第一章

chapter1「悪魔の森の殺人鬼」


――20X2年 9月1日 21:45



 クラインベルクの街。

 その周囲を囲む城壁の外には、広大な森がある。


 通称『帰らずの森』。


 そこにはとある伝承が残されていた。



――黒き森の奥深く、見えざる館に住まいしは、赤き瞳の不死なる悪魔。


――時折、街に降り来ては、咎人共の命を食らわん。



 とはいえ21世紀も過ぎ、科学万能と人類の英知が発達したこのご時勢。

 眉唾ものな怪物の存在など、もはや子供でさえも、誰一人として信じているはずもなかった。

 だがそれでも、クラインベルクの人々はこの森を畏れ敬い、禁忌の場所として手つかずのまま、その姿を残し続けていた。


 少なくとも、表向きには――。



 森の奥深く。

 ひっそりとたたずむ館があった。


 二階建ての西洋建築。

 煉瓦造りの豪邸だ。


 日本人の感覚にわかりやすく説明するのであれば、悪魔の住んでいそうな怪しい洋館、とでも言えばよいだろうか。

 その屋根と壁は、窓から漏れる内側からの明かりに照らされ、不気味に赤く染まっていた。


 それは広い森の中央ほど、深く窪んだ場所に建っていて、枝葉に遮られているため、外からは決して見えることはない。


 周囲とはまるで異質な、本当に魔女か悪魔でも住んでいそうな屋敷。

 その一室では、夜毎、ある儀式が行われていた。


 広大な屋敷の最奥。


 一階玄関ホールの先。


 豪奢な赤じゅうたんの敷かれた大広間階段の横、奥後ろにその入り口はある。


 本来ならば客間があるはずの部分を改造した、館の主専用のパーティールーム。


 それは“彼”の趣味で彩られた、常軌を逸した歪な部屋だった。



 中央のみ半階分さらに高くせりあがった独創的とも言える構造の吹き抜け天井。

 横には煌びやかで神々しいステンドグラスで飾られ、天井には豪奢な巨大シャンデリアで彩られていた。


 だがその壁は冷たい地下牢獄か拷問部屋を思わせるような灰色の石造り。


 床には闇をも飲み込まんとするほどに漆黒の、怪しい“魔方陣”が描かれた絨毯が敷かれている。


 血のような真紅の禍々しい色合いで刻まれた“その刺繍”は、二重円の中央に六芒星という冒涜的なデザインで、その周囲にはヘブライ語の文字が躍るように散りばめられており、何らかの悪魔的な、おぞましい意図を想像させる。


 現に、その部屋の中央にある木製テーブルには“人”が乗せられていた。



――それは十代前半の少女。



 艶かに煌く美しいダークブロンドの髪。きめ細かい健康そうな白い肌。桜の蕾を思わせる可憐な唇。可愛らしい大きな眼の中央には珍しい、エメラルドの様に美しく輝く翠の瞳。



――それは、まだ幼い未成熟な体つきではあるものの、あと数年で絶世の美女へと変貌を遂げるであろうことを予感させるには十分な、若い、未来ある命。



 彼女は一糸まとわぬ姿で、その美しい髪を恥ずかしげも無く振り乱しながら、ある単語だけを必死に、何度も何度も、延々とくり返し唱え続けているのだった。



 たすけて……たすけて……と。



 呪文のように彼女は訴え続ける。

 かたかたと小刻みに震えながら、彼女は必死に命乞いを続けていた。



 なぜならば――。



 彼女の手足には金属製の枷。

 幼い少女の力では決して逃れること叶わぬであろう厳重な、頑強な、冷たく重い鎖が、その自由を奪っていたのだから。



 エミリア・クリューガー。

 彼女は、この出来事が全て夢であることを願わずにいられなかった。


 カトリック系の児童養護施設で彼女は育った。

 差別表現ではなく、あくまでもわかりやすい言葉をあえて使うならば、教会に併設された孤児院という奴だ。


 元々は貧しいスラムで生まれ育った彼女。ある日、実の父親が連れ込んできた複数人の男たちに強姦されかけた所を、奇跡的にうまく逃げ出した彼女は、偶然スラム近くにあった教会へと駆け込んだのだった。


