女性王国

三崎伸太郎

第1話

年代はいつだったか、多分2300年ごろだと思いますと男は話した。

「少し待ってください。我々は未だ2018年に住んでいるのですよ」すると相手は、少し顔を赤らめ、おどおどした様子になった。

「冗談なら、私は時間がないので、他の人に話してください」と、私は縁無眼鏡をかけた70歳代くらいの男に言った。

男は、しばらく下を向いたままでいたが気を取り直したように顔を上げると私を見た。相手は老人だがどこか気品を持っていた。詐欺師の成れの果てかもしれないと、私は内心思った。

「そもそも、ことの発端はアメリカでした」と、男は言った。

「アメリカ?」

相手はうなずいた。私はかってアメリカに住んでいた。人生の大半はアメリカで暮らした。もちろん大学もアメリカで卒業していた。この国には愛着がある。現在私は日本に戻り、ボランティアで市民講座の授業を持ち、男女の格差問題をテーマとして授業を行なっている。

「最初は六個の理由だけで・・・」男は黙った。

「六個の理由ですか?それが何か?」

「それだけが男性と言う種の衰退した理由です」

「何ですか、それは?いい加減にして下さいよ。私は、確かに男女の格差をテーマにした市民講座を受け持たせていただいていますが、あくまでも男性の有利な社会のことです」

男は少し小首をかしげ、ボンヤリとした表情をした。私は、彼は初期の痴呆症かもしれないと思った。背広の下のボタンが取れていた。ジーンズをはいている。アメリカンスタイルだ。日本人がこの歳で、この格好とは珍しい。背格好からすると小さい老人だ。かって京都に住んでいた頃に見た没落貴族の末裔に似ている。

「2013年、アメリカで男性が女性に負け始めた、ことです。先ず、大学を出た男達の収入が落ちた。その要因は、女性が男性の職と地位に取って代わったこと・・・」男は、片手を上げて一つ一つ指を折った。綺麗な手だった。70歳代とは思えない皺のない手がすらりとか弱く伸びていて、彼のカウントで折り曲がっていく。

「ほう・・・」と私はつぶやいていた。私の脳裏に一つの記事の記憶が蘇っていた。

アメリカのニュースに「男性が女性に遅れを取っている六つの理由」と、あった。先ず子供の精神病や病気が女の子に比べて男の子は多い、それにシングル・マザーが増え、男の役割をするモデルが子供の身の回りにいない、ヴィデオ・ゲームが男の子の学習能力を低下させた。教育制度が女性に有利に出来ている。男性有利の職種が無くなって来ている又、男女の不平等をなくするために企業が積極的に女性を雇用し始めた等、だったと記憶している。

「それで、2300年では男はどうなっているのですかねえ?」と、私は男に冗談のように聞いてみた。

「女性の世界です・・・」

「で、男性は何を?」

「ごくわずかの選ばれた男性が精子を提供する・・・それだけで、後は死にます」

「死ぬ?蟷螂(かまきり)のようにですか」蟷螂の雄はセックスをした後メスの蟷螂に食べられることがある。

男は、おどおどとした態度でコクリと首を振った。

「冗談でしょう?人間は男女の性が平均して安定している種族ですよ。それに法律でも、近代のほとんどの国では、一夫一妻を法律で定めている」

「アメリカで始まった女性優位の社会は、男性を完全に社会から閉め出した・・・」

「そんな馬鹿な。男は女に比べて筋力も強いし、それに、政府などの要職は全て男性」

「エリザベス・ワーレンがアメリカで始めての大統領になった後、全ての大統領が女性です」

「えっ?現在のアメリカの大統領はトランプ氏で四十五代の大統領・・・エリザベス・ワーレンは民主党の上院議員ですけどねえ、するとエリザベスはこの後に大統領になるんだ。実は僕は、彼女が上院議員になる前から応援していて、それで、ずっと彼女の事務所からプロモーションのEメイルをもらってました」

男はうつむいて貧乏ゆすりを始めた。幽かに肩が震えている。急に哀れっぽく見えた。

私はこの老人に最終的な質問をした。

「あなたは誰で、どこに住んでいるのですか?」

「私はOS431533の33です。住んでいるのはJP1155657のA153です」と、老人は答えた。

「あの・・・大変失礼ですがお名前をお聞きしたい」

「私の名前はOS43153の33です」

「なまえが?」驚いて聞きなおした私に、相手はさも当たり前だと言うように「名前は変えることが出来ません」と、か弱く言った。

「男性も女性も名前が番号ですか?」私は、この哀れな精神病の老人をいたわるつもりで質問を続けた。

相手は、うつむき加減の姿勢を変えず「女性は別です。男性だけが数字で名前がつけられています」と言った。

「うむ・・・」思わず私の口から唸り声が出た。これだけ見事に話されたら、本当かもしれないと言う考えが多少なりとも芽生えだすものである。

一体、この老人はなぜこの市民講座の行なわれている市民会館に来たのか。目的は何なのであろう。いや、実際に精神病患者で、どこかの精神病院から逃げて来たのかもしれない。

「ところで、あなたはなぜこの市民講座に来られたのですか?」

「・・・・」老人は口を閉ざした、

「あの、病院はどこです?」流石に「精神病院は」とは言われなかったので、それとなく聞いてみた。

「病気では有りません」と、相手はごく普通に答え返して来た。

「では、どこから来たのですか?」

「それが・・・わからないので・・・神社の裏か・・・な?」老人を良く見ると、皮膚が白く透けて綺麗だった。まるで、生まれたての赤ちゃんのような肌である。しかし、全体的に見ると間違いなく70歳代と思われた。

「正直言います。あなたは、疲れておられるようです。高齢者相談窓口を知っていますので、ご案内しますよ」

老人はキョトンとした表情で私を見た。目が先ほどよりかなり大きくなり、例の、目の丸く大きい宇宙人のようにも見えた。顔の皺がいつの間にか消えていた。

「失礼ですがお幾つですか?」

「お幾つとは?」

「年齢です。70歳とか80歳とかです・・・大体でも構いませんよ」と、私はあまり期待せずに聞いてみた。

「生きている期間ですね」と相手は、変な受け方をした。

「ま、そうです」

「現在、33です。なまえの後の数字が年齢です」

「えっ?私より若いのですか?」

「若いとは?」

「ツ、つまりですね・・・生きている年数がです。現在私は65歳ですけど」

「おかしい。男性が65年も生きる事が出来るとは・・・」老人は、いや、この老人のような33歳は絶望したように言葉を切った。

「いや、比較的人間の平均寿命は延びてですね、日本人の男性は79歳、女性は86歳です。でも、最近は100歳のお年寄りでもお元気ですよ」

「それだけ生きると、もう億の子供を作る事になる」と、相手は言った。

「しかし、平均の家族は現在、子供は一人から二人、多くて三人かな?」

相手の目が再び大きくなった。目を見開いたと言うような表現では説明つかないような大きさだ。丸くて大きく、黒目は底無しに見えた。

私はここに書いておくがアメリカの大学では、語学が弱かったので数学のほとんどのコースをとり、全てに好成績を収めた。化学や物理にも強かった。

この「若い老人?」は未来からの旅行者・・・と、チラリと考えたりもした。しかし、私は超物理学と呼ばれる分野を書いた本や超常現象、超自然現象等とは全く無関係の人生を送ってきた。宝くじなどは、本に書いてあったように何度も祈って念を送ったりしたが当たった為しが無い。又、お化けも一度ほどしか見ていない。これは、二十歳過ぎの時、仁徳天皇の御陵に興味を持って大阪の百舌鳥と言う町の文化住宅に住んだ時に見た、と言うよりは変な経験をした。夜中に古い文化住宅の天井の角から白いものが出てきて私の体は硬直した。グーンと言うような音と力が働いた。私は思わず普段は非科学的であると考えている念仏を「ナンマイダナンマイダ」と、つぶやいていた。同じような現象は数度続いた。したがって、それ以来お化けは一度見たと言う事にしているが超自然現象と南無阿弥陀仏の経験はこの程度だ。


ところで、この老人は一体どこから来たのか、少し煩わしくなってきたので早くこの事務所から出て行ってもらいたかった。しかし、彼は一向に動こうとしない。座ったイスから立ち上がりそうにもない。そばには、金属の杖が置かれていた。

私は意を決して「大変申し訳ないのですが今日は少し忙しいので必要でしたら明日にでも又、おいでいただければと思うのですが」と言った。兎に角ここから追い出せば、彼は二度とここには来ないだろうと思ったからだった。

「明日と言えば2063年ですか?」と老人は言った。

矢張り、精神病患者に違いない。私はやんわりと「現在は2018年ですよ。ま、年代はいいですが病気が回復したら又、来てください」と言い、立ち上がると老人のそばに行き彼の身体を支えて立ち上がるのを助けてあげた。そして、杖を持たせようと片手で金属の杖に触った時、少し電気が身体に流れた。周囲が白く変化し始めた。まるで白のペイント・スプレーで画を消していくように、自分と老人の周囲が消え始めた。

一枚の白い布を被せられたように、要するにマジックでモノにハンカチを被せ「チチンプイプイ」と唱える、あれに似ている。そして私の上の白い布が取り除かれた。私とOS43153の33の老人は、繁華街の通りにいた。着飾った人々が歩いている。一体どうして、自分のいた市民会館の事務所から出てきたのだろう?記憶が飛んでいた。老人がゆっくりと歩き始めた。

「どこへ行くのですか?」私は、とっさに聞いた。何となく不安だった。ぜんぜん知らない場所だったからだ。

老人は何となく少し若返って見えた。彼は杖を持ち上げると「2030年にワープか・・・」私の耳に彼の呟きが聞こえた。

「な、なんですって?2030年ですって?まさか、現在は2018年です」と言い、私は気づいたかのように周囲を見渡した。(ちがう・・・)と内心思った。建物の形や人々の装いが2018年とマッチしない。

私は喉の渇きを覚え、老人を即して近くにあった自動販売機に向かった。「ホットーコーヒー」を飲もうと思い、財布から500円硬貨を取り出して挿入口を探したが見当たらない。

「あれ?硬貨の挿入口がない」私は、ディスプレイしてある商品を次々に見ていったが何か変だった。価格が明記されていないのである。すし屋のカウンターを思い出した。すし屋で価格の明記してないものは要注意。注文すると目が飛び出るような高価格だ。もしかして、この自動販売機も同じかもしれないと思った。その時、一人の女性が近づいてきてボタンを押した。カタリとジュースの缶が転がり落ちた。

彼女はお金を入れなかったのに・・・私はボタンを押した。しかし、自動販売機は動かなかった。

「あら、あなた缶コーヒー飲みたいの?」先ほどの女性だ。

「はい。硬貨を入れようとしたのですが挿入口が見つからないのです」事務的に聞いていた。

「?」相手は不思議そうに私を見た。そして「硬貨?」と聞いた。

手につかんでいた五百円硬貨を相手に見せると、相手はマッ!と声を上げて驚いた。

「珍しいわね」と女性は続けた。ありきたりの会話だ。

「500円硬貨がですかね?」

私は、からかわれているのかと思ったが気を取り直して「この硬貨は2000年に発行された貨幣です。今は何年でしたっけ・・・」と言葉を濁してみた。「2030年でしょう?」相手は訝しげに答えた。

「ああ、そうでした」と私は答え、横に知らぬ存ぜぬとした顔で突っ立っている老人を見た。

「おじいさん。2030年だってよ。はは・・・」軽く笑ってみたが(これは一体?)「夢?」私は現実に違う世界を感じていた。

あの2018年に戻れるのだろうか。大した財産を持っているわけではないが妻が心配している事に間違いない。又、ここから戻ったら例の浦島太郎のように、まるで違った時代にもどってしまうこともありうる。それで、万が一玉手箱のようなもので・・・白い煙が出て・・・お爺さんになると、一瞬思ったりした。

「はい!」女の声に我に返った。見ると彼女の手に二つの缶コーヒーが握られている。

「どうぞ」と相手は言った。

「すみません・・・」と私は言い、手にしていた五百円硬貨を彼女に渡そうとしたが相手は笑って手を振った。

「おじさん。良く、通りに出てこれたわね。偉いわ」と彼女は言った。

「偉い?」

「ええ、法律で平日、男性の外歩きは禁じてあるもの」

「まさか!」私は少し声を上げた。

「私は、OKよ。心配しないで」

私は周囲を見渡して見た。確かに、男性の姿が見えない。偶然に女子大の前にいて、とも考えてみたがそれにしても、一人の男性もいない通りなどあるのだろうか。

「い・・・いつそんな法律が?」私は、一つの缶コーヒーを老人に手渡しながら、女性に聞いた。

「私、エミ」と、女性は唐突に自分の名を紹介した。私は自分の直前にした質問も忘れ、

「私は、福田です。そして彼は・・・OS・・・」

33歳の老人が「OS43153の33」と、オウム返しのように答えた。

「長田(おさだ)さん」と私は老人の名前を勝手に決め、「ところで、先ほどおっしゃってた普段の日に男性は外歩きをできないと言うのは?」と再び聞いてみた。

「あら、知らなかったの。ごめんなさい。ほら、あの方達が教えてくれるわよ」エミの指差した方角から二人の女性警官が近づいて来ていた。

「・・・・・」私は無言で、缶コーヒーを飲み干した。やけに喉が渇き、自分の現在の状況を把握できなかった。

女性警官は私と老人の前で足を止めた。

「IDを見せなさい」と警官は、ありきたりの警官の口調で一般的な要求をして来た。こんな時は運転免許証を見せるものだ。

私は、ブレザーの内ポケットから免許証を取り出して警官に差し出した。警官は運転免許証を見るなり「これは、有効期限切れです。他のを見せなさい」と言った。

「なんですって、それは一月ほど前に更新したばかりなのに・・・」と私が言うと、警官は「2018年の運転免許がですか?現在は2030年です。署に連行します」と、私の首にサッと犬の首輪のような物をかけた。確かに、それだ。紐がついている。

「ちょっと、待ってくださいよ。私は、何も警察に連行されるような悪い事はしていない」と、老人を横目で見ながら警官に言った。老人は例の大きな黒い目を丸くし、少し楽しんでいるようにも見えた。

もちろん警官は老人にも首輪をかけた。そして、我々は警官に引っぱられて通りを歩き始めた。通りの女性達が珍しそうに私たちを見ながら通り過ぎて行く。飼主に引っぱられている犬の心境だ。確かに、男性は私達二人のようであった。

私はここで気づいたのだが老人の杖が無くなっている。横を歩いている老人は手ぶらだ。あの杖が無いと、私は永遠に2018年に戻れないのだ。ここまで来ると、私は完全に時間旅行を信用していた。どう考えても、私は現実の世界にいて、そして、2030年と言う未来社会に一瞬にして来てしまった・・・長年住んだアメリカから日本に戻り一年もしないうちに又、別の社会に移動したと考えると、何となく落ち着かなかった。



警察署はモダンな建物だった。2018年では入口に棒を持った警官が立っていたが誰も建物の前にいなかった。

建物の中は警察署に似つかわしくないクラシック音楽が流れている。事務所は綺麗に整頓され女性職員と女性警官のみがいた。私は、男性の警官達は何かの事件で皆外に出ているのだろうと思った。

老人と私は、広々とした応接室のようなところに通された。

しばらく待つように言われたので、私は老人に聞いた。

「杖はどうしたのですか?」

「杖?」老人は例の大きく丸い目で私を見た。昔見た映画E・Tの宇宙人のような目だ。

「はい。あの長い棒です」あれがないと元の時代に帰れないと私は信じていたので、気が気ではなかった。

「ああ、あれはここ・・・」老人が指差したのは彼の耳だった。見ると、補聴器のようなものが見えた。すると、杖は孫悟空の如意棒のように延び縮みするのだ。私は少し安心した。

