第三話~異世界召喚2~

ーーー名もなき空間


 目を覚ますと、真っ暗で真っ白く、輝いていて光を失ったような暗闇に包まれた場所にいた。


 自分でも何を言っているのか分からないほど幻想的で、不吉に、綺麗で、ひどく残念な光景だ。


 ぼやけた頭が次第にはっきりして、俺は思い出す。


「そうだ、唯奈は。おいっ唯奈! どこにいる、返事をしてくれっ!」


 だけど、返事は帰ってこない。俺の心の奥底から不安な感情がこみ上げてくる。


 周りには人がいないような感じがするのに、まるで満員電車の中にいるような人の感触があった。


 あったかくて冷たくて、寝ているようで起きているような不思議な気分は、まるで夢を見ているのではないかと思わせる。


 何も分からず、暗く、明るい、透明で、鮮やかな場所で一人体を震わせた。


 ここはいったいどこだろうか。

 いくら考えてもその答えは見つからないし、誰も答えてはくれない。

 一人、不安に押しつぶされそうになっていると、突然声が聞こえてきた。


「ここはどこでもあってどこでもない、皆がいて、誰もいない場所」


 その声は男性のようで女性的で、ノイズが混ざっていて透き通ったような声だった。

 どんな声にも感じられる不思議な声。人間のようで人間でない声を不気味に思いながら、声の発生源の方に振り向く。


 そこには人の形をしているが、ぼやけていて、発光体のように見えて、確かに口や鼻などがある、人のような何かがいた。


「お前はいったい」


「『私』は誰でもあって、誰でもない、無色透明で虹色をしていて、悪魔と呼ばれ神とも呼ばれている、生きているのに死んでいて、そこにいてそこにいない、そんな存在とでも言いましょうか」


「なんなんだよお前。意味が分からない」


 訳の分からない状況のせいか、声が荒々しくなる。目の前にいる、幽霊のようで、生きている人間のような、ぼんやりとした存在のせいで、不安が増した。

 ただの高校生である俺には、声をあげて虚勢を張ることしかできなかった。


「そうでしょうね。貴方たちは見ようとしない、知ろうとしない、感じようとしない。今あるものを真実と思い込み、本当の真実から目を背ける。だからこそ分からなくて、怖くて、苦しくて、怒鳴り散らすことしかできない」


 不安がっている自分の心を見透かされたような気がした。そのせいで、胸がドキッと跳ねる。鼓動が速くなり、心臓の音を強く感じた。


「『私』はイディア。とある世界では神と呼ばれている者です」


「……神」


 もし、これが物語の中であれば、神に出会って異世界転移や転生を言い渡されたとしても、それを素直に受け入れて喜んでいたり、使命を全うしようと意気込んでいるところだろう。そう、それが物語の中であれば、だ。


 でも、実際に神がいる場所に来て、神と名乗る存在を目の前にして、俺が感じたのは恐怖以外は何もなかった。


 もし、本当にライトノベルのような展開で、俺自身が主人公的存在だとしたら、喜んで異世界に行き、与えられたスキルなんかを駆使して楽しむことだろう。

 ゲームが好きで、ライトノベルも良く読む俺は、異世界転生ものもよく読んでいた。

 そして、そんな世界に行けたらなと常日頃思っていた。

 でも、現実はそんな優しいものじゃない。


 あいつを見ていると、昔さんざん味わった嫌な出来事を思い出させる。

 そんな俺の不安をあざ笑うかのように、にんまりとした笑みを浮かべ、神と自称する得体としれない何かは俺を見つめてきた。


「やはり、あなたを選んで正解でした」


「お前は何を言っている」


 得体のしれない何かの言葉を聞いて、真っ先に思い浮かべたのは一緒に巻き込まれた唯奈の姿。

 あいつは俺を選んだと言った。だったら唯奈はただ巻き込まれただけということになる。

 俺に……かかわったから?