 それから約二年。『天使の楽園』での生活も案外悪いものではなかった。


 いや、むしろ救われていた。


 色々と、それなりに人間関係の問題などはあったものの、そんなものは生きていく上でどこでも存在するトラブルだ。

 あの場所が決して悪いわけではない。


 そこは、裏路地の寂れた汚い危険なストリートとは異なり、安全な生活が保障されていた。


 生活は多少貧しいながらも、そんなものは幸せな生活とやらを送っている外の世界の連中から見ての話であって、スラム育ちのエミリアからすれば天国以外の何者でもなかった。


 勉強も難しかったし、厳しい事も言われはしたが、言うとおりにしていれば何一つ問題は起きないし、飢えないし、何よりも暖かかった。


 神父もシスター達も優しい人ばかりで、スラムで噂されていたような虐待は一切なかった。


 幸せな生活は豊かな心を生む。

 野良犬のようだった彼女はやがて人としての心を取り戻し、いっぱしの夢というものさえ持つようになっていた。


 歌が好きだった彼女は、周囲が嫌がる聖歌の時間に才能を発揮させた。

 その透き通るように伸びる、綺麗な歌声は、シスター達、神父はおろか、普段なら少なくない嫉妬の心を見せなくもない一部同僚達からでさえ絶賛を受ける程だった。


 いつかは歌手になって沢山の人を幸せにする。


 そんな無謀な夢でさえ、実現できそうな気持ちでいた。

 幸せの絶頂の中にいた時に、それは舞い込んできたのだ。


 なんでも、とある富豪が養子を探しているのだそうだ。

 歌や絵画など、非凡な才能を秘めていると好ましい。

 我がままを言える立場ではないが、老いた自分と同じくした、そういった趣味の合うような。


――そんな子供ができれば欲しい。


 という話だった。


 やがて様々なやり取りの末、彼女は選ばれた。


――まるで、最初から決められていた出来レースの如く。


 里親が決まって彼女は喜んだ。


 そして、何一つとして不自由の無い、幸せな日々が数か月続いた。


 誕生日にはケーキも焼いてもらった。

 可愛らしいプレゼントももらった。

 歌が上手だと褒めてもらった。


 幸せだった。


――“なぜか人気のない”森の中にある屋敷での生活だったが、生活に困ることもないから気には止めなかった。


 世捨て人的な、よほど特殊な事情のある、裕福な家柄なのだろう。


 彼女は一人納得してしまった。



 まるで夢のような日々だった。



――だが、その里親は偽者フェイクだった。



 とある“男”が市民籍を偽造し、人を雇い、存在しない人間をでっち上げたのだ。



 それは“男”の組に繋がりを持つ、とある老マフィアだった。

 才能は無いに等しく、何をやっても大成しない。強いてあげるなら運と感。それだけはある意味秀でていたのかもしれない。

 死なずに失敗しないだけ、運だけで生きてきたような、もはや“男”からすれば何の価値も無い、そんな存在。


 生意気にも芸術にだけは薀蓄のある、暇つぶしの話相手にはもってこい、だがそれ以上でもそれ以下でもない、そんな間柄だった。


 “男”と同じくその老マフィアには家族がいなかった。

 だから大量の金を持たせて安全に海外で暮らせる準備と引き換えに、“男”はある任務をくれてやったのだ。

 最期の任務。これから“男”の“大事な贄”となる少女を、その時まで保護する資格を得て――しかるべき時に“男”へと手渡す。


 “男”が密かに建築させたセーフハウスの一つ。禍々しいサバトの館にて『ストレスを与えないよう慎重に、幸福を育てよ』と。




――贄が幸福の最中にあればあるほど、絶望へと落ちたその時の顔が、とても愉快でたまらないのだ、と。