そして、

「お願いします。2018年に戻してくださいよ」と私はつづけた。

「一度ワープするとエネルギーが貯まるまでに二週間かかります。したがって、今は無理」と、老人は口をパクパクさせて言った。

「えっ?二週間もですか? わっ、こまった。家では妻が待っているのです。年上女房です。現在70歳だから、帰らないと心臓発作を起こすかもしれない。それに、私は高血圧で、血圧を下げる薬を飲まなければなりません。最近、尿に少し糖がでて糖尿病の疑いもあります。そうだ、このままこの世界にいると私は死ぬかもしれない。あなたのせいですよ。私がここで死んだら、あなたは殺人者だ」

「これどうぞ」老人がなにやら薬のようなピルを私に差し出した。

「何ですかこれは?まさか、毒?」

「あなたは人生とか言うものの中で何歳が良いですか?」と、老人は言った。

「そりゃあ、25歳かな・・・でも、それでは若すぎるので結婚した30歳ですかね、いや、あなたが33歳だと言うので私も33歳だ」

「その薬でなります」と、相手は言った。

私は自分の手の中にころがっている鶯色のピルを見た。(まさか・・・)と内心思ったが警官が入ってくる気配を感じたので一か八か口に放り込んで飲み込んだ。

ドアが開き先ほどの婦人警官が入ってきた。

「お待たせしました」婦人警官はソファの、全く警察署らしくないのだがソファの対面に座ると「どうして通りに出たのですか?」と聞いてきた。

「気づいたら通りでした」と、私はそのままを述べた。

「では、あなた達は意識して通りに出たのではないと言う事ですか?」

「そうです。何かの間違いでした」

「分かりました。では、ここに手を当ててください」と、平たい物を私達に差し出した。手の形が書いてあるので、指紋の検査をするのだろうと思い言われるがままに手の平を当てた。老人も当てた。

婦人警官は手にしていたノート型コンピューターのスクリーンを見て「あら、おかしいわネエ」と、つぶやいた。

「あなた達は確かに登録されていない」

「どこにですか?」私は反射的に聞いていた。

「男性管理局」

「えっ?」

「要するに、あなたたち両名は選ばれずに処理されるはずだった男性です」

「処理?」

「そうです。再生されます」

「再生?」

「より品質の良い男性にされる種類に属する男性です」

「そ、そんなバカな!」私は声を上げていた。

「あなた達は未だ若い。再生されるべきです」と婦人警官はきっぱりとした口調で言った。「若くありません。私は既に65歳ですし、それにこの方、長田さんは老人・・・」と、言いながら相手を見ると、彼は若返っていた。正確には隣に座る「OS43153の33」さんは33歳の姿に見えた。

「あなたが65歳ですって?そういった嘘は直ぐばれます。兎に角あなた達は再生局に護送します」

「すみません。少し待ってください。『再生再生』と先ほどから聞きますがどういったことでしょうか?」と、私は婦人警官に聞いてみた。

「ああ、心配要りません。あなた達の遺伝子を組み替え、品質の高い男性にします」

「品質の高い?」

「そうです、あなた達は生まれ変わります」

「すると、我々は死ぬわけですか?」

「『死ぬ』と言う古い言葉は合いません」

「ばかな。私は65歳です。まあ、後そんなに人生は長くないと思いますが家庭がある。家では妻が待っているのです。弁護士を呼んでください」

「あなたが65歳?」

「そうです」

婦人警官は机の中から手鏡を取り出して私に渡し「良く見なさい」と言った。

私は手鏡を取り鏡を覗き込んだ。見知らぬ若い男がそこに映っている。

「これ鏡ですか?」

「そうですよ」婦人警官は言葉を強めて言った。

私は再び鏡を覗き込んだ。そして、老人にもらった鶯色のピルを思い出した。すると、これは33歳になった私だ。(わっ!)と内心叫んでいた。頭の中が真っ白になっていた。

それから、老人と私は警察の車に乗せられ町のはずれに有る再生局に連れて行かれたわけだが、何分にも魔術的な時間の中にいて、私の思考は上手く動いていなかった。どのようにして護送されたか覚えていないが気づいた時には長田さん、つまり少しややこしいが「OS43153の33」さんと私は、白塗りに塗られた室内に閉じ込められていた。

「ああ、私はなんと不運だ。あなたがあの市民講座に来なかったら、こんなひどい目には合わなかった・・・若くなったし、こんなに若くては70歳の家内と、一体どうやって暮らしたらよいのか・・・」

長田さんは、私の愚痴も聞こえないようにじっと虚空を見ていた。

「普通・・・人間は若くなったら喜ぶ・・・」と彼はポツリと言った。

「喜ぶ?若くなったと言う事はもう一度人生を繰り返せと言う事ですよ。冗談じゃあない。私は嫌ですよ。アメリカでは大学に6年も行き、学生ローンの支払いに日々を送りました。ええ、大した学歴ではないです。BSの学位で単に四年制大学終了。しかし、私には精一杯。それに買った家が例の2007年の大不況で価値がなくなり「HOPE」と呼ばれる国の援助で借金を切り抜け・・・ああ、思い出しただけで頭痛がする。やっと祖国に戻り平穏だったのに・・・」私はうずくまってメソメソした。これは演技で、長田さんの心を揺り動かし2018年に戻してもらう為だった。しかし、彼は例の丸く大きい黒い目を白い壁に向けてじっとしたままだ。

婦人警官によると、私達二人はここで再生機にかけられ、新たな雌(男性)として、世に出されるとのことだった。つまり、別人になるのである。それは死を意味していた。

「あの、それでですね長田さん。私は小説も書くのです。若い頃、同人誌など作りまして・・・」すこし顔が赤くなった。何となく恥ずかしかった。それでも私は相手の気をひくため続けた。「それで、新聞で一席とか地方の同人誌などに載せてもらったものです。あのH・G・ウエルズのタイムマシン・・・長田さん、読んだことがありますか?あれは、なかなかです。変な最近の小説などよりはるかに面白いです。でも、まさかこの私があの作品のように時間を飛び越えて2030年に来るなんて・・・未だ信じられない・・・それにごみ処理場にあるような再生機にかけられて抹殺されてしまうなんて・・・ああ、これは、もう耐えられません」わたしは顔を覆った指の間から「OS43153の33」さんを見た。彼は未だ例の大きな黒い目で白い壁を見ていた。

しかし「OS43153の33」さんは、再び老人のようになっていた。彼の指が動いた。指は空間に字を書き始めた。それは、数学又は物理の公式のように見えた。「ディスクリート・マス」と、私は思った。なぜなら私はアメリカで、ほとんどの数学を専攻したが特に「ディスクリート・マス」は面白くA+の成績だった。だから彼の指の仕草が時空を計算しているのだろうと推測した。すると、ここから逃れるのだ。しかし・・・彼は私を連れずに行ってしまうかも知れないと言う恐怖心が湧きあがって来た。

私は「OS43153の33」さんの隣に歩いて行くと横に腰を落とした。彼が動き始めたら彼を捕まえて一緒に時空を動く、と決意していた。(ぜったい離すものか!)と相手をにらんだが長田さんは拍子抜けしたようにキョトンとしていた。

突然部屋のドアが開き、女性・・・化粧はしていない。頭は丸坊主だ。ここは、女性の監獄か知らんと私が思っていると、女性二人は私達のほうに来て「腕を出しなさい」と言った。

「さて・・・」と長田さんが言い立ち上がった。私は彼に抱きついた。白いスプレーがあたりに撒かれたようになった。そして白いハンカチが私達に被さって来た。隙間から丸坊主の女性達があっけに取られている胸から上のみが見えていた。そして、それも次第に消えて行き白いハンカチが私達から取り除かれた。

どこかの室内だった。一瞬私は市民会館に戻れたかと思った。室内は明るかった。全ての壁が発光体で出来ていて、部屋の真ん中に白いテーブルと二つの見たことのない形の椅子が置かれていた。長田さんはよろよろと歩いて行き椅子に腰を落とした。べつに疲れている風ではなかったが頭と体のバランスが良くない。

「ここはどこ・・・いや、いつの時代に来たのですかネエ」私は嫌味な口調で言った。

再び老人のような姿に戻っていた長田さん、「OS43153の33」さんは「フゥー」と吐息を吐いた。

「お疲れの事と思いますが・・・」と私は丁寧な言葉で切り出した。彼の機嫌を損ねて2018年に戻してもらわなかったら大変だからである。

「又、更に未来に来たのでしょうか?」

その時、片一方の丸い縁の部分が開いて男が入ってきた。

「OS43(153の33)」と男は長田さんに声をかけた。

「YY55。ご無沙汰・・・してます。すみませんね。とつぜんと」

「いやいや」と相手は顔の前で手を振り「今回はいつの時代にご旅行を?」

「頼まれて2018年、それでアクシデントで例の2030年に行き、例の監獄からエマージェンシー(緊急事態)でここまで来ました」

「ああ、例の時代の監獄・・・あれは、全く困りものだ。ところで、この方が例の?」と言い、私のほうを見た。彼は、普通の人に見えた。普通の人とは、つまり2018年に住んでいる男性のことだ。

「例の市民会館で・・・」

彼達の会話には「例」の文字が多く含まれている。全く曖昧で意味が伝わってこなかった。それに私は疲れていた。何とか命は助かったと思われたがここは私の住んでいた2018年でも無いようだ。

「例の男性、なるほど・・・」と、YY55もOS43に相槌を打った。ここまで話すと、彼達は私をしげしげと見た。私は、隅の方にうずくまってグッタリしていた。そして、内心メソメソしていたのだ。妻の顔がしきりに浮かんだ。心は65歳だったが年齢は確か33歳に若返っていたはずだ・・・自信は無かった。妻の年齢が70歳で自分が33歳であれば、まるで子供である。嫌われるのではないか・・・例の彼女の下腹のポッコリとしたところに頭をおいて、幸福にひたることもなくなってしまうのだ。私は我に帰った。是が非でも、2018年に65歳で返してもらうのだと決意した。

「あの・・・」と、私が話しかけたと同時に相手が「お名前は?」と聞いてきた。「は、はい。私は福田です」と少し緊張して答えた。

「ああ、福田さん」と、相手はしごく当然と言う風に私の名前を繰り返した。

「あの、長田さん・・・OS43さんは、私の名前に不理解でしたが・・・」


彼、YY55は「私は緒方と言います」と、一般的なこたえ方をした。おかしい、と私は内心思った。ここは未来で、OS43は一般的な名前を持っていなかった。この緒方さんは、一体どうして?

「おかしいでしょう?」と彼は私の心中を察したかのように言った。そして続けた。「実は私も、あなたと大体同じ時代から来ています。つまり、エリザベス・ワーレン大統領の時代。あなたはアメリカに長く住んでいらっしゃったと言うことなので、アメリカの大統領を例に挙げたほうがお分かりいただけると思います」

「まあ・・・大体、分かります・・・私はバラック・オバマ大統領の時にアメリカに住んでいたのです。2007年の不況で偉い目に合いました」と、余計な事も口にした。

「ところで、あなたはどうしてこの時代に来たと思いますか?」相手は言った。

「はい。実はこの長田さん、いやOS43さんが私の持っていた市民講座に来られまして・・・彼の持つ杖、どうもこの杖が時代を旅行する道具だと思いますがこの杖に間違って触ってしまいました、ま、それで・・・」

「えっ?」と相手は言い長田さんを見た。長田さんは例の黒い大きく丸い目で空間を見ていた。

「OS43は話さなかったのですか・・・まあ、この人は内気で口べただからなあ・・・」とYY55、つまり緒方さんはため息をついた。

「兎に角、まあお座り下さい」と、彼は私に近くの椅子を勧めた。私がよろよろと勧められた椅子に腰を落とすと、緒方さんは壁の方に行き何かのスイッチ押した。すると壁の一部が開いた。

「何か飲みたいものは?」と彼が聞いてきた。私はコーヒーを飲みたかった。

「あの・・・2018年時代のコーヒーは飲めますか?」

「コーヒーね。で、OS43は?」

「#%&*&$%#」と、長田さんは変な言葉をしゃべった。

「@@&&%^*」緒方さん(YY55 )さんが答えて、手で何かを押した。

コーヒーとプリンのようなものが現れた。緒方さんは私のほうにコーヒーを持ってきて「どうぞ」と言い、OS43のほうにはプリンのような物を渡した。

久し振りのコーヒーだ。良い香りが鼻を突いた。私はカップを持ち上げると口に運んだ。2018年に私が飲んでいるコーヒーと同じだった。

「ああ、おいしい。有難うございます」と私はお礼を口にした。何とか2018年に帰れそうな気がして来たからだ。

「さて、先ほどの続きですが実は、私たちの組織があなたを探していたのです」

「組織?」

「はい。『男性自由連合日本支局』です。少しダサイ名前ですけど」

「どういうことでしょう?」

「あなたが住んでいたのは2018年ですので、ご存じないでしょうが2025年ごろから女性が我々男性に取って代わり始めました」

「全部ではないでしょう?筋力の劣る女性が完全に男性に取って代わるのは無理でしょう」

「それが取って代わったのです」と緒方さんは声を低めて言った。

「まさか?」

「ほんとうです」

「・・・・」私は先ほどの時代を思い出していた。

「2018年の後半においても、アメリカでは10家族のうちの4家族において女性が大黒柱でした。男性の平均学歴が落ちて行き、女性の学歴が伸びた。女性が男性の地位に取って代わり始めたわけです。何故なら、男性は精神病とか糖尿の患者が増え、次第に家庭に収まるようになりました。その代わり、女性が社会に進出し、男性と入れ替わったと言うわけです」

「しかし、男性優位社会だった時でも、男性は・・・」と言い、私は黙った。男性が案外と女性を圧迫していた事に気付いたからだ。性の奴隷などと言う社会的問題だけでなく、簡単なこと、お茶くみとか、そんな事を平気でやらせていた。女性の能力が男性より劣るからと言うわけでもなく、何となく根付いていた社会的な慣習からだった。つまり、男性は筋力が女性より勝り、そのために暴力で女性を押さえつけることが出来た時代の社会的感覚が根源にあるからだ。

「2300年には性淘汰(異性をめぐる競争を通じて起きる進化のこと)など必要としなくなった女性達が男性を完全に社会から排除しました。IPS細胞から優秀な遺伝子を持った精子をつくり、それで、女性は子供をつくります。もちろん体内でなく、対外で、です」とYY55さんは事務的な口調で言った。

私は長田さん、つまりOS43をチラリと見た。彼は、相変わらず例の大きな黒い目で壁の方を見ていた。

「あの・・・あの方は日本人ですよね」緒方さんに聞いてみた。

「OS43ですか?」

「はい」

緒方さん(YY55)は笑って「日本人と言う事が当てはまるのだろうか」と言い、長田さんのほうを少しの間見ていたが、ところで「あなたは『家畜人ヤプー』 と言うSM小説を読んだことがありますか?」と私に聞いた。

「ええ・・・文学青年の頃・・・あれはSMとSFの混ざった、変な小説だったと覚えてます」

「そうですか。では話がしやすい。私達がこれからから正常にしようとしているのは、あのような社会ではありません。確かに女性優位社会ですが女尊男卑的な社会ではなく、人間にとっては理想となるような社会です。しかし、私達男性は、もちろん一部の男性ですが変えようとしているのです」

