第4話母の願い

十人ほどの男たちが、太郎のまわりで息絶えている。


それをざっと見まわして、周囲に軽く意識を放ったあと、太郎は青白い炎を持つ刃を鞘に納めていた。


警戒はしているが、あくまでそれは念のためと言ったところだろう。太郎は小さく息を吐きながら、伏した母娘おやこの元に戻っていく。


立ち上がることのできない母の体を、娘はその小さな体で守っている。


見たところ、娘の方には怪我をしている感じはない。

だが、横たわったままの母親の衣服は、いくつものやいばで切り裂かれた跡がある。そこについている血もまた、母親の状態の深刻さを物語っていた。


しかも、疲労はかなりのものになっているのだろう。荒い息はまだ整っていなかった。


「滝の方で戦っていたのはそなたの夫か?」

手貫緒てぬきおを母親に見せるように突き出す太郎。


それを見た母親の顔は、一瞬で強張っている。

そして、言葉にならない想いを抱えたまま、視線を地に落としていた。


だが、次の瞬間。

己のすべてをかけるように、強い瞳が太郎に向く。


「このような形で申し上げる無礼をお許しください。どこのどなたかは存じませぬが、危ういところをありがとうございました。その手貫緒てぬきおは確かに夫の物です。娘と共に組み上げたものです。看取っていただきありがとうございます。そして、不躾を承知でお願いします。もはや、あなた様の御慈悲にすがるよりほかございませぬ。どうかこの子を。娘をどうかお願いします」


一瞬目を伏せたものの、その瞳はまっすぐ太郎を見つめる。

その意思をどう受け取ったのかわからないが、太郎も母親を静かに見つめていた。


やがて、太郎はその瞳を娘に向ける。

ゆっくりと屈んだ後、太郎は娘の頭をなでていた。その手の温もりに、娘は自らの体を起こしはじめる。


「いい子だ」

ただそれだけを娘に告げたのち、太郎は母親の体を抱える。

そして、近くの木にもたれかからせるように座らせたあと、そのまま母親の前に立つ。よろよろとついてきた娘は、母親の膝に顔をうずめる。


その手は自然と娘の頭をなではじめる。菩薩のような微笑みと共に。


「話を聞こう。俺は猫目一族のおさ、猫目太郎だ。犬神の里から帰るところだ」

それを静かに見守った後、そう告げて母親の前に座る太郎。娘を愛しげに見つめていた母親は、もう一度強い意志こめた瞳を太郎に向けていた。


「お察しの通り、私たちは犬神の里から逃げてきました。私は咲夜さくやと申します。この子は秋葉もみじ。そして、あなた様が看取っていただいたのは、この子の父親。私の夫でございます」

静かに頭を下げたのち、もう一度同じ目で見つめる咲夜さくや

それを太郎は黙って受け止めている。


お互いに里を明かしたことで、互いの事情は把握したに違いない。

ただ、咲夜さくやの瞳に後悔の影は微塵もない。


「古くから付き合いのある犬神の里だ。その巫女の運命も知っておる。そして、今回の決定も知っている。その上で、あえて問う。何故、逃げた?」

太郎の言葉に、一瞬身を固くした咲夜さくや

だが、その言葉に非難の色が無いことが分かったのだろう。口調は荒いが、温かみのある瞳を前にして、咲夜さくやは静かに目を伏せた。


「どう思われるかはわかりませぬが、私達はその運命を受け入れられなかったのです。いかに蔑まれても構いませぬ。でも、親として我が子にそのような事を押し付けることはできなかったのです。凶星に住まうは犬神の巫女の宿命さだめ。けれど、それは誠でしょうか? この子に全てを押し付けているのではないでしょうか? それに、この子はそのために生まれたのではありませぬ。しかも、この子は巫女としての力はまだ不十分……。他の里を差し置いてまで、犬神の里が巫女を差し出す必要がどこにあるというのでしょう……」


すがるわけではない。ただ自らの想いをのせた瞳が太郎に問う。

それを静かに受け止めながら、太郎は小さく息を吐く。


「里の決定だ。そこに生きる者にとって、それは守るべきものだ。狐狸こりの里と白鶴しらつるの里を差し置いて、犬神の里は此度の凶星の儀式を執り行う事にした。二つの里にも行ったが、犬神の里はずいぶん恨まれておったぞ? その際にどのような事があったのかはわからぬが、犬神の里は是が非でもこの人の世に留まる事を選んだということだ。だが、我ら猫目はこの地を去る。白鶴しらつるの里も同じだが、狐狸こりの里は犬神の里と同じ決定をしておる。此度の事で、古き一族の道は大きく二つに分かれた。犬神の里の者である以上、その決定には従わねばなるまい」

静かに、淡々とした口調で告げる太郎。それはまるで、自分自身に向けて話しているようだった。

その言葉を受けながらも、咲夜さくやは強い瞳を向けている。


「里の決まりは、里を守るためにあります。里を守ることは里の人々を守ることです。では、この子は一体誰が守ってくれるのですか? この子も里に生まれた子です。でも、里はこの子を守ってくれません。だから、私達夫婦だけはこの子を守る道を選びました。里が守ってくれないのなら、里にいる必要もありませぬ」


「だから、里を抜けたのか。そして、その事が里を危機に陥れることだとしてもか? そなたは里長にゆかりのある巫女であろう?」


何かを求める様な太郎の問いに、咲夜さくやはまっすぐにその目を見つめる。


その瞳に非難の色がないことが分かったのだろう。咲夜さくやは自らの気持ちを整理するために視線を落とす。


黙って見守る太郎。

やがて、顔をあげた咲夜さくやは答える。とても晴れやかな笑みを浮かべて。


「はい。でも私は、里の巫女である前に、この子の母です。たとえそれが、里の危機に繋がるとしても、この子を守ることに何のためらいがありましょう」

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