 ある日、少女が目を覚ますとここにいた。


 屋敷にはルールがあり、鍵のかけられたとある部屋にだけは入ってはいけないと厳重に注意されていた。


 恐らく、その部屋だろうと直感した。


 そう、両手と両足に枷、鎖で縛られて木製テーブルの上に、まるでこれから出される食事か何かのように置かれていたのだから。



 夢、そう、夢だと思いたかった。



 目の前には見知らぬ“男”がいた。


 薄暗い部屋の中、蝋燭の微かな光に照らされ“それ”は金色に怪しく輝いていた。

 猫の目を思わせる“琥珀色アンバーの瞳”。


 その持ち主はしわがれた低い声で笑う。


 老人だった。


 細かく豪奢な金の縁飾りで彩られた、黒を基調にした燕尾服。

 まるでワインをこぼしたかのような濃い紅紫色の襟元とスラックス。

 首元から胸元にかけ、波打つフリルの布を飾り、その肌はかつての栄光の欠片を微塵にも感じさせない程、哀れにも枯れ果てしわだらけ。

 顔の中央には鷲のように高い鉤鼻を持つ、ロマンスグレーの銀の髪をオールバックにまとめ上げた、年老いてなお姿勢の良い、趣味の悪い、狂った中世貴族を思わせる装いの痩せこけた老紳士。



 ヴェルゼロート・フォン・クラインベルク。


 この国の闇の重鎮とも呼ばれる、西欧諸国全土にコネクションを持つ巨大マフィアのボス。

 彼がその気になれば、国を裏から自在に操ることさえ可能だと噂されている。


 麻薬密売、人身売買、その他もろもろエトセトラ。表裏合わせれば世界各国全てにまで様々なシンジケートを持つ。

 それでいてなかなか尻尾を見せない狡猾な切れ者。



 余りある富と権力を得て、長く時を生き続けた“男”はある真理に到達していた。


 それはある意味では一つの“世界に対する答え”。



 『所詮、世の中“力”が全て』という理不尽極まる結論だった。



 権力、金、コネ、ツテ、暴力。

 そこに損得と言った“知力”を混ぜ込むだけで、大抵の事はどうとでもなる。


 この世は力。


 そして金は、力なのだ。



 先に延べた孤児院の一件もそうだ。

 裏で教会に“金”を出していたのは“男”に他ならない。

 神父側もビジネスとして割り切っていた。経済的にしかたなかったのだ。

 幼い無数の子供たちを食べさせるためには、教会からの寄付金だけではどうあってもまかないきれるはずがない。


 沢山の“援助”が必要なのだ。


 裏の組織の金といえど、表の企業や表の資産家を通されては断る理由も無く、半ば感づいていたといえども、慈善事業だけでやっていけるような世の中で無いのであれば、それはもう、世界が悪いのだ。

 ゆえに、これも神のお導き、と甘い言葉で揺さぶられれば、敗北者のいない関係性に亀裂の一つも走ろうはずは無く、たった数名の犠牲で成り立つウィンウィンの関係は、誰も損をしない最善の選択とされてしまう。


 もっとも、本来であれば養子とは簡単に選べるような“システム”ではない。

 性的な虐待を考慮すればこそ、最大限にルール化された“それら”が牙をむく。



 だが、それさえも“男”は様々なテクニックを駆使して欺き、自らの意のままにするだけの“力”を有していた。


 少女の写真を見た瞬間から“館の主”は彼女をメインディッシュにすると決めていたのだ。



 養子縁組先の大半はシャブ中女を利用してきた。家族のいる者、いない者。いた所で一家そろって薬にはまるような輩どもだ。金に困っていつ消えようと誰も気にも止めやしない、そんな連中だ。汚い手段で手に入れた偽りの市民籍でまともな人間風に一時でも繕えればそれでいい。


