江口城潜入

 三好政長の兵と、六角家の援兵である山中久俊隊の喧嘩。その原因を作ったのは、言うまでもなく、松永久秀の指示で城に忍び込んでいた滝川一益である。


「あ~ちくしょう。何で俺様があんなおっさんの命令に従わねばならんのだ。俺様は地味ぃ~な忍びの仕事は嫌いなんだよ」


 ぐだぐだ言いつつも、一益は夜陰に紛れて江口城に潜入した。主従の誓いを交わした信長から貰った脇差を久秀に取り上げられてしまっているのだから、あの男の言いなりになるしかない。


 ――三年修行し、俺が侍大将に抜擢してやれるだけの実力を身につけて来い。


 信長はそう言った。あの若殿は見たところ非常に生真面目で誠実な性格だ。一益がちゃんと修練を積んでくれば、織田家の部将に本当にしてくれるだろう。ならば、男と男の約束を守るためにも、今度ばかりは真面目にやってみよう。一益はそう一大決心した。


(信長様は城内に鉄砲や大量の火薬を保管している。戦の際、あの南蛮伝来の飛び道具を主戦力として用いるつもりなのだろう。砲術を極めて尾張に戻れば、あの御方は俺様を鉄砲指南役にしてくれるかも知れねえ)


 これからの時代は鉄砲だ。そう予見した一益は、信長と別れた後、近江国の国友村に足を運んだ。将軍足利義輝の命令で南蛮鉄砲を大量製造している国友村でなら、鉄砲について詳しく学べると考えたのである。


 しかし、一益という男は、礼儀を知らない。口も態度も悪く、


「おい、てめえ、こら。鉄砲ってどうやって使えばいいんだ。教えやがれ」


 と、国友村の人々に言ったのである。


 職人気質で頑固者が多い鉄砲鍛冶の彼らが、「はい、いいですよ」とにこやかに受け入れるはずがない。


「将軍様のご注文で鉄砲の製造が忙しいっていうのに、お前のような無礼な男に砲術を教えている暇などあるものか。おととい来やがれ」


 国友村の男たちはそう吠えると、村に滞在していた一人の浪人を連れて来て、一益を村から叩き出そうとした。


 むろん、喧嘩っ早い一益が大人しく引き下がるはずがない。その浪人の金玉を握り潰すべく襲いかかろうとした。


 しかし――その浪人は「ちょいと試し撃ちしてやろう」と笑い、南蛮鉄砲をぶっ放してきたのである。さすがの一益もこれには肝を冷やし、村から逃げ去った。


 この時に一益に威嚇の弾丸を放った浪人の名は、橋本はしもと一巴いっぱ。信長の鉄砲の師匠として史書に名を刻む男である。楠木正成の子孫を名乗る彼は、妹が平手政秀に嫁いでおり、織田家と縁が深い。自分よりもかなり年上の義弟・政秀に、


「信長様はご自身の鉄砲の師となる人材をお探しじゃ。そなたが国友村で砲術を学び、信長様に指南して差し上げろ」


 と命じられ、国友村の人々に束脩そくしゅう(入門時に支払う金銭のこと)を渡して修行していた。ちょうどその修行期間が終わり、いざ尾張に帰ろうとしていたところで、一益と遭遇したのである。


 一巴は、国友村を追い出された一益が近江や京、摂津のあたりをうろちょろしている間に織田家に帰参し、信長の鉄砲指南役におさまった。もちろん、一益はそんなことなど露知らない。


「ああ~クソ! 国友村で砲術が学べないのなら、どこで修行すればいいんだ⁉ こんなことじゃ信長様の鉄砲指南役になんかなれねぇぞ!」


 と、大いに頭を抱えた。短気な男なのですぐにヤケクソになり、京都の遊女屋で豪遊してしまい、お徳(池田恒興の母。一益の義理のおば)から貰った路銀をほぼ使い尽くした。


 こいつはいかん。銭を稼がねば。そう焦った一益は、いつもの悪い癖で賭場に駆け込んだ。


 結果は、言うまでもなく散々に負けた。お徳に貰った衣服を剥ぎ取られ、ふんどし一丁のみすぼらしい姿に逆戻りしてしまった。必死に守っていた信長拝領の脇差まで取り上げられそうになったので、一益は這う這うの体で京都から逃げ出した。


(次に賭博をやって負けたら、取り上げられるのはこの脇差だ。これは俺様と信長様の絆の証、失うのはさすがにまずい。さて……腹が減ったし、ふところはすっからかん。これからどうするか)


