幕間

第5話選択

「うぬは洟垂れはなたれ太郎のままであったか。大婆様の話を理解せずに戻ってくるとは。しかも、いさかいの種までまき散らしよって」


あの暗闇の部屋の中で、いくつもの赤い目が並んでいた。相変わらず姿は見えない。だが、その赤い目は冷たい光を帯びている。


それらを前にして、かしこまる太郎。目の前に置いてある自らの太刀をただ静かに見つめていた。

ほのかに光るその太刀の光は、半ば伏せた太郎の顔を浮き彫りにする。


後悔とは無縁の顔がそこにある。


「して、そなたはその者達が何者かわかっておるのだな?」

また別の赤い目の光が、太郎をしっかりと見据えていた。


「犬神の巫女。いや、族長一族の巫女だ。そして魂憑姫たまよりひめとなるべき巫女でしょうな」

そのままの姿勢を崩すことなく、太郎はそう答えていた。


「ほう、では猫目の一族がおさとしての汝に問う。魂憑姫たまよりひめは猫神様に仕える者ども。我らはその導き手。それゆえに里で匿うかくまうというのだな? 犬神の里で何か見たのか?」

『あえてそういう言い方をしたのだ』と、その声の主はそう言いたいのだろう。太郎の行動がもたらしたことを最大限善い行いとして受け取るために。


「いえ、そうではありません。これはおさではなく、俺の判断です。もっとも、その理由を話した方がいいですか? お聞きになるなら、話しますよ?」

だが、太郎は臆することなく否定する。大きく胸を張りながら。


洟垂れはなたれ太郎! うぬは何を言っておるかわかっておるのだな!」

その言葉に、怒気を含んだ別の声が響いていた。


いくつかの赤い目は、明らかな敵意をもって太郎を見つめる。だが、太郎は動じることなく、胸を張ったまま目だけを瞑る。

その涼しげな態度が気に入らなかったのかもしれない。ますます闇の中で怒りが立ち上っていく。


「申して見よ」

だが、その時また別の声が、静かに太郎を促していた。

静かに目を開ける太郎。ゆっくりと静かに、その口を開きだす。


おさとしての最後の責務は、犬神の里で果たしてきた。彼女らに会ったのは帰り道。だから、一人の親としての判断だ。あの父親と母親の判断は、確かに里全体を危機に陥れる事かもしれぬ。長老様方ちょうろうさまがたからすれば、許されない行為だろう。だが、あれこそが親子。子を想う親の気持ちは、俺にもわかる。それは長老様方ちょうろうさまがたが、里全体を子と思う事と同じこと。その価値に、ものの大きさは関係ない。すでに滅びの道を歩む古き血の一族ならばなおさらの事だ。自らの子供一人守れぬものが、里を守ることなどできまい」

堂々と、そしてその顔に笑みを浮かべながら、太郎はそう答えていた。


「詭弁をろうすな。洟垂れはなたれおさとしての最後の役目を終えたというのであれば、お主に儂は命ずるぞ。お主は一族の者を守れ。他の里の事は他の里の者に任せよ。まだ、この里は争いに巻き込まれるべきではない。祭祀としての役割がある儂らにまで手を出すとは思えんが、いらぬ火種を持ち込むでない。お主もまだ、全てに力の伝承が済んでおらぬのであろう? 一族以外の事にかまけて本分を忘れるな。それにだ。今頃は狐狸こりの一族が犬神の里を襲っておる。陰陽寮おんみょうりょうに取り入る奴らも、捧げる巫女を得るのに必死じゃろうて。この里に連れ帰りはしなかったお主の判断は正しい。だが、いつまでも隠し通せると思うなよ? どこに匿ったのかは知らぬがな。奴らの事だ。魂憑姫たまよりひめの居所は、草の根分けても探し出すであろうからな」

大婆様の突き放したような言葉を、涼しげに受け止める太郎。そう言われることを知っていたのか、その口元が小さくゆがむ。


「ご心配なさらぬよう。すでに、あの子魂憑姫は私の子となりました。一族の者を守るそのお役目。しかと承りました。では、その役目はさっそく我が宗家が担います。猫目太郎の後継として指名した、猫目九郎にあの子魂憑姫を守るように伝えます。あの子魂憑姫の母親の縁者は、すでに我が一族にとっては親族のようなもの。すでに手を打っておりますれば、ご安心を。しかも、狐狸こりの里の者が攻めてくるのであれば、助け出さねばなりますまい。では、急ぎますゆえ失礼」

深々と頭を下げたあと、踵を返すように太郎は去る。


あっけにとられたかのような雰囲気が、光の消えた闇の中に漂っていた。


「大婆様。本当にあれでよろしいのですか?」

「してやられましたな。よもや、そのような詭弁で乗り切るとは。これは愉快でしたな、大婆様」

「愚かものめ。大体、大婆様も甘やかしすぎだと思いますぞ」

「まあ、よいではないか。のう、大婆様。我らの手に魂憑姫たまよりひめが手に入ると思えばよいのだ。あ奴が本気で守る意思を示したという事は、太郎もいよいよ覚醒し、生まれ変わるという事。じゃが、問題は九郎よの。父親を急に失った後に、果たして真なる守護者となりえるかどうか……」

「そればかりは分からぬな。どれ、種はまいておこうか。よろしいですな? 大婆様。九郎がどう理解するかはわからぬがな。あれは父親によく似ておる。何をしでかすかわからぬ者じゃ。じゃが、先の世であれ、我らは見ていればよい事よの。いずれにせよ、九郎には試練が必要じゃろうの。魂憑姫たまよりひめが良い口実になりえるかの」

「人という形を捨て、我らの頂にまで来れるものが生まれるか。久しくない楽しみではありますな、大婆様」

「いかにも、いかにも。人という種から生まれるのであれば、我らがこの里を作ったかいがあるというもの。大婆様もうれしいのではありませぬか?」

「我らもまた、猫神様にこれで一歩近づけるやもしれませぬな。喜ばしい事ですな、大婆様」


赤い目がそれぞれに語り合う中、ただ一つ沈黙を守るものがいた。


「大婆様。いかがされました?」

「………………。ふむ、何やら妙な気分がしてな……」

「何か、よからぬ事が起きますか?」

「いや、思い過ごしだろうて。では、儂は帰るぞ。皆ご苦労だった」


闇の中、その言葉を残して消える気配。

それが引き金となったように、それまでの喧騒が嘘であったように、つぎつぎと何かが消えていく。


闇の中、ただ静けさのみを残して。

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