「そうですよ、彼女はあなたにかかわったからそうなってしまったのです」


 にんまりとした笑みを浮かべながら、得体のしれない何かが暗く、ドロッとして、赤く染まった地面を指さした。

 俺は目を凝らしてみるが、何も見えない。

 突然、バンッと大きな音が鳴る。俺が見ていた場所がスポットライトが当てられたように明るくなり、俺は絶句した。


「あ……あぁぁあああっぁぁぁぁああ」


 俺が見ていたその先に、唯奈が横たわっていた。腕や足は、絶対に曲がらないであろう方向を向いており、白くとがったものが肌から突き出ている。頭は陥没していて、血と一緒に、どろりとした謎の液体を垂れ流していた。

 目は光を失っており、その虚ろな目が俺の目と合った。

 その瞳は、まるで俺を恨んでいるように思えてしまい、みっともなく叫んだ。

 彼女は俺にかかわっていたから死んだ。俺がかかわると皆を不幸にしてしまう。

 胃の中から何かがこみ上げてきて、俺はその場で吐き散らす。

 吐いて吐いて吐き散らし、胃の中が空っぽになったはずなのに、まだ体は吐こうとする。


 それから何分、何時間ぐらいたっただろうか。時間感覚が分からなくなるぐらいに続いた吐き気がようやく止まった。


「…………」


「ようやく収まりましたか」


「……………なんなんだよ」


「ん? どうしましたか」


「お前は俺を選んだって言ったよな。だったら唯奈を巻き込む必要なんてなかったじゃないかっ!」


 そうだ、俺は関係ない。突然俺を呼び出したあいつが悪いんだ。俺は悪くない。

 そう思うことで、自分の心を蝕む罪悪感を隠した。そうしないと、壊れてしまいそうな気がしたからだ。

 だから俺は、自分が感じている責任を、目の前にいる得体のしれない何かに押し付けた。


「なんだ、そんなことですか……」


「なんだってなんだよ。人が一人死んでるんだよっ!」


「あなたは、ただ使命を果たせと言われてやる気が出ますか? 出ませんよね。だって、使命を果たしてもらいたいのは『私』の目的であって、あなたの目的じゃない」


「それが唯奈の死と何の関係があるっ!」


 あいつが言っていることはその通りだと思う。言われたことをただやるだけなんて、そんなものは人形やロボットと何も変わらない。

 神だろうが人だろうが、ただ命令されたことを人生の目的とするのは難しいだろう。

 だからこそあいつの言っていることはなんとなくわかる。

 だけどそれは唯奈の死と関係ない。


「貴方はまた見ようとしない、感じようとしない、今見えているものだけを真実と決めつける。見方を変えれば全てが変わるというのに……」


 神を自称する何かは、俺を哀れんだように見つめ、再び唯奈を指さした。

 あのひどい状態の唯奈を見るのは正直つらい。だからすぐに目をそらそうとした。

 だけど、唯奈の姿を見て、俺は目を疑った。


 さっきまでひどい死体になっていたはずなのに、これはいったいどういうことなんだ。


 俺の視線の先にいる唯奈は、怪我一つなく、眠り姫のように寝ているだけだった。

 静かな寝息が微かに聞こえてきて、俺を安心させてくれる。

 唯奈は死んでいなかった、その事実が俺の心を蝕む罪悪感を少しだけ払いのけた。


「あれも真実の一つです。見方を変えればそれだけ真実が存在する。そこにあってそこにない、見えるものは本物で偽物でもある。しょせんあなたが知っているのは複数ある真実の一つなのです」


「何が言いたい」


「あなたが不幸な目に遭っている、その事実は確かに本物で、同時に偽物でもある。あなたの幼馴染が死んでいて、寝ているのと同じように」


 そして、神を自称する何かは、口の端を吊り上げ、狂ったような笑みを浮かべた。


「見方を変えれば見たい世界を見られる。ならば、『私』の願いを成就してくれた暁には、貴方の見たい真実を見せましょう。一切の不幸もなく、皆が幸せになった世界という真実をっ。当然、その世界には、今は眠っているあなたの幼馴染も含まれますよ?」


