椿の庭
あきのななぐさ
第一章 序章
第1話はじまりのはじまり
月明かりのない暗い夜。星々の明かりが、うっすらと世界を彩っている。
だが、それさえも届かない場所がある。
そこは深い山の中。そこにある木々の楽園。
そこにある、ほんの少し開けた場所に、その小さな滝があった。
どこかで湧き出た水が流れ込み、滝壺が丁度少し大きな池のようになっている。ゆったりと湛えるその場所は、空を丸ごと抱えているかのようだった。
だが、それはそこに留まるものではない。そこからあふれ出すように流れ出る水が、小さな川を作っていた。
時折吹く風が、池の上で舞い踊る。
揺れる
水面に映る夜空の星と手を携え、風は楽しそうに踊っていた。
風と光が彩る幻想的な世界がそこにある。
だが、
ただじっと息を殺しながら。
何かを警戒しながら。
その者達はそこで隠れている。
その見つめる先には、森の闇が広がっていた。
そこにわずかな光が灯る。どんどんとそれは数を増し、やがて、森の中が明るくなる。
その闇の中に浮かぶは、炎の揺らぎ。
一つ、また一つと、それは森の中から出てきていた。
「こっちに来たのは確かだな?」
先頭にいる男が、振り返らずに訪ねている。その声に答えるように、別の男がもつ
「ああ、ニオイも足跡もここに続いていた。間違いない」
「途中で二手に分かれてないな?」
先頭の男が周囲を見回す。
その意味を理解したのだろう。あとから来た男が年季の入った顔を引き締め、注意深く足元を探っていた。
「もちろんだ。だが、これを見ろ。奴らここで、子供を抱えやがった。池に入り、いったん出た
しばらく近くを注意深く調べたあと、あとから来た年配の男はそう告げていた。
その間に、最初についた男の周りには、他にも五、六人の男が集まっている。
だが、それには気にも留めず、最初についた男は池から出て行く川と入ってくる滝を交互に睨んでいた。
川はまた暗い森の中を流れるように進んでいる。見上げる滝の向こうにも、暗い森があるだろう。
だが、それまでの急勾配な山道と違い、ここから先の川はなだらかな土地を流れていく。
しかも、池のように広がる滝壺が、それまでの水の流れを押しとめるように溜まっている。だから、川の流れはそれほど激しいわけではなかった。
その小さな滝の周りには、少し頑張れば昇れるくらいのゴツゴツとした岩がつきだしている。腕に力のあるものならば、そこからよじ登ることもできるだろう。
「問題は……。どちらかがここで、娘を抱えたことだな。池に入ったのは、ニオイを消すため。そしてここで別れたと思わせるためだな。池からあがった方は、母親の方だろう? 娘を背負って滝を昇るのは父親でなければ難しい」
男の言葉に、川を探っていた男が肯定の意志を伝えていた。
「まあ、ここで二手に分かれた可能性が高い。だが、そう思わせているだけかもしれないな……」
「使うのか?」
「ああ。ここで使う。そうすべきだろう」
「まあ、お前さんの直感を信じるさ。
「まあな。だが、向こうは巫女がいる。娘じゃない。母親の方だ。油断するなよ」
その瞬間、『
「そうだな。こうやって偽装すること自体が怪しい。そう思う俺の直感は、全く間違ってなかった。あそこだ!」
息を荒げて指さす先の草むらに、男たちが一斉に群がった。
あるものは池の上を走るように。
あるものは川を飛び越え、そのまま宙から飛び掛かるように。
そして、その他の多くの者がその草むらめがけて走っていた。
男たちの怒号が吹き荒れる風となる。
土埃が舞い、周囲の視界が一瞬途切れる。
その中で、男のあげる短い悲鳴。
立て続けにそれは二つあがっていた。
「どこに行った!?」
「わからん!」
「静まれ! 近くにいる!」
互いに状況を確認するかのように、土煙の中から声がする。だが、混乱を鎮める声がした瞬間、それ以上騒ぎ立てることはなかった。
静けさを取り戻すかのように、風がそっと土煙を運んでいく。
男たちが飛び掛かった草むらから少し離れた所に浮かぶ人影。
それに気づいた男たちは、取り囲むように動いていた。
何かを守るかのように、互いの肩を寄せるように大きな木を背にする男女。
その足元には、二人の男が転がっていた。
「おのれ! 同族殺しめ!」
赤い目が元に戻った若首領が、そう叫びながら歩いてくる。
「お前たちに、それを言う資格はない!」
何かを守る男が、決意の眼差しで訴える。
「いいから、巫女を渡せ!」
周りを取り囲む男の一人が、そう叫んで切りかかる。
「断る! たとえ同族殺しとして根の国に導かれようとも、その前にお前たち全員を
切りつけてきた男を、三度打ちあった末に切り伏せた男は、半歩前に進み出てそう宣言した。
その隙間から覗くかのように、幼い少女が不安そうな瞳を覗かせていた。
「おのれ! お前たちの行為は、里を、一族を滅ぼすものだ! 里に迫った危機を乗り越えるには、巫女の力が必要なのだ!」
川を渡り、そこにやってきた若首領。血走ったその目を見開いて、声の限り叫んでいた。
それは遠吠えとなり、周囲の森に響き渡る。
その声に反応したのだろう。
そう遠くないところからも、同じような声が上がっていた。
「お前に散らされた仲間もすぐに駆けつける。一族を裏切った罪をその身で味わえ」
幼い少女を守る男女をゆっくりと囲む男たち。獲物を狙うようなその目は、ますます鋭さを増していた。
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