 使い捨てにはちょうど良かった。


 今回は特別に友人も一人使用してみたが、それはそれで中々に上手くいった。


 やはり、ウィンウィンの関係に見せかけるのが賢いやり方だ、そして最後に口を封じられれば更にベストだ。


 “男”は思い返しながらほくそ笑む。


 人一人の経歴さえ、作るも消すも容易い。力ある権力者とはそういうものなのだから。


 “男”は返り血に染まりながら、痙攣するように嗤い続けていた。



 それはもはや恐怖でしかなかった。

 少女は目の前のおぞましい光景から逃れるために必死に力を振り絞る。


 だが、それでも現実は変わらない。

 か弱い少女の細腕では、希望の欠片にさえも届かない。


――動けない逃げられない。


――ただ、叫ぶことしかできない。



 そして、疲れ果てて力を緩めた少女の目に、意図的に目を背け続けていた“それ”が映しだされる。



 彼女の周囲にある、無数の紅だ。


 撒き散らされた血と肉片。


 腹部を切り裂かれ、腸をほじくりだされた胴体部に、ゴロリと無残に解体、分離された腕や脚。それはまるでマネキン人形か何かのようで、まるで現実味を帯びていない。だがそれらは確かにさっきまでは赤い命の雫を流していた。生ある者の一部だった。


 ギョロリとこちらを睨む眼窩には“何も無かった”。


 虚無の空洞がこちらを向いているだけ、端から垂れる赤き血は、まるで彼女の流した涙のようにさえ見える。


 血を流しきり、青々と変色したその肌は、もはや生ある人のそれではない。


 床に投げ出されるように散らばった長い髪は、自らの血に塗れ、ベットリとおぞましい色彩でそれらを彩っていた。



――それらはもはや、人型だった何か、分解、解体された末に残った肉質の断片でしかなかった。



 だが、そんな凄惨たる惨状をよく見たならば、“面影を見てとれる程度に原型を留めたほんの一部”から察するならば、いまだ震えて命乞いを続ける彼女と同様に、その肉塊の元は、まだ年端もいかない少女であったことがかろうじてうかがえただろう。


 それは、今の彼女と同じように“そうならないための許し”を乞い続けた者のなれの果て。


 少女と丁度時を同じくして里親を得た、孤児院を去って行ったはずの友の姿だった。



 リナ・ウィンクラー。


 『天使の楽園』で育てられた、エミリアと同年代と思わしき少女。

 年齢が明らかでないのは、その出生に由来する。

 彼女は生まれてすぐに捨てられた。いわゆる、教会の入り口に「育ててください」とばかりに投棄された赤ん坊、というタイプの孤児だった。

 ゆえに、正確な出生日時がわからない。ゆえに、正しい年齢は推測程度にしかわからない。


 明るく奔放なエミリアとは対照的に、物静かな性格の少女だった。


 腰まで届く長さの髪は、ダークチョコレートのような美しい色合いのブルネット。

 無垢な純白の花にうっすらと桜の色を零して染めあげたような肌色に、アジア系特有のどこか幼さを残したままの顔立ちに、うっすらと桃色がかった健康的な唇。

 そしてオニキスのようなブラックの瞳は、どこまでも広がる宇宙を思わせる深い漆黒の闇色で、どことなく妖しささえ感じさせるその輝きはエキゾチックな魅力に満ち溢れていた。




――だが、それも今や昔、その双眸はもはや、ただの虚ろな空洞と変わり果てていた。




 本を読むのが大好きで、騒がしさを嫌う大人しい少女だった。

 けど、対照的であったがゆえか、二人の仲は良かった。


 料理が得意で、美味しいものを沢山作ってみんなを幸せにする。

 そんな夢を語り合っていた。



 そんな彼女が……少女の目の前に横たわっていた。



――そんな幸せな日々が、もはや遠い。今ではもう、夢のようだった。



 夢を追い、日々健気な努力を繰り返し、不幸な過去など振り返りもせずに、ただ前を見つめて生きていた。そんな未来ある少女が、殺され、穢され、蹂躙された挙句、猟奇的とも言える形で無残にも解体され、豚や牛などの家畜が如く、貪り喰われようとしていた。