 ああ、そういうことか。

 俺はここでようやくあいつが何を言いたいのか分かった。それと同時に、再び罪悪感が俺の心を蝕み始める。


 見方を変えれば見たい世界が見られる。つまり、俺に最初に見せた唯奈の死体は本物で、俺の目の前で眠っている唯奈も本物ということになる。

 死んでいるのか生きているのか、その違いは見方を変えただけ、ならば俺が望む世界を見せてやろう、それがお前に与える報酬だ、そう言っている。

 もし、俺が断ったなら、きっと死んだ唯奈の世界を見せるのだろう。

 俺の選択肢は、すでに一つしかなくなっていた。


「俺に一体何をやらせたい」


「ふふふ、物分かりが早くて助かります。あなたにやってもらいたいことは、私が調整した視点の世界で、信仰を集めてもらいたいのです」


「お前が調整した視点の世界?」


 地球とは異なる世界、つまり異世界に行くという展開が、ライトノベルの定番だ。

 俺は無意識的に、ライトノベルと似たような展開をイメージしていた。だから、聞きなれない視点の世界というのがよく分からなかった。


「あなたがこれから行ってもらうのは、地球であって地球でない世界です。あなたが今まで見ていた科学の発展した地球という世界は、とある角度から見た世界。あなたがこれから行ってもらう世界は、地球を別の角度から見た世界とでも言いましょうか」


「…………」


「もっと簡単に言うならば、ラジオのチャンネルが違う地球に行ってもらうようなものです。Aという周波数帯が貴方の知っている地球というラジオ番組であるならば、Bという周波数帯は、私が作り上げた地球というラジオ番組であると認識してください」


「よく分からないが、わかった。俺はお前の世界に行って、お前の信仰を集めればいいという訳だな。そうすれば、唯奈を助けてくれるんだよな」


「わかってもらえなくて残念です。まあ、一つの方向からしか世界を見ることが出来ないあなたたちが理解できるとも思えませんが、まあいいでしょう。

 やってもらいたいことはあなたがおっしゃったとおりです。『私』のための箱庭を作ったのですが、信仰度が低く、ひずみが生じてしまいました。そこで、あなたは私の使徒として、『私』の世界に行ってもらい、信仰を取り戻して世界をあるべき姿にしてもらいたい」


 あいつが作り上げた世界なんてどうだっていい。

 俺は俺の望む世界のために、なんだってやってやる。

 そう静かに決意を固める。俺の姿を見た得体のしれない何かは、満足そうに頷くと同時に、何かを思い出したように「あっ」と声を漏らした。


「こういう時はチートというものを与えるのが常識らしいですね。あなたには『私』の祝福として『神の導き手』という特別な力を与えましょう」


「神の導き手?」


「ええ、これは想いを力に変えるものです。あなたは様々な経験をしてきましたね」


 そう言われて、一瞬だけ過去の出来事が頭をよぎる。今までの人生で幸せだと思ったことのほうが少ない。疎み恨まれ、妬まれて、不幸な目に遭い続けてきた。


「あなたが経験してきたことに対する想いを、『私』の箱庭に住まう人々にぶつけてあげてください。その時、私が与えた祝福があなたの力となるでしょう。そして、あなたが私の使徒として人々を導くことで、信仰を広めることが出来るはずです」


「…………わかった。さっさと俺を箱庭の世界とやらに行かせろ」


「せっかちですね。まあいいです。では、健闘を祈ります。願わくば、あなたの願いと『私』の願いが成就することを……」


 得体のしれない何かが、俺の額に手をかざす。

 その瞬間に俺の見えている世界にノイズが走った。それは次第に広がっていき、俺の意識は闇に染まった。

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