武将の道、茶人の道

 その日の深夜。江口城の本丸では、宗三入道こと三好政長が、千宗易せんのそうえきと語らっていた。


「宗易よ、巻き込んでしまって悪かったな。武野たけの紹鷗じょうおう殿に借りていた茶道具を返さねばと思い、弟子であるそなたを呼びつけたのだが……。まさかこんなにも徹底的に城を包囲されてしまうとは」


「人を人とも思わぬ宗三入道様らしくもなくお優しい言葉を賜り、まことにかたじけない。されど、心配は無用です。夜陰に乗じて城を脱し、堺まで走り抜いてみせまする。まあいざという時は、長慶様の本陣に駆け込めば何とかなるでしょう。私は長慶様と親しくしておりますゆえ」


 商人が武士に相対しているとは思えぬ無遠慮な物言いで、宗易はそう言って笑う。その気品と威厳を兼ね備えた風貌は長慶に瓜二つである。


 政長は、己の宿敵に不気味なほど顔が似ている魚屋ととやをまじまじと凝視みつめ、フム……と静かに唸った。


(堺の茶会で何度かまみえたことはあったが……。こうやって間近で見れば見るほど、彼奴あやつに似ておる。間違いない。この茶人が長慶の弟か)


 政長は三好一族の人間でありながら、三好本家の元長(長慶の父)と仲が悪かった。それゆえ、元長の家庭の秘事を詳しくは知らない。自分が死に追いやったあの男に、世間には公表していない実子がいるらしいことは耳にしていたが、まさか武野紹鷗の弟子の一人がそうであったとは……。


千宗易こいつを人質に取れば、長慶もこの城を攻めることができぬのでは?)


 一瞬、そんなよこしまな思考が脳裏をよぎった。だが、政長はすぐにそれを打ち消した。


 これまでに親類縁者や同僚の武将を数多あまた陥れ、生き汚く乱世を勝ち抜いてきた。しかし、そんな彼にも、人として越えられぬ一線というものがある。政長は、自らを天下第一の風流人であると自認し、共に茶の道を極めんとする仲間を何よりも大切にしてきた。それなのに、自分に茶の手ほどきをしてくれた紹鷗の愛弟子を犠牲にして、生き残りを図ることなどできるはずがない。武将としての道はけがしに汚してしまった己の一生だが、茶人としての道だけは汚したくはなかった。


わしのせいでそなたを死なせてしまったら、紹鷗殿に申し訳がたたぬ。何としてでも逃げ延びてくれ。……たとえ、そなたが儂にとって因縁深き元長の血を引いていたとしても、切にそう願う」


 政長は、邪悪な謀略家としての顔を捨てて、そう言った。

 実の父の名が出ると、宗易はほんの一瞬だけ不快そうに眉間に皺を寄せたが、すぐに元のふてぶてしい表情に戻って「勘違いしてもらっては困りますぞ、宗三様」と声高に告げた。


「誰が他人様ひとさまのために死ぬものですか、馬鹿々々しい。私が命懸けでこの城に忍び入ったのは、ひとえに茶道具のため。後世に伝えられるべき茶器の数々をこんな糞つまらぬ戦で失うのは、痛恨の極みだからです。茶道具を救出するために流れ矢に当たったとしても、貴方様には一言の恨み言も申し上げませぬゆえご安心を」


「ハハハハ。似ておる、似ておる。その憎たらしいまでの口の達者さ、実に似ておる。さすがはあの男のせがれじゃ」


 この世で最も憎悪していた三好元長幼なじみのことを思い出し、胸に苦々しい思いが押し寄せるどころか、なぜか無性に懐かしくなってしまった。政長は、目尻をじわりと濡らしつつ大笑した。死を目前にして感傷的になっているのかも知れない。


「さあ、早く城を脱け出せ。もうすぐ夜が明けるぞ。敵兵が襲ってきたら、我が隊が南蛮鉄砲で脅して注意を反らしてやる」


「南蛮鉄砲ですと?」


「おお。この戦のためにな、鉄砲好きの将軍様から数丁ほど賜ったのだ。九州では島津家がすでに実戦で用いているとの噂だが、天下の中心たる畿内では使ったという者がまだおらぬ。どうせ死ぬのだ、『戦国の将でいち早く南蛮鉄砲を実戦に使った男』として歴史に名を残してやるわい。どうじゃ、なかなかいきであろう」


「はぁ……馬鹿らしい。そんな玩具おもちゃごときではしゃいで、武士というのはまことに阿呆ですな」


 つくづく呆れた表情で、宗易は吐き捨てるようにそう言った。

 ただ、茶人としての宗易は侍の武具好きを理解はできないが、商人としての彼は(やはり、これからは南蛮鉄砲が商いの目玉になる時代か)と敏感に先を読んでいた。


「まっ、南蛮鉄砲の威力とやらをせいぜい天下に喧伝してくださいませ。私たち堺の商人は、貴方様の奮戦で話題となったその玩具を諸大名に売りつけ、銭儲けをさせてもらいますゆえ」


 せせら笑い、宗易は茶道具が入った風呂敷を抱えながら立ち上がった。


 城内で兵たちが激しく罵り合う声が聞こえて来たのは、ちょうどその時である。


「……む? 何事じゃ?」


 緊張した面持ちで、政長は側に控えていた武者に問うた。長慶の軍勢が夜討ちを仕掛けて来たのかと思ったのである。


 確かめて参ります、と言って走り去った武者は、すぐに駆け戻って来た。ひどく慌てた様子で、


「喧嘩騒ぎです。当家の兵と山中久俊殿の兵が乱闘を起こしています」


 と、主君に報告した。


 前にも書いたが、細川晴元・三好政長の陣営はまとまりが悪く、味方同士の喧嘩が頻発していた。六角家が義賢率いる本軍に先行して派遣した山中橘左衛門久俊の部隊も、横柄な態度を取りがちな政長に反発心を抱き、険悪な関係がずっと続いていたのである。そのせいで、城内での小競り合いは毎日のように起きていた。


 政長は「チッ。またか……」と呟き、腰を上げた。喧嘩を止めに行くのである。


「宗易。城を脱け出すのは少し待ってくれ。兵どもの喧嘩を放ってはおけぬ。万が一、長慶が城内の混乱に乗じて攻め込んで来たら、瞬く間に落城してしまう」


 そう言い残して陣屋を後にした政長だったが、そのわずか四半刻(約三十分)後、この男は山中久俊を自らの手で殺害してしまうのである。そう仕向けたのは、松永久秀が城中に忍び込ませた「凶暴な猫」だった。








※次回の更新は、12月5日(日)午後8時の予定です。

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