prologue「ありし日の陽だまりの記憶」



――20X2年 9月15日。




 まばゆい光が世界を覆う時間。


 青い空の下。




――私はそこに立っていた。




「ん~、今日もいい天気♪」


 太陽が輝いていた。

 そのまばゆさにちょっとくらくらする。


 本当は辛いのを無理して、玄関先の掃除をする。

 最近の日課なのだ。



 ドイツ連邦共和国とフランス共和国の間にある、わずか150平方キロメートル程度の国土を持つ小国。


 クラインベルク。


 議会制民主主義共和国……に、今ではなっているらしい。


 人口は国全体で……今では三万人前後もいるのだそうな。


 そんな小さな国の、小さな街。


 石造りの城壁に囲まれた城郭都市。

 四方には三角屋根を載せた円塔が点々と、高々とそびえ立つ。


 なにやら伝統があるらしく、国名と街名が同じという少しややこしいネーミングの、そんな丘の下の小さな街。


 紛らわしいため、主に国の場合は大クラインベルクと、首都を現す場合は小クラインベルクと今では言うらしい。


 わずか約0.5平方キロメートルというとても狭い土地ゆえ、現代の概念では本来なら村レベル以下らしいのだが……。


 一応、その伝統から首都ではあるらしい。


 だけど、街の人口はわずか二千人足らず。

 隣街へと向かう街道を除き、城壁の外は広大な森と山々が手つかずのまま残されている。


 城壁の内側には、整備され、掃除の行き届いた石畳の街道。煉瓦造りの家々が連なり美しい街並みを形成している。

 法律により、赤茶色の瓦屋根に二階建てで統一されたこの景観は、百年以上前から続いている歴史と伝統に守られた光景。



 小クラインベルク。


 この地に私は今、立っている。



 街は通り過ぎていく人々であふれていた。

 みんなそれぞれの生活を持ち、それぞれの人生を歩んでいる。

 幸せで、暖かな日常。


 そんな人々の笑顔を眺めるのが、私は好きだ。



「おはよう」



 背後から声がかけられる。

 振りかえるとそこには、クリスさんの姿があった。


「おはようございます」


 私はいつものように笑顔で挨拶を返す。


 目の前にいたのは、平均的な身長ながらも筋肉質でしっかりとした体格の、中性的でやや童顔気味ながらも凛々しくも美しい顔立ちの、さわやかな印象を思わせる好青年。


 整髪料で軽く逆立てた奇麗な髪はホットショコラのような栗色で、その肌の色は新鮮なクリームチーズにうっすらとピーチを混ぜたような美しく健康的なナチュラルフレッシュカラー。