 そして、そんな姿を見ている少女もまた、同じような未来を辿ろうとしていた。



 幸せだった過去は遠い彼方。目の前にあるのは、冷酷にして無慈悲な現実。



 エミリアは目の前で繰り広げられた惨劇を思い出す。




――“男”は最初、裸の彼女に対し、優しく口づけをしたのだった。


――まるで、大丈夫、怖くないよと語りかけるように。


 そして、馴れた手つきで、何をされたかもきっと本人が理解するよりも早く、彼女の動脈を切り裂いたのだ。


 その手に握られていたのは怪しく光る、骨董品めいた彫刻や装飾のなされた歪な刃の不気味なナイフ。


 “男”は切り裂いた首筋に齧り付くように口を付け、浴びるように流れ出る血を飲んだ。


 そして、ある程度味わうと、残りは下におかれた金属製のバケツに落ちるように彼女の上体を机から放ると――事に及んだ。


 それは本来ならば、愛し合う男女が行うべき秘め事で、死にゆく者の肉体に対して行うような行為ではない。


 にやけた笑みを浮かべながら一心不乱に腰を振る“老夫”。


 やがて少女が痙攣を始め、白目を剥いて動かなくなると、男もうめき声を漏らし、ベットリとおぞまい体液を垂らしたそれを引き抜いた。


 見るもおぞましい儀式は幕を閉じた――かのように思われた。


 だが、それさえも、これから始まる吐き気を催す冒涜的な儀式サバトの序章に過ぎなかった。


 “男”は貪るように少女の頬に齧り付く。


 頬肉がごっそりとえぐられて血が溢れ出した。


 その鮮血を、まるでケーキの透明な帯に付いたクリームをなめとるように存分に味わうと、今度は豪奢な銀のスプーンを取り出して、目玉をほじくり出したのだ。


 口に運び、口内にて舌で転がして弄び、舐めまわし、散々味わいつくした後に、噛み潰す。


 恍惚とした笑みで咀嚼する。


 そして噛み切れなかった一部を吐き捨てると、恍惚とした表情で、まるでミュージカルの舞台に立ちスポットライトを浴びる演者の如く、謳うように独りごちる。



「残りはどうするかなぁ。焼くか、煮るか、炒めるか……。柔らかな胸肉はシュニッツェルに。肩肉と尻肉はステーキに。すね肉は塩漬けにしてから茹でて煮込んでアイスバイン、もも肉はゆっくりとマリネしてザウアーブラーテン。ラザニアなんてのもいいかもしれんな。オリーブオイル、ガーリックと一緒にフライパンで炒めたら、ロマーノチーズ、モッツァレラチーズをふんだんに重ねて……うん、たまにはイタ公共に習ってワイズガイを気取ってみるのも一興だ……想像するだけで涎が出るわ」


 聞くもおぞましい吐き気を催すような提案を口にしながら“彼”は少女を一瞥する。


「君も、そう思うだろう?」


 問いかけるやいなや、まるで家畜を解体するかのように、手にしたナイフで、少女だったモノを切り刻んでゆく。


 血が噴出し、ゴロリ、ゴトリ、と腕や脚が切断されていく。


 ノコギリ状の背が付いたそのナイフは、ゴリゴリと、骨まで切り落とせる特注品。



「ジビエって知ってるかなぁ? 内臓を捨てるのと血抜きはねぇ、早くて的確な方がいいんだよぉ。私は、そこそこに、グルメを気取っているつもりでねぇ……」


 その手にはドロリと垂れ出たはらわたが握られており、“男”は少女だったモノの体の奥まで手を突っ込むと、手に取ったナイフで奥部を切り取り、腸の群れを床へと投げ捨てる。


「悲しい事に、脳と内臓はね、食べると体に悪いんだ。遠い未来に、だがね。脳に異常をきたしてしまう。同類を殺して食べてしまわないよう、まるで神とやらが作り出した嫌がらせのようにも思えるねぇ」


 無残にも解体され、かろうじて損傷の少ない上体部から上。少女だったモノの頭部。

 かつては友であったモノの虚ろな二つの空洞がこちらを向いていた。


 眼窩から零れ落ちる血はまるで涙。


 最期の力を振り絞って、何かを語りかけようとでもしたかのように、その口から泡の入り混じった血がコポリと零れ落ちた。


「いやぁぁぁぁぁ!!!」


 ゆえに、少女は必死に唱え続けた。

 このような惨たらしい結末から身を守るための、彼女が知りうるたった一つの呪文を。


 たすけて……たすけて……!


 たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて……!!


 たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて!!!


 瞳から大粒の涙を零しながら、少女は必死にその呪文をくり返す。


 恐怖からか、少女は失禁していた。


 垂れ流された体液は絨毯を汚し、撒き散らされた血と臓腑の内容物が織り成す匂いと混ざり合い、鉄サビと吐しゃ物に、さらにすえた匂いを足し合わせたような、何とも例えようのない、独特の不快な臭気を放っていた。


 だが、そんな少女の痴態を眺めつつも“男”は――



「これまた新鮮な、穢れなき乙女の体液エキス。かえって場が浄化される」



 いいんだよ、それさえも私は許容しよう、とばかりに優しげな笑みを浮かべつつ“男”は優しく少女の頬を撫でるのだった。


 そんな気まぐれにも似た一時の奇行に、少女は刹那の儚い希望を抱かせる。

 だがしかし、“男”はその表情の変化に大層ご満悦といった面持ちでニンマリと微笑むと――。



――懐から“ソレ”を取り出した。



 どこか古ぼけた――もはや骨董品ともいえるような一丁の拳銃だ。


 時代錯誤の古ぼけた骨董品のような、金属製の豪奢な刻印で飾られたフリントロック式のピストル。


 銃身は暗く光り、異様な迫力を放っていた。だがそれだけではなかった。


 それは硝煙の臭いを染みつかせ――そう、過去の栄光ではない。美術品やただの飾りではない、現役であるがゆえに放たれる特有の匂いに満ちていた。



「助けて……助けてぇ……」



 少女は己の最期の時を予感し、必死の命乞いを敢行する。

 当然の如く、それを無視して“男”はピストルの火皿に口薬を装填し、当たり金を閉じた。


「さあて、どうしようかなぁ」


 無慈悲にも、銃口へと火薬を詰め込み、円形布パッチをあてがうと、弾丸と共に込め――銃身の下に備え付けてあった細い棒――込め矢カルカを取り出すと、慣れた手つきで弾丸や火薬を押し込み、込め矢カルカを銃の下へと戻す。


「お願いします……なんでもしますから……」

「ふぅむ、何でも、ねぇ……」


 フリントロック式ピストルの火打石金具を指で離して、セット完了。装填を終える。


 “男”は怯える少女の様子を眺めながら、明らかに興奮していた。

 舌なめずりをしながら愉快そうに男は嗤う。

 だがやがて、ただ見続けるのにも飽きたのか。


「……うむ、決めた」


 にっこりと微笑んで立ちあがると、数歩、扉の方へと歩みだす。


「何でも、と言ったな」


 少女はその笑顔と行動、言葉に、ほんの一瞬だけ希望を見た。


 大きく頭を振りかぶり、少女はイエスと肯定を繰り返す。


 生き残りたい生き残りたいまだ死にたくない助けて死にたくない生きたいまだ生きていたい生き残りたい生き残りたいまだ死にたくない助けて死にたくない生きたいまだ生きていたい生き残りたい生き残りたいまだ死にたくない助けて死にたくない生きたいまだ生きていたい生き残りたい生き残りたいまだ死にたくない助けて死にたくない生きたいまだ生きていたい――



