chapter2-1「迫り来る雷雨1」


 空には月が輝いていた。


 薄暗い夜の時間。


 一面闇の世界。


 無数の星々と、静寂だけが世界を支配していた。



 だが、その星々と静寂を妨げるものがあった。



 一つは、遠方に存在する灰色の空覆う無数の雲達。そして、時折輝く稲光。

 それらは強風に煽られ、あと数時間もしない内に、この一帯の空さえ包んでしまうであろう事が伺えた。


 二つ目は、煌々と光り輝く満月の光である。

 ただの月明かり程度であればどうということもないのだが、その日の月明かりは少しだけ違った。

 大気の変化か異常気象によるものか、赤いのである。

 普段よりも赤く、そしてやや大きめにも見える怪しい赤い満月の輝きが、星々の存在を陰らせ、そして人々の心の静寂をかき乱すのだ。



 そして最後に、三つ目は――。




――うっすらと湿った冷たい空気が、雷雨の到来を予感させた。




 クラインベルクの街を囲む城壁の外、入り口方面を除くその周囲、主に後方へと向けて広がる森。

 帰らずの森、悪魔の住まう禁忌の森とまで呼ばれる広大な森。


 その森と街を同時に見渡せる小高い丘が、クラインベルクの街の西側、深い森の中に存在していた。


 クラインベルクの名前の由来となった、美しい花が咲き乱れる小さな丘である。



――その丘に、彼らはいた。



 濃い目のグレーと黒に近い緑、夜の闇と森の中に隠れやすいランダムな彩りで飾られた服。

 夜間迷彩姿の五人の男女。


 一様に匍匐姿勢で、森の奥に隠された館とその周囲を覗き見ていた。


 その手には、特別な対反射コーティングされたレンズに特性の網目状キルレンズカバーフラッシュを用いた、光を反射しずらい特殊な素材でできた黒い望遠スコープ。


 彼らは丘の上、木々の枝葉に隠れ、現代科学の粋を集めた特殊な望遠スコープで、惨劇繰り広げられる禍々しい赤き屋敷を、ただ眺めていた。



「ふ~ん、あんな・・・にわざわざ屋敷をね」


 望遠スコープを覗き込み、蔑んだ視線を屋敷に向けておくる女性。

 切れ長の目に美しい金の髪。チームのリーダー。リラ・ローゼンシュベルトは悪戯めいた運命の皮肉に小さく笑みを浮かべつつ呟いた。


 深い森の中。無数の枝葉に隠されながらも、かろうじて屋敷らしき一部だけが見える。


 だがそれは、そこに屋敷があると知った上で、望遠スコープで覗き見た小さな視界の中、超人的な疑り深さで探し出してようやく見つかるかどうかというレベルの小さな露出点。


 通常ではとてもその存在を見つけることは困難な場所。


 例え衛星からの映像であったとしても、その隠された屋敷は、一部さえも見つかることは無いだろう。


 当然、水も電気も引いていない。どうしても必要であれば、水ならばどこかから持ってくる。電気は人力発電機を用いる。明かりは蝋燭など電気を用いらないもので代用する。と、まさに悪魔の住んでいたであろう時代、中世さながらの生活をおくっているのだ。


 恐らく、トイレも肥溜め式だろう。


 もっともそこでメインの生活をおくるであろうヴェルゼロート本人は、隠れ家、別荘としてめったに使用しないうえ、全てを使用人に任せるのだから、たいした徒労にもならないのであろうが、それよりも、どうやってこのような建造物を人知れずに作り上げたか、だ。


