Day xx 出立の朝

 階段の中ほどに、脱ぎてられたドレスがぽっかりとひだをひろげていた。

 そこから数段上に、革の胴着が。

 寝室の中に入ると、扉わきの小卓に、なぜか絹のストッキングが引っかかるようにとどまっていた。


 荒い息づかいとキスの音が、鎧戸を閉めたままの薄暗い室内に響いている。よく寝室までったと思うほど、二人とも切羽詰まっていた。実際のところ、台所でも階段でも、ずいぶんと激しく求めあってしまった――かろうじて寝室にたどりついたのはフィルバートの執念といったところだろうか。音楽やら花やらは妥協するにしても、この初回だけは絶対にベッドの上がいい。


 彼女の胸の上から顔をあげて、チュニックをすばやく脱ぐ。こればかりはハートレスの恩恵と言うべきか、長衣ルクヴァよりずっと合理的だ。と、うるんだスミレ色の目が見上げてきた。金茶の髪が目じりにかかって、熱に浮かされたように唇が開いている。口に出すことさえはばかられるほどの回数、これを夢見てきた。リアナが俺を求めるのを。

 白い腕がのびて、頭を引き寄せられる。

「フィル、焦らさないで、もう来て」

 その言葉だって想像どおりだったのに、おそろしいくらいに興奮をかき立てられた。もっと焦らして彼女が怒りだすところを見たい。ぎりぎりまで抑えて、思いっきり乱れさせたい。でも、たしかにもう、限界だった。


「あなたが好きなだけあげるから、……俺をれて」

 フィルはそう言って、彼女に覆いかぶさった。


 ……


 ♢♦♢



「太陽が黄色い」

 フィルバートは、鎧戸をちょっぴり開けて、結局また元どおりに閉めた。あまりにもまぶしくて、目が耐えられそうになかったから。


 この数日、一度も朝稽古をしていなかった。戦時中はともかく、戦後はほぼ一度も欠かさなかった習慣である。どれほど腕がなまっているかと想像すると、身震いするほど恐ろしい。


 だが、それだけの甲斐はあった。ベッドの上では、シーツにくるまったリアナが金色の巻毛をのぞかせていた。シーツから細い手足が出ているのが、貝から出ている管みたいで無防備でかわいい。フィルは誘われるようにベッドに入り、背中からシーツごと抱きしめた。


「いま……夜? 朝?」くぐもった声がそう尋ねてくる。

「朝だと思うよ」

 フィルもあくびをかみ殺しながら答えた。「昨晩きのうの賭けは、俺の勝ち」

「ん……」シーツの中で笑みをもらす気配がした。「最後のは、数に入らないわ……もう全然力が入らなかったもの」

「『もうったから許して』って、あなたが言ったのに?」

「そうでも言わなきゃ、終わらせなかったくせに。……でもいいわ、たしかにルール上はフィルの勝ちね」

「俺の負けでもいいけれど」フィルは彼女の手の上に自分の手を重ねて握り、鼻先で髪をよけてうなじにキスをした。「あんなふうに乱れられると、男は有頂天になるよ。たまらなく素敵だった」

 リアナが笑いながらふり返り、彼の腕のなかにまたすっぽりと収まった。


「あなたはどう? 満足してくれた?」

 フィルがそう耳もとで尋ねると、くすぐったそうに身じろぎする。

「ええ。でも、が結婚の目的じゃないわよ」

「知ってるけど、俺には大事なことなんだよ」

「わたしを征服するのが?」

「あなたを心身ともに気持ち良くするのが」

「ふーむ」

 考える間とも相づちとも取れそうな息をついて、リアナは身体を起こした。


「……もう起きる?」フィルはそう声をかけ、自分も伸びをした。

「残念だけど、そうしないと。正午には西部領につつもりよ」

「じゃ、城に使いを出して、そのあいだに朝食と風呂をもらおう。……何日経った? すっかり怠惰たいだになってしまったな」

 怠惰といいながらも、起き抜けの動きはやはりフィルのほうが機敏だった。城勤めの侍女を呼び、支度を頼む。

 

 食事をとり、入浴しながら、二人は外遊の予定や残していく家の管理などについて打ち合わせた。

「驚いたわ。外遊の予定、ちゃんとチェックしてたのね」リアナが感心したように言う。「フィルはそういうの、あんまり興味がないと思ってた」


 フィルは、洗髪したばかりの彼女の髪を拭うのを侍女にまかせて、髭を剃ったりしている。これも、以前の彼を知る者からすれば大きな驚きだろう。


「正直に言えば興味津々じゃないし、あなたの世話を焼くほうがずっと楽しいけど。ひとまず、正攻法で行こうかなと」

「王配として、わたしの信頼を得ようということ?」


「そう」フィルはにっこりした。「どうかな?」


 その問いかけは、ドレスと調和した色の長衣ルクヴァやきれいに整えられた短髪に対するものだった。が、リアナは片方の眉を器用にあげて答えた。「手ごわいわね」


「それはよかった。道のりは長いからね」

 フィルはいつも通りの、本心の読めない笑顔で剣をいた。道のりは長いが、勝算はある。

 

 ♢♦♢


 代理王であるリアナの外遊は二か月におよんだ。政治情勢の不安定な西部領をはじめ、フィルが少年時代を過ごしたスターバウ家の領地も訪ね、波乱にとんだ道行になった。とはいえ、それはまた別の話。



【終わり】


リアナ5 薄明をゆくプシュケ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889979628 

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白竜の王妃リアナ① あなたの目ざめる春に (リアナシリーズ4) 西フロイデ @freud_nishi

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