 どこかまだあどけなさを残す純真無垢な可愛らしい目には榛色ヘーゼルの瞳。

 可愛らしくセクシーな桜色の唇。


 彼の名はクリストファー・モリス。

 この街、クラインベルクの町を守る警察官だ。

 といっても、実際に巡回したりしているわけではない。

 中央の大きな建物内で『公安課資料室なんらかや』とかいう、何をやっているのかよくわからない部署で働いているらしい。

 街というより、この国を守る警察さん、なのだそうだ。


 旧時代の国防軍兵士制帽を思わせる帽子。

 中央に薔薇の花の中央に逆立てた剣のような十字架をあしらえた独特の徽章が飾られている。

 上着はダークブルーのダブルブレストジャケット。

 その肩にはショルダーボード型の階級章を模した金色の飾りを付け、金のボタンに金の縁取りと、とても派手だ。

 そして上着に合わせた同色のスラックスに、黒のレザーブーツ。


 まるで軍隊を思わせるような服装だけど、この国を守る立派な警察官の制服姿であるらしい。


「今日も元気そうだね」

「はい、おかげさまで」

「リヴィアは?」

「今日はちゃんと起きて仕度してますよ。もう勝手に入ったりしないであげてくださいね。あれでも一応、女の子なんですから」


 ……“子”という年齢であるかどうかはともかくとして、釘を刺しておく。


「う……わかってるって、もうしないよ」


 バツの悪そうな顔で、わずかに頬を赤らめるクリスさん。


 ……もぅ、思い出しちゃダメですから。


「約束ですよ~」


 悪戯気味に微笑みながらも再度確認を取ると、時間までたわいも無い雑談に興ずる。

 本当にくだらない、日常の共有に過ぎない程度の会話。


 けど、そんなやり取りが幸せでたまらなかった。


「それじゃ、行ってらっしゃい」

「うん、行ってきます」


 そろそろ急がないと遅刻、という時間。

 それでもリヴィアはまだ支度中のようだ。

 一向に姿を現さない。


 時計と入り口を交互に眺めて、クリスさんが口を開く。


「ちゃんと急ぐよう伝えといてね。これ以上遅刻すると、さすがにまずいから」

「は~い」


 遠ざかっていく後姿を眺めながら、今日一日が何もない穏やかな日々であるよう祈る。


「ふぅ」


 眩い太陽にあてられて、私は汗を拭う――仕草をした。


「……」


 汗なんて、かくはずないのに……。

 太陽はどこまでも輝きを放っていて、私はそれを眺め続ける。


 ……いけない。掃除の続きをしなくちゃ。

 その時だった。


 突然、まるで極東の島国産コミックのように、『パンをくわえながら通勤路をダッシュ』という荒業を展開している大柄な男性が現れた。


「やっふぇ、ひほふひほふ(遅刻遅刻)~!!」


 それも、わざわざパンをくわえながら状況説明をする、というベタな荒業まで展開させながらだ。


 淡いグリーンのカジュアルシャツにダークグリーンスラックス、ブーツは黒のレザー製。

 逆立てた髪はブラックコーヒーを思わせるダークブラウン。

 ただし前髪の一部束がメッシュのように白髪がかったグレーに変色している。

 キリッとした眉に切れ長の鋭い目には、カラメルソースのように奇麗なブラウンの瞳。

 パウンドケーキを思わせる健康的なビスク色の肌には彫りの深い顔立ち、鼻元には一文字の傷がチョコレート飾りのように刻まれている。

 筋骨隆々とした逞しい体格をした、豪快と剛胆を体現したような背の高い中年男性だ。


 彼はシュヴァルツ・アインホルン。

 さっき会ったクリスさんの上司で、同じ公安課……霊安室? だかに努めているらしい。

 面白くてやんちゃなお兄さんって感じの人だ。


「ふぉ?」


 一息にパンを飲み込んで、まるで何事もなかったように挨拶をしてくる。


「おう、嬢ちゃんじゃねえか」

「お久しぶりです、シュヴァルツさん」


 相変わらず豪快な方である。


 よほどあわてて来たのか、その手にはくたびれた感じのダークグリーンのジャケットが握られ肩にかけられて、スーツに合わせた色合いのネクタイはよれて曲がっている。


 彼は薄い唇を開き、白い歯を見せながら笑う。

 野性味あふれる無精ひげがちょっと可愛らしい。



「お? リヴィアの野郎がいねぇな……」



 おもむろに近づき、私の横をすり抜け、家に上がろうとする。


 甘い匂いが鼻についた。


 ……この匂いはきっと、ヘーゼルナッツ入りチョコレートペースト。

 さっき手に持っていたのはそれを塗った小型パンブレートヒェンだろう。


 さらにもう片方の手についたわずかな匂いから察するに。

 恐らくカットしたパンの残り半分は、豪快にバターを塗ってさくらんぼキルシュジャムとクリームチーズを塗り重ねたものにしたに違いない。



 相変わらずにジャーマンスタイルの朝食をたしなむ方である。



 彼はズカズカと進んで扉を開けると――。


