様から下知げちがありました故に、私は急ぎ出立せねばなりませぬ。ご下命の品、どうぞお納めください」


いつの間にか部屋の端で控える黒装束の女。よほど急ぎの用があるのだろう。その声は、話を遮ることの申し訳なさであふれていた。


「よい。長老様の指示だ。抜かるなよ。それと、まだら言伝ことづてを頼む。『早めよ』とな。それだけ言えば分るだろう」

「はっ!」


しずしずと太郎の傍に近寄る黒装束の女。

その小刀を太郎に奉じるように差し出すと、次の瞬間には消えていた。


「この小刀はお前の母君ははぎみから譲り受けたものだ。時がくれば、お前に渡すように言われていた。あらゆる穢れを払う御神刀だそうだ。何に使うかは聞いてはおらぬ。すべてはお前の判断にゆだねるという事だろう」


差し出される小刀を受け取る秋葉もみじ

ずしりとしたその重みを、両手でしっかりと受け止めていた。


「九郎はお前を、何が何でも守ろうとするだろう。俺がそう指示したからではない。自らの判断だ。今もさらなる力を欲しておる。むろん、自らの鬼を呼び覚ますことは間違いあるまい」

「鬼を……。それは鬼神化というものですか?」

「そうだ。ただ、その力のみ引き出しておるうちは問題ないが、身も心も鬼と化せば、元には戻らぬ。かつて、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ征夷大将軍せいいたいしょうぐん蝦夷えみし討伐に赴いた時に、俺も見た。彼の地ではそうなったものだらけであった」

兄様あにさまが、本物の鬼に……」

「そうならぬかもしれぬ。だが、もしもそうなった時には、あれを救う手だてはない」


三度訪れた沈黙は、今度こそしっかりと腰を落ち着ける。


だが、それを退ける者がいた。


「その時は、わたくしがお守りします。これでも、猫目九郎の妹ですから」

受け取った御神刀を固く握りしめ、秋葉もみじはそう宣言していた。

その瞳に、輝く決意の光を灯して。

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