第3話

 空人がそんなことを言ったのは、七年前の七夕の前日。まだまだ下っ端解説員だった私と、まだまだひよっこ研究員だった空人は、よく二人で夜まで天体の動きや宇宙開発史を勉強をした。その日も天文台の資料室に遅くまで残り、晩秋から初秋の空模様を頭に叩き込んでいたのだ。

 帰る前に、織姫と彦星が会えるか下見しよう、と誘ったのは空人だった。

 天文台から出ると、遮るもののない丘の稜線から上へ、ひときわ強く輝きながら光の帯が走っていた。


「あぁすごい太さ! ここまで天の川が目立つと夏の大三角も影が薄くなっちゃうね」

「僕はもう見つけたよ。星歌、見つからないの?」

「御冗談、見えてます。あれとあそこと、あっち」


 南東の空を指し示す。僅かに幅を変えながら天空を流れるミルキーウェイ。それを挟むように強く光を発する琴座のベガと鷲座のアルタイル。そして二つの星よりも高い位置、川の中で輝く白鳥座のデネブ。


「ね。影が薄いっていってもやっぱり一等星だよね」


 明日は私にとって初の七夕解説。この自然豊かな土地で生まれ育った私は、昔から星が大好きで、暇さえあれば夜空を見上げていた。スペース・ドームにも子供の頃から通った。いつかは紺碧の空に星屑を散らした制服に身を包むのだと夢見ていた。その夢が叶い、プラネタリウムの解説員になったのだ。


「さすが、スペース・ドーム一番の星好き、星歌いの星歌さんだ」

「どうも。スター・プラネット一番の空好き空人さん」


 解説員にも星図と天体の知識は必須だったし、直近の研究・観測データにも通じている必要があったので、インターンの頃から天文台には足繁く通って勉強した。あまりの熱心さに天文台の人も呆れた。しかし同じ頃に天文台の研究生になった空人は私に劣らぬ星好きで、二人とも地上に足がついてない、と笑われた。


「でも変なの。こんなにはっきり見えるのに、どれも今光ってる光じゃないなんて」

「まあねぇ」

「デネブなんて一四一一光年だよ。そんな前?って感じ。今見てる星の光は今のものじゃないって、星の現在いまが私達の現在いまじゃないってことじゃない?」

 そうかな、と空人は笑った。

「時間の概念も距離の概念も人間が考えたものだからさ。どれが現在いま、なんて絶対なことは言えないよ。星が光を発した時間を現在いまとするのか、こっちに届いた時間を現在いまとするのか」


 瞬く星の光を見ながら私は頭がこんがらがってきた。確かにデネブもベガもアルタイルも、全て違うタイミングで発した光を、私達は同時に見ている。


「何が基準かってこと?」

「そうそう、人が基準か、星が基準かってこと。三六五日を基準にするから光年になるんだし」

「それは地球の公転を基準にしてる、かぁ……」


 一千年以上前の光を見ていても、デネブの基準に従ったらそれは一瞬かもしれない。


「今、アルタイルが光ったらそれを見るのは十六年後、ベガが発した光を見るのは二十五年後…人にとってはずれるけど、星にとっては同時かもね」


 星の輝く色はそれぞれ違う。青い星も赤い星もある。その色の違いは星の寿命と関連する。それなら、頭上で瞬いている天の川の一つ一つの星の粒それぞれが同時に光った光を一つに集めたら、どんな色になるのだろう。

 夏の温かい夜風が、私と空人の間を走って丘の斜面の草を撫でていく。


「この中に百年前に光った光があるかもしれないのかぁ」


 私の溜息に空人が顔を星空からこちらに向けた。


「あるさ。君と百光年離れた星を一緒に見てるって、百年前から一緒にいる気がしない?」

「ええ?」


 驚いて問い返す私の目をまっすぐ見た空人の瞳を覚えている。


「デネブは無理だけど、今光ったアルタイルとベガの光を、僕は星歌と地球で見たい。どう?」


 ちょっと解りにくい空人のプロポーズを受け、間も無く私たちは結婚した。クリスマス間近、ふたご座流星群が天空を覆い尽くす日、結婚式と披露宴、二次会でくたくたで、私も空人も空を見上げる余裕もなかった。ずっと一緒なんだからまたいつでも見れるよね、と笑い合った。

 それがどうだ。一緒に星空を見る日は減るばかり。あんなに好きだった星達は私から空人を奪い、今や何よりも手強いライバルとなってしまったじゃないか。

 地上にいる星歌に手が届いたら、星の一瞬の方が大事になっちゃったのかな。

 あの日にアルタイルが発した光を、九年後、私は空人と見られるのだろうか。


 ******


「…さん、星歌さん!」


 スズちゃんの声に、私ははっとオリオンの三つ星から目を離した。


「ごめん、何?」

「何って……さっきからずっと呼んでるのに、カレンダー凝視してどうしたんですか?」


 十二月だ。カレンダーの写真はオリオン座とふたご座の周囲に落ちる流星の観測写真。残り僅かな今年の天体イベントの目玉の一つ、ふたご座流星群は今日の夜だった。


「いや、もうふたご座かと思って」


 正確には、今年は七年前と同じ日にふたご座流星群のピークが来ると気がついたのだが。空人はいつも通り数日前から調べ物に余念がなく、朝も早くに出て行った。また今夜もいないと思うと、流れ星が恨めしい。カレンダーを見直すと、私は今晩も明日も非番。


——一人か。


 そう思ってしまったら、さらに憂鬱が増す。

 無意識に暗い雰囲気を醸し出していたのだろう。スズちゃんが肩をトントン、と叩いてきた。


「スズちゃ……」

「えい」

「いた」


 振り返ったらほっぺたを人差し指で突かれた。


「どうしちゃったんですか星歌さん。スペース・ドームで一番の星好き、星歌いの星歌さんが。ふたご座ですよ。しかも今年は何年振りかの文句なしの晴天。しかも星歌さんはお休み。丘の上だろうと海に行こうとお家だろうと、どこでも好きなところで好きなだけふたご座星降ほしふり祭りなんですよ」


 えいえい、とスズちゃんは私のほっぺたを突っつき続ける。


「楽しまなくてどうするんですか。星歌さん最近、暗い! スペース・ドームの星好きランク、トップ・スターの星歌さんでしょ。トップ・スターならお星様をあたりに振りまくくらい明るくなきゃ」


 スズちゃんの真面目くさった顔と、その顔にそぐわず突っ込みどころ満載の言葉の連続に、私は吹き出してしまった。


「そうだ。そうよね」


 そういえば天文台の空人には勝てなくても、スペース・ドームでは私が一番の星好きと言われているのだ。その私がふたご座流星群を楽しまないなんて、星歌の名が廃る。

 せっかくのお休みだ。空人なんて関係ない。奴が地上を顧みず星空に魂を売り渡しているなら、私は地上で地上人らしく楽しんでやろうじゃない。

 今日最後の解説を終えて制服から着替えると、私は空人には絶対に出来ない星祭りを思いついて、正門へと走った。

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