「もしかしてまだ寝てんのか? ついでに起こしとくか」


 そのままさらにズケズケと突き進んでノックもせずに部屋の中へと押し入ろうとする。


「わ、わ、わ、もう起きて着替えてる最中ですよ! ……多分」


 内部の音を拾って現状を確かめつつ、慌てて止める私。


「お? 珍しいな、もう起きてるのか。なんでぇ……久々にリヴィアの貧相なもんが拝めると思ったのに」

「シュヴァルツさんっ!?」


 さすが私も睨みます。


「うほっ!? 怖ぇ怖ぇ。しっかし今週はちょいとアレがナニなもんだから、うちの特権とか利かねえからなぁ……」


 特権ってなんだろう。

 ……一体どんな職場なんだか。


「朝礼、遅刻しねぇよう伝えといてくれよ~、じゃ~な!」


 そう言うとシュヴァルツさんは、手に持っていたジャケットをその場で着込んで走り去っていった。


 愉快な人である。


 そんな風に見送っていると、ちょうど入れ違いになる形で、大通りを歩いてくる影が二つ。


 片方は、白いスーツに淡いブルーのインナーシャツを着た、スラリと背の高いスタイルの良いモデルのような美青年。

 肩まで伸びた金の髪は透き通った蜂蜜のような美しい色合いで、砂糖を混ぜた生クリームのように甘そうな美しそうなミルク色の肌。

 微笑みの絶えない、けれどどこか冷たさを感じさせる、クールで理知的な、細面の凛々しくも気品のある、意志の強そうな顔立ち。


 銀のフレームで飾られた小さな眼鏡の下に隠された鋭い切れ長の目は、空の様に青いブルーの瞳を備えている。

 だが、その目は笑っていると開いてるかわからないほどに細い。


 彼は柔らかな笑みを浮かべながら、こちらに気づいて声をかける。


「おはようございます」


 そしてもう一方。

 会話に夢中になって気づいていなかったのか、彼の言葉でやっとこちらに振り向いたのは、深いスミレ色のスーツに淡いラベンダーカラーのインナーを着た、スラっとした背の高いスレンダーな女性。

 シルクのように滑らかな白く透き通った肌のどこか艶のある、けれど貴族令嬢を思わせる凛とした上品な顔立ちの、モデルのような美人さんである。


 色っぽい切れ長の目に、淡い透明感のある海の水を思わせるブルーの瞳。

 その髪色は、真夏の太陽の光を照らし返す小麦畑の輝きにも似た美しいブロンドで、腰まで伸ばしたその長い髪を後頭部のやや真後ろ側でアップにしてひとつ結びにまとめていた。


「あら、ティアちゃんじゃない。おはよう、珍しいわね」

「そうですか? 最近はけっこう頻繁に見かけると思いますが……」


 女性の言葉に、男性が返し、こちらを見てくる。

 彼は再び柔和な笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。


「いつもお掃除ご苦労さまです」


 この二人は、クリスさんの職場の上司にあたるらしい。

 女性の方がリラ・ローゼンシュヴェルトさん。

 男性の方はヴァイス・ハーケンベルテさん。

 さっきの二人と同じく、公安課なんらかやの室長と副長を務めていらっしゃるらしい。

 いつもは貫禄の重役出勤なのか、この時間に見かけることは少ない。


 ……特にリラさんの方は。


「あら、私が遅すぎるだけかしら? まあいいわ。リヴィアに遅れないよう伝えておいてね。今週遅刻すると、ちょっとやばいのよ。私が時間通りに出勤してるのがいい証拠でしょ?」


 謎の特権の話といい、どうやらとんでもない部署のようだ。


「それじゃあね、頼んだわよ」


 悠々と、しかし足早に去っていく二人。

 確かに、そろそろ時間的にもギリギリアウツだ。

 早くしないと間に合わないのでは?


 私がそんな不安を胸に抱いたまさにその時。


「やっふぁ~ふぃ! ふぃほふふぁ、ふぃふぉふぅふぁ(遅刻だ遅刻だ)~~!!」


 大きな音をたてながら背後の扉が開かれる。


――中から現れたのは。


 服装はクリスと同じ色合い、ダークブルーの制服姿。

 女性版デザインの違いは下がタイトスカートになっているくらいだ。


 平均よりも背はかなり低め。場合によっては小学生か中学生のようにも見える。

 華奢で小柄で愛くるしい、あどけない子供のような幼げな顔をした、どこか小動物を思わせる少女。

 いや、少女は失礼か。見た目はともかく、彼女もれっきとした大人の女性なのだから。


 上質なブランデーを思わせる明るい煌めきを宿した特徴的な赤毛の髪は、絶妙なバランスで無造作に乱れた、一切の無駄な力の抜けた気だるげなウェーブがわずかにかかった長めのショートボブスタイル。

 血色のよい若々しい健康的なその肌は、窓辺に飾られた胡蝶蘭の穢れなき白に、華やかな薔薇の赤を一滴こぼし落として混ぜ込んだような、そんな生き生きとした生命力あふれる、うっすら淡いペールピンクの美しい艶に輝いて。