 だが、次の瞬間――。



「じゃあ、今、死ね」



 振り向きざまに、“男”は笑顔で引き金を引いた。



 シュボッと一瞬、火が上がるのを少女は見た。

 そして、それがエミリアの見た最期の光景となった。



 一瞬後に放たれた弾丸が、少女の意識の根源を頭蓋の外へと撒き散らしたのだ。


 ビシャリと放射状にそれらが床に散らばった。


 眉間に風穴を空け、虚空へと向けた手を数瞬泳がせた後に、少女はその場に崩れ落ちるように倒れる。


 パタパタと少女の肢体が動き続ける。それは壊れたおもちゃの如く。まるで突然起きた出来事に、一体何が起きたのかと、体の理解だけが追いついていないかのように、


 だがそれも数瞬の事。白目を向いて小さな痙攣を始めると、やがて血の入り混じった紅い泡を鼻や耳、口から吹き出しながら、徐々に体は弛緩していき、ついには一切動かなくなった。



 そんな無様な姿が“男”の目には大層滑稽に映ったのだろう。



 そのような惨劇を眺め、“男”はさも愉快そうに嗤い転げる。



 一通り大笑いしてから“男”は――再度“事”を始めた。


 興奮していきり勃った男の証を、すでに事切れ弛緩した雌の象徴へと埋没させる、ただそれだけの行為。


 だがそれは、本来であれば愛し合う二人が行うべき、神聖なる秘め事。


 それを男は――命を虐げ、蹂躙し、奪い、さらにその魂を汚してまで、己の快楽を貪るためだけに行っていた。


 富、名誉、栄光、権力。


 裏社会の、決して煌びやかとは言いがたい血と硝煙に満ちた世界で得たものとはいえ、この世全ての、あらゆる栄華を手に入れつくした“男”。ヴェルゼロートは、明らかに狂っていた。


 やがて訪れるであろう逃れられない運命さだめ。自らの死という現実みらいを覆すべく、毎月、満月の夜毎、クラインベルク中の国全土から幼い処女を集めてはその血肉を喰らい、死のまぎわのを喰らい、生き血をすする。


 それは、老いて死に瀕した男がすがりついた魔の儀式。

 不死の悪魔が住まう森で、自らが悪魔となることで生を喰らい不死を得る。


 魔術と言えば聞こえがいいが、科学万能の現代にそのような御伽噺、幻想、奇跡など当然の如く証明されてはいない。

 つまりそれは、死の幻影に怯えた愚かな老人の考え出した個人的なおまじない。



 くだらない――そう、実にくだらない、ただの妄想。夢物語。



 そのような自己満足の虚構のためだけに、男は個人財産の全てを用いて、ここ数年、このような愚行を続けてきたのだ。


 だが、誰もそれを咎めることなどできやしなかった。

 なぜなら、この国の中枢にまでコネクションを伸ばしきっている“彼”にとって、自らの罪をもみ消すことなどケーキを噛み砕くよりも簡単な、余りにもたやすいことだったからだ。


 ゆえに“男”は、このような狂気じみたおまじないをただくりかえし続けるのだった。




――己が栄華を、永遠のものとするために。




 若い、希望と可能性に満ちた未来を摘み取り、踏みにじり、穢して喰らう。

 最低のゲスの極みたる行為。だがそれこそが人間を超えるという事。


 ペドフィリア、ネクロフィリア、カニバリズム。殺人、強姦レイプ


 人として決して外れてはならぬ五つの禁忌を破る、神に唾を吐きかけついでに糞尿を投げかけるような冒涜的にして罪深き行為。


 畜生にも劣る鬼畜。まさに人非人。鬼か悪魔の如き不義悪行の極み。


 だが、それこそが人間を超えるという事だと、“ヴェルゼロート・フォン・クラインベルク”は理解していた。



 見るもおぞましい、吐き気をも催す、人間のあらゆる倫理を超越した、忌まわしき人ならざる咎人の証たる禁断の祭儀サバト


 その光景はもはや、人の姿をしたままの、人ではないナニカの所業としか言いようがなかった。



 だがしかし――。


 当然とも言える末路として。




 そのような人ならざる、悪魔にも劣る畜生以下の忌むべき所業を――




――許されざる禁忌を“例え神が見過ごそうと”――“人なればこそ”見逃すがはずなかった。


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