第9話見守りし者

激しく響く剣戟の音が、月夜の晩に響いていた。

この夜半に、もはや誰も歩くものなどいないはずの道。しかも、立派な門構えのある屋敷の前の道で、その死闘が繰り広げられていた。


まるで引き寄せられるように打ちあう刃。

幾度となく繰り返されたそれは、いつしか相手をねじ伏せるような鍔迫り合いとなっていた。

互いに一歩も譲らぬ姿は、さながら二体の彫像のよう。押しも、押されもせぬ力比べは、まるで時が止まったかのように思わせる。

だが、太刀があげる鈍い悲鳴が、そこに激しい攻防があることを物語っている。


だが、それだけではなかった。その均衡を破るべく、言葉の刃が解き放たれる。


「この半年で、まるで別人のようですね。確かに腕を上げられました。太郎様がお隠れになった後、最初の数か月はまるで荒れ狂う猪のようでしたが、もうさすがに理解されましたね。九郎様は、すでに勘当された身。猫目の性は名乗れても、宗家の者ではないのです」

押し込むかのようにまだらの刃に力がこもる。

だが、それを良しとする九郎ではなかった。


「今度は以前のようにはいかぬ。勝手に死んだ親父殿おやじどのの事はもういい。勘当された理由も、宗家の事などどうでもよい。だが、秋葉もみじの事は別だ。親父殿おやじどのがいない今、ひと時も長老様たちじじいどもの所には置いてはおけぬ。どうせ、よからぬことを吹き込むに決まっておるのだ。今宵こそ、必ず助け出して見せる」

押し返した九郎。しかしまだらはそれをまた押し返していた。


「そうは言っても、もうすぐ一年になりますぞ? 口だけ威勢が良くても、力が足りねば意味はありませぬな。このまだらを倒せぬのでは、この先には行けませぬぞ。威勢だけよいのはわらべのする事。己の意志を示すのであれば、その衣装だけではなく、その覚悟を示してみなされ」


互いの刃は届かなくとも、言葉だけは相手に届く。

たが、その言葉では、互いの心には響かない。


無骨なまでにただ打ちあい、押し合う攻撃が繰り返される。何の変化もないその光景は、まるでそこだけ時が止まったかのようだった。


ただ、満月が落とす二人の影が、時の移ろいを主張している。そして、夜空も競うかのように、その姿を変えていた。


流れ来る夜の雲が、そこに影を落としはじめた。


――その瞬間。

鋭く上がる気合の声。それに気圧けおされるかのように、九郎の体が押しこまれる。


「ほう、抗いましたか。さすが――」

軽い驚きの色が、まだらの声に現れる。だが、その言葉を続けさせぬかのように、九郎が静かに吠えていた。


「そう何度も同じ手が通じるか。では、望み通りにしてやろう。俺の覚悟をみせてやる。この半年。己の力を律することにより得た力を」

「そう上手うまくいきますかな」


静かに太刀を正眼に構える九郎。

その意気を悟ったのか、まだらの方もそれにならう。


風が二人の間を駆け抜けようとしても、それすら許さないような気配が二人の周囲に広がっていた。

尋常ならざる空間が、二人を中心として広がっていく。


それに続くかのように、再び月明かりが二人の元に降り注ぐ。

まるで二人の戦いの様子を見ようと、月がその顔をのぞかせたように。


――その刹那。

光の瞬きが、まだらの刃から解き放たれる。


それは、ほんのわずかな光の瞬き。


だが、不意を衝く光は、九郎の視界を奪うもの。

そして、その一瞬の隙こそが、互いの生死を決めつける。それは戦いの場において唯一無二の真理だろう。


まだらが繰り出す、流れるような鋭い突き。それは、あたかも九郎の胸に吸い込まれるように押し込まれる。


――おそらく、まだらはそう確信していたのだろう。


だが、まだらの突きは月明かりを纏いながら虚空に散る。


その瞬間、ひとつの影が流れるように動きを見せていた。


伸びきったまだらの体に、九郎の容赦ない一撃が撃ち込まれる。

狙いすましたような胴への一撃。すれ違いざまに払う九郎の太刀。


だが、刃を逆にしていたのだろう。鈍い音はしたものの、そこには一滴の血も流れてはいなかった。


「がっ!?」

呼吸をするのも痛みでままならないに違いない。その場で腹を押さえて崩れるまだら

それを見下ろす九郎は、静かにその太刀を鞘にしまっていた。


「その眼……。眼だけを鬼神と同一化したのですか……。いえ、その力を極限まで封じ込みながら、その力を発動したということですか……。しかも、このまだらの目すら欺くとは」

