【死者の声】

 ネットの何処かに、殺人鬼の遺書があるらしい。


 殺人鬼の遺書を読めば、死者の声が聞こえるようになる。


 遺書を探しだした人は自殺する。


 変容していく毒島武人の遺書の都市伝説。それも異常な速さで。十八年前の事件とはいえ、あのテレビ番組がなかったら、忘れ去られたままだったはず。だから、実質ほんの三ヶ月たらずでここまで広がり変容してしまった。そして、平成が終わる春になる前には、話題性をなくしてしまうだろう。

 その前に、遺書を見つけなければならない。


「行ってきます」


 自動的になってしまった定型句たちに、なにも感じなくなったのはいつからだろうか。

 もうすぐ妹の四十九日だ。三途の川を渡ってしまう。そもそも、四十九日にどういう意味があるのか……ググる気にもならない。


 とにかく今は、毒島武人の遺書を見つけなくては。


 乾いた冬の空は、見上げる気にもならない。あまりにも高すぎて青いから。


 なぜ、毒島武人は、七人も殺したのだろうか。

 なぜ、毒島武人は遺書をネット上に遺したのだろうか。

 なぜ、死者の声が聞えるようになるのだろうか。


 歩きスマホは、周囲の視線が怖くてできない。早く、早く駅のプラットホームへ行かなければ。


 昨夜もほとんど寝ていない。顔色が悪いだの、大丈夫かとか心配されるけど、よそよそしく感じてしまう。

 今はとにかく、死者いもうとの声を聞くために、毒島武人の遺書を見つけなけくては。


 ネットの噂は、どんどん変容していく。顔も名前もない無責任な発言者たちの噂は、どんどん真実を覆い隠していく。いや、真実そのものを塗り替えてしまっているのではないか。


 コートのポケットのスマホを握って、取り出さずに手を開く。まだダメだ。まだ足を止める場所じゃない。駅までの道のりが、やけに遠く感じる。

 気持ちだけが急いているのはわかっている。こんなに焦ったところで、目新しい情報が見つかる可能性なんて低いのに。


 毒島武人の遺書なんかないってわかっているのに、僕は探すことをやめられない。

 わからない。わからないんだ。どこまでが、真実なのか、まったくわからないんだ。わからないから、可能性がゼロじゃないから、僕はこんなにも焦っているのかもしれない。

 もし、もしも、僕がしがない地方企業の社会人一年生じゃなくて、能力もコネもあるデキる男だったら、むやみやたらにネットの噂で浪費することはなかったかもしれない。


 妹が自殺した。

 あの日から、僕の日常のバランスはおかしくなっている。

 わかっている。わかっているんだ。どこかで割り切らなければならないことくらい。母も父も、少しずつだけど、妹の自殺に踏ん切りをつけて新しい日常を受け入れていこうとしている。でも、でも、僕は無理だ。というか、母と父のほうがどうかしている。だってそうだろ、僕ら家族が妹を自殺させたのかもしれないのに、どうして踏ん切りをつけられるんだ。


 僕は、知らず知らずのうちに妹にとって最低な兄になっていたのかもしれない。もしかしたら、妹の自殺は僕への復讐だったのかもしれない。

 わかっている。わかっているんだ。あの妹に限って、そんなことをするようなやつじゃないことくらい。でも、可能性はゼロじゃない。


 改札で四つに分かれる人の列の流れに乗りそこなった僕は、高校生にぶつかりそうになった。


「ちっ」


 わざとらしい舌打ち。聞えよがしな舌打ちに、不快感を覚えたけど、無理やり飲みこんだ。

 僕も数年前まではそういう奴だったんだから。


 謳歌する日常から、消化する日常へと変わり、今では消耗するだけの日常。

 名前も知らない人々の群れの中から、僕がいなくなったところで、いったい何が変わるというのだろうか。


 もしかしたら、妹はこんな日常から逃げたかったのかもしれない。僕は大学に進むまで、ずっと通勤通学ラッシュとは無縁だった。でも、妹は違った。僕よりも先に、こうしたことでいちいち心を消耗していたのかもしれない。


 人の流れに乗って、プラットホームへ続く階段をのぼる。自動的になってしまった日常の階段だ。

 のぼりきったところで、くらりと軽いめまいがした。

 寝不足の僕には、太陽の光が眩しすぎた。


 よろめき手すりにすがった僕を、名前も知らない人々は器用に避けて先へと進む。

 僕もすぐにそんな器用な人々の一部になる。

 まだ、一日が始まったばかりなのに、ひどく疲れている。まるで、人生に疲れてしまったようだ。笑えない。笑えない。笑えない。僕はまだ二十二歳だ。笑えない笑えない笑えない笑えない妹はまだ高校生だった笑えない笑えない笑えない笑えない笑えない笑えない……死にたい。


 ――まもなく、四番ホームを列車が通過します。


 ああ、そうか、死者いもうとの声を聞きたいなら、毒島武人の遺書なんか必要なかったんだ。


 ――黄色い点字ブロックの内側に……


 黄色い点字ブロックの外に進んで、僕が死者になればいいんだ。



















 ――――毒島武人の遺書って、結局なんなん?お前、やめろって死ぬぞ。もうわだいにするだけで、呪われるんだからな。まじか。それ、やばすぎね。ワイの親戚、やつの遺書探してて自殺したんぞ。



【#遺書探し 未解決 完結】

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#遺書探し 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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