「人間にとって良い社会を変える?」

「そうです。『幸福的見地』から」

「幸福的見地?」

「たとえば、長屋のオカミさんたちの幸福感又、屋台の酒の幸福感、などなど・・・もちろんプラトンの言う『幸福論』とは違う」

「・・・失礼ですがYY55さん、失礼、緒方さんは、いつの時代の方ですか?」私は、この21世紀の感覚で話をする人に聞いた。

「私ですか?私は先ほど申し上げたように、あなたと同じような時代、正確に言うと2025年、エリザベス・ワーレンがアメリカで初めて女性大統領になった時代です」

「どうして、この未来に?」

「あなたと同じように例の市民会館で市民講座を受け持っていました。そして、他のタイム・トラベラーと一緒に、この世界に来て、そうですね既に二十年かな?」

「えっ!二十年もですか・・・」

「心配ないですよ。時間など、こちらで幾らでも調整できる。一年が一時間になったり又、その逆で一時間が一年にもなる」

「何か良く分かりませんが兎に角、ここで私の仕事が終わったら2018年に戻してくれるのでしょう?妻が待っているのですよ、彼女は70歳です」私は再び余計な事までも付け加え、何とか元の時代に戻ろうとしていた。

「ああ、それは大丈夫。あなたと、あなたの奥さんの時間は5、6時間の誤差で戻れます。それに、あなたは現在は33歳です」

「鏡で見ると33歳でしたが精神は65歳のままですよ・・・」と言いながら、私は何となく私自身の精神も若返っているようには感じていた。「それで、私に何をやれと?まあ、英語を日本語に翻訳などは出来ますが、その程度です」

緒方さんは、立ち上がると長田さんのほうに行った。

「%7^^##@@8&・・・」

「%7^^##$#*&!!@@」

彼達は、私に理解できない言葉で話している。

やがて緒方さんは再び私のほうに来た。

「これを見てください」と、彼は壁の一部を指差した。するとそこに映像が映り始めた。例の丸坊主の女性警官達と数人の男性が映し出された。

「この男性達は再生処理されます」

「あの、時代にいきました。処理って、あれ、死刑のようなものでしょう?」

「その通り・・・しかし、あの時代の男性達は、それが当たり前だと思い込んでいるのです。その方が幸福になるとさえ考えている」

「・・・・・・」私には分からなかった。

「私たちの使命は、あの時代を変えることです」と、緒方さんは言った。

「使命?」

「そうです」

「私も含めてですか?」 

「はい」

「私など、大した能力はないですよ。65歳ですし・・・現在は変な薬で33歳に戻ったようですが自信ありません。暴力は、嫌いですし・・・それに、めんどくさい事、つまり、他人のことに干渉するような事は苦手です。要するに、私は何も出来ないですよ」と、私は緒方さんにくぎをさした。とにかく、元の時代に戻る事を先に考えていた。少々あせりもあった。今朝、家を出る前、妻に今日は久し振りに外食を・・・たまには焼鳥なんかどうかと聞いて、夕方に出かけることにしていた。時間がない。

「『京』(けい)というスーパーコンピューターをご存知ですか?」と、緒方さんが私に聞いた。

「NHKのニュースで聞いたことがあります。もちろん2013年の事でした」

「そうですね、この『京』が、あなたを見つけたのですよ」

壁に小さな人形のような写真が映し出された。かわいい人形、と言った感じだ。この『京』は2013年当時の『京』に比べて一億倍以上の能力を持っています。したがって我々を時間移動させている・・・あの、OS43は『京』のイメージ人間なのです。彼があなたを必要とした。それは『京』が、あなたを必要としたことになります」

「私を?何のためにですか?」

「性淘汰の自然律を忘れ、女性の一部のように成り下がった人間の雄を女性と同等にする事が出来る人物と、言う事でした。ま、人間の歴史上に現れた『神』と呼ばれる人々も『京』の創造です。いや、我々『人間』の種さえも『京』なのですよ」

「ええ?」私は頭を振った。「しかし、私の場合は・・・多分、コンピューターのミスか、スパムでしょう。私に出来るはずがない。このようなSF小説の中の出来事のような・・・」と私は言い、言葉を切った。現実に未来に来ていた。夢ではなかった。

「兎に角、私達はこれから2300年に行き、そして一度、あなたの時代2018年に戻ります。そして再び時間を動き2020、2040、2060,2080,2100年とすこしづつ男性達の意識改造を行ないながら移動します。移動にはOS43の力が必要ですので、彼と綿密に計画を練りましょう」と、緒方さんは一方的に話した。




2300年


私は2300年に移動する前か移動中だったか忘れたが2300年を思い描いていた。漫画や映画で見た空とぶ車、色々な姿かたちをした宇宙人達・・・身にピッチリとした衣服を着けた人々などだった。

しかし、2300年の時代は私の想像とは違っていた。まるで「自然」と言った方が良い。人間が自然と一体になっている・・・と言う感じだろうか。清潔な家々が立ち並んでいたが自然と上手く調和していた。人々、と言っても女性達だけだったが清潔そうな絹のような服に身を包んでいた。

「ここは、男性自由連合日本支局です」と緒方さんが言った。私とOS43、そしてYY55(緒方さん)は、一つの建物から外を見ていた。

「いいですか・・・ここは秘密の建物です。我々男性は外には出れません。存在さえしていないのですから」と緒方さんは声を潜めた。

「男性がいないと言うことですか」

「居ないと言うより、存在しないのです」

「?」

「少し、理解できないかもしれませんが男性と言う雄は既にこの世から抹殺されています」

「えっ?」私は、緒方さんを見た。彼はゆっくりうなずき、生唾を飲んだようだ。幽かにゴクリと言う音が聞こえた。

「見つけられたら、辱(はずかし)めに合います」と彼は続けた。

「辱めにですか?」

「そうです。たとえばあなた達の時代に雪男が見つかると、それは多分見世物になるでしょうね。そのようなものです。ただ、我々には未だ恥の概念などが残っていますので、きっと精神的にも打撃を受けるでしょう」

その時、戸外の路上に女性の後に荷物を運んでいるような男のような人間を見た。「あれ?あれは男性では?」と私は緒方さんに聞いた。

緒方さんは、私のほうに来て外を見た。

「ああ、あれは男性ではありませんね。ミュータントです。サイボーグに近い人間ですね。性がないのです」

「性がないとは?」

私の質問に緒方さんはニヤリと笑い「オチンチン」がない・・・。

「男性はどこに行ったのですか?」私は、ここに来る過程で聞いたことを一時的に忘れていた。

「男性は、社会から次第に消えて行った・・・と言う事です。例えば、魚のチョウチン鮟鱇(あんこう)の仲間には、雌に寄生して生殖活動だけをするだけになってしまう雄がいますが人間は違います。雄と言う性が科学の力で必要なくなったのです。『雄』は生物の種を継続させる為に『精子』を製造し、雌に提供するための生物で、生殖行動で精子をメスの卵巣に移せば役割は終わり。しかし、その精子が雌の細胞から化学の力で生産できるようになれば雄は必要なくなりますよね」

「・・・」私は言葉を失っていた。

「私達は雄と言う人間の男性が次第に社会から消えて生き始めた時代に戻り、この進化の過程を止めるのが使命です」

「何年頃でしょうか?」

「未だ、分からない」

「ところで、女性には性器はあるのですか?」私は今までに関係のあった女性達を思い浮かべながら聞いた。

「あります。ただ、セックスで感じる性感は必要ないので消えているようです。外性器の部分が消え内性器のみ。男女が重なるセックスと言う行為はしないし、必要がないので退化したと言う事でしょうね、きっと・・・」

「わずか100年で・・・」私が指を折りながら、日本の歴史を遡っていると、緒方さんは「もちろん科学の力で強制的に退化させたと言っても過言ではありません」と付け加えた。

「%$#*&^」その時、OS43がYY55に言葉をかけた。私もこのころでは彼達をアルファベットと数字で呼ぶのに慣れていた。

次にYY55さんは私に「今OS43が男性自由連合日本支局の支局長を呼びました」と言った。

私は当然このドアのない壁のどこかにある隠しドアが開いて、支局長が現れると思っていた。更に私は、支局長は60歳から70歳又は、白髪を持った仙人のような数100歳を越える人物であろうと想像していた。

そして、その後、部屋の真ん中あたりが小さくビー玉程度に輝き始め次第に大きくなると50センチメートルほどの人形が現れた。瞬時私は『京』だと思った。

「や、こんにちは」と相手は言い、ふむ・・・と言いながら次第に大きくなり人間の大人で、あの俳優、なんと言ったか名前が出てこないのだが・・・するとYY55さんが小声で「支局長は、あなた達の時代のスマップと呼ばれたグループの・・・木村卓也に似ているでしょう?」と言った。確かに、あの俳優に似た男前だ。

支局長は「私はZZ01です」と、はにかむように私に言い片手を伸ばしてきた。握手の習慣が未だ残っているようだった。私は片手を延ばして彼の手を握った。瞬間、私は自分の内面に力を感じた。

「それは、あなたの力ですよ。是非お力をお貸し下さい」とZZ01 支局長は私に言った。「でも、あなたほどの力があるのなら私など必要無いと思われるのですが・・・」

彼、ZZ01は白い清潔そうな歯を出して軽く笑い「私の能力など大したものではありません。確かに精密で100パーセントの計算が出来ますが残念ながら『ミス』が作れません」

「『ミス』をしないのは、最高のことではありませんか」と私は言った。

「19世紀にアメリカの発明王のエジソンは『ミス』こそ、発明の母だというようなことを言っていますが、私の欠点は『ミス』を作れない事です。それは自然ではありません」と、いまや長髪のイケメンの姿をしている京が照れくさそうに言った。私の住んでいる2018年の時代は、兎に角「ミスをするな」と言うのがモットーである。

「我々の時代は『ミス』が社会にあふれ、いかにミスをなくすかが議論されていました」と私は言った。

「そういうことです。ですから『ミス』を私の中から排除してしまった。これは人間のミスでした」彼の言葉は、私には冗談に聞こえたが心は和んだ。ZZ01に人間らしさが感じられた。

「私は、そのミスをたくさん作れますよ、きっと・・・」

「それが人間と言う事です。それに、あなたは動物に好かれる。それは精神の真ん中に丸いクリスタルがあることです」

良く分からなかった。私のどこかにあの占い師が使うような丸いクリスタルボールがあるのであろう。

「ところで、あなたがスーパーコンピューターの『京』さんであれば、なぜ男性の見方なのですか?スーパーコンピューターって、その社会の国家的プロジェクトの産物だから、国家側にいるはずですけど・・・あなたが男性の姿をしているからですかね?」私は先ほどから持っていた疑問を彼に聞いてみた。2300年にいて、秘密結社のような男性組織がスーパーコンピューターを駆使して社会を変えようとしているならば女性組織(詳しくは知らない)は、もっとすごい女性の姿をしたコンピューターを持っているに違いない。

「確かに・・・」と相手は言葉を切った。

「私に説明させてください」YY55さんが言った。そして彼は壁に女性の写真を映し出した。

「彼女が大統領です。大統領と言っても地球全体の、です。2015年ごろのように世界は分かれていません」

写真を見て私は驚いた。それは私がコンピューターの中に残していた「かわいい少女」に似ていた。いや、まるで彼女だった。若し他人なら、この偶然をばかばかしいと思われるかもしれない。正直、私自身がそう思うからだ。しかし、ロットが当たるような偶然だった。

「だからです」とZZ01、つまりコンピユーターの『京』が言った。私の心を読んだみたいだ。

「あの娘の遺伝子を引き継いだ女性が大統領なのです。人間なのに大体私と同じ能力を持っています。相手は人間ですから、私はその分負けているわけです。それで、私にはあなたが必要なわけです」

このスーパーコンピューターは、大統領に勝ちたいのだろうか。

兎に角、そう言われても、私は未だ理解できなかった。確かに大統領は好きな少女の顔だ。私は少女趣味でもないが人間には好みと言う顔があるらしい。ある時、2000年ごろだったがコンピューターの画面に出た彼女の写真を、コピーしてセーヴしていた。未だ少女だからかわいいのであって、大人になるにしたがって顔かたちは変化するものだ。化粧を始め、知識が顔に表れ始めると女性の顔は少女の面影を消し去る。

私は65年の人生を経験した大人の男性だ。ある程度は女性を熟知していた。しかし、女性達が社会を動かし始めるとは予想だにしなかった。

「それで、女性達は男性を迫害しているのですか?」私は2018年の男性優位社会を思い出して質問した。

「迫害?いや、そういった野蛮な行為は、現代(2300年)には有りません」と京が言った。

「では、どのような?」実に曖昧な受け答えである。

「男性は、地球人口5パーセントに満たないのです」

「えっ!」私の口から自分でも思いがけない奇妙な驚きの声が出た。古来から男性と女性の比率は大体ヒフティ・ヒフティ(半々)だった。それが現在の社会では女性が95パーセント以上を占めているのだろうか?

「どうして、男性の人口率が減ったのでしょう?」平凡な質問をした。内心、この社会に住む男性は女性にもてるだろうと、2018年の感覚でいた。

「男性と言う種がいらないのです」と相手は答えた。

「しかし・・・人口を維持するには、その・・・男性の協力が必要でしょう?」私はセックスのことを思い浮かべながら控えめに口にした。

「男性は要りません」相手は答えた。

「では、どのようにして子供を作るのですか?」私の声はうわずっていた。

「あなたの時代の2018年の言葉で言うとバイオテクノロジーです。女性達は、ある年齢に達すると自然に妊娠し、卵で子供をうみます。丁度鶏の卵程度で、お産の苦しみは有りません。卵は、特別な機器の中で孵化し人間になります」

「卵で・・・ですか・・・」私は言葉を失った。白いゆで卵や、玉子焼きといったモノが脳裏に浮かんでは消えた。それも束の間の話で、私は、少しこの社会に抵抗を覚えている自分に気付いた。子供を生む女性の神々しい顔の表情や、赤子の持つ愛らしさ。そして、母性の雰囲気、このような幸福を作る一切の過程がこの社会では無くなっているのだ。

ZZ01は、私の考えを読み取ったようで「ご協力、下さい」と赤い羽根運動のお姉ちゃんのような言葉を使った。

「もちろん、です」私の言葉に、横にいたYY55 さんが「よろしくお願いします」と、2018年の挨拶をした。

「で、私は何をすればよいのでしょう?」

「まず、私達は2018年に戻ります。そこで、あなたは自分のコンピューターにセーヴしている現在の大統領の先祖の写真を除去して下さい」とYY55が言った。

私はその言葉に躊躇した。少女の顔が脳裏に焼きついていたし、永遠の恋人だと思っていたからだ。現にコンピューターのスクリーンにいる少女は歳をとらない。既に13年ほども経っていたが見飽きのしない愛くるしさがあった。

