第4話

 人は、一生のうちに何度か絶望して目の前が真っ暗になると言うが、その真っ暗になったのは正彦にとって初めてであり、弥助に声を掛けられるまで、ただ立ち尽くしている。


「夕張隊長……この燃料の事は知っておられたのですか?」


 弥助は複雑な表情を浮かべて、正彦を見やり、口を開く。


「ああ、知っていた、人体の血を戦争に使う、外道の兵器だという事や、晴美が勤労動員でこの実験の材料になる事も。……すまない、俺には止められなかったんだ……」


「……」


 正彦は、複雑な心境に陥るのだが、直ぐに普段の冷静さを取り戻して、胸のポケットに入っている短刀を取り出して、醍醐の元へと足を進める。


正彦の顔つきは、目つきは冷たく今から人殺しをするという覚悟ができている表情であり、その表情を見たのは弥助は初めてであり、一抹の不安が脳裏をかすめる。


「……飛田、やめろ……」


 弥助は上官を殺そうとする正彦の肩を掴むのだが、正彦は歩むのを止めない。


「……隊長、いえ、お義兄さん、何故、私に正直に話してくれなかったのですか? それが分かれば、俺は真っ先にこいつを殺しに……」


「いやな……」


 正彦は凄い力で、後ろに吹き飛ばされる。


 目の前には、正彦たちの話し声に気が付いて後ろを振り向いた醍醐が、恐怖に脅えた顔で弥助を見やる。


 弥助の手には、拳銃が握りしめられており、その銃口は醍醐に向けられている。


「ひ、ひええ……」


「こいつは俺がやるんだよ……おい、てめえよくも俺の妹をやってくれたなあ……」


 パン、という乾いた音と共に、醍醐の右太ももがから血が流れて、醍醐は醜く肉が付いた尻で思いきり地面に尻もちをつく。


「この人殺しが! 貴様はそれでも軍人なのか!?」


 醍醐は恐怖に脅えた顔で、殺意に満ち溢れた弥助を見やる。


「俺は軍人である為に、一人の人間だ……! 晴美とこいつは心の底から愛し合っていた、貴様こそ人間なのか? 軍人なのか? 俺達に人殺しをさせておいて、悠々自分は安全な場所にいるだと……? どちらが軍人なんだ? どちらが人間なんだ!?」


「夕張大尉殿、おやめ下さい……」


「軍法会議になってしまいます……」


 周囲は、弥助を止めようとするのだが、弥助の鬼気迫る雰囲気に圧倒されて、弥助の元に近寄れないでいる。


「正彦……貴様は生きろ、晴美の分まで……そして、戦争がいかに無意味なものだと、後世に伝えろ……さらばだ」


 パン、パンという乾いた音が、周囲に鳴り響いた。


 ☠☠☠☠


 8月15日の午後、正彦達は複雑な思いで、玉音放送を聞き入る。


 昨日の大規模な戦闘が嘘のように、鳥と蝉が飛び交い、綺麗に澄み渡っている空が広がっている。


 蝉の泣き声が玉音放送をかき消そうとばかりに鳴き、自分は安全な場所に居て自分達軍人や国民に苦労を掛けた天皇陛下の情けない声を聴きながら土下座している兵士達を見て、正彦は軍人らしくは無いのだと自覚しているのだが、土下座をして聞き入る事をせずに、その場に立ち尽くしている。


(戦争が終わっても、仲間やお義兄さんや、晴美は帰ってこない……俺達がした事は本当に正しかったのだろうか? 俺達はこれから、裁かれるだろう……。だが、戦争の悲惨さを後世に伝える為には、何が何としてでも生きよう……晴美達の分まで……!)


 昨日、弥助は醍醐を撃ち殺した後に、自分も頭を拳銃で撃ち抜いて自殺した。


 司令官がいなくなったのだが、代わりがおり、醍醐もまた、大きな流れの中の駒の一つだったのだろうと正彦は思い、一睡もせず何も食べす、今この場にいる。


 正彦は一人宿舎に戻って行った。


☠☠☠☠


 もう、爆弾や弾丸に脅えなくて済むと言いたげに、力強く咲いている向日葵の畑に、正彦はただ当てもなくぶらぶらと歩いている。


 この畑は、正彦と晴美が最後に会った時の畑である。


(暑いな……)


 正彦の目の前には、晴美と休憩をした時の大きな木が切られずに残っており、正彦はそこで休憩をしようと足を進める。


 玉音放送があり、軍隊が解散となり、つい先日、8月の終わりに正彦達は休暇を貰い、正彦は実家に帰る気にもならず、何故か知らないがここに来た。


「ふう……」


 ここまで歩いてきたのか、疲れ果てて木にもたれかかり、正彦は溜息を付く。


(晴美、義兄さん……貴方達がいない世界はつまらないんだ……戦争の悲惨さを伝えようと俺はこれからもがくのだろうが、どんなにもがいた所で、戻っては来ない……俺はこれからどうしたらいいんだ?)


 正彦は今までの疲れがどっと出てきて、ゆっくりと目を閉じる。


 脳裏に浮かぶのは、優しかった晴美と弥助の顔。


だが、死んだ人間を生き返らせる方法はどんなに探しても無く、正彦は目から一筋の涙を流す。


「正彦さん」


 聞き覚えのある声に、正彦ははっと目が覚める。


 目の前には、晴美が顔にエクボを作り、微笑んで立っている。


「うん? ……え? お前確か死んだのではないだろうか……?」


 正彦は目を凝らして晴美を見るのだが、足はきちんと付いており、幽霊では無い事を知って安堵の溜息をつく。


「ええ、実験は少量の血液で済んだの。ついさっきね、工場が閉鎖されて戻ってきたの。お兄さんが亡くなったのも、ついさっき知ったわ……」


 晴美は泣き腫らしたのか、涙の跡が残る顔で、正彦を見やる。


「そうか……」


 正彦は、立ち上がり、晴美を抱きしめる。


「晴美」


「正彦さん」


「もうお前を離さない、お前は俺が死んでも守り抜く……うん?」


正彦の視線の先には、弥助が微笑みながら立っており、体が透けていき、消えていった。


『晴美を頼むぞ、正彦……!』


(お義兄さん、俺は死んでも晴美を守り抜きます。あの世で俺たちを見守っていってください……!)


正彦は晴美の目に浮かんでいる涙を指で拭う。


「生きよう、お義兄さんの分まで……俺はお前を守り抜いて、この世界を生き抜くぞ……!」


 正彦は、晴美の手を握り、何処までも続く向日葵の畑をゆっくりと歩き始める。


(完)


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血弾ー煉獄版 @zero52

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