第8話父と子
「
荒々しい叫び声と共に、その足音が聞こえてくる。何とかそれを押しとめようと、何人かの声もそこに交じる。
だが、その声はどんどんとその場所に近づいていた。
「
「待たれよ、九郎様。太郎様は今おやすみですぞ。いかに九郎様といえども、守るべきものがございましょう」
声を落としているものの、きっぱりと告げる声がした。その声がもつ響きもそうだが、その者が放つ気配が九郎を止めていた。
「お前たち、ここはこの
部屋の外で九郎を押しとめようとしていた者たちが、
「
先ほど
だが、九郎のその言葉がよほど面白かったのだろう、
「何がおかしい!」
「いえ、これが
「黙れ! そもそも、その勘当について聞きに参った。何故今更勘当した? そして、
鬼の形相というのはこの事を言うのだろう。九郎の顔はそれをまざまざと見せつけていた。
九郎の放つ殺気が風を切る。
「ほほう。この
「よい、
床に伏せている太郎が、目を閉じたままでそう告げる。
「はっ!」
その声を聞いた瞬間、礼をもって短く答える
まるでそこは大きく水をたたえた水面のよう。
「くっ!」
その外側で、九郎が
なおも殺気を放ちながら、九郎は
あと一歩踏み出せばそこは
九郎の顔からこぼれた汗が、ポタリと音を立てて落ちている。
「わかった」
その音に決断した九郎は、腰の太刀に伸ばした手を戻し、大きく息を吐きだしていた。
「
小さく頭を下げる九郎。そして、静かにその部屋に足を踏み入れていた。
瞬間、
澱みなく、静かに。それまでと別人の九郎が、太郎の枕元に座っていた。
「それでよい。
「
「いえ、太郎様のお言葉以外、私が動く理由はありませぬな」
九郎の言葉をあっさり否定し、
「九郎、
その姿からは想像もできない鋭い眼光が、九郎の体を貫く。
その思いがけない気迫を前に、思わず息をのむ九郎。
だが、それも一瞬。
九郎は再びその目をまっすぐに見つめていた。
「
「これは、短い間でも師弟関係にあった情ですぞ。次はないとお考えください」
先ほどまで太郎の背を支えていた
片手で太郎を支え、片手はその刃を九郎の喉元に突き付けている。
「
太郎の言葉に短く応え、その刃を腰にしまう
その刃があったところから、一筋の血が流れ落ちる。
「九郎、すまぬな。話の腰が折れた。で、何だったか? 『何故、勘当したか?』だったな。それは、お前が一つの物事しか見ておらぬからだ。守るものは、より大きな眼を持つ必要がある。攻めてくるものにも事情があるのだ。守るものは、何を守るのかをはっきりさせておくことが肝要。たとえお前が鬼神の力を手にしたとしても、それ以上の力が働けば守れまい? 来るものをただ守るのではない。物事を大きく広く見るのだ。そして、守られるものの気持ちを考えるのだな」
うっすらと笑みを浮かべた太郎の顔を、九郎は真一文字に結んだ口で睨んでいた。
「
その気配を感じたのだろう。九郎は荒げようとした語気を鎮めていた。
「今のお前では、まだ
諭すように、優しい瞳を向ける太郎。うつむく九郎の姿を、その目でしっかりと焼きつけるように見守り続ける。
「わからぬ。俺には、
九郎が飛び去るのと同時に、
立ち上がり、見下ろす九郎の瞳に映る太郎。その顔は、深い悲しみを帯びていた。
「くそ! 俺は認めぬ! 俺は認めぬぞ、
そう叫びながら飛び出す九郎。それを太郎は静かに見守る。
再び訪れた静寂は、どこか悲しげな気配纏っていた。
「これでよろしかったのですか?」
「ああ、これでよい。だが、
再び床につこうとする太郎を、
そして、横になった太郎に対して一礼を持って答えていた。
「すでに鬼が表に出てきております。今は律しておりますが、いずれその身は鬼と化すでしょう。今となっては、時間の問題。長老どもも、あのようになっては見捨てるかと」
「そうか……」
「太郎様。ご無礼を承知でお尋ねします。なぜ、犬神の姫を助けるのですか? 九郎様はすでに猫目の秘法を会得しております。こうなる前に、九郎様に最後の秘法を授けていれば、猫神様の化身として、共に生きることはできたでしょう」
だが、
太郎が何か話すことがわかっているかのように。
「心意気に惚れたというのが、最初なのだろうな。あの母娘に初めて会った時に、
静かに、何かを感じているかのように語る太郎。
それを聴き入る
だが、
「でしたら、なおの事――」
「九郎は俺に似ておるのだ。何をするにせよ、己に課した役割を演じるだけなのだ。何かを本気ですることはない。この俺が言うのだ、間違いない。もっとも、この俺もこの期に及んで気付いたのだがな……。だから、九郎には同じ道を歩まぬようにしてほしい。老いてからの子には甘いというのは、真実なのであろうな……」
「太郎様……」
まだ何か言おうとする
それをじっと見守るかと思いきや、
「
ただそれのみを言い残し、太郎は静かな眠りに入る。
「必ずや」
短くそう告げた
その姿が消えたあと、その部屋のまわりから一斉に人の気配が遠のいていた。
誰もいない静かな部屋に、太郎の規則正しい寝息がかすかに響く。
だが、だんだんそれもゆっくりとなり、ついに聞こえなくなっていた。
――その終わりは突然だった。
いつしか静寂だけが居座り、その部屋の主となっていた。
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