この少女の写真をコンピューターから消すと、永遠に会えなくなるのだ。USB にセーヴして置けばよかったと後悔した。本当にバカのような情けない話だ。

兎に角2018年に戻れるのである。70歳の妻に会うためにはどのようなことでもすべきだ。

「しかし、私は現在33歳になっていますが元の65歳に戻していただけますか?家内に会うときに困りますので」

「わかりました。時間を潜っている時に調整しておきます」

「ところで、現在の大統領のお名前は?」と私は聞いた。

「サラです。それは恐ろしい女性です」ZZ01 つまりコンピユーターの『京』は、いかにも怖そうに言った。

私は何だコイツ弱い奴だな、と2018年の男性らしく思った。

しかし、ZZ01は私の心を読めなかった。よほどサラに恐怖しているようだ。もしかしたら、私が2300年代の男性達をコントロールできるかもしれないと思ったほどだ。

私はサラ、つまり2300年の大統領に会いたくなった。

「ZZ01さん。大統領に会えませんか?」と、私は聞いてみた。

ZZ01はあっけに取られた顔で私を見た。コンピユーターの『京』は、IC回路をフル回転し、私の真意を掴もうとしている。

「あの・・・何も考えていませんので・・・」

「そ、それにしても恐ろしいことを」と、相手は言った。

「恐ろしいですか?大統領はかわいい顔をしておられるじゃあないですか」

「顔と本人の性格は別です。何台ものスーパー・コンピューターが彼女によって破壊されました。億分の一の誤差計算でも、スクラップにされたのです」

「私、案内できますよ」近くにいたYY55が口を挟んだ。

「大統領に、会えるのですか?」

YY55は、照れくさそうに頭をかきながら言った。実は知り合いがいまして・・・。

「知り合い?」私とZZ01は顔を見合わせた。

「彼女が飼っているネコとです」「猫!」私達は再び顔を見合わせた。

「まあ、ネコと言っても頭の良いキジ猫ですね。名前はニャアです。」

「『ニャア』又、随分平凡な名前ですね。でも、猫が幾ら頭がよいと言っても、それは、矢張り猫でしょう」と私が言うとYY55は頭を振って否定した。

「五ヶ国語をしゃべります。それに『ワン』と言う秋田犬が家来です」

「『ニャア』とか『ワン』とか、少し単純すぎません?」

相手は先程と同じように、しかし、今度は顔の前で手を振って否定した。

「『ニャア』に会うと、一目で好きになりますよ。本当に魅力のあるネコなんですから」

YY55は、よほどの猫好きなのだろう。まあ、大統領が飼っている猫だし、それはそれなりに血統書付だろうな。でも、猫が五ヶ国語をしゃべるなんて、まるで童話の「長靴を履いた猫」のようだ。もしかしたら、大統領も、その猫のおかげで大統領になれたのかもしれない、などと私は想像した。



2300年の大統領の官邸




もちろん大統領官邸はアメリカにあった。昔と同じホワイトハウスだ。前もって申し上げておくが私達は「男性自由連合日本支局」にいた。しかし、2300年の現在では距離とか時間と言う概念が無く、思いのまま瞬時に移動できるのである。

だから緒方さん(YY55)が私を大統領に合わせると言ってOS43に頼んで間もなく、我々OS43、YY55、ZZ01それに私はアメリカに来ていた。しかし、ホワイトハウスのあるワシントンではなかった。

サンホセ・・・ここは私が長年住んだ都市だ。私は、この地に約30年ほど住んでいた。サンホセ市は、シリコンヴァレーの中に位置し、緑の多い街だ。民主党上院の女性議員であるスーザン・ハーマー氏が市長だった頃、自然保護と環境保護に力を入れて作り上げた都市だった。ここには、インテル、グーグル、ヤフー、アップル、シスコシステム、ヒューレットーパッカー等、数えればきりの無いほどのIT産業やコンピューター会社、そして関連会社がある。

「どうしてサンホセに?」と私が聞くとOS43が「すみません。私の産まれたところなので、アメリカに来たついでにパーツの交換をと思いまして・・・」ポツリと言った。「えっ? あなたは人間ではないのですか?」私が聞くと、緒方さんが笑って「彼はアンドロイドです。最初インテルが作り上げ倉庫に入っていたのを、2300年にZZ01が時間航行のために修復改造したのです。

「すると彼、つまりOS43さんは・・・」私は言葉が詰まった。

「%$&^**$%」OS43が緒方さんに何か言った。

「&%$*」YY55が答えた。

「緒方さん。前から思っていたのですがこれはどこの言語ですか?」

「えっ、これですか。これは、人間の言語ではなく2100年ごろに作られたコンピューター・ロボットの言語と言われるものです。ロボットやアンドロイドはこの言語で動きます」

私達は三階建てのビルの屋上にいた。近くに白とブルーのコントラストを持つビルが何個も見える。私には記憶があった。インテルの建物だ。すると我々はサンタクララ・カウンティにいるわけか・・・サンホセ市も直ぐ近くだ。ついでだから自分が住んでいた住宅に連れて行ってもらおうと「私の住んでいた家を見てみたいのですが・・・」と、聞いてみた。駄目かなと思っていたら意外にも「ああ、いいですよ」と緒方さんは言い、OS43に「(^%&)」と言ってZZ01を見た。ZZ01が細い棒を私に差し出した。これで、空間を飛べます。ここを握って方向を見る、それだけであなたは瞬時に動けます。ちょっと練習をしましょう。私は棒を握ると遠くに見えたサンタクルーズの山を見た。瞬時にサンタクルーズの山の上約百メーターほどにいた。私は落ちることなく空間にとどまっている。再び棒を握りなおしてインテルの屋上を見た。瞬時に私は元の場所に戻っていた。

「簡単でしょ」ZZ01が言った。

「すごいですね。とても便利です」

「では、現在の時間の概念で一時間ほど、ご自由にどうそ」と、相手は言った。

「ところで今は何年ですか?」

「2013年です」

「えっ?では、私は未だこの街に住んでいますが・・・」

「はい。あなたは貴方に出会えますよ」

「私に?」

「ええ、でも相手からはあなたは見れません」

「と、言うと幽霊みたいなものですか?」

「そうですね。あなたたちの時代では、そう言ってました」

私は、これは面白そうだと思った。あの時代の自分の姿を、私が見れるのだ。私は先ず、家内が小さな店を持っていたキャンベル市に行った。キャンベル市と言っても小さな街だ。市のシンボルでもある水のタンクの塔近くで私は停まった。家内の店はそこから直ぐ近くにある。店の方に行った。懐かしかった。家内は、ここで20年ほど店を開いていた。子供が幼かった時は、学校がおわると、この店で遊ばしていた。私も良くこの店に来て店を修理したり、ショーケースの位置を変えたり又、一年に二回あったフェスティバルでは店番もした。家内が店の中でミシンを使っているのが見えた。彼女は片手間に裁縫の仕事もしていたのである。私は中に入ると「よっ!」と声をかけた。家内は振り向かない。一心に何かを縫っていた。服の修繕を頼まれていたようだ。何度声をかけても振り向かなかった。やはり、ZZ01が言ったように現在の私は幽霊のようなものなのだろう。つまり空気と同じで相手からは見えないのだ。私は、家内が懐かしかったのでしばらく店に一緒にいた。そして、私は自分達の住んでいた家に行った。懐かしかった。家を見たときは、少し涙が出た。

私はしばらく家の前に佇んでいた。そして、家の中に入ってみたくなった。私は、窓にかかるカーテンから中を見た。すると、私は瞬時に家の中にいた。そこには私がいた。壁にかかっているカレンダーを見たら日曜日だ。私でない私、つまり過去の私は机に向っていた。古臭いコンピューターがあり、彼はタイプを打っている。

スクリーンを覗いてみた。CHASE(JPモーガン銀行)のセカンド・モーゲッジ(第二抵当者)に対する支払い遅延の言い訳のようだ。私は思い出した。2007年にアメリカが大不況に陥った時、私の賃金もカットされ、家内の店の売り上げも落ちて苦境に落ちた。しかし、2013年にはアメリカ政府の家主救済政策で解決し、何とか細々と生活できていたはずだが・・・それに、家内は2013年の12月には店をたたんでいた。

私はカレンダーを再び見た。2010年のカレンダーだ。変だ。私達は確か2013年に戻ったはずだった。

時間を確認すると決められた時間までには未だ30分ほどあった。私はインテルに戻った。

「すみません。2013年ではなかったのですか?」と、YY55さんに聞いた。

「ああ、OS43さんが2010年に連れてきてしまったみたいです。つまり2300年の大統領官邸に行くまでに、少し修理したい部分があるとか言ってましたから」

「そうですか。2010年、もう一度、家に行って来ます」と私は再びインテルのビルの屋上から家のほうに戻った。全く便利で、どこえでも瞬時に移動できる。距離感が全く無い。

私は先ず「コホン!」と、コンピューターに向っている私に咳払いをした。相手は気付かないようだ。ああ、そうか。自分は幽霊だ。私は彼の背後から彼の動きを見ていた。すると彼がCHASE(チェス)に書いた手紙をプリントし、そしてワード上で女の子(2300年の大統領サラの先祖)の画面を開けた。確かに私はあの当時、疲れると頻繁に女の子の写真を開けて見たものだった。変な考えからではなく、彼女を見ることで不安な心が安らいだからだ。

そして私は、机の端に置かれた支払請求の手紙の束を見た。あの「プラスチック」と呼称されるクレジットの支払いが六個ほどあり、家の支払い、住宅の二番抵当の支払いに電気やガス、それに車の月賦、ガソリンの高騰から「台所は火の車」と言う有様だった。良く切り抜けたものだ。私は、未だ支払いの残っていた大学の学生ローンを支払う為に土曜日は日本語学校で教えていた。

「オイ頑張れ!」と私は、私の背後から私に声をかけた。そして、ふと(彼にロットの当たり番号などを教えられるのではないか)と、考えた。その当時、私は夢をロットに求めていた。単に六個の数字が会えば億万長者である。五桁の数字だけでも百万円ほどだ。単純な欲望の夢・・・ZZ01に聞けば分かるかもしれない。すると、2010年の私の生活はがらりと変わり、バラ色の人生となるはずだ。息子はロスの医学部にいるので、夫婦だけで人生が謳歌できる。私は私の考えに興奮し、直ぐにインテルの屋上に戻った。

インテルの屋上には俳優の木村卓也に似たZZ01が一人、ポツンと手摺に手をかけサンタクララの景色を眺めていた。丁度良いチャンスだ。

「ああ・・・あの・・・ZZ01さん」私が彼に声を掛けると、相手はゆっくりと私のほうを振り返った。長髪が風になびいていた。

「あのですね・・・」このようなことは単刀直入が良い。

「あなたは、あなたの自分に合いましたか?」とZZ01は言った。

「はい。でも、相変わらず貧乏でした」

「貧乏と言うのは、お金が無い事ですかそれとも精神的な?」

「お金です。あの当時、いや現在の今ですが2007年の大不況のあおりを受けて支払いに四苦八苦です」

「お金など、人間の作った原始的且つ不条理なモノです。アレがないと、大変なのですか?」

「・・・」私は照れくさくて言葉に詰まった。

しかし、時間がない。

「ZZ01さんはロッテリー(宝くじ)をご存知ですか?この時代にあったカリフォルニア・ロッテリーです」

「しってますよ」と彼は言いポケットから紙を出すとサラサラと書き入れて「はいどうぞ」と、そのメモを私に差し出した。

その紙には六個ほどのナンバーが書いてあった。

「スーパー・ロットと呼ばれている数回先の当たり番号です。これが必要なのでしょう?」ZZ01は、私の心理を読んでいた。

「これが・・・」私は価値を知っているので言葉を失った。

「お使い下さい」と相手は言った。その言葉の口調には、こんなものが役に立つのだろうかと思っているように感じられた。金と言うものは、人間が作り出した「道具」で、野蛮なものとZZ01は分析していたに違いない。



私は、私の家のほうに引き返した。

窓から家の中を見ると、相変わらず私が背を丸めてコンピューターのスクリーンを眺めていた。私は家の中に入った。懐かしいものばかりだ。ソファ、テレビ、本、何もかもに思い出がある。さて幽霊は夜に出て・・・自分の経験では、幽霊は部屋の隅の天井の角から出るものだ。しかし、夜までは待てないので、どのようにしてこのロットのナンバーを自分の目の前にいる貧乏な私に教えるかだ。物に触ると空気のように手触りが無い。相手には私の声は聞こえないようだし、時間もない。

色々考えていると玄関の戸が開いて家内が帰ってきた。自分が「お帰りと」言った。家内は「ただいま」と言い、手に持っていた日曜日に開かれるファーマーズ・マーケットで買った野菜とか花を私に渡した。

「お腹すいた」と家内は言った。このシーンにも思い出がある。私は「今、チャーハンを作るから」と言い、花と野菜を持ってキッチンに行った。先ず、花を二つほどの花瓶に挿し、父母や家族の写真を飾っている本箱の上と、キッチンのテーブルの上に置いた。

そして、私は妻のためにチャーハンを作り始めた。

しかし、彼、つまり私は考えを変えてチャーハンをオムライスにしたようだ。ケチャップを加えチャーハンを仕上げると、次に玉子焼きを作り始めた。

私は、その行動が懐かしく、しばらく眺めていたが時間がなかった。何とか、この当たりロット(宝くじ)のナンバーを2010年の自分に教えて金持ちにさせないといけない。自分の幸福の為である。

彼がいや自分が家内に「はい、出来たよ」と言い、テーブルにオムライスの皿を置いて水やスプーンを用意している間に、彼のコンピユーターに行き、ワードの画面を眺めた。そして持っていた棒(移動の為の棒で、名前は知らない)の磁気を使いキーを動かした。

“親愛なる2010年の私へ・・・私は少し未来から来たあなただ。ロットの当たり番号を教える“と書いていると「すすむさん。コンピューターが動いているよ」と、耳の良い家内が台所の私に言った。彼、私は、ああ・・・多分セキュリティーが自動でスキャンを始めたんだよと気にしなかった。彼は料理に使ったフライパンとかボウルを流しで洗っている。

私、つまり未来から来た私はパチパチとロットのナンバーを打った。

自分がこのナンバーに気付き、大金持ちになり人生を変えるのも又、気付かないで億の金をふいにするのも彼の運命である、そう思った。

夫婦は貧しそうながら楽しそうに暮らしているようだ。私は自分の65年間の時間を振り返っていた。自分が2010年に金持ちになろうがなるまいが自分たち夫婦は幸福だ。それで十分なのかもしれない。

私は、もう一度だけ懐かしい部屋の中を見渡し、私と家内に「サヨナラ。元気で頑張れ!」と言った。昔から、予知能力があるのではないかと思っていた家内が「なんか言った?」と皿を洗っている私に言った。「いや?何も言わないよ。今回の花はきれいだねえ」と私は言った。私達は花が好きだった。私は、少し幸福になった。金よりも花か・・・と思いながらバイバイと言い、再びインテルの屋上に戻った。

丁度その時、屋上にYY55とOS43が帰ってきた。

「^%*」&$#」と、ZZ01が言うとOS43が「%$#*&」と答えた。

するとYY55が「さて、準備完了。これで2300年の大統領官邸に行けます」

「でも、時間から時間に動くには二週間かかるとか・・・」

「はい。だからOS43は、その古い部分を変えたのです。これで、充電時間を持たなくてもどこへでも移動できます」

「ではこれから『ニャア』と『ワン』に会いに行くのですか?」

「そうです。ところで、あなたは自分に会って来ましたか?」

「ええ。相変わらず貧乏でした」

「ああ、それは良かった」とYY55は言った。

「でも、自分を金持ちにしたかったですよ」当時の苦労を覚えている私は心からそう思っていた。ただ、ZZ01からロットの当たりナンバーを聞いたことは口に出さなかった。

YY55は微笑み「貧乏も、神様の御意志ですよ」と、クリスチャンの牧師のようなことを言った。確かに、私はアメリカで「Poverty is, in a sense, a blessing」と言う言葉を見つけた時、私は「貧乏は、有る意味で、天の恵みだ」と翻訳し、机の上に貼っていた。しかし、いつもこの貧乏生活から抜け出したいと思っていた。

「そうですね。結構楽しかった・・・」と私は言葉を口にした。

「では、2010年から2300年のホワイトハウスに移動します」とZZ01が皆を促した。



2300年のホワイトハウス USA


白い霧が4人を覆い、白いハンカチが私たちの頭上に被さったと思ったら、サッと霧は晴れた。私達は森の中にいた。

「あれです。あれがホワイトハウスです」とYY55が言った。

「ホワイトハウスって、森の中にありましたっけ?」と私が聞くと、森になったのですとZZ01が言った。彼はソワソワしている。大統領のサラが巨大な力を持っているから恐れているのかもしれないと私は思ったが途中から、彼はサラが好きなのではないかと思い始めていた。