 窮した一益は、仕方がないので、盗みを働いて飢えをしのぐことにした。


 だが、農家の食べ物を奪うのは、民が可哀想である。城に潜入するのはもう懲りた。ならば、どこぞの戦場で侍たちから盗ってやろう。合戦のどさくさだったら、米がちょっとぐらい減っていても気づくまい……。


 そう甘く考え、江口城を包囲中の三好軍で盗人行為を働こうとしたわけである。

 しかし、運悪く、松永久秀という稀有な智将の陣に潜り込んでしまい、あっさりと捕縛されてしまった。そして、現在に至るわけである。




那古野なごや城では女どもに酷い目に遭わされたし、清須きよす城では色々やらかして信長様に怒られちまった。城でこそこそするのはどうも苦手だ。さっさと仕事を終わらせてずらかろう」


 江口城内のうまやの陰に隠れている一益は、今もなおふんどし一丁である。ここ二か月ほど、ほぼ全裸だ。このかっこうで城中をうろうろしていたら、すぐに怪しまれてしまう。まずは城兵の着ている物を奪うべきだろう。


 一益は、股間をぼりぼり掻きながら、厩の前で呑んだくれていた雑兵たちに「よぉ~お前ら」と声をかけた。


「敵軍に城を囲まれているっていうのに、呑気に酒盛りか? 楽しそうだなぁ」


「ああん?」


 その七、八人ほどの兵は、どうやら三好政長麾下きかではなく、六角家の兵士のようである。甲賀出身の一益には、彼らが腰につけている合印の布に見覚えがあった。あれは、有力な甲賀武士の一つに数えられる山中家の印だ。


 当主の山中橘左衛門久俊は、同郷の侍たちの間では、酒癖が悪いことで知られている。配下の兵たちも、支給された兵糧米で勝手に酒を作ってしまうような輩が多かった。どうせいま飲んでいる酒も、元は城内の兵糧米だったものが化けたものだろう。


「兵糧米で酒を作るのは軍規違反だ。三好政長に見つかったら、てめえたちの大将が首を刎ねられるぜ」


「何者だ、お前。どこから現れやがった。なぜふんどし一丁なんだ」


 山中隊の兵たちは、一斉に警戒の眼を一益に向けた。全員、険悪な雰囲気である。友軍としてはるばる摂津まで駆けつけたのに、三好政長は主の久俊に横柄な態度を取るし、城は敵方に完全包囲されてしまっている。踏んだり蹴ったりで、みんなイライラしているらしい。


 だが、呑んだくれの不良兵士たちよりも、一益のほうがもっとイライラしていた。ここのところ不運が続いたため、誰かに八つ当たりしたくて仕方がないのだ。ふんどし侍は、拳をべきぼき鳴らすと、「悪いが、無駄話をしている時間はねえ」と凶悪な笑みを浮かべながら言った。


「俺様はサクッと仕事を終わらせたいんだ。だから、てめえらの金玉もサクッと潰させてもらう」


「は? お前、何を言って……」


「甲賀忍法! 乱れタマ潰しぃぃぃーーーッ‼」


「ぎ……ぎやぁぁぁ⁉」


 甲賀出身の兵たちなので、彼らは知っている。甲賀忍法に「乱れタマ潰し」などというふざけた技は無い。

 しかし、そんなツッコミを入れる暇もなく、酔っ払いの兵たちはぶちぶちっと睾丸こうがんを握り潰され、激痛のあまり悶絶した。


「よっしゃ。さすがは俺様、手際がいいぜ」


 一益はニヤリと笑って自画自賛した後、気絶した兵の一人を引ん剥き、陣笠や胴甲、籠手などの装備を手際よく着込んだ。


「さて、ここからどうやって城内で騒ぎを起こすかだが……ぬぬぅ~ん? こいつら、酒盛りを始めたばかりだったのか。酒がまだたらふく残っているじゃねぇか。……ふへへ。酒なんて久し振りだぜ。人暴れする前に、景気づけにちょっとだけ頂いていくか」


 ちょっとだけと言いつつ、この賤しい男は七、八人が仲間分けして飲もうとしていた酒をがぶがぶと飲み始めた。ちょっとだけ、ちょっとだけ、と何度も呟き、空きっ腹に濁流のごとき酒量を注ぎ込んでいった。


 たぶん、それが良くなかったのだろう。一益はその後の記憶が一切無い。

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天の道を翔る 青星明良 @naduki-akira

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