第二章 願い

第3話父の願い

「残念だが、お主はもう助からぬ。その姿は犬神一族の者だな? それにしても、この状況……。いや、問うまい。だが、ここで会ったのも、何かの縁やもしれぬ。叶う、叶わぬは別として、何か言い残すことはあるか?」


太郎が見下ろすその先に、かろうじて立つ男がいた。

その男が持つ太刀は折れ、全身にいくつもの矢が突き刺さっている。


すでに力尽きてしまっていてもおかしくはないその姿。だが、必死に木の幹を支えにして立っている。

それが男の意志なのだろう。そして、叶わぬまでも、前に歩き出そうとしていた。


だが、そこに足を出す隙間はない。

すでにその男の周りには、六つの屍が横たわっていた。そして、身に着けている衣装は、いずれもその男と似たようなものだった。


そこで死闘が演じられたのは明白だった。それも同じ一族の者同士で。


「娘……を………………、ま…………も…………」

それでも歩もうとしたその男は、すでに屍と化したその体を動かせる力は残していない。それでも男の体を突き動かす意志が勝っていたのだろう。


その瞬間、太郎の腕がすっと伸びる。

倒れ込む男の願いを聞き入れるかのように、太郎は男を片手で支える。


「そうか…………。どのような事情があるのかは聞かぬ。だが、その心意気はわかるぞ」


そのまま大地にその男を横たえると、太郎はその男の持つ柄にある紐を取っていた。


「この手貫緒てぬきおは誰かの願いが込められておるな。お主の娘か? お主への義理はないが、同じ父親としてこの強い想いには感ずるものがある」


そのまま周囲を窺う太郎。やがて一つの方角に、険しい目を向けていた。

やがて太郎は男の亡骸に手を合わせる。


「許せ。今はお主をねんごろにとむらう事は出来ぬ」


そう告げた瞬間、風のように駆け出す太郎。

太郎の腰から続く青白い光が帯となる。


それはまるで、後から付いて来るための道標のようだった。



***



「くそ! さすがは巫女の力を持つ女。守りの結界が固すぎる」

忌々しそうな男の声の向こうに、半透明のまゆがあった。

そのまゆを壊そうとしているのだろう。数人の男たちが、太刀を何度も打ち付けていた。

そのたびにまゆはまばゆい光を放っている。


「あきらめろ。いかにお前の力が優れようとも、いずれその力はついえる。誰も助けに来ないこのない状況で、巫女の守りは意味がない」

若首領わか、まもなく散らされた仲間も来る頃だ。このまま打ち付けるのではなく、取り囲んだまま待ってもいいのではないか? 取り囲んだままなら、巫女も力を使ったままだ。必要なのは娘の方だ。里長の指示は『無事に娘を連れ帰れ』だったはず。この際だ、母親の方は止むをえまい? こちらも大勢あの夫婦にやられた。皆の疲労も大きい」


隣にいた年配の男の提案に、若首領はしばらく考えを巡らす。

その言葉が聞こえたのだろう。うちかかる男たちの手が止まっていた。そして、その行方を見守るように、全員が若首領の顔を見つめている。


そこにいる誰もが休息を考えていたに違いない。

それほど男たちは疲労しているようだった。皆、手を休め、肩で荒い息をしている。


「確かに……、そうだな……」

だが、若首領はそこで言葉を飲み込んでいた。


一瞬灯った希望の光。だがそれは、儚くぽたりと落ちていく。

再び若首領が告げた言葉は、男たちにそう感じさせたことだろう。


「いや、母親の命は惜しい。今なら母親の手当てが間に合うやもしれぬ。一族の繁栄を願うなら、巫女であり、巫女を産んだこの者を失うわけにはいかぬ」


決して下衆の考えがあったわけではないのだろう。だが、その声を聞いた結界の中にいる母親は、若首領の顔を睨んでいた。


荒く肩で息をしていた男たち。全て目を瞑り、天を仰いでいる。


「…………そう……言うか……。この期に及んで言う事を聞くとも思えぬし、間に合うとも思えぬが……。裏切ったとはいえ、若首領わか従姉いとこ殿。その気持ちもわかる……」

「……すまぬな」

「いやいや、では全力で当たるか! お前たち、若首領わかに良い所を見せておけ!」

若首領の隣にいた年配の男は、士気が下がったことを感じたのだろう。今度は自らの太刀を抜き、取り囲む男たちの中に入っていく。


結界を打つ音が、夜の森に響いていく。


やがて、その結界が一際大きな音を立てて崩れる。

それはまるで、陶磁器が粉々に砕け、その破片があたりに四散したかのようだった。


――その瞬間。

四散する結界に紛れて、娘を抱いた母親が飛び出してくる。その瞳に、決死の覚悟の光を灯して。


取り囲む男たちは、結界が壊れたことに安心したのだろう。完全に虚を突かれ、その一瞬に反応できていなかった。


ただ一人を除いては――。


「さすが若首領わか従姉いとこ殿。意地を通すことは分かっておったよ」


その背に太刀の柄を落とし、母親を地面に打ち付ける。

だが、母親もその事を予期していたのだろう。

抱えた我が子を誰もいない草むらへと放り込む。


「逃げなさい!」

有無を言わさぬ迫力の声に、自らの体を傷つけた痛みを忘れ、立ち上がる娘。


「行くのです!」

再び響く母親の声。

まるで押し出されるように、娘が森の中に走り出そうとした瞬間、若首領が娘の手を掴んでいた。


「離しなさい! その子を離しなさい! 早く逃げるのです!」

男たちに取り押さえられた母親は、なおも威厳をもってそう告げる。


「巫女の言葉は呪力を持つ。だが、俺にはそれは効かない。それに、あなたにはもうそれだけの力もないのでしょう? 子供には効くみたいだが……」

若首領が逃げようとする娘を強引に引き寄せる。だが、娘はそれに抗っていた。


地面に組み伏せられた母親は、唇に血をにじませて若首領を睨んでいる。だが、それも無駄だとわかったのか、今度は娘を祈るように見つめていた。


なおも抵抗を続ける娘。

引き寄せられるその手を離そうとしながらも、全身全霊を込めて抗っていた。


引き合いがいつまでも続かと思われた瞬間、若首領が突然手を離す。

娘の予想だにしない状況は、娘の体をただ地面へと向かわせる。


秋葉もみじ!」

母親があげた悲痛の叫び。それは、倒れた娘を案じる母の自然な叫びだろう。


倒れた娘を起き上がらせるために、若首領がその手を取る。

薄く引き伸ばされた唇は、大きな笑みへと変化する。


小さなうめき声をあげた娘を、満足そうに見下ろす若首領。


「よし、引き上げだ!」

「いや、それはない」

若首領がそう宣言し、倒れている娘を引き上げようとしたその時。


引き寄せる力を急激に失った娘の体は、もう一度大地に倒れ込む。


痛みの悲鳴と驚きの声。その両方の間に、青白い炎の刃が光を放つ。

突如現れた炎が、舞い上がる血しぶきさえも焼きつくす。


そこの人その母親に、ちょっと用事があるんでな」


倒れた娘を優しく抱き上げた男の凄まじい気迫が、そこにいる人々を飲み込んでいた。

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