武将の道、茶人の道
その日の深夜。江口城の本丸では、宗三入道こと三好政長が、
「宗易よ、巻き込んでしまって悪かったな。
「人を人とも思わぬ宗三入道様らしくもなくお優しい言葉を賜り、まことにかたじけない。されど、心配は無用です。夜陰に乗じて城を脱し、堺まで走り抜いてみせまする。まあいざという時は、長慶様の本陣に駆け込めば何とかなるでしょう。私は長慶様と親しくしておりますゆえ」
商人が武士に相対しているとは思えぬ無遠慮な物言いで、宗易はそう言って笑う。その気品と威厳を兼ね備えた風貌は長慶に瓜二つである。
政長は、己の宿敵に不気味なほど顔が似ている
(堺の茶会で何度かまみえたことはあったが……。こうやって間近で見れば見るほど、
政長は三好一族の人間でありながら、三好本家の元長(長慶の父)と仲が悪かった。それゆえ、元長の家庭の秘事を詳しくは知らない。自分が死に追いやったあの男に、世間には公表していない実子がいるらしいことは耳にしていたが、まさか武野紹鷗の弟子の一人がそうであったとは……。
(
一瞬、そんな
これまでに親類縁者や同僚の武将を
「
政長は、邪悪な謀略家としての顔を捨てて、そう言った。
実の父の名が出ると、宗易はほんの一瞬だけ不快そうに眉間に皺を寄せたが、すぐに元のふてぶてしい表情に戻って「勘違いしてもらっては困りますぞ、宗三様」と声高に告げた。
「誰が
「ハハハハ。似ておる、似ておる。その憎たらしいまでの口の達者さ、実に似ておる。さすがはあの男の
この世で最も憎悪していた
「さあ、早く城を脱け出せ。もうすぐ夜が明けるぞ。敵兵が襲ってきたら、我が隊が南蛮鉄砲で脅して注意を反らしてやる」
「南蛮鉄砲ですと?」
「おお。この戦のためにな、鉄砲好きの将軍様から数丁ほど賜ったのだ。九州では島津家がすでに実戦で用いているとの噂だが、天下の中心たる畿内では使ったという者がまだおらぬ。どうせ死ぬのだ、『戦国の将でいち早く南蛮鉄砲を実戦に使った男』として歴史に名を残してやるわい。どうじゃ、なかなか
「はぁ……馬鹿らしい。そんな
つくづく呆れた表情で、宗易は吐き捨てるようにそう言った。
ただ、茶人としての宗易は侍の武具好きを理解はできないが、商人としての彼は(やはり、これからは南蛮鉄砲が商いの目玉になる時代か)と敏感に先を読んでいた。
「まっ、南蛮鉄砲の威力とやらをせいぜい天下に喧伝してくださいませ。私たち堺の商人は、貴方様の奮戦で話題となったその玩具を諸大名に売りつけ、銭儲けをさせてもらいますゆえ」
せせら笑い、宗易は茶道具が入った風呂敷を抱えながら立ち上がった。
城内で兵たちが激しく罵り合う声が聞こえて来たのは、ちょうどその時である。
「……む? 何事じゃ?」
緊張した面持ちで、政長は側に控えていた武者に問うた。長慶の軍勢が夜討ちを仕掛けて来たのかと思ったのである。
確かめて参ります、と言って走り去った武者は、すぐに駆け戻って来た。ひどく慌てた様子で、
「喧嘩騒ぎです。当家の兵と山中久俊殿の兵が乱闘を起こしています」
と、主君に報告した。
前にも書いたが、細川晴元・三好政長の陣営はまとまりが悪く、味方同士の喧嘩が頻発していた。六角家が義賢率いる本軍に先行して派遣した山中橘左衛門久俊の部隊も、横柄な態度を取りがちな政長に反発心を抱き、険悪な関係がずっと続いていたのである。そのせいで、城内での小競り合いは毎日のように起きていた。
政長は「チッ。またか……」と呟き、腰を上げた。喧嘩を止めに行くのである。
「宗易。城を脱け出すのは少し待ってくれ。兵どもの喧嘩を放ってはおけぬ。万が一、長慶が城内の混乱に乗じて攻め込んで来たら、瞬く間に落城してしまう」
そう言い残して陣屋を後にした政長だったが、そのわずか四半刻(約三十分)後、この男は山中久俊を自らの手で殺害してしまうのである。そう仕向けたのは、松永久秀が城中に忍び込ませた「凶暴な猫」だった。
※次回の更新は、12月5日(日)午後8時の予定です。
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