 恐らく、工事用の作業機械など一切使わず、夜などに、昔ながらの手作業でこの屋敷を建築せしめたのであろう。


 そして、口封じのために、それに使われた労働者達は恐らく……。


 その無駄で膨大な無数の徒労を、リラは敬服せざるをえなかった。


「で、殺人、カニバリズム、ペドフィリアにネクロフィリアねぇ……」

「なんですかね。その……人間の禁忌を全部そろえたみたいな欲張りセットは……」


 リラの呟きに、副官である長い金髪の青年。ヴァイス・ハーケンベルテがげんなりとした表情で返す。


「本当、地獄のハッピーセットもあったものね」


 一方でリラは苦笑を漏らす。


 余りの非人道的すぎる行為。余りに現実味を帯びていない異常の前では、それは悲劇ではなく喜劇。

 そのあまりに滑稽かつ無残で悲惨な現実に、人は苦笑いを浮かべるしかない。


「んで、老いてしわがれたナニを、わざわざ殺してからぶち込むんだとさ」


 そんな苦笑いするリーダー達の話を、大柄な黒髪の男が更に茶化す。

 シュヴァルツ・アインホルン。この部隊のベテランである。


「で、AV気取りの狂ったタンゴを踊りだすってんだから、たまらないね」


 目の前でそんな現実が起きているであろうにも関わらず、何も出来ない自分たち。そんな不快な現実から目をそらすべく、あえてシュバルツは茶化して気を紛らわせようとしたのだ。


「なんでそんな事を……許せないっ」


 先の二名の男性と比べ、やや小柄で若い青年が苦虫を噛み潰したような表情で憤る。

 クリストファー・モリス。隊の期待の新人ルーキーである。


「死ぬのが怖いから、らしいです。森の悪魔の伝承と自分自身を重ねて、悪魔になることで死を乗り越えようと」


 クリスの隣、彼よりもさらに小柄で、戦闘とはおよそ遠い世界の住人とも言えそうな、華奢で可愛らしい少女のような女性が呟く。

 リヴィエラ・シャッテンフェルス。クリスと同期の新米隊員である。

 その表情は重く、まるで目の前に広げられている現実が受け入れられず、されど必死にそれを飲み込もうとしているかのように見えた。

 なぜなら、その情報データ自体、彼女が自身の得意とする情報収集の末に手に入れた事実だったからだ。


 周囲に重い緊張感が走る。


 その気配を察知したかのように、森の中から小動物か何かだろうか。ガサガサと走り去る音が、周囲の静寂を一瞬だが打ち破る。


「馬鹿げてる……!!」


 リヴィアの答えにクリスは更なる激昂の感情を示す。

 先の動物は、この怒気とも言える気配に先んじて反応したのかもしれない。


 これがもし敵に近い状況で、相手が直観力の高い人間だったならば、その殺気にも近い気配に気付かれていたかもしれない。


「……その馬鹿げた遊びを止めるために、俺たちがいるんだよ」


 そんなクリスを、静かに優しい声でシュバルツが戒める。


 時にはおちゃらけるように、緊張感をやわらげ、殺気を抑え、肩の力を抜いて空気を変えるよう勤める。

 無駄な緊張感と殺気や怒気などの個人的感情を抑えるべく、緩和させようと、小さく笑みを浮かべながらクリスの頭を撫でる。


 それは、余裕あるベテランの貫禄であった。


 そう、惨劇はすでに、恐らく始まってしまっている。

 今焦って動いたところで事件の解決には繋がらない。

 だからこそ、氷の心を持って、任務の開始を待つ。


 それが、今現場に必要な心構えなのだ。



「……はい、そうですね」


 クリスは自分の未熟を恥じて、自らを律する作業に入った。


 リーダーも、サブリーダーもだ。別にふざけて笑っていたのではない。

 無駄な緊張感で敵に悟られることのないよう、自然な空気のままそこに存在し、気配を絶とうとしていたのだ。

 何の違和感も無く、ごく自然なままに、まるでそこにいるのが当たり前であるかのように、静かに周囲の景色と同化する。

 それでいながら、一切の油断無く、集中して警戒する。


 それこそが、巨悪を討つべく編成されたこの部隊。暗殺部隊とも言える組織隊員に必要なスキルなのだから。



 クラインベルク公安課資料室第三係。

 それは世を忍ぶ仮の姿。


 その正体は、この国に隠れ潜む巨悪を討つ組織。



『普通の警察では解決できないような悪質な事件』


『絶大な権力や力を持った極悪人』


『真犯人を特定しきれずに捜査が打ち切られた猟奇犯罪』


『政府の裏と密接に関係した組織の陰謀』



 それらを極秘裏に見つけ出し『処分』するための特務機関。


 正確には公安でもなければ、警察ですらない。

 それらを隠れ蓑にした、特殊戦闘部隊である。

 その正体を知る者はごく少数で、国の軍隊、警察官などの中からエリートだけを選出して極秘裏に決められるという少数精鋭。

 法の外にある独自権限を国から与えられた『極秘部隊』。


 それが、彼らなのだ。





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