森と花、青い空、全く自然な空間が広がっている。自然・・・人工的な要素が感じられない空間だった。日本庭園の人工美とはまるでかけ離れた自然美、しかし、それは緻密に計算された美しさのようでもある。

我々2018年の人間の頭脳では考えられないような自然空間。美しかった。

「先ず、街を観光しましょう」とYY55が提言した。

「まて!」とZZ01が声を潜めて言った。「これ以上近づくと危険だ。サラの脳波が近くまで届いている・・・」と、再び声を潜めた。私はZZ01は本当にスーパーコンピューターの『京』なのだろうかと思った。彼が本物なら、声を潜めても潜めなくても相手に感知される事に関係ないことは分かっているはずだ。しかし、ZZ01『京』はおびえたように周囲をキョロキョロ見渡している。

「支局長。落ち着いてください」と緒方さん、YY55が言った。

「@^%@*^」

「そうですか・・・ま、大丈夫でしょう」

「何ですか?」私は聞いた。

「ZZ01が言うには、大統領のサラは機嫌が悪いらしいです」

「あの・・・メンスとか・・・」私は、かなり古いことを言ってしまった。

「そうかもしれません」YY55は、思いがけなく同意した。顔が少しこわばっていた。サラ大統領とは、相当に怖い女性なのかもしれない。しかし、猫の『ニャア』とか犬の『ワン』は、一体どういった存在なのだろう。彼達は・・・多分雄猫と雄犬と思われるが単に大統領の飼い猫と飼い犬、2018年頃の猫と犬が私の脳裏にイメージされた。しかし、YY55は「キジ猫のミャアは五ヶ国語をしゃべります。それに『ワン』と言う秋田犬が家来です」と言った。2018年の私からすると猫はニャアニャアと鳴き、犬はワンワンと吼えるとしか想像が出来ない。日本語と、そして少し英語が分かる程度の私は、猫が5ヶ国語をしゃべると言う事に疑いを持っていた。

「ところで、『ニャア』と『ワン』がどのように私たちを大統領に合わせるのですか?この時代は男性は数パーセントで、街中さえも自由に歩けないのでしょう?」と私が言うと、先ほどから黙って屋上の床に突っ立っていたOS43が例の目を更に大きく丸くし「猫にナルマス・・・なります」と、少し間違った日本語を訂正して言った。

「えっ?猫になれるのですか?」

「なれます。ZZ01は、我々をどのようにでも変えることができます。但し、植物とか液体や気体は駄目です」と言った。

「なるほど。猫になり、猫の目線で大統領に会うことが出来るわけですか・・・でも、ばれませんかネエ・・・」私が心配してみせると、OS43は「ばれないですよ。でも、100分程度しか猫で居られませんよ」と、率直な言い方をした。

私はたぶん三毛猫になるだろうと思っていたら、矢張り三毛だった。何の根拠も無いが多分「三毛猫ホームズ」を読んでいたからだ。小説の三毛猫は雌らしいが私は雄猫で後部にお金玉の袋がプラプラ揺れるのが気になった。それに、みんなが尾を立てて歩くと肛門が見えた。これも恥ずかしい。私は尾を下ろした。




四人が・・・いや、4匹の猫は大統領の住まいがあるほうに歩いて行った。しかし、前を行く黒猫、ZZ01の尾っぽが次第に垂れて来て、終いには股間に挟まったようになった。

「どうしたのですかZZ01 さん」と私が訪ねると、彼は荒い息をしながら「駄目だ」と言ったが猫であるために「フニャ」とも聞こえた。

「大統領が怖い」と彼は続けた。

「では、ZZ01 は、この辺で待っていてもらいましょう」とYY55が言い、三匹の猫だけが歩みを速めた。

ニャアと言う猫は、大統領の家にあるベランダの手摺の上にいた。

「あれが『ニャア』です」YY55が我々を振り返って言った。

キジ猫が手摺の上にうずくまっているのが見える。ベランダのテーブルには一冊の本が置いてあった。そして、そこに若く美しい女性が現れた。

私には、その女性に見覚えがあった。確かに私がコンピューターの中に保存している女の子の顔にそっくりである。

ニャアが我々を見つけたようだ、彼はヒラリと手摺の上から飛び降りると長く背伸びをし、そして我々の方に歩いて来た。

「ヤア」とニャアは言った。

「こんにちは。ご無沙汰してます」とYY55が言った。

「時間旅行かい?」ニャアは英語で聞いてきた。

「2030年から戻ったところです」

「ところで、この猫たちは?」ニャアは、私達のほうを見た。

「ともだちです。大統領に合って見たいと言うので・・・」

「フーン・・・」とニャアは言いながら、長い口ひげをピクピク動かした。

そして、非常にソフトな足取りで私達のほうに来ると、小首をかしげるような仕草で私のほうを見た。

「何だ。人間か・・・」とニャアは言った。

私は内心ドキリとした。ニャアは私を見破ったのである。

「でも・・・大統領と関係が・・・ある・・よ・う・だ」と言いながら、更に軽い足取りで私の周りを回った。私は尾っぽを股間の間に挟んでいた。

『ニャア』とベランダにいた女性が彼を呼んだ。ニャアは、サッと場所を離れピョンとベランダに飛び上がると女性のほうに歩み「ミャア!」と鳴いた。女性、たぶんサラと呼ばれる大統領であろう。彼女はニャアを軽く抱き上げて私たちのほうに歩いて来た。私は身動きが取れなくなった。あの少女が目の前に来ているのである。大統領は年齢的に、すでに少女ではないと思われるが、彼女はまるで少女のような愛くるしい顔をしていた。

この女性が幾台ものスーパー・コンピューターをその能力で打ち負かし、そして破壊した本人である。

どこに、そういったパワーがあるのか、まるで普通のかわいい少女に見えた。

「あら?この猫病気かしら?」と彼女は言った。視線が私のほうを見ていた。私の尾っぽはお尻を隠していた。

彼女、つまり大統領の手が伸びてきて私の首根っこを掴み掴み上げた。私は大統領の豊かな胸の間に抱かれていた。柚子のような良い香りがした。

大統領は、軽く私の体をなでた後「大丈夫のようね・・・」と言い、私を床に降ろした。

「ニャア。この猫たちを、案内してあげて」と、大統領は言い再び室内に戻って行った。

ニャアはぺロッと自分の右手を舐め、これは彼の癖のようだが手を舐めながら次のことを考えているようだった。そして、

「君たち、お腹すいてる?」と、ニャアは言った。

私は猫の好物のネズミとか・・・ネズミのバーベキューとかキャッツ・フード、それに私の生まれた1950年代なら猫には魚だ・・・私の家の飼い猫は魚が好物だった・・・などと一瞬想像してしまった。

「いただきます!」とYY55が言った。その時、私は『ニャア』が私を「何だ、人間か」と言ったのに、YY55には言わなかった事を思い出した。YY55は人間ではなく、猫なのかもしれない。

私達は大統領の家、公邸ではないようだがプライベートな家の食堂に案内された。食堂と言っても、豪華に出来ていた。YY55は慣れていた。多分以前にも来たことがあるのだろう。

そこには、人間の男性の給仕がいて・・・多分ミュータントだ。ニャアが食事の指示をした。直ぐに料理が出され始めた。改めて申し上げておくが私達は猫である。しかし、フォークとナイフが用意されていた。猫にナイフとフォークは必要ないと思った。しかし、先ずニャアがスプーンを使い、ヒラリとスープを口に運んだ。猫の手でスプーンがつかめるとはと思ったが2300年である。猫の手も進化しているに相違なかった。私は、恐る恐る自分の猫の手でスプーンを掴んだ。「猫の手」スタンプなどに有るあの手だ。しかし、掴めた!驚いた。あの平たいイメージしかない猫の手がスプーンを掴めるのである。私達は人間の食べるフレンチのフルコースを堪能した。食事中に、私はニャアにヨーロッパに伝わる民話「長靴を履いた猫」の話をした。何故なら、この物語りのヒーローこそが始めて貴族となった猫だからだ。ニャアは、いとも簡単に「ああ、あれは僕の先祖です」と言った。そして「あなた達は日本人だから、枕草子に書かれている天皇家の猫『上にさぶらふ御猫』は、YY55の先祖」と言った。矢張りYY55は猫だったのである。しかも、天皇家に飼われたくらいの高い位「命婦」(みょうぶ=従五位以上の女官という意 味)にあった猫の子孫と言うことだ。従って食事中は猫談義に花が咲き「ドラえもん」と言う漫画の主人公の事などにも話しが触れ、ドラえもんは、実はOS43の先祖だった。私はこのことに納得した。だから、彼は私達を連れて時間旅行が出来るのである。

楽しい食事が終わると、ZZ01が待っているのでニャアに礼を言って大統領の家を去った。



森の中では、ZZ01が木の根にうずくまっていた。まるで猫だった。彼が、日本が世界に誇るスーパー・コンピューター「京」であるとは、誰も気付かないだろう。

彼は私達を見つけるとほっとしたように立ち上がり、ニャアと同じように長い背伸びをして「人間に戻りましょうよ!」と、語尾に力を入れて言った。猫の姿が退屈のようである。しかし、人間と言えば私だけである。YY55は猫、OS43はドラえもんを先祖にもつミュータント、そしてZZ01はスーパーコンピューターの「京」である。

私達は再び人間に戻った。

「では、これからこの女性社会を観察して、どのように改善し、我々の男権を取り戻すか考えましょう」とYY55が言い、私達は2300年のニュヨークの街に出て見ることにした。

しかし、2300年は女性だけが社会を支配している時代である。男性の格好で街を歩けない。それに女装したとしても、皆体内にIDのチップを埋め込まれていて、いたるところで秘密裏にIDがスキャンされているらしい。すると猫よりもう少し活発に歩けるとすると犬である。

四人は犬に化ける事にした。


2300年のニュヨーク市内


私は2001年にニュヨークに行った事がある。世界貿易ビルがイスラムのテロ組織によって崩れ落ちる5年前だった。しかし、市内に関しての記憶はほとんど無い。テレビなどで見たニューヨークのイメージは、たくさんのビルディングとか橋、そして「自由の女神」などだ・・・私達はOS43によってニュヨーク市の真ん中あたりに移動した。2300年の市内は高層ビルが姿を消し、郊外のような雰囲気で緑が多かった。ドームのような建物が緑の木々の間に見え隠れしている。市街は清潔だ。美しい女性達があちこちに見えた。男性の姿は無い。雄犬になった私達は、犬らしく時々片足を上げて道端の柱にオシッコをかけた。ヒラリと片足を上げピッとオシッコをするのは結構爽快だ。ああ、自由だと思う。そして、我々は辺りの匂いをかぎながら一つの女性の集団に少しづつ近づいて行った。

彼女達は白や青、赤、黄色などのシルクのような清潔な服装をしており、その服装のデザインは今まで見たことの無いものだった。女性たちの髪は短い。そして、数人の女性は黒い継ぎ目の無いような服装で、腰に武器らしき物を下げていた。頭にはヘルメットのような・・・いや、これは帽子なのだろうか今まで見たことの無いヘルメットで、それは彼女達の鼻まで隠している。警察のようだ。

近づいていくと、彼女達が男性らしき人間を取り巻いているのが見えた。男は路上にひざまずいている。

私の耳に「ヘルプ・・・」と言うような英語が聞こえた。犬だから、耳が良く聞こえた。

「この雄を助けよう!」と言う女性の声も聞こえる。「男と女のセックスを復元しよう!」などど、女性とのセックスを知っている2018年の私にとっては少し恥ずかしいようなシュプレヒコールがデモ隊から上がっていた。

良く見ると数人の女性の手にはプラカードがあり「男性保護協会ニュヨーク支部」と書いてある。

「男性は、街中を歩く権利はない。それに、この男性は三級レベルで、再生工場からの脱走者だ」と警察官らしき女性が言った。

男はオリに入れられた。少し体が小刻みに震えている。2030年に聞いた「再生工場に送る」と言う事は「死」を意味した。ただ、等級がつけてあることは知らなかった。三級と言うのは上から三番目と言うことだろう。

そしてOS43はZZ01の指示により、私達を次の現場に案内した。OS43による「移動」手段は、21世紀の知識では表すことが出来ない。好みの場所に安全に瞬時に移動できるし、時間さえもコントロールできた。景色を楽しみながら移動すると言うような交通手段ではないので「東海道膝栗毛」のような、身近な移動の楽しみは無い。情緒が無い移動手段と言えなくはないが便利である。

白い霧が私たちに被さり晴れると、そこはパラダイスだった。白亜の建物、美しい入り江に建物は建っている。男達が居た。色々な人種がいたが皆痩せていて、うつろな目をしていた。

音楽が流れている。彼達は時間が来ると食堂に移動した。食事は全て野菜と果物、そしてジュースのようだった。

この男性達は雄の等級で一級らしい。彼達は定期的に精子を抜き取られていた。だから、体力の消耗が激しく平均寿命は30歳だ。

もちろん、この男性達に女性を抱くセックスの経験は無かった。単に精子を体内で作り、それを採集され冷凍保存される。精子の数が少なくなると、再生工場が待っていた。

「ま、こういうことになっている男性の地位を戻す、できるだけフィフティ・フィフティ(50対50)にしなければならない」とZZ01が言った。変な話だ、彼は単にスーパーコンピューターなのだから、女性世界であれ男性世界であれ変わりは無いはず。しかし、ZZ01は男権復帰に力を入れていた。現在の大統領サラに対する挑戦の様でもある。

「では、先ず2025年から始めましょう」とYY55が言った。我々は既に犬から人間の姿に戻っていた。うつろな目をした清潔そうな男達を眺めていると、やるせなかった。筋力はなく、確かに皆美男子だったが活力に欠け、男性としての誇りは微塵も感じられない。話しかけても皆、穏やかに愛想よく話しに応じてくる有様だ。ここには、喧嘩も無いし、地位争いも女性の取り合いも無い。気色悪いと言うのが私の印象だ。

私達はOS43の力で2020年戻る事にした。

2025年は、未だ私の住んでいた2018年に近く、街もほとんど変わってはいない。アメリカの大統領はエリザベス・ワーレン、そして日本の総理も既に女性で、高市早苗氏になっていた。

私達は東京郊外に戻った。この時代は、未だ男性は男性らしく生活が出来ていた。しかし、既に任侠に生きる男達はいなくなり、女性が男性の地位に取って代わりつつあった。国会は衆議院と参議院を統合して一院となり100人定数だったが既に70人は女性議員で占められていた。経済界もトヨタ、ホンダ、ナショナルなどの大手は女性のCEOである。

「この時代辺りから、崩れて始めたようですね」とYY55さんが言った。すると、ZZ01は片手のこぶしを握り締め、

「まあ、男尊女卑の言葉など現在は中国しか通用しない。そして、その中国でさえ、女性の地位が男性を脅かし始めている」と、悔しそうに言った。私は、この辺りから旅の同伴者に「さん」をつけて呼ばなくなっていた。彼達も私をVB03と呼んでいる。意味は知らないが突然ZZ01が私をそう呼び始めた。VB03は、どうやら私のIDのようだ。



