第4話
空人が居なくても関係ない。今宵、我が家は私のスペース・ステーションだ。
破れそうなほど膨らんだスーパーの袋を引っさげ、靴を脱ぎ捨てて玄関を上がる。
やはり空人は帰っていない。知るもんか。結婚記念日が何様だ。ふたご座流星群様の御成だ。一人でも楽しんでやる。地上人なりに。
着替えもせず台所へ直行してエプロンをつける。今日は空人が羨ましがるくらいのメニューにしてやる。結婚祝いに貰った星座模様の皿を棚の奥から取り出して袖を捲った。勢い一口、お月様色のアウスレーゼを喉に通す。苛烈な甘さに一気にテンションが上がる。
お気に入りの歌のリズムに合わせて包丁を動かす。宇宙開発は順調。あっという間に食卓は賑やかになった。
まずはカラートマトとオリーブ、プチ・チーズの「太陽系アミューズ」。大きさ順に紺地の皿に並べ、チリソースで軌道を描いて周りにパルメザンチーズの星屑を散らした。
お次は人参と蕪と薩摩芋の「星空サラダ」。全て星型に抜き、ボウルを色とりどりのお星様で溢れさせる。白ワインのビネガーにローストアーモンドを刻んでまぶし、仕上げにほんの少しのオリーブオイルと粗塩、それから胡椒にバジル。
シンプルなコンソメのスープは「月夜仕立て」。三日月にくりぬいたはんぺんの周りでゆったり舞うのは柚子の削り皮の流れ星。
そして今日のメインは「宇宙ロケット」。烏賊の胴にエリンギ、ブロッコリーに玉葱と海老、隠し味にローズマリーを香らせたベシャメルソースを詰め、バジルペーストで窓を描く。周りにはグリル玉ねぎに乗った
スペース・ドーム館内レストラン顔負けの料理が食卓に宇宙空間を作り出したのを見たらすっかり満足した。こんなの宇宙人は作れまい。宇宙人になりかけた空人にはおあずけだ。久しぶりにうちの観測所で独占星空パーティーをするのだ。
しかし。
上機嫌でとっておきのワイン・グラスを出そうとした私の手を、ピーンポーンといらぬ電子信号が邪魔をした。
モニターには、手ぶらの空人。観測時間にはまだ早い。どうせノートか何か忘れたのだろう。
入れてやるもんか。
「星歌、帰ってたん……」
「こちらのスペース・ステーションは地上人の管轄になっておりまーす。宇宙人は入れませーん」
「は?」
「入れるのはミッション・コンプリートした宇宙探査クルーだけでーす」
「え? 何言ってるの?」
何言ってるのじゃないよ。今日が何の日か分かってるのかこいつ。ていうか、今までどれだけ大事な日に私をほっぽっていったのか分かってるのかこいつ。
「貴方が今年コンプリートしたミッションがあるか確認してくださーい。二月十四日ー」
「えっ水星とセレスの接近?」
バレンタインだよ。セレスにぶつかってクラッシュしちゃえ。
「三月十四日ー」
「へびつかい座西矩観測、ちゃんとやったけど……」
それ観に行って家にいなかったよね。
「四月十五日っ」
「月の赤道通過撮影日?」
空人の入所記念日、非番だからお祝いしようって言ってたのに。
「七月二十八日は何しましたかっ!?」
「皆既月食!」
私の誕生日っ! それのおかげで私の心も真っ暗さ!
「九月二十日!」
「月と火星の接近はレポート出したよ!」
自分の誕生日でしょ馬鹿者ぉ。もう知らん!
私はやけっぱちに叫んだ。
「十二月十四日、今日のミッションは⁉︎」
「七年前の双子座リベンジ!」
へっ?
「当ステーションの観測準備は万全です星歌飛行士!」
何それ?
私はモニター画面に背を向けて階段を駆け上がった。長らく
屋根裏の「観測所」では、最新型のスコープが三脚にセットされ、横の丸テーブルには星屑柄のテーブルクロス、そしてその上に銀色のリボンで飾られた小箱が置いてあった。
「へへ。どう?」
観念して玄関の鍵を開けた私に空人が自慢そうに笑う。
「どうして……」
「どうしてって、やっと晴れたじゃない。結婚式で逃して以来、ピークの日は雨だっただろ。一番よく見える方向、今教えてもらってきたから」
空人はコートのポケットから折り畳んだメモを取り出した。私はあまりに屈託無い空人に拍子抜けして––怒ってたのが恥ずかしくなってしまった。渡されたメモを開くと、時間ごとの最良の観測方向がリストされている。
「あれっ星歌も約束通りの準備万端じゃん」
メモを渡されぼーっとなっていた私の横を抜けて空人はダイニングに入っていた。
「約束?」
「結婚式の日に『リベンジではとっておきの宇宙食作る!』って豪語してただろ」
そういえば…言った。もうすっかり忘れていた。
星空に空人を取られたと思っていたけど、空人は私が忘れてた地上の約束をしっかり覚えてたんだなぁ……。
かく言う私もつい癖で、飯蛸異星人も星盛りサラダも全部二人分作っていたのに気がついた。「
空人がくれた小箱の中には、土星の輪をつけたピアスが入っていた。明かりを暗くした「観測所」の中で、それは月明かりに照らされて美しく光った。
グラスを合わせる音と同時に、最初の流れ星が一つ、天を遮る。この始まりの合図を見てしまうと、どうしても次の星も逃すまいと空に目が釘付けになる。
久方ぶりに空人の肩に寄りかかって、私はちょっと期待した。
「ね、空人、二十四日は?」
「ん? アポロ八号の月周回?」
もうこの男は。もたれ掛けた頭で頭突きする。すると空人の大きな掌が頭を撫でた。
「冗談。クリスマスのこぐま座流星群、ここで観測しますよ、隊長」
耳元で聞こえる声は安心する。流星群はどんどん数を増し、あっちにも、こっちにも、オリオンの三つ星の周りを落ちていく。プラネタリウムのスクリーンも嫌いじゃないけれど、やっぱり自分の目で見るこの臨場感。蒼穹に瞬く世界は、地上の時間や空間の感覚をなくしてしまう。
今見ている星の輝きがいつ発せられたものなのか知らないけれど。
どれかの星が今、放った光を、何年も後に隣にいる人と一緒に見るのは確かなんだ。
この願いは、惜しみなく落ちる流れ星に願わなくても叶う、触れた空人の手の温もりに、私はそう確信した。
星流夜〜流れ星への願いごと 蜜柑桜 @Mican-Sakura
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