「もう、会話できるまでに回復するか。さすが、まだら

「褒め言葉と思っておきます……。ですが、九郎様――」

「言わずともよい。これより先は、長老様じじいどもの領域。人外の者がいるのであろう? お前を下したこの俺が、そのような者たちに後れを取ると思うか?」

金色に輝く目で、まだらを見下ろす九郎。だが、まだらは大きくかぶりを振る。


「九郎様。その太刀では、あの者達を切ることは出来ますまい。ですが、よくぞここまで……。このまだら、今こそ太郎様から与えられた任を遂行する時。どうぞ、お受け取りください。『すべてを託す』との事です。確かにお伝えいたしましたぞ」

自らの背中に背負い続けていた太刀を外し、まだらは恭しくそれを差し出す。


ほんの一瞬、九郎は呆けていたのかもしれない。だが、小さくかぶりを振った後、片手でそれを受け取っていた。


その瞬間、太刀が青白い光を帯びていく。


「やはり、血は争えませぬな。この太刀も九郎様を主と認めたのでしょう」

「これは、親父殿おやじどのの太刀。天黒羽剣アメノクロハノツルギか!」


太刀を腰に、そしてその刃を抜く九郎。


青白い炎が、吹きだすように立ち上る。だが、それだけではない。歓喜の舞を披露するかのように、炎がその姿を変化させる。しかも、それに呼応するかのように、九郎の影も舞っていた。


まるで、九郎の事をずっと待っていたかのように。


天黒羽剣アメノクロハノツルギの炎は浄化の炎。きっとこの先、お役に立ちましょう。『九郎なら使いこなすだろう』と、太郎様がおっしゃっていました。さすがは太郎様です」

「そうか、親父殿おやじどのがそのようなことを……。ここまでだ、まだら。俺達は行くとしよう。お前の事だ、心配はいらないだろうが、達者で暮らせよ」


再び太刀を鞘に戻すと、九郎はそうまだらに告げていた。


その姿を静かに見つめていたまだらの口が、何かを紡ぎだそうとして躊躇する。


その事が、よほど気になったに違いない。

九郎はその気配の変化を感じ取っていたのだろう。歩き出そうとしていた足をそこにとどめる。


確かに、頭を下げたまだらからは、これまでとは全く異なる気配を見せていた。


「どうか、お付の黒猫を大切に……」


ただそう告げたままのまだらを見守る九郎。だが、まだらの口からそれ以上の言葉は出なかった。


「何を言い出すかと思えば、そんな事か。もう、あのような真似はせぬよ。力を吸い取ったはずだが、再び力を取り戻してきた。それだけでも、大したものだ。いや、それだけではない。勘当され、一人となったこの俺と、この半年余りの月日を共に過ごした仲でもある。もはや、従者ではない。家族も同然なのだ。いるだけで励みともなったし、感謝している」

「ありがとうございます、九郎様」

そう言いながら、頭を下げたままのまだら


しばらく、その姿勢のままだったが、再び顔をあげた時には、すっかり雰囲気が変わっていた。

それを察したかのように、暗がりから黒猫がその姿を現す。


「これ以上は無粋。九郎様、お達者で。お二人が無事であることを祈りましょう。では、私は太郎様のもう一つの指示に従います。最後までのこった者達と共に、『猫目の里にまだらあり』と知らしめましょう」

恭しく頭を下げるまだら

しばしそれを見つめたあと、九郎は背を向け歩きはじめた。


だが、その歩みは数歩で止まる。


「むろん、親父殿おやじどのには感謝しておるよ。だが、俺にとってはまだら、お前にこそ感謝している。世話になった。そして、この俺が言うのはどうかと思うが、親父殿おやじどのに代わって礼を言う。これまでの忠節、感謝する」


振り向かず、小さくそうつぶやいたのち、九郎はそのまま歩きだす。

その背を見つめるまだらの目は、いつしか付き従う黒猫の姿を映していた。


「お聞きになりましたね、太郎様。あの九郎様が、『感謝する』と言いましたよ。しかも、ご自身だけではなく、あなた様の分だと言いました……。鬼神化しても、心を留め置かれております。本当に、大きくおなりです。ですが、これより後は苦難の道。どうか……」


門を開け、屋敷に入る九郎と黒猫に、まだらは聞こえるはずのない言葉を告げていた。


だが、その瞬間。

黒猫だけが立ち止まり、まだらをじっと見つめていた。そして、その尻尾を大きく揺らし、短く一声だけ返していた。


「太郎様……」

黒猫が屋敷の門をくぐり、その姿が見えなくなっても、まだらはいつまでもその頭を下げ続けていた。

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椿の庭 あきのななぐさ @akinonanagusa

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