白蛇の生贄

白蛇はくじゃと……暮らしている?」


 カナミは、半ば無意識にその言葉を繰り返した。

 言葉の意味がわからなかった。

 頭の中でその意味が繋がらなかった。

 なんだかめまいが起こったような気がして、布団の中で座る体に力が入らなかった。


「……大丈夫?」

「いえ……」

「……ごめんね、いきなり言ったら混乱しちゃうわよね」


 ミズホはそっとカナミのそばに寄り添う。

 カナミはなんとか気を取り直してミズホの顔を見る。

 彼女は言った、ここは白蛇に生贄にされた人間が、白蛇と暮らしている家だと。

 つまり、彼女も元は生贄だったということなのだろうか。

 カナミの頭はすぐにこんがらがってしまう。

 それでもなんとかミズホに一番聞きたいことをしぼりだした。


「……ミズホさん、白蛇が……いるんですか、近くに」

「うん、そうね」


 ミズホは拍子抜けするほどあっさりとそう答えた。

 白蛇の霧を生み出す原因、人身御供を要求する災厄の邪神。

 そして、自らを呑み込んだあの白い大蛇が、まだこの近くに。


「でもきっと大丈夫、仲良くできるわ」

「仲良く……!?白蛇と、ですか……!?」


 カナミがそう聞き返した時だった。

 先ほどヒバナと呼ばれた少女が追い出されたその扉が再び開く。

 音に反応してカナミがそちらに視線を向けた。

 そこにはふわりと入ってくる白い何者かがいた。

 カナミは一瞬、それが白蛇に見え思わず身を固くした。


「様子はどないや?」


 しかし、そこに現れたのは自分と同じくらい、下手すればもう少し幼いのではないかという少女であった。

 まるで雪のように白い髪、まるで絹のような白い肌、まるで穢れのない白い着物を身に着けたその少女。

 少女はにこやかに微笑みながらゆっくりとカナミのいる布団に近づいてくる。


「ついさっき起きたところよ、白蛇ちゃん」

「さよか、そら丁度ええわ」


 布団のわきにそっともたれかかり、不思議な話し方をする少女の真っ赤な硝子玉のような瞳がカナミを見据える。

 今、彼女は確かにそう呼ばれた。白蛇と。

 それに不思議と違和感は覚えなかった。

 むしろ、先程彼女が白蛇に見えたのは間違いではなかったと、カナミは布団をまるで盾にするように縮こまった。


「いややわぁ、そないに緊張せんでもええのに、取って喰うわけやあるまいし」

「……っ……あなたが……白蛇、なんですか」

「そうよ?」


 こともなげに少女……白蛇はそう答えた。

 カナミの布団を握る手に力が入る。心臓がどくどくと動いているのを感じた。

 

「霧を……白蛇の霧を出して、みんなを苦しめて……生贄まで求めて……全部あなたが……!?」

「せやったら?」

「なんで……なんでそんなひどいことをするんですか!」


 カナミは、ここ一番の勇気を振り絞る。

 全ての原因が目の前にいる。自分はきっとこれを聞くためにここにいるんだ。

 そう考えなければ、整理がつかなかった。

 白蛇はその言葉に一瞬きょとんとした顔をした後、再びいたずらっぽく微笑んだ。


「うちなぁ、人間が好きなんよ」

「は……?」

「楽しんだり、怒ったり、悲しんだり、苦しんだり……とにかく人間は見てて飽きひんし可愛らしいやろ?んで、うちもうちなりにそれに干渉したなるやん?」

「……」

「ほな、干渉ついでにうちの手元に一際可愛らしい子置いときたくなるやろ?せやからもろたろ思うて」


 カナミは、もう何度目かわからないめまいを起こす。

 白蛇の言葉を少しずつ反芻し、ようやく自分なりの理解を得た時、カナミはふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。


「つまり……あなたは、ただ、楽しいから、人間を苦しめて……!」

「んー……まあ、間違ってはないわなあ」

「ふ……ふざけないでください!!私たちは、私たちはあなたに……!!」

「ちょ、ちょっと落ち着いてカナミちゃん」


 ミズホはカナミをなだめようとそっと背中をなでる。

 カナミはわけがわからなかった。


「ミズホさんも生贄だったんですよね!?……だったらどうして、白蛇なんてかばうんですか!」

「うーん……そう言われちゃうといろいろと難しいんだけど……」


 ミズホは少しだけばつが悪そうに言葉を濁す。

 その間にカナミの怒りは再び白蛇へと向いた。


「私は、こんなことのために、生贄になったわけじゃありません!霧を止めるために!みんなのためにやったんです!!なのに……!!」

「あらあら、いいこちゃんやねえ」

「茶化さないでください!」

「心配せんでもちゃぁんと外では霧は止まっとるから安心しぃ」


 白蛇はにっこりと笑ってそう言った。

 その言葉は、さらにカナミの感情を逆なでした。


「だったら……私もう帰ります!こんなところにいる理由、ありません!!」

「帰るってどうやって帰るん?外はこわぁい鬼の道、蛇の道よぉ?」

「知りません!!とにかく、こんなところに私は……!!」

「なあ、カナミ、あんたなんか勘違いしとるなぁ」


 白蛇はカナミにぐいと顔を近付けて、にやりと嫌らしく微笑んだ。

 カナミは思わずぐっと言葉を詰まらせてしまう。


「うちはな、生贄をもらうとは言うたけど、生贄を殺すとか、喰うとか、そういうの一言も言うたことないんよ」

「……!」

「こんなことのために生贄になったんやない言うたけど、あんたは正しく生贄になって、霧は止まったんよ?」

「う……」

「そしてうちに捧げられたあんたはうちのもん。どないしようとうちの勝手。なんか間違うとる?」

「それ……は……そんなの……」


 間違ってる。

 カナミはそう言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

 そんな様子のカナミに満足したように白蛇はいたずらっぽい表情に戻り、カナミから離れた。


「言うたやろ?ってな。ただこの家でのんびり暮らしてくれたらそれでええんよ」

「……」

「白蛇ちゃん、あんまり怖がらせるような言い方しちゃだめよ」

「あら、そないなつもりなかったんやけどなぁ」


 カナミは一気に力が抜けて、布団にぱたりと倒れこんでしまった。

 ミズホはそんな様子を心配していたが、白蛇はくすくすと笑っている。

 こんな邪神と、これから、暮らしていく?

 そんなの、耐えられるわけがない。

 とにかくこんなところ、すぐにでも逃げ出して……そう考えていた時。

 ぐぅ。

 そんな間抜けな音が部屋に響いた。


「……う……」

「今すぐいろいろ理解するのは難しいかもしれないけど、まずはご飯にしましょう?ね?」

「せやねえ、うちもそろそろ空腹やわあ」

「ヒバナちゃん、ちゃんとご飯作ってくれてるといいんだけど」


 ……とりあえず、先のことはご飯を食べてから考えよう。

 カナミはそう思ったのだった。

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