2025年の東京郊外に移動


私達は、「ジプシー・ルー」と言う喫茶店の中にいた。♪カガミに映った私の姿、悲しい顔をしているよジプシールー~♪ と歌声が聞こえていた。

「では皆さん。私たち『男性自由連合日本支局』の使命はですね、このあたりの時代から少しづつ世の男性たちを、変えます」とYY55 が言った。

「変える?どの様にですか?」と私が聞いた。

「女性の社会進出を抑えます」

「でも、男性が駄目なのだから、女性が働かなければならないのでしょう?」

私の意見に、OS43 が丸い目を大きくしてうなずいた。

「男性の意識改善が先決問題です」と、ZZ01が言った。

「2025年の女性の社会進出は、どの程度ですかね?」

「まあ、現在なら5割ていど・・・2000年あたりから、男女共同参画社会の形成が日本国社会の重要課題だと言われていました」YY55が説明した。

「『男女共同参画社会』ですか?」私の疑問に、すかさずZZ01が「随分古い基本法で2000年に20年後、つまり現代の2020年を目標にし作成されたもので・・・男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、ともに責任を担うべき社会を形成すること」と、教科書を読むように答えた。

実は、私は内心、不思議な思いを持っていた。ここにいる彼達程度の能力があれば、直ぐにでもこの2020年の社会を彼達の思うように訂正する事が出来るはずである。強いて言えば、彼達は「神」のような存在だ。大黒様が因幡の白兎にしたように、皮をはがれ中性化しつつある男性達を、あのちゃぶ台をひっくり返す亭主関白で、女性に暴力を振るっても反省等しない男性に戻せるはずだ。そして、女性を茶くみにし、性の道具であるような見方をする野蛮な男性に社会を委ねることができる。簡単な事である。しかし、彼達は私の力がいると言った。単に、2300年にアメリカの大統領になる先祖の写真を眺めているだけの私に、どういった力があるのだろうか。

「あら?」私の前方から声が聞こえてきた。私は顔を上げた。二人の女性が立っていた。

「福田くん?」その中の一人が私に声をかけた。確かに私は福田である。しかし、彼女達の顔に見覚えが無い。

女性達は近づいて来た。

「やはり、福田くんだ。ほら、私・・・」相手は私のほうに身を少し乗り出した。その時大学時代の女性を思い出した。「ああ、黒田・・・」

「思い出した?」彼女は恰幅の良い体型を軽く動かして顔の筋肉を緩めた。

黒田は、理学部の学生で私の主催していた同人誌「銀河」に入会してきた。かわいい女の子で文才があった。私は少なからず彼女に恋をしていた。

しかし、私は二年で日本の大学を中退した。学生運動などで、度々休校になったのと、社会に嫌気がさし、気象庁の試験を受けて観測員となり離島に派遣された。そして数年後私はアメリカに行った。だから、黒田とはそれ以来だが・・・年代がちぐはぐである。私は現在、不思議な薬で33歳になっていて相手は同級生であれば65歳でなければならない。しかし、目の前にいる黒田は30歳ほどにしか見えない。

「現代は2025年だよね」私は聞いていた。

「当たり前じゃない。久し振りに会って年代を聞く人は、あなたぐらいのものよ」と、相手は笑った。

私はチラリとOS43を見た。彼は例の大きくて丸く、黒い目を空間に向けていた。OS43が時間を操作したに違いない。兎に角、懐かしかったが私には同伴者がいる。

「黒田、悪いけど仕事があるので・・・電話するよ。電話番号くれないか?」

「いいわよ」と彼女はハンドバックから名刺を取り出して私に手渡した。名刺には「日本INT社長 黒田恵子」とあった。

「社長?」

「運良くネ」

「社長、お時間ですけど」もう一人の女性が言った。秘書のようだ。

「福田くん。私も仕事があるの。暇な時に電話して」

私はコクリとうなずいていた。私の中の時間は、正常に動いていないようだ。要するに時間の観念が狂っていた。

30歳程度で社長か・・・と私が考えていると「あの会社です」とYY55が私に注意した。

「彼女の会社が何か?」

「女性だけの会社」を展開したのです。

「女性だけの?」

「そうです。それに、会社は大きくなり、社会に影響を与えるようにもなった・・・もちろん、もっと未来ですが」

「なるほど、それで私に何か?」

「先ず、彼女と結婚して・・・」

「待って下さい。私は既に結婚して子供まである」

「それは、2018年でしょう?」

「そうですが、それにしても変だ」

「変ではありませんよ。それしか方法がない。2020年の社会を変えて未来を変える」

「しかし、たとえ私が彼女と結婚しても、彼女が上手く会社を経営すれば変えれないでしょう?」

「それが変えれるのです」ZZ01が言った。

私は彼の方を振り返った。長髪の美男子が腕組みをして目を瞑っていた。なにやら計算しているようだ。彼はスーパーコンピユーターである。シュミレーションしているに違いない。

「&8$$^$#&」ZZ01が再び何か言った。

「!*%##*」YY55が答えた。

「・・・・やはり無理か」ZZ01である。

「サラですか?」

「この時代まで、さかのぼって影響している。少し遅すぎた」ZZ01が言った。

「じゃ、私が黒田と結婚しても社会は変えれないわけですね?」

「そうです」

「サラが、あなた達の間に子供を八人作らせ、その中の一人がサラに近い・・・」

「八人も?そして、ひとりがサラに近い?」

「つまり、パワーを持っていて、女性の権利を履行する。そして、益々男性の社会的なパワーが無くなる」

「で、私が黒田と結婚しないと、どうなるのですか?」

「同じです」

私には訳が分からなかった。2018年から色々な時間を旅行し、2300年の大統領サラに合い、そして男性の権利を回復する為に2020年まで戻ったが既に遅すぎたなどと、私の思考は完全に乱されていた。常識が通用していないのである。又、私の科学的知識も彼達のレベルには程遠い。

「若し必要なかったら・・・2018年に帰りたいのですが・・・」私は、さりげなく聞いてみた。三人が私を見た。

「必要ですよ。結果がそうなっているのですから」すかさずZZ01が言った。この言葉も、私の常識では理解できない事である。結果が分かっているのなら、途中を訂正する必要はないと思われた。

「若し、もう少しこの時間に滞在するなら、例の移動の棒を貸してください。私の妻が心配なので、様子を見て来たいのです」

「ああ、^^**ですか?」

「その^^**です」と、私は推測して繰り返した。

OS43が「^^**」と呼ばれる棒をポケットから取り出して私に手渡した。

「では、すみませんがちょっと失礼します」と私は言い、家のほうをイメージした。すると、私はビルの屋上にいた。

(おかしい・・・千葉県にあった家は小さく、こじんまりとした住宅街の中だったのに・・・)どうして、ビルの屋上なのだろう。

屋上といっても個人の住宅で四階建てのようだ。屋上には菜園もあった。私は間違って着地したようだ。もう一度、自分と家内の住んでいた場所を念じた。しかし、私は動かなかった。

その時、67、8歳ほどの男と74、5歳ほどの女がビルの屋上に現れた。私と家内である。彼達は赤く熟したトマトと茄子、そしてキュウリなどがある菜園のほうに近寄ってくると、野菜類に水をやり始めた。私、つまり2020年の私はトマトを二つ取り妻に一つを渡すと口にした。

「美味い(うまい)!」と声を上げた。

「本当?」妻が言いながら彼女もトマトを口にした。「ま、おしいこと」「やはり自家栽培に限るね」と、2025年の私達は楽しそうに笑った。

私、つまり時間を旅行している私は、彼達に「よっ!元気かい?」と声をかけてみた、もちろん相手は気付かない。私は幽霊のようなものなのである。しかし、キュウリ好きな私は、ツタから下がっているおいしそうなキュウリを食べてみようと口にしたが噛み付けない。そこで「移動棒」で、キュウリをつついて見た。少し傷がついて、キュウリの美味しいにおいが感じ取られた。それを見つけた家内が「あら?このキュウリ虫食いみたい」と

言い、2025年の私に指で示した。

「虫が食っているという事は、美味しいくて安全と言うことさ」と、2020年の私が言った。

彼達は経済的にも余裕がありそうだった。2013年に私がロットの当たりナンバーを教えたので、それで金持ちになったのだろうかと私は考えた。

私は少し失礼してビルの中に入ってみた。

すると四階が息子の部屋になっていた。アメリカで医者になった息子が日本に戻ってきたのだ。デスクの上に日本の医科大学らしき写真があり、彼の姿が多数の白衣を着た日本人医学生の中に見られた。彼はアメリカから日本に派遣されたのだろうか? それともアメリカの医科大学が日本に設立されたのかもしれない。

「ワールド・ヘルス・サイエンス・メディカル・スクール」と、大学名がある。

すると2013年の私は、私の残した「当りロットの番号」を使わなかったのかもしれない。このビルは息子が、家内の父親が残していた住宅地に建てたに違いない。

(兎に角おめでとう!)私は内心つぶやいた。サラのおかげで他の女性と結婚することなく、現在があり、私は結構幸福そうである。

私は満足して、三人の元に戻った。

彼達は、ケーキを食べていた。

「ケーキですか?」と私が言うと「お金と言うものがいるということなのでVB03(私)を待っていた」とYY55が言った。

「ああ、そうか。あなた達は、お金の使い方が分からないのだ」

彼達は、これだけの頭脳を持ちながら「お金」が使えないのである。もちろん、財布などは持っていないことだろう。私は、未だこの時代でも通用するお金が懐の財布に残っていた。

「お会計」と書いてある請求書を見ると4、500円である。私は財布の中から5、000円札を掴み上げた。

2025年の日本、基本法の男女共同参画社会の形成は完全に成功していた。総理大臣は女性、有名会社の半分のCEOも女性だった。理由は日本人男性の、無気力化。これは思いがけない社会現象で原因はテレビゲームだったとも言われている。

男性達は、女性の社会進出に精神的に無力化し、次には開き直りのように、過去に「女性の仕事」とされた仕事にも就き始めていた。男性と言う自意識は薄らいでいて、女性の前にひざまつくような姿勢が見られた。

「こりゃ、ひどいや・・・」YY55は嘆いた。

「2040はどうなっているだろう?」私が聞くと、ZZ01が「完全に女性社会です」と答えた。

「しかし、2000年の日本政府は男女共同の社会を目指したのでしょう?どうして、女性が卓越したのだろう?」

「わからない・・・」ZZ01が言った。彼は2013年代のスーパーコンピューターの一億倍もの能力をもつスパコン(スーパーコンピューター)である。現在人間の姿はしているが、それは架空の姿で、より神に近いパワーを持っている。その彼、いや、機械、いや、スパコンが「分からない」と答えた。つまり、女性社会になる原因は、2025年から2040年の間に、このスパコンにさえシュミレーションできない突拍子な社会現象が起こるのだ。

「仕事は、どうかな?たとえば、一週間に何日働くか?」YY55がポツリと口にした。

私は、喫茶店のカウンターでコーヒーを飲んでいた会社員らしい背広姿の男のところに行き「失礼ですが、一週間に何日働いていらっしゃいますか?」と、聞いてみた。

男は、三本の指を立てた。

「三日?」

相手は、胡散臭そうにうなずいた。2025年の労働者は一週間に三日しか働かないのだ。工場はほとんどロボット化していた。

私は自分達のテーブルに戻ると、三人に「三日しか働かないんだそうです」と伝えた。ZZ01が呆然と私を見た。もう一度言うが、彼はスーパーコンピューターである。

「農村地域はどうなっているのだろう?私は愛媛県の山村に生まれたのですが・・・」ここになって、私は95歳になった母を思った。

村に帰ってみたくなった。「すみません。日本の山村の状況を知りたいので例の「^^**」(移動棒)を再び使わせていただけないですか?」

私の言葉にOS43が棒を取り出した。



四国の片田舎



2013年、私はアメリカ、カリフォルニアのサンホセに住んでいた。母は90歳で、日本の四国の愛媛県にある小さな山村で一人暮らしをしていた。私は、毎週母に電話をしていた。兄は国家公務員を定年した後、近くの汽車の止まる町に家を建てた。兄と兄嫁は毎日のように村に来て母の世話をしていたが24軒あった村も次第に過疎化し、10軒ほどの家にしか人がすんでいなかった。

後5、6年もすれば廃村になるのかもしれないと懸念されていた。

私は移動棒のおかげで瞬時に家の庭に来た。家が新しくなっている。そして、村のあちこちの家が改築され新しい。どうしたことだろう・・・?

私は、家の中に入った。

母がテレビを見ていた。耳が遠くなっているので、テレビの音が高かった。

「ただいま!かあさん」と言ったが、もちろん私の声は実際には聞こえない。95歳の母は未だ一人住まいのようだとおもったが様子が違っている。兄嫁が新しくなった台所から姿を現した。

「やあ!義姉さん」私は、兄と兄嫁には若いときからお世話になっていたので声をかけた。学生の時お借りした当時の五万円も未だ返していなかった。

すると兄が玄関から現れ「今日は、温泉に客が多かった」と、話した。

(おんせん?)この村に温泉などあるのだろうか?

「むくろじ(地名)の、駐車場が一杯だったよ」

「むくろじ」とは、私の家の山や田があった辺りだ。下方の川がダムになり、景観が良かった事を覚えている。

私は、その場所をイメージした。直ぐに私の目の前に建物が現れ「河西温泉」と、看板が見えた。多くの温泉客が歩いていた。山全体がアスレチック場となっていて又、遊園施設もある。

温泉が湧いたのだ。村経営の旅館まで出来ていた。山道も広くなり、都会人達が山歩きに来て立ち寄っていた。

私の家の田畑があった辺りや、小さな池などは見る影も無い。私は池でフナやタニシを取り、春には親と一緒に田を耕したものだ。

全てが良くなっている・・・私は、嬉しかったが何か不可思議な思いに駆られていた。千葉の家や田舎、良くなっているのは私のイメージだけの世界なのではないか。果たして、この移動棒は、現実社会を移動できているのかどうか。

と、言うのは千葉の家も、田舎も私がかってイメージで創作したことに近かった。

全てが良い方向に行くことも又、不安を覚えるものである。ある意味では「不思議の国のアリス」の物語のように、空想社会に来たようなものだ。

私は、父親の墓をイメージした。

森の中の墓。父親の墓前で手を合わせていると、どこからか自分が見られているような錯覚を覚えた。私は、父親の葬儀に出席しなかった。アメリカに住んでいて、不況の折レイオフ(臨時解雇・体裁の良いクビ)に合い、帰れなかったのである。

誰かに見られている・・・私はあたりをキョロキョロと見渡したが墓場は静かで私のみだった。そして、私がふと見た墓石に彫刻された家名の中の一番上に、アマガエルか一匹いるのを見つけた。アマガエルは私を見ていた。

親父が私を見ている・・・アマガエルの目を通して・・・それとも、親父は死んでアマガエルになったのかなとも思った。私はアマガエルの親父に色々と話をした。アマガエルは私をじっと見ながら私の話を聞いている。

話をしながら胸が熱くなってきた。ZZ01がイメージしてくれたのかもしれない。墓を取り巻く林にはセミが鳴いていた。

この小さな村の、森の中の墓場でも、2300年のスーパーコンピューターは、私の全てを支配しているのだろうか。ここは、大都会の洗練されたオフィス街ではない。

アマガエルは、黒い丸い目だ。OS43を思った。それともOS43がアマガエルなのか。彼が私の市民講座の教室に来た時、どこかで見たことのある顔だと思っていた。

私はアマガエルに「ありがとう。さよなら」と声を出して言い、移動棒で元の喫茶店に戻った。

「有難う」と、私はYY55、OS43、ZZ01に言った。彼達は私を見て微笑んだ。OS43は例の丸い大きな黒い目を空間に向けていた。




2040年の旅行計画


私はOS43と2030年に行った事がある。既に社会は女性優位の社会になっていて、男性は自由に街中を歩けなかった。

かって男性達は、自分達の筋力で女性達を社会から追い出し家庭の中に封じ込めた時代がある。教育を受けさせないことで、自分の権利を考慮する力を抑え、社会から隔離していたのである。私の生活している2010年代でも、一部の国では未だ女性の社会的立場は低かった。

