人身御供シェアハウス
氷泉白夢
人身御供のその先に
カナミはその運命を決して呪いはしなかった。
自らの命ひとつで世界が平穏になるのであればこれほど幸せなことはないと、そう考えていた。
10年に一度、世界を覆うその霧は"
地中深く、神祠と呼ばれる世界に潜むと言われる巨大な邪神、白蛇の起こすその霧は生ける者の活力を奪い、草木は萎れ、日の光すら見えぬ絶望の世界に作り替える。
生きていくことすらままならず、弱った者から命を奪われていく恐ろしい霧。
その霧を晴らす方法はたったひとつ、白羽の矢によって選ばれた一人の少女を人身御供として白蛇に捧げることであった。
そして今年の生贄は、十一という今までで一番若い齢の少女、カナミであった。
……とある村のはずれ、大勢の人間がカナミを囲み、その姿を見つめる。
ある者はカナミを拝み、ある者はカナミを祀るように祝った。
白装束を身に着けたカナミを描く者、複雑な心境と共に酒を呷る者、様々だった。
そんなカナミに、彼女の父親と母親が歩み寄る。
「カナミ……」
「大丈夫です、父様、母様」
「……お前はわしらの誇りだ、カナミ」
「……はい」
両親はカナミを優しく抱きしめる。
少しだけ震える体をごまかすように、カナミは両親にしがみつくように抱きついた。
決して長くない時間が過ぎ、カナミはゆっくりと両親から離れた。
「……それでは、行ってまいります。この霧、私が晴らしてきますから。安心してください。みなさんも、お元気で」
両親にも村の皆にも見えるように、カナミは頭を下げてから、ゆっくりと白い駕籠に乗り込んだ。
もう村の景色を見ることもない。
名物である美しき桜とも、小山から見える村の眺めとも、母の作った団子とも、永遠の別れ。
自分はそれらすべてを守るために向かうのだから。
……白い駕籠がゆっくりと動き出したのを感じる。
駕籠の中でも、決してカナミは涙を流さなかった。
ただ目を閉じて、その時を待つだけだった。
----
駕籠が地面に降ろされ、人が去り、それからさらにどれほどの時間が経った頃だろうか。
駕籠の中でじっと待っていたカナミは、静まり返っていた外から少しずつ、何かが近づいてくる音が聞こえてくるのに気が付いた。
「……」
カナミはそっと駕籠の外に出る。
白蛇の祭壇は巨大な石造りで、高い階段の上、巨大な岩で出来た台座にぽつんと捧げられた自分はまさに供物なのだとはっきりと感じさせられた。
がさり、と自分の背後から一際大きな音が聞こえた。
カナミはごくりと唾をのみ、恐怖心を抑えて、音のする方を向いた。
その姿を見たカナミは、一瞬でそれが白蛇なのだと理解した。
身の丈は自分はおろか、自分が今いる祭壇よりもはるかに大きい。
首をめいっぱいまで上げなければその顔を見ることは叶わず、どこまでその身体を眺めても尾にたどり着く気はしなかった。
「……白蛇……」
カナミは白蛇から目を離すことができなかった。
あまりにも強大な存在への恐怖もあった、皆を苦しめる存在への怒りもあった。
だが、しかし。
その白い蛇はそれ以上に、あまりにも。
あまりにも神々しいと、そう感じてしまったのだ。
そして白蛇は大きく口を開け、カナミに向かう。
そこから先はあまりにも一瞬、あまりにもあっけなく。
カナミは呑み込まれ、世界は暗転した。
----
「…………」
暗転した世界が、光に満ちる。
もう二度と見ることのないはずだった村の姿がそこに見えた。
何一つ変わらない、桜、風、そして太陽。
そして……向こうから歩いてくるのは、母親と父親。
その姿を見て、カナミはがばりと起き上がった。
「あら、目が覚めましたか?」
「……あ……?」
そこに、村の姿はなかった。
桜も風も太陽も、両親の姿もない。
あるのは綺麗な床、壁、天井、自分が寝ているふかふかの布団。
そして、見知らぬ女性の姿だった。
「……え……?」
「ふふ、おはよう」
「は……?」
その状況に、カナミはただただ困惑した。
自分は死んだのではないのか?ここはどこだろう、目の前にいるのは誰だろう。
もしかして、これが死後の世界というものなのだろうか。
「そうよね、いきなりはびっくりしちゃうわよね」
目の前の、二十台くらいだろうか、美しい女性は優しく微笑みながらカナミの頭をなでる。
「私の名前はミズホ。あなたは……大丈夫?お名前言える?」
「……か、カナミ、です」
「そう、カナミちゃん。いい名前ね」
ふわりとミズホは優しく微笑む。
その微笑みを見ると、まだ何ひとつわからない状況であるにも関わらずカナミの心は少しだけ安らいだのを感じた。
「ここは……えーっとね……なんていえばわかりやすいかしら……」
ミズホはうーんと考え込むようなそぶりをする。
すると部屋の奥からどたどたと音が聞こえ、また別の女性が現れた。
「おーーーー!起きたのかー!!そっかそっかー!よかったよかったー!!ひっく!」
「ひえ……!?」
そのやや荒々しい見た目の女性は一升瓶を小脇に抱えながらカナミの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
その勢いとあまりの酒臭さにカナミはすっかり硬直してしまった。
「ヒバナちゃん、この子、今起きたばっかりなのよ、お酒なんて持ってきて!」
「いぃだろぉミズホー!?まーた新しいやつが増えるんじゃねぇか!!いやー、ちびっこいガキだな!!おー!?」
「あ、あうう……」
「ヒバナちゃん!!」
ミズホはヒバナと呼ばれた女性をぐいと部屋の外へ押し出すとカナミのところへ戻ってくる。
「……ええと、大丈夫?」
「は……はい」
「ヒバナちゃんも悪気はないのよ、許してあげてね」
「……」
カナミはもう、何もかもがわからなかった。
自分は、生贄にされて、白蛇に呑まれて。
生贄、そう、自分は世界の霧を晴らすための、生贄となって。
「そうだ……霧は……太陽は!」
カナミは布団からよろけながらも飛び出し、ミズホが心配そうに制止しようとするのも振り切って一番近くにあった窓から外を眺める。
そこは、あたり一面が白い石に囲まれた洞窟のようであった。
太陽は見えないが不思議と周りは明るく、少し遠目に滝と、そこから流れる川が見える。
その光景を見たカナミは、何故か白蛇を見たあの時のような、美しい、神々しいという気持ちが沸き上がったのを感じた。
「……ここは、一体」
「ここは神祠、その端っこにある小さな家よ」
「……神祠……白蛇が住んでいるっていう、あの……!?」
「そうよ。そしてこの家は」
ミズホは自らの胸に手を当てて、優しくカナミに語り掛けた。
「白蛇ちゃんの生贄にされた子が、白蛇ちゃんと暮らしている家なのよ」
カナミはその言葉の意味がすぐに理解できず、まるで頭に霧がかかったように、真っ白となるのであった。
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