一人称で淡々と進む大学時代に、時偶、急勾配の坂を登り、下り坂を滑り落ちるような小学生時代が挟み込まれているストーリーです。
難読漢字や言い回しがインテリ然とした雰囲気を出しつつも、年相応の粗暴な理屈を振り回す小学生時代と、行動が変わっている大学生時代が、いいバランスです。
小学生時代にハラハラし、大学時代にホッとする…それが繰り返されるのは、13万字超の物語も、ジェットコースターのように一気に読み切る事ができます。
季節が大見出しに書かれているけれど、読んでいく中で、その季節を感じさせられる事がない点に、平坦で、しかしそれが大事だと思える大学生活の印象を受けました。
※普通のレビューは、他の人におまかせしますよよよ。
光蟲君という生涯の友との出会い。
呼吸するように毒を吐く光蟲君との掛け合い、何気ない会話こそがこの小説の魅力・・・だったはず。(企画段階では)
それなのに、思ったより光蟲君の出番が少なかったことが非常に残念であ~る。
ナルシストな作者は、やはり自分を主役にしないと我慢できなかったようだ。
まあ、カクヨム公開前も含めて今まで読んだ小説の主人公は、姿形を変えてもみんな一緒だからね。流石だぜっ!!
そんな作風の中では本作が間違いなく質・量ともに最高傑作で、これを超えるモノはもう出ないだろうと思う。たぶん
(結局、最新作が出る度に同じ事言ったりして。)
性別が変わろうとなんだろうと毎回主人公=作者の構図だから、さすがに限界がある。飽きるし、お腹イッパイになるんよ。
まあ、主人公が光蟲君なら全然飽きない気もするがね。
光蟲君との飲みの席での会話の垂れ流しエンドレスの方が、ファンとしては嬉しいぜ。絶対面白いし。
脱・主人公=作者が出来たら、まさに新境地と言えるだろう。
スピンオフとか、次に期待だ。
ただ、大学生と小学生の時の両方の話があったのは、少し意外だったから良かったな。この意外性こそが最大の魅力かねー。作品内でも。
ズルしたらまともなレビューになってなかったし。
m(^(人)^)mすまぬ
幼い頃、担任教師からの暴行や、高校生活での失敗から、どこか何に対してもイマイチ本気になれない学生、池原悦弥。
囲碁と茶道のサークルに属するものの、双方とも中途半端にこなすだけで、流されるまま流れるままに、惰性で日々を過ごすキャンパスライフ。
そんな中、授業で出会った青年、光蟲の一線画した生き方に影響され、彼は少しずつだがサークルに対して誠実に取り組むようになって行く。
徐々に関わりが深まっていくサークルの仲間たち。徐々に充実していく日々に、彼の心にわずかに情熱が宿っていく。
半笑いの矜持を抱えながら、彼は囲碁と茶道に今日も精を出す。
リアリティがある大学生活の中で描かれる一面一面と、それに対してぼんやりと思う池原の心情は、どうでもいいことばかり。だけど、それが実に心に沁みる。
どこか同じ繰り返しの日常に、どうでもいいことを思う彼に、思わず共感してしまう。ゆったりと文章は、独特のリズムで読者を引き込む。
そして何より、茶道や囲碁に対する造詣が深く、素人が読んでも納得してしまうほどの説得力がある。全てがかみ合い、独特の作品を作り出している。
繰り返しの日常に、ささやかな情熱がひっそり花咲く作品だ。
この話は、光蟲冬茂という光が池原悦弥という影を浮き彫りにする作品である。主人公池原悦弥が小学生時代に受けたいじめは、光蟲という存在がいなければこれまでも、これからも決して語られることはなかったのだと思う。
話の構成としては最初に大学時代の池原の日常を描いている。人付き合いに無関心で自信の興味の範疇で生を満喫しようとする彼は、囲碁と茶道の二つ(あと光蟲)には興味を持っており、それらを軸に話が進む。
池原は過去の栄光に囚われるタイプの人間である。また、自分は優秀だ(った)という自負がある。第八話で高校時代は優秀な生徒だったという描写がある。“勉強は”という但し書きがついてはいるが、大学も上位私立に入り、社会人になった後も大きく道を外さないかぎりは、彼は賢いのでおおっぴらにはしないにしろ、死ぬまでエリート意識を持ち続けそうな人間性である。ただ、この性格も、後々の展開を読んでいけば、仕方のない癖のようなもののように思えてくる。
ちなみに、大学時代にはルノアールなどの喫茶店が出てくるが、私はこの小説を読んで初めてルノアールに足を運んだ。
そういった無気力ながらも淡々と過ぎていく大学時代から、話は小学生時代に移る。
小学生時代、彼は担任である首藤にイジメられる。理由は色々あるだろうが、要因の一つは他人とズレており、可愛くなかったからだと思われる。池原少年は周りよりも大人びており、首藤や取り巻きのクラスメイトたちを自分よりも精神年齢が幼いと思いこむことで自我が壊れないよう保っていたのではないかと思われる。
さらに、池原少年はただイジメられるばかりではなく、首藤の奸計を出し抜いて見せるという賢さも持っていた。
しかしどれだけ耐えても、池原少年に降りかかる理不尽はまだ幼い彼のキャパシティを超えていってしまう。そして限界を超えた時、彼の中で何かが壊れてしまう。
――余談で、さらにネタバレになるので詳細は控えるが、この話が書籍化するとしたら、表紙は『葉巻を吸う池原母の絵』を一案に上げたいほど、そのシーンは名場面だと思う。
そうして、池原が小学生時代の思い出を光蟲に向けて述懐することでこの話は幕を閉じる。
池原が凄絶ないじめを受けてきて、また孤独の中にあっても生きてこれたのは、各環境で出現する孤独な彼に寄り添う同性の友達と、要所で起きる異性からの救いの手が彼を保ってきたのだと思う。
作者は光蟲を書きたかったと言っていたが、それは半分嘘だと思う。何故なら作者はナルシストであるし、光蟲よりかは池原の人生を見ている方が面白かったからだ。
私はこの話を四周した(2019年8月12日0時時点)。半笑いの情熱は、作者の生き方を描いた原点といってもいい小説だと私は思う。