2012年、パキスタン、女子教育を禁止したイスラムの過激派タリバンの支配下で、子供と女性の教育の自由をブログで訴えていた十四歳の少女マララが銃撃されると言う事件があった。パキスタンの一部貧困地帯は、因習で女性に教育をする機会を奪い女性を社会の片隅に置いて男性有利社会を維持していた。しかし、マララは勇敢に武器を持つ荒々しい男性集団の過激派タリバンとブログ上で戦い狙撃された。幸い彼女は一命を取りとめ、再び女性の教育を受ける権利の為に活動している。そして、2030年では男性優位社会は崩壊していた。男性は闘争心を抹消され、優秀な男性だけが種の保存のために女性によって囲われていた。優秀でない男性達は、生きる権利を奪われ処理された。

なぜ男性はマララのように立ち上がる者がいなかったのだろうか。本来、男性とは女性に比べて弱虫なのか。それとも、サラのように強力な女性が有無を言わさず男性を封じ込めたのだろうか。

2013年、カリフォルニアのサンフランシスコで同性愛者の結婚が法的に認められた。この時代から、男性社会はひび割れ、次第に女性が男性に取って代わり始めた。

男性は子供を産めない。しかし、女性同士であれば精子を精子バンクから買い、妊娠し、より優秀な子供を作れるのである。

「2040年には行くのでしょう?」皆が腰を上げないので私は思い切って聞いてみた。

「現在ZZ01が中国のスーパーコンピューターと、討論してます」とYY55が言った。

ZZ01は、腕組をし目を瞑っている。OS43は例のよって空間を見ていた。YY55は、漫画「クレヨンしんちゃん」を読んでいる。2013年の喫茶店のどこにでもいるような人達に見えた。とても、彼達が2300年の時代から来た卓越した人間には見えなかった。

「皆さんは少し、考えすぎるのではないでしょうか?」私は聞いてみた。そして、続けた。「だって、結果などを気にしていると何も出来ないですよ。行動して又、考えるのが良いと思いますけど」

「ああ、それは良いですね」YY55が、あっさり言った。

OS43がコクリと頷いた。

問題はZZ01である。

私は、瞑想しているZZ01を見ながら思った。必ず、その時代時代に自分達の権利を守ろうとするリーダー的人物や集団がでるはずである。そういった人々を見つけてヘルプするのが妥当な方法ではないだろうか。

「この時代に『男性自由連合日本支局』は出来ていなかったのですか?」と私はYY55に聞いてみた。彼は読んでいた本「クレヨンしんちゃん」から顔を上げて私を見た。そして、しばらく考えていたが『男性自由連合日本支局』が出来たのは、確か2100年ですよ、と言った。

「『2100年』ですか?どうして、そんなに遅くなったのでしょうかねえ・・・。男性達がもう少し早い時代から女性と戦っていれば、男性はこんなにも人口が少なくなっていない。それに、男性はまるで女性の付属物ではないですか。まったく、分からない・・・」私が愚痴るとYY55が言った。

「実は、女性の脳内の変化だといわれてます」

「え?どういうことですか?」

「女性がセックスで快感を感じなくなり、男性を避け始めた。ほら、それに男性は女性に比べて・・・その・・・」彼は、少しためらって「汚いという事です」

「『汚い』ですか?」

「まあ、そうらしいです」

「確かに・・・言われてみれば男性は汚いですね。脂ぎった肉体に汚らしい髭、それにゴツゴツしているし・・・」

「女性の妊娠に性的な快楽が必要になくなった時、男性の役目が終わったようですよ」

「性的な快楽?」もちろん口に出すと少し恥ずかしかった。しかし、聞いてみた。

「それは、セックスの事ですか?」

「人間と言う種の行なっていた、ヴァギナ(女性性器)に・・・ペニスを挿入し、男性が射精して精子を女性の卵子に送り受精させる・・・」YY55が教科書を読むように説明した。

私は、その程度は知っていた。しかし、知らなかったのは女性が性的な快楽の欲求を欠いたことである。

YY55は続けた「快楽を感じるのは、生殖器ではなく脳です。したがってセックスによる快楽のシステムが壊れたのは、脳がその機能を失ったということです。女性も、自分の生命をかけてまでも男性の配下にはなりたくなくなった。それで、女性は卵で子供をうむようになった」

(女性が子供を卵で産むようになる)とは、以前ZZ01から聞いていた。

人間が鶏のように卵で子供を生む時代になるのだ。

私は養鶏場を思い出した。小さな金属のかごに入った鶏が赤いとさかを振りながら餌を啄(ついば)んでいる。鶏が産んだ卵は前面に設けられた樋(とい)の中に転がり落ち、人の手によって拾い上げられたりベルトコンペアで収集される仕組みになっている。

まさか、女性が小さな網の中にいて、人間の子供を卵で産み・・・私の頭の中は、あの白い卵が占めた。

「では、男性が男性としての尊厳と権利を社会から復活させるには、女性に性感を持たせることですよね」

「まあ・・・そういうことです」YY55はためらいながら同意した。

どうやら、私を除いて彼達は女性とのセックス経験が無いようだ。

2013年代の男達のように、女性を追いかけセックスをする為に努力するような事は、未来社会には無い。過去の女性では、セックスで受ける快感は麻薬のように女性を虜にし、「お産」で命を掛けるほどの苦しみを忘れさせた。

脳は男女のセックス時において緊張と弛緩を上手くコントロールし、本能的な種の保存を身体に植えつけさせる。

しかし、発達した人間の大脳は教養、道徳、倫理、宗教などから動物本能の自然な行動をコントロールするようになった。土の中に生息する「線虫」等の雄は、生存に必要な食料より生殖に必要な雌を探す事を優先するが人間の大脳は、雌にセックスをさせる為に仕組まれていた強い快感を起こす神経伝達物質を抑制するようになった。「雄」は基本的には「雌」の付属部が別性として、雌が妊娠し子供を養育する上において食料を収集させる為に作り上げられたものである。いわば、雄(男性)は雌(女性)の奴隷としてこの世に存在したはずなのに、食料収集の為に発達した男性の筋肉による力が次第に女性をコントロールするという逆現象が応じた。そして、男性が女性を支配する時代は2000年初頭頃まで続いた。しかし、1960年米国で始まったフェミニズム運動や、2013年カリフォルニアで合法化された同性婚などが「男性不要論」にまで発展し、女性はバイオ科学の力を借りて再び生物学的に優位な立場に戻り、今度は男性を社会から抹殺し始めたのである。

「オーガズム・セックスはなくなりました」YY55が言った。

彼はセックスを知らないので人間の生物学的進化を指摘したに過ぎないが2015年から来た私はセックスの快感を知っている。

セックス時における女性の恍惚とした顔の美しさや、自分のペニスを通して感じるメスのヴァギナの動きは、あらゆる欲望の頂点であり、身についた快楽は消滅する事の無い麻薬だ。

しかし、YY55は『オーガズム・セックスがなくなりました』と言った。このことは何を意味するのか。

その時「なるほど・・・」とZZ01がつぶやいた。「えっ?答えを知っているのですか?」私は「オーガズム・セックス」が無くなったことに、彼も興味を示したのかと思った。

すると彼は長髪をかき上げ、おもむろにコーヒーを一口飲んだ。「ぬるいや・・・」と、彼は言った。(スパコンがコーヒーを飲む・・・)不思議な気がした。そして、私は内心彼がスーパーコンピューターである事に疑いを持っている。気が弱いし、それに時々彼の予想は外れた。そんな時、ZZ01は照れくさそうに(へへ・・・)と悲しそうに苦笑いをし頭髪をかいた。

「天河がですね。2040年の情報をくれたのですが・・・」と彼は言い、皆を見渡した。『天河 』は中国のスパコンで、2013年に現在の天河の20代前の『天河2号』 が世界のスーパーコンピューターの計算速度で世界一となっている。

世界最強のスパコンたちは先祖に「京」「天河」「タイタン」「セコイア」などを持つが、これらのスパコンのほとんどは2300年に、アメリカの大統領サラによって壊された。壊されたというより、サラによって自信を失い自滅したというのが正解。

「それで、天河は何を?」YY55が聞いた。

「%$##*&^」

「何ですか、それは?」

「時間を狂わす処方箋」

「どのように?」

「サラの脳波を狂わしてやる」ZZ01の目は血走っていた。よほど、サラを敵対視しているようだ。

「サラって、良い女性でしたよ。それに、飼い猫のニャアも、良い猫でしたけど」と私が言うと、ZZ01は両手で頭を押さえ「だめだ、だめだ!」と声を上げた。喫茶店の親父がカウンターの中からこちらを見た。

「ZZ01、VB03(私)の言うとおりですよ。サラ大統領を潰す事を考える前に、『男性の権利』 を取り返しましょうよ」YY55がやんわりと諭した。

「洗脳されてはいけません」とZZ01はキッパリとした口調で言った。スパコンらしくない言動である。

「サラは女性。我々は男性」と、ZZ01が言った。スパコンに女性も男性も無いだろうがと私は内心思ったが相手も興奮しているのか、彼は私の心理は読まなかったようだ。

「この際、嫁にもらったらどうですか?」私は冗談を言った。

「嫁?」

「ええ、ワイフ」

「ああ、あの2000年代にあった男性と女性が一緒に住む婚姻のことですか?」

ZZ01は過去形で言った。

「そう、それです」

「アハ・・・」と英語をもじったような短い言葉で彼は言葉を止め「男性が女性と共同で生活する・・・ああ、素朴だ!」と大きく両手を広げて我々に示した。

OS43とYY55がうなずいた。

私は不思議に思い「あの・・・結婚はしないのですか、いや、未来には婚姻関係はないのでしょうか?」と質問してみた。

「女性と男性が住んでいた時代は男性にとって『苦痛の時代』 と呼ばれています」

「苦痛の時代、ですか?」

「^^^%$!!*」とOS43が言った。

「確かに!」とZZ01とYY55が同時に声を出した。

「?」

不思議そうな顔をしていた私に、彼達は「苦痛を取り去るのです」と、言った。

「苦痛を取り去る?」

「そう。社会から、婚姻の苦痛を排除する。すると、女性は強くなれない。何故なら、男性に社会生活、いや人生さえも依存するでしょうからね」

「婚姻の構成要素である自然、社会、意思的要素をバランスよく人間社会に用意してやる。そうすることで、男性の権利は失われないでしょう」

「よし、2040年からスタートだ」

OS43は大きな黒い目を更に大きくした。




2040年に移動


2040年には私は90歳になっている。さて、どういった社会なのであろう。私は現在33歳の年齢で時間を旅行していた。

しかし、私はここで冒険をした。

ZZ01とYY55が急用で、2、300年に戻らなければならなくなった。ZZ01は時間をコントロールできるが実際に時間上を運行できるのはOS43だけだから、彼ら二人にはOS43が必要だった。先祖をドラエモンに持つOS43だけが時間を操作できるのである。

「何、大丈夫」と、OS43はポケットから「^^**」と呼ばれる移動棒を私に渡し、別の使い方、つまり色々なもの動物とか木とか草、そんなものに化ける棒術(?)を教えてくれた。又、少しは時間の移動も出来るらしい。

「いつ、迎えに来てくれるのですか?本当にこのプロジェクトが終わったら2015年につれて帰ってくれるのでしょうね。妻が待っているのです。私は65歳で妻は年上・・・アメリカでは苦労をかけたので、それで、これから人生を楽しもうとしていたのです。お願いしますよ。約束ですよ」私は半ば泣きそうな顔で訴えた。しかし、彼達は人間の感情はあまり持ち合わせが無いような人間・・・いや、スパコンとサイボーグ達だ。

「心配ない」などと、私がかえって心配するような言葉を残して、白い霧の中にかすんで行き消えた。

私は絶望的な気持ちになっていた。私は2018年の人間である。このような時間旅行とか、SF小説のような世界は、実際には架空の世界のみに起こり得ることだとしか思っていなかった。このように現実に経験をしていても、たぶん夢を見ているに違いないとさえ思っている。しかし、私は間違いなく2040年の世界にいるようだ。疑いの無い感覚が現実に、私にある。

「さて・・・」

私は次に、何をしたら良いのであろうか。

「情報の収集」

2018年の人間であれば、それが正しい動き方のように思えた。

私は移動棒で都心に行って見ることにした。

都心の方が情報を集めやすいからだ。

私は、そこで一人の女性を偶然に助けた。彼女は警察に追われていた。空中を飛ぶパトカーは、地上を走って逃げている女性を橋の上に追い込んだ。その上に私が止まったという事。そして、2018年の感覚でとっさに彼女を掴み上げ瞬間移動した。

瞬間移動して都市を見ると、京都である。あちこちに寺院の屋根が見えていた。

彼女は意外と冷静だった。年齢は16歳程であろうか。日本女性だ。

「大丈夫ですか?」

私が聞くと、相手は「あんがとネ。オジサン」と、変な口調で言った。なんて口のきき方だ、私は現在33歳だ、実際の年齢の65歳ではないはずだ。


私達は加茂川の近くにある公園にいた。私は二十歳代に五年ほど京都に住んだことがある。左京区岩倉幡枝町・・・の「宝ヶ池ハウス」に住んでいた。

だから、少しは京都が分かるはずなのに辺りの景観はまるで違った。まさしく「平安京」と言えるような家並みが広がっていた。

「2040年だよね」と、私は女性に聞いた。

「そうみたい。オジサンは雄ね」

「『雄』?」

「でしょう?」と相手は言った。

「まあ、私は男性だけど『雄』と言うのは動物の性別を聞くときに使う言葉だよ」私は、やんわりと彼女を諭した。

「あ、そ!」

かわいい顔をしていたが言葉使いが良くない。

「名前は?」

「名前?」

「あ・な・たの姓名」

「ああ・・・」と相手は納得したようにクビを振ると、腕をまくって私のほうに突き出した。

きれいな手だった。まっ白い彼女の腕が私の目の前にある。

「腕がどうしたの?」と私は聞いた。

「あれ?マシン持ってないの?」

「・・・?」

「オジサンは、そうか・・・あれだ。あの、再生された雄」

「その『雄』は止めなさい。マシンとは何かな?」

「わたしのIDを確認するのでしょう?」

「腕で?」

「そうよ。ここにはICチップが入れてあるから」

「細かい事はいらない。ただ名前だけきいたのだけどね。いいよ。何か訳がありそうだから。名前は聞かない。さあ、家に送っていこう。住所を教えなさい」

「しらない」と相手は答えた。よほどの事情で家を飛び出たのだろう。

「教えなさい。家ではお父さんとお母さんが心配しているよ」

「お父さんとお母さん?」

「そう・・・」

「オジサン、おかチイね」変な日本語だ。

「どういうことかな?とにかく早く、家を教えなさい。送っていくから」

「あそこ」彼女が指差した方角は大文字山の上の方で、その指先には白い月があった。水晶のような昼間の月だ。

「月?」

相手はコクリとうなずいた。

「嘘は良くないよ。いかに2040年といえ、月に家があるなんて」

しかし『平安京』の昔に戻っている京都市の現実を目にして、もしかして本当かもしれないと心の隅では思ったりもした。

「月に家があるとなると、かぐや姫のようだね」私は『竹取物語』を思い出し、冗談を言った。

「アタシ、かぐや姫よ」相手は又嘘を言った。私よりも一枚上である。

「『かぐや姫』か。なかなか良い発想だ。しかし、残念ながら私には時間がない。早く言わないと、ここに置いていくよ」

「今夜は満月だから家に帰れるネン」と相手は言った。

わたしが「竹取物語」を読んだのは小学生の時で、幼児本の題名は「かぐや姫」だった。詳しい記憶は無い。しかし、かぐや姫は満月の夜に月に帰ったことを覚えている。そして、移動棒のカレンダーによると今日は8月15日である。今夜は「中秋の名月」の日だ。

