第3話:『人間性なき科学』『理念なき政治』そして『献身なき信仰』
「至近距離でAK-47を乱射ですよ。犯人は屋上からロープを伝って、あそこの窓をから侵入ですね。これは素人にはできない仕事です」
第一発見者である地元自警団の男は、やや興奮気味で遺体発見当時の状況を説明した。
「チャン・スングン、国家情報調整委員会執行部所属。彼は旧アザニア共和国が崩壊した直後からこの国に住んでいる」
スティーブはウェアラブル端末から、チャン・スングンの個人データを照会している。
「あまり評判の良い男ではありませんでした。中央政府の消滅を良いことに、やりたい放題だったんです。彼が連れてきた中国系マフィアが、スラム東部を実効支配していました。それにも関わらず、治安維持に貢献があったとして国家情報調整委初期メンバーに抜擢されているんです」
発見されたチャン・スングンはデスクにうつ伏せるようにして死亡していた。デスクにはチャンの血液で描かれたであろう『労働なき富』の文字。
「中国政府としても、この国に利権を残しておきたかったのだろうなぁ。しかし、『労働なき富』。まさしくそれを象徴するような豪邸だが……って、おいコウタ、どこへいく」
疑念は確信に変わる。ならば、今取りうるべきもっとも最良な選択は何か。
もう一度、サラと話をしなければならない。彼女を止めなくてはならない。誰の手も借りず、自分自身の手で。コウタはチャンの邸宅を出ると、無味乾燥が渦巻くスラムの路地に消えた。
★☆★
コウタは左手に装着しているウェアラブル端末をシャットダウンすると、後ろを振り返り、尾行がないことを確認して走り出した。
それほど大きな街じゃない。やがて、スラム街の狭い路地奥に佇むサラのアパートが視界に入ってくる。コウタはアパートの階段を駆け上がり、彼女の部屋へと続く扉の前で息を整えた。
深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。粗い呼吸が落ち着いてから、彼はドアノブに手をかけた。
扉の鍵は開いていたが、部屋の奥にサラの姿は見当たらない。コウタがリビングに足を踏み入れたその時、テーブルの上に置かれた黒い電話機がけたたましく鳴り響いた。
『あなたに出会えてよかった。きっと最終的には全ての罪が償われることにつながるから。コウタが本を拾ってくれなかったら、こうはならなかった』
手にした受話器の向こうから聞こえるのはサラの声。
「僕がきっかけを作ってしまったのか……」
あの時、本を拾わなければ、サラは罪を重ねる必要はなかったのかもしれない。もしそうなのだとしたら、全てのきっかけは自分自身にある。コウタはそう思わずにはいられなかった。
『違うわ。そうじゃない。だから自分を責めないで』
「君は何者なんだ?」
『旧アザニア共和国国王 チャンドラ・エマーソンの第一王女、サラ・エマーソン』
「全て……、君がやったこと、なのか?」
『私はイデオロギーを具現化する装置に過ぎない。主体なき意志という点では、あなたたちの『ミソラ』や、『エンフォーサー』と同じかもしれない』
「違う、君がやっていることは間違っている」
『間違っている? あなたが理想とするアザニアとは何? 富める国? 幸福な国? 世界にはね、理不尽が溢れている。そんな理不尽さの中で苦しみもがきながら、人は希望を見つけるのよ』
「希望……」
『コウタとは別の仕方で出会いたかった。とてもきれいな目をしていたのよ、あなたは。そしてあなたの気持ちが本当なのも知っている。でも神はきっとあなたを裏切るでしょう。その時、あなたは信仰を捨てずにいられるでしょうか』
開け放たれた窓から、乾いた風が入り込み白いレースカーテンを揺らしていた。
★☆★
『死亡したのは
ネットワーク上で配信されているニュース記事はみな、来宮隆殺害について報じていた。彼の遺体の頭部には『人間性なき科学』とナイフで刻まれていたそうだ。
『七つの社会的罪』 その断罪はもはや自明のこととなった。アザニア政府が懸念しているのは『理念なき政治』に対する応酬。
スティーブらの意見を全面的に受けいれたアザニア政府当局は、政治的意思決定支援システム『ミソラ』の破壊工作に対処するため、国連軍への応援要請をしていた。スティーブはそのための事務手続きで昨日から公安部にいない。
一人でスラム街を巡回中だったコウタは、ストロナペスの正面エントランスの前で車を止めた。厳重警戒中のためか、自動小銃を手にしたアザニア政府軍がいたるところで警備にあたっている。
その時、ストロナペスのタワー外壁に設置された巨大街頭モニターの映像が突如ブラックアウトし、音声配信に切り替わった。その異様な様子に街行く人々も立ち止まり、辺りは騒然となる。
「人の意志が介在しない世界、合理的な社会が必ずしも幸せをもたらすとは限らない。豊かさは時に格差をもたらし、その差異が人を苦しめる。私たちは、そんな『理念なき政治』に抗います」
聞きなれたサラの声が途切れないうちに、ストロナペスの正面エントランスが、爆音とともにはじけ飛んだ。同時に地面が大きく揺れていることが、車の中にいても分かった。地下で大規模な爆発が起こったのだろう。『ミソラ』の制御コンソールのある地下五階で。
フロントガラスの向こう側は黄色い土煙で視界が悪い。コウタはギアをバックに入れると、車をそのまま急発進させる。後方の広場でサイドターンをすると、商業区画へ向けてアクセルを踏み込んだ。
『政治的意志決定支援システム『ミソラ』が破壊されたアザニアでは、交通管制ステムや送電設備もダウンしており、無政府状態となっています』
緊急放送に切り替わった車のラジオは、現在のアザニアの状況を淡々と伝えていた。
混乱ひしめく未舗装の道路を走り、バラック街を抜けた先で、コウタはフロントガラス越しにサラの姿を捉えた。彼女の後ろに見えるのは、旧アザニア共和国国王チャンドラ・エマーソンが眠る墓標だ。
コウタは急ブレーキをかけると、車から降り黄土に焼けた地面に足をつく。
「サラ、やっぱりここにいたか」
「来ると思っていたわ。ねえ、あなたに贈り物があるの。受け取ってくれるかしら」
そう言ってサラは両手に抱えていた段ボール箱をコウタの目の前に置いて後ずさった。
「これは……」
「受け取ってほしいの」
嫌な予感がした。段ボールの上面が赤茶色に染まっていたからだ。おそらく血液だろう。コウタはしゃがみこみ、震える手で段ボールの蓋を開けた。
「くそっ」
立ち上がったコウタは腰のホルスターから拳銃を引き抜き、その銃口をサラに向ける。
「なぜ……。なぜ、こんなことをっ」
段ボールの箱に入っていたのは変わり果てたスティーブの頭部だった。
「神なんていない。それでもコウタ、あなたは信仰を守れるの」
「お前っ……」
うつむきながら、拳銃を構えていたコウタは、手を震わせながらゆっくり銃口を下に向ける。
「この国は、何度でも生まれ変わる。そう、終わりの始まりよ」
コウタはもう一度拳銃を構え直すと、そのまま引き金を引いた。同時にサラの頭部に小さな赤い花が咲く。力を失い、ひざまずいたサラに、さらに二発の弾丸を続けて撃ち込んだ。
コウタはその日以来、教会に足を運ぶことはなかった。
ストロナペスへの断罪 星崎ゆうき @syuichiao
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます