かつての暮らしと輝く涙
その少女は、カナミよりも少しだけ年上といった風でありきらきらとした瞳を携えながらカナミを抱きしめていた。
「はあー……!昨日来たって聞いてたのに会えなかったから残念だったんだよ!」
「あ、あ、あの」
「カナミちゃん、話は聞いてるよ、これからよろしくね!」
「え、えっと、ちょっと、ちょっと待ってください!」
カナミはなんとか少女を落ち着かせようと肩をぽんぽんと叩く。
少女ははっとしたようにカナミから離れると、ぺこりと頭を下げた。
「ああーごめんなさい!わたし、興奮するとちょっと周りが見えなくなっちゃって……」
「い、いえ……」
「わたし、スズと申します……これからほんっとうによろしくね!!」
「は、はい……」
カナミは、逆にこの人がスズではなかったらどうしようかと思っていたのでそこには特に驚きはなかった。
それよりもこの人が何故、こんなにも自分に対して目を輝かせているかの方がずっと気になっていた。
「あ、あのスズさん」
そして、今のカナミにはそれよりもさらに優先すべき事柄があった。
カナミは何よりも先に、その事を聞かねばならなかった。
「……あの、厠の場所、教えてください」
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「研究?」
カナミとスズは厠の後、居間で二人で話すことにした。
まだみんなが起きるには少し早い時間らしいが、少し待っていればみんな起きてくるだろう、とスズは言った。
そして、カナミは改めてスズが自分に何を求めていたのかを問う。
「そうなの、わたしここに来る前からいろんな生物とか、植物とか、そういうのを研究するのが大好きで、それでこっちに来てからもいろいろ調べてるんだぁ」
「はあ……」
「昨日もまたたくさんこのあたりの茸取ってきたからね、どういう変化してるかなーとか、そういうの毎日調べてるの」
変わった人だ、というのが第一印象だった。
自分の村にはこんなことを言う人間はまるでいなかった。
「だから!聞いてみたいんだよ!十年後ってどうなってるの?何か自然に動きとかあった?動物は?町に新たな発展とかは!?」
「あ、あの、その……」
「うん!!」
「すみません……わかりません……私、十一歳ですから……」
「…………あー……」
十一歳の人間に十年間で世界がどう変わったかを聞いてもわかるはずもない。
スズは今までの元気はどこへやら、ふにゃりと机にもたれかかり力なく笑った。
「そ、そっかあ……そうだよね、ごめんね……」
「い、いえ……こちらこそ、なんだか、ごめんなさい……でも、あの」
カナミはなおのこと申し訳なさそうに口を開く。
さらにがっかりさせてしまうかもしれないが、正直に言うべきだと思ったのだ。
「私、自分の住んでいた村の周りのことしかわからないですから……どっちにしても何も言えること、なかったと思います……」
「……村」
スズの体がぴくりと反応する。
カナミが少し首をかしげるうちに、スズはぐぐっと力を取り戻して姿勢を正した。
「村って、どんな村?」
「え……村は、村です」
「名前は?」
「いえ……特には」
「名もない村!?」
スズががたりと起き上がる。
その様にカナミがびくりとするうちに、スズはきらきらと輝いた瞳でカナミを見つめていた。
「そこってどこにあるの?都の位置とか知ってる?近くにどういう木が生えてた?生き物は?虫とかわかる?何を食べてたの?水源はどのあたり?服装は?祭事とか」
「ま、ま、まって、待ってください、待って、待ってください!」
「……はっ……ご、ごめんなさい、つい……」
我に返ったスズはカナミにぺこりと頭を下げて謝った。
カナミは気にしないでほしいと言い、スズに頭をあげてもらうように頼む。
スズは少しだけ咳払いをして、おずおずとカナミに質問をした。
「……ええと、もしよかったら、わかる範囲で教えてくれると嬉しいなって……」
「はあ……その……そんなに面白いことはないと思いますけど……」
カナミはわかる範囲で自分の村の事をぽつぽつと伝え始める。
といってもそれほど多くはない。
せいぜい村ではどういう生活をしていたかとか、見たことのある虫とか、たまにあった祭りの話とか、その程度であった。
だがスズは、その程度のことでもものすごく楽しそうに聞いてくれた。
しかしカナミは自分の村でのことを話すうちに、少しだけ心細くなってしまう。
「……スズさん」
「うんうん」
「……私はもう、村に帰れないでしょうか」
「……」
「スズさんは、もう自分の家に帰れなくてもいいんですか?」
カナミは、ついにその疑問を口にした。
ここにいるみんなは、全員自分の家に帰れなくてもいいのだろうか、と。
するとスズはそっとカナミを抱き寄せた。
「……ごめんなさい、わたしが無神経だったね」
「……」
「わたくしはここでの生活、嫌いじゃないんだ。誰にも邪魔されずに研究できるから。でもカナミちゃんはそうじゃないかもしれないってこと、忘れてた」
「……いえ……」
スズの声は少しだけ悲しげで、寂しげだった。
きっと心から自分のことを心配してくれているのだろうとカナミは感じた。
「……ごめんなさい、カナミちゃん。わたしカナミちゃんの気持ち全然考えてなかったね」
「……いえ、いいんです……それより……私もごめんなさい」
「え……?どうして?」
「スズさん、泣いてるから……」
スズの両目からは、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
カナミは、自分のことよりもその事のほうが申し訳なく感じてしまったのだ。
「……あ……違う、違うんだ。気にしないで、カナミちゃん……あはは、なんでわたしが泣いてるんだろうね」
スズは自分の服でごしごしと目元を拭くと優しく微笑んだ。
いまだ少しだけ寂しさの残っているスズの顔だったが、カナミは少しだけ安心することが出来た。
「……あの、スズさん。私、大丈夫です。だから……その……えっと……これから……」
口ごもるカナミを、スズがきらりとした瞳で見つめる。
そして、まるでカナミの言いたいことをわかっているかのように、スズがカナミの言いたかったことを代わりに言ってくれた。
「……こんなわたしだけど……これから、仲良く、してもらえるかな?カナミちゃん」
「……はい!」
スズの涙の理由は今はわからない。
村に帰ることができるのか、その方法があるのかも。
でも今はそれよりも、これから一緒に暮らしてくれるこの優しい人と仲良くできることが大事なのではないかと、カナミはそんな気がしたのだった。
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