人身御供の同居人

 扉から顔を出したその猪は異様な存在感を放っていた。

 あまりの光景にカナミは目をこすり、もう一度それを見る。

 しかしやはり猪は依然としてそこにあり、カナミを圧倒した。


「おあぁー、ヒイラギー、どうしたよ急に倒れて、ヒイラギよぉ、生きているかー?」

「えっ」


 カナミが戸惑っているといつのまにかヒバナが猪に向かって話しかけたり軽く叩いたりしている。

 まさか、まさかとは思うがこれが……?


「……ヒバナさん、それは猪ですよ」

「ヒバナちゃん、酔いすぎ!」


 カナミは人知れずほっと胸をなでおろす。

 改めて扉の方を見ると、猪の後ろからすっと人が入ってきた。


「ヒバナ、俺を猪と間違えるなんて、とうとう目ん玉を酒漬けにでもしたのかい?」


 その女性は整った顔立ちをニヤリと歪ませながらヒバナにそう語り掛ける。

 長身で、長い髪の毛を後ろ括りにした筋肉質の20代半ばほどの女性だった。

 目を引くのは肩にかけられた長い棒のようなもの、その先にはかごがぶら下がっており、中にたくさんの茸が入っているようであった。


「冗談だよ冗談ー……魚の目玉を酒漬けにしたら美味いかね?」

「うげ~、あたしそれいらな~い」


 ヒバナが本気か冗談かわからないことを言い、それをサクラコが苦い顔で返す。

 その様子を見た長身の女性はカカカと愉快そうに笑った。


「もしそれで美味い酒の肴が出来たら俺は食うよヒバナ。それより、もしかしてもう飯は食べてしまったのかい?」

「帰ってくんの遅いから」

「じゃあこの猪と茸は明日だな、飯用意してくれよ」


 そう言いながら、女性は棒からかごを取り外してその辺に置き、食卓の方へ向かってくる。

 そしてカナミと目が合った。

 

「……あー、もうそんな時期か……また連れてきたんだな白蛇のやつ」

「あ……えと……」


 その女性は頭をかくと、姿勢を低くしてカナミと目を合わせる。

 そして戸惑うカナミににっと笑いかける。


「俺はヒイラギ、よろしくな」

「あ……はい……その、カナミ、です」


 見た目は荒々しいが悪い人ではなさそうだ、というのが印象だった。

 しかしそれと同時に、彼女が持っていた棒の正体にもようやく気が付いた。

 刀だ。

 祭りで模造刀は見たことがあるが、それとは明らかに違う。

 その刀には使い込まれた形跡と、不思議な力強さのようなものを感じた。

 これが本物の刀なのだろうと、カナミはそう感じた。


「刀が珍しいかい?よければ飯の後に見せてあげるよ」

「い、いえ……」

「そうかい?まあそうか、刀に興味なんか持たないほうがいいかもね」


 そういうとヒイラギは改めて食卓に座り直し、肩にかけていた刀をようやく机の脇に置いた。

 その近くできょろきょろと部屋を見回していたミズホが、やがてヒイラギに話しかける。


「スズちゃんは?」

だよ、真っ先に自分の部屋に戻ってさ、マメだよね」

「一緒に帰ってきたんだ?」

「帰る途中で会ってね、たんまり茸持ってたんで食えるものは俺が運んできた」


 ミズホとサクラコの質問にそう答えるヒイラギ。

 そう話しているとヒバナが台所から顔を出してくる。


「んじゃあスズの分も一緒に出しちゃっていいよなー?」

「いいんじゃないかな、すぐこの部屋に来るだろう」


 そう言ってヒイラギはぐっと体を伸ばす。

 カナミはもう少しヒイラギと話をしてみたいと思い、おずおずと近づき隣に座った。


「あ、あの……ヒイラギ、さん」

「ん?どうしたんだい」

「え、ええと……あの、猪は、ヒイラギさんが……?」

「ああ、あれか」


 ヒイラギは傍らの刀を撫でると、にまりと笑って頷いた。


「罠とかは……使ったんですか?」

「罠?ははは、いいや、この刀一本で戦ってきたよ」

「ほ、本当に……?」


 カナミの故郷でも狩りは行われていたが、獣、しかも猪相手に直接戦う者などいるはずもなかった。

 ヒイラギの体はよく見ると古い傷跡がいくつもあり、その言葉が嘘ではないことを物語っているようであった。


「最近は猪狩りも慣れたもんさ。獣相手の実戦はどんな特訓よりも身になるしね」

「ほああ……」


 カナミが感嘆のため息をこぼすと、ヒイラギはまたにまりと笑う。

 その時、カナミは何者かに両肩をぐいと掴まれた。


「ヒイラギは強くなるのが好きなんやもんねぇ」

「うひぁっ」


 そして、カナミの背中に覆いかぶさるようにして、白蛇が二人の間にぐいと顔を出す。

 突如現れた白蛇にカナミは驚き、体勢を崩しかける。

 ヒイラギはすっとカナミの腕を抑えて体勢を整えてやると、呆れたような顔で白蛇を見る。


「まったく、少しは考えて行動しなよ白蛇」

「あら失礼な、まるでうちが考えなしに行動しとるみたいやないの」

「そう言ってるんだよ、いきなり後ろからかぶさったらこうなるに決まってるだろう」

「うちはカナミの反応が楽しみでやったんやもーん、考えなしやないもーん」


 そういうと白蛇はカナミの頬に自分の頬を寄せて楽し気にすりすりとこすりあわせる。

 カナミは固まり、声にならない悲鳴をあげながらヒイラギに身振り手振りで助けを求めた。


「ほら、カナミ嫌がってるだろ、やめなよ」

「つれへんの、うちはカナミと仲良うしたいだけやのになあ」

「……」


 しぶしぶ白蛇がカナミから離れて、そのまますすすとどこかへ消えてしまった。

 力が抜けたカナミが机にへたりこむと、ヒイラギが苦笑しながら背中をなでてきた。


「まあ、あれはああいうやつだからね、適当に流したほうがいいよ」

「……はあ……」

「慣れろと言っても難しいだろうけど……まあ、困ったら頼ってくれていいからさ」


 呼吸を整えて少し冷静になったカナミはヒイラギの言葉を反芻する。

 ミズホはとても優しく親切にしてくれたし、ヒバナは酔っ払いだが美味しい料理を作ってくれた。

 サクラコは明るい性格で話しやすそうであるし、ヒイラギは頼りがいがありそうだ。

 まだあまり話せていないチヅルと会っていないスズという人物についてはわからないが、少なくともいざという時に頼れそうな人物が複数いることにカナミは安堵する。

 ここから出るにしても、きっと彼女たちの協力は不可欠に違いない。

 カナミはひとまず、少しずつこの同居人たちに歩み寄ってみようと、そう思うのだった。

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