 可愛らしい眼鼻だち、その瞳の色は、煌く琥珀アンバーを思わせる赤みがかったブラウン。

 化粧などの人工的な飾り気が一切ない子供のように無垢な薄桃色の唇は、生きる喜びを感じさせる一切の陰りを感じさせない全てを照らすような明るい笑みが浮かべられていた。


 だけれど、残念なことにその胸元は、いや、当然というべきか――とても平たかった。

 まぁ、そこはスレンダーという事で誤魔化しちゃおう。

 人生、胸の大きさなんかで決まるわけではないのだから。


 で、飛び出してきた彼女は何と、口元にハムエッグを咥えるという、先ほどのジャパニーズスタイルをはるか斜め上に上回る姿をしているのだった。


「ちょっとリヴィア、制服が汚れちゃうでしょ!?」

「もむもむもむ……」


 私の言葉なんてお構い無しに、高速で租借を続けてらっしゃる。

 口いっぱいに頬張るその姿は、ハムスターなどの小動物を思わせる。


「……はむっ! はふはふはふっ!」


 やがて、ちゅるんと器用にその全てをたいらげると――。

 全てを飲み込んだ後に、謎のポーズをとりながら、決め台詞らしき言葉を口にするのだった。


「しゅとらま~・まぁ~っくす!!」


 ごめん、正直わけがわかりません……。


「大丈夫、そんなもったいないことはしまっせ~ん」


 せっかく愛らしい顔立ちなのに、その口元には食べ残しというか……卵の黄身の一部がペッタリ。


「ティアのおいしい料理をお洋服に食べさせるだなんてっ! もったいないっ!」


 そう、彼女は俗に言う残念系ヒロイン? とか某島国では言われてしまいかねない類の人種なのだった。



 彼女がリヴィア。


 私の恩人。


 リヴィエラ・シャッテンフェルス。



 行き場のない私を拾って居候させてくれている、感謝してもしたりない、本当に大切な友達。



「もう、もっと早く起きてくれれば余裕を持って食べられるのに~」

「ごめんごめん。でも、急いで食べてもおいしいよ、ティアのご飯は」

「むぅ……。そういう問題じゃないの!」

「あはは~、照れちゃってかぁ~わいぃ~♪」


 悪戯っ子めいた笑みを浮かべる。


「あ、そうそう、お洗濯よろしくね。また寝汗がすんごくって、とんでもないことになっちゃってるから」

「ん、見たからわかってる」

「さみしいからって、嗅いじゃダメだよ」

「しませんよっ!」

「にひひ♪」


 いつも通りの眩しい、可憐な花が咲き乱れるような笑顔だ。


「っていうかティア~、もう洗濯機の使い方慣れた~? また家中泡だらけにしたりしないでよね~」

「む~、もう大丈夫だもん。……多分」


 近代式の機械はまだ慣れていない。

 ちょっと苦手だ。


「っていうかリヴィアこそ、最近使わないから使い方とか忘れちゃってるんじゃないですか~?」

「にゃにお~」


 そんなこんなで、たわいの無い会話が始まる。

 雑談に興じる時間的余裕などなかったのだが、いつの間にやら時間は流れ行き……。


「あ、もうこんな時間っ」

「やばっ、それじゃ、行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

「にゃひひ♪ ティアのお弁当、開けるのがまちどおしいじぇ~」


 近隣のドイツとは異なり、ここクラインベルクでは朝に暖かいものを食べ、昼は職場で冷たいもの、夜にまた暖かいものを食べるのが常だ。

 もっとも、シュバルツさんのようにドイツスタイルを貫く猛者もいるにはいる。


 食事自体はジャーマンチックな似たようなものが多いんだけどね。


 ちなみに今日の朝食は、スライスした黒いライ麦と小麦の混合パンミッシュブロートに、バターで炒めたハム、エメンタールチーズ、トマト、オニオンのスライスを添えて、塩コショウをかけた目玉焼きシュピーゲルアイを乗せ、みじん切りにしたバジルをふりかけた料理。

 朝から元気にいってらっしゃいという意味を込めたパワフル食。

 お隣ドイツでも一般的な家庭食だ。


 ……まったく、アレはパンと一緒に味わうのがおいしいのに。

 彼女はパンから先に食べきってしまったようだった。


 それはさておき。


「ちゃんとお仕事もがんばってくださいよ~」

「うぃうぃ~」



 私は、去っていくリヴィアの後姿が見えなくなるまで見つめ続けた。



 楽しい日常。

 幸せな日々。

 眩しい太陽の下で、私は今、あたりまえの生活をしている。


 せまくて小さな街だけど、みんなとても優しくて――。

 私は今、とても幸せだ。


 私は静かに祈りを捧げる。



――この幸せがどうか、いつまでも続きますように――。


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