「エー、とにかく、君が月に行きたければ、連れて行ってやってもいい。しかし、空気がないぜ。死ぬよ」

「宇宙服がある」

「宇宙服?」

「そう。もってる」と彼女は言った。正直、このあたりで私はイライラしていた。早く情報を収集し、ZZ01達に渡して2018年に戻らなければならない。相手に好感を与える為に、良い仕事をしたかった。それに、この少女は精神を病んでいるようだ。

「分かった。では『宇宙服』を着なさい。オジサンが月まで送ってゆくから」と、私は彼女に皮肉な言い方をした。

「夜まで、動けないモン」

「何を言っているんだい。月はあそこにあるし、おじさんは忙しいんだ」

彼女はそっぽを向いたままだ。

「わかった。かぐや姫くん。夜まで待とう」私は折れた。相手はニコリと微笑み「有難う」と、まともな日本語で言った。

「さて、君は先ほど男性を『雄』と言ったが学校ではどう習ったのかな?」

「『雄』。それで、だめな雄は再生処理される」

「なるほど・・・やはりね。でも、ぼくは『雄』だけど、君が思っているような『雄』ではないよ。僕は2018年から来たんだ」

かぐや姫は私をまじまじと見た。

「あの当時、男性達、つまり『雄』は、女性『雌』より強く優秀だったのだよ。政治家や実業家、医者や科学者、そんな職業はほとんど男性で占められていた・・・信じるかい?」

「・・・・・・」かぐや姫はキョトンとして鴨川の流れを見ている。聞いていないようだ。それより、信じられないのかもしれない。

私自身も、男性優位の社会が崩壊し、女性に社会的実権の全てを奪われ、男性の権威が無力化したことを信じられなかった。単に選ばれた雄だけが人間という種の保存のために精子を生産している。男女が絡み合うセックスと言う行為は無く、やがて2300年になると女性は卵で子供を生むと言う。私はここで、ふと「竹取物語」に関した話を思い出した。かぐや姫の異伝によると、かぐや姫は竹から生まれたのでは無く、鶯の卵から生まれたという説もある。そして、月に戻る・・・すると、私の目の前にいる『かぐや姫』・・・いや『自称かぐや姫』は2300年の女性かもしれなかった。



「かぐや姫君、君は何から生まれたの?」私は、相手に質問をしてみた。

「たあああまご」と、相手は『あ』の音を伸ばして答えた。

「なるほど竹からではなく・・・鶯(うぐいす)の卵か」

かぐや姫は『鶯の卵』は理解できなかったようだ。

しかし、私が彼女の親のことを聞いて、相手が答えなかった事が理解できた。親と呼ばれる人間は存在しないのである。女性社会は原始形態である。女性集団の全てが親と言うことになる。

従って卵からうまれた人間の子供は、鶏の雛が殻から出ると最初に見た物を親とするように、多分コンピューターのスクリーンで親を知るのかも知れない。そして、この『かぐや姫』クンは、たぶん月を見たのだろう。そして『月』が親と感ちがいしているのだ。私は彼女を哀れに思った。これは2018年の大人の感情だろうがとにかく移動棒で彼女を月に連れて行き、直ぐに戻ればよいと思った。

「お腹、すいた」とかぐや姫が言った。

「お腹・・・」私もお腹がすいていることに気付いた。

「よし、では京都市内に行って何か食べよう」と私は言ったが2040年にもかかわらず目の前に広がっているのは、794年から1192年といわれる平安京の街並みだ。歩いている人達は、ほとんど女性か推測だがニューハーフと呼ばれる人達だ。近代的な服に身を包んでいる。車も近代的なものでタイヤは無く、空中に浮かんで走っている。これはSFの小説や映画で知っていたが古都の京都が平安の時代に戻るとは考えも及ばなかった。

1970年代私が京都に住んでいた頃とは比較にならないほど街は田舎っぽく広々としていた。私のイメージでは、ほとんど平安朝だ。

私は『雄』の姿なので、OS43に教えられたように棒「^^**」を取り出し『ニューハーフ』に化けた。鏡は見たくなかった。そして『かぐや姫』を連れて市内に移動した。市内といっても、平安朝のような街並みの中ということである。路上は整備され清潔だ。歩いている女性たちは絹のような軽々とした服を身に着けている。人々や交通手段を見ていると確かに2040年だ。

こんな場所に食堂などあるのだろうか。私のイメージする食堂は2018年代のものだった。しかし、思ったとおりどこを探しても食堂は見つからない。

「食べ物はどこで食べれるのだろう」私がいらだって声に出すと、かぐや姫が「こっち」と私の腕を引っぱった。

通りをスタスタと歩いてゆく。

「どこへ行くの?」と私は聞くと、彼女は「餌場」と言った。

「『餌場』?我々は人間だぜ。餌場はおかしいよ。きちんとしたレストランを探して、もちろんお金は僕がだすけどね」と、私は食堂と言わず少しハイカラなレストランと言い、ふところの財布に入っているお金を頭の中で勘定しながら、かぐや姫に手を引かれて歩いていた。

歩きながら私は考えた。確かに卵で生まれれば食事は「餌場」であろう。『餌』の意味だって本来は食物全般を示したものだ。かぐや姫は、ニューハーフの私の手を引っぱりながら、あちこち見渡している。

「無かったら、他の街に行くからいいよ。直ぐに移動できるから。オジサンに任せなさい」と、現在の自分が33歳のニューハーフである事も忘れていた。

「あそこ」と突然止まったかぐや姫が言った。そこには自動販売機のようなものがある。

「ああ、あれ。自動販売機、ね。まあ、あれでも良いか」と私は内心ホッとして言った。

かぐや姫は、さっさと販売機に近寄り一方のスクリーンに手を当てた。すると、数分も経たないうちに販売機の一部が開き白いトレイが出てきた。色々なものが乗っている。例えば野菜のようなものとか果物、それにパン・・・。

私も何か買おうと思い販売機に近寄ったが2030年に体験したコーヒー販売機のように何も書いてない。

「これ、おかしいね。どうやって買うのだろう?」と、かぐや姫に聞いてみた。

彼女は不思議そうな顔をし、近寄ってくると「ここに、手、あてて」と言った。

手を当てた。しかし、何も出てこない。

「オジサン、ID無いみたい。ああ、そうか・・・再処理の『雄』ね・・・」と、かぐや姫は言い「何たべる?」と聞いた。

「ま、できることならハンバーガーとか、まさか天丼などでないだろう?」

その時「カタン」と、音がして販売機のドアが開いた。包みを見るとハンバーガーのようだ。かぐや姫が取り上げて「ほい」と、私に手渡してきた。

「ありがとう・・・」私は、少し驚いてハンバーガーを受け取った。

未来社会は健康志向で、トーフのハンバーガーだったが味は良かった。流石に「湯豆腐」の京都であるなと思いながら食べていると、かぐや姫が「やべえェ」と言い、私の肩をたたいて通りの向こうを指差した。

女性警官らしき二人が歩いてくる。かぐや姫はお尋ね者だった事を忘れていた。理由は未だ聞いていなかった。彼女は確かに追われていたのである。それを私が助けて2040年の京都に瞬間移動した。私は彼女の腕を掴み再び瞬間移動した。



お月様


実は瞬間移動したのは比叡山の山頂だった。私達はそこで夜を待った・・・と言うより「^^**」(移動棒)の力を借りて時間を早送りした。OS43のように大きな時間は動かせないが24時間程度は出来るようだ。

月は出た。大きく丸く金色の月だった。

「さて、かぐや姫君。月は出た」と私は文語調で言った。

「うん」相手はギャル調で答えた。

「まあ、月は出たが月に移動すると、大変だよ」

「?」相手は、分かっていないようだ。

「つまり、空気が無い。それに宇宙線(放射線)等も降っているので宇宙服が無いと危ない。水もない・・・もちろんコーラも無いよ。ジュースだって無い」

「宇宙服がある」と彼女は言った。

「ああ、それは聞いた。しかし、現実に君は何も持っていないし又、警察に追われていたのだからどこかに置き忘れてきたのかもしれない」

すると、かぐや姫はポケットに手を入れて何かを掴み上げて出した。

コンピューターのUSBフラッシュ・ドライブのようなものが手の中にあった。

「一ツあげる」と、かぐや姫が言った。

「これ、何?」

「宇宙服」

「これが・・・?」

「うん」

「どうやって?」と私が言うや否や彼女が一つを握り締めた。かぐや姫は光に包まれた。つまり、この光はバリヤーのようだ。

彼女を包んでいる光の膜に触ってみた。手は柔らかい膜の様な物に触れた。シャボン玉のようだ。

「なるほど。これが宇宙服か・・・」

かぐや姫は光の球体の中で寝そべっている。

「でも、空気はどうするの?この中にいれば酸欠になるよ」

「これ・・・」と、手の中には他のモノが・・・これを食べると10時間は酸素が必要ないと言う。ガムのようなものだ。

「こんなもので、本当に酸素が必要なくなるの?まさか、仮死状態になるのではないだろうね。私は嫌だよ。そんな状態では、どうなるか分かったもんじゃない」

かぐや姫はバリヤーの中で寝そべって私を見ていた。

「おじさん、雄でしょう?」「うん」「なら、どうなったっていいじゃん」「・・・・・・」

「『雄』の人間は、必要ないって先生が言ってた」

「それは・・・多分2040年のことだろうね。私は、2018年から来ているので帰らなくては。それに、家では妻が待っている」

「ふーん」

「とにかく・・・」と、私が言いかけた時「動くな!」と言う声が後ろから聞こえた。私は2018年の時代の人間だから“うごくな”といわれて、反射的に両手を挙げていた。どうやら警察に取り囲まれているようだ。

かぐや姫は、相変わらずバリヤーの中で寝そべっている。私は多分『雄』で、登録されていないのに街中を歩いていたからだろう。そして『かぐや姫』は、どうして警察に追われているのか、未だその訳を聞いていなかった。

「私は、決して妖しいものではありません。2018年から来ました。『市民講座』で、その・・・男女の格差問題をテーマとして授業を行なっています」

「隊長!やはりこの『雄』は思想犯です」と、声が聞こえた。見ると、全ての警官は女性だ。手に、銃器のような物を持っていた。

警官達はジリジリと、迫ってきた。直ぐ近くに比叡山のお寺の門が見えている。

遠くには先ほど見た『月』が益々大きく見え、あたりは昼のように明るい。多分、かぐや姫のバリヤーから出ている光のせいもあるだろう。

私は、気の弱い人間にありがちな、いざと言うときに知恵が出せない状態になっていた。日本で大学受験の時、こんな精神状態だった。普段なら解ける問題が解けないのだ。

自分の手の中にある、かぐや姫から手渡されていたバリヤーを作るUSBフラッシュ・ドライブのようなモノや酸素を作るモノ、そして『^^**』(移動棒)さえも忘れていた。

警官が私を捕らえようと数メートルに迫った時「バリヤー!」と、かぐや姫が言った。私は咄嗟に手の中にあったバリヤーを作るモノを握り締めた。私の身体はバリヤーの光に包まれた。

警官がレーザー銃を発射した。線条の赤い光が何度もバリヤーに照射されたが大丈夫のようである。

私は額の汗を手の甲で拭った。私は、かぐや姫の手を握ると『^^**』(移動棒)を手にして『満月』に焦点を当てた。

しかし、どうしてか私達はフワリと浮き上がり、比叡山の上に浮かんだ。下方に騒いでいる警官達が見えている。警察の車が浮かび上がり私達の方に動き出した。私は再び月に焦点を当てた。

今度は大気圏外のようだ。足元の向こうに青い美しい地球が見えている。

(どうして、移動が遅いのだろうか?)と私は思ったが、それでも足元の地球は見る見る小さくなって来ている。それに反して月が大きくなってきた。

「そちらに行くね」

突然、かぐや姫が言った。

「よ、よしなさい。ここで球が破れたら、もう大変。宇宙の果てに飛んでいく事になるかもしれないよ。それに、二人の重さで落ちるかもしれない」私は既に無重力の宇宙空間にいることも忘れていた。青い地球や月、このようなものは選ばれた宇宙飛行士だけが目にするもので、私のような一般人は写真やテレビの動画を見て感心するだけだと思っていた。

「ダイジョウブだもーん」と相手は言い、サッと動いて私の球に飛び込んできた。

「な、何をするんだ。危ないじゃないか」

「二人乗り」とかぐや姫は言った。

「ああ、驚いた」と私が本当に驚いていると、かぐや姫は例の酸素を出す物をクチャクチャかんで私にベッカンコをした。

私はその仕草で、この球の中の酸素が少なくなっていることに気付いた。苦しくなって来た。

「酸素がなくなってきた。大変だ。地球に戻ろう!」

すると、かぐや姫は口に入れていたチューインガムのような『空気発生装置』を私に見せ、再びクチャクチャと噛んだ。

私は手にしていたモノを口に入れて急いで噛んだ。空気が直ぐに喉元を流れ肺に落ちて行った。新鮮な空気だ。

「ああ、たすかった。死ぬかと思ったよ」

「おじさん、そろそろだよ」かぐや姫の言葉に我に返った私は頭上を見上げた。まるで月がコンピューターのスクリーン一杯に拡大したように大きく丸く金色に輝き、クレーターの一つ一つや月の裏側との境界線のようなところが見えている。

私達は月に到着した。私は、1969年にアメリカのアポロ11号が行なった有人月面着陸をテレビで見ている。あの場所のイメージが蘇った。

殺伐とした風景が広がっていて、静かだ。遠くに、暗い宇宙に浮かんでいる地球が美しく見えている。

私は、しばらく地球から目を離せなかった。地球は青と白の美しい球体で神秘的に輝いていた。

「どちたの?」かぐや姫が聞いた。私は我に帰った。地球は美しいネエと言うと、相手はキョトンとした表情でバリアーの中から地球を振り返った。

「ふーん・・・」と彼女は言葉を発した。それがどう言う意味かわかりかねたが感動している様子ではない。宇宙に慣れているようだ。

「ところで、君の家はどこだい?こんなとこ、人間が住めるとは思えないけど」

「こち・・・」かぐや姫が歩き始めた。「・・・・・」私は素直に彼女に従った。何故か心細かったのだ。果たして、この先地球に戻れるのだろうかと言う思いもひらめいた。2018年の私の思考では及びもつかないような、時間を移動したり、瞬間に場所を移動したりという現象に、私は正直疲れ果てていた。もちろん現在はニューハーフの33歳で、体力的には疲れはないが精神が異常をきたしているように思えてならない。つまり、全ての事は私の狂った想像の世界だけで行なわれているのではあるまいか、とクヨクヨと考え始めていた。

「・・・・・・」気を取り直して、辺りを見ると、私の少し前をとぶように歩いているかぐや姫がいた。あの竹取物語にあるような十二単の服装ではない。T-シャツにジーンズという、何故か2018年の服装に近い。そうだ、私はどうしてこのことに気付かなかったのであろう。彼女と出会ったのは2040年であるが、この小娘の服装は町を歩く人々と違った。やはり私は、私のイメージで・・・まさか精神病にかかって、自分が・・・こんなとき人間は、ほほをつねって現実に戻る。私は自分のほほをつねってみた。痛くなかった。つまり夢だ。私は、夢の世界にいるに違いない。月に降り立ったアメリカの宇宙飛行士たちのほとんどが精神的に崩壊したように、2015年の感覚を持つ私は気が狂ったのかもしれない。

奇怪な超感覚的出来事や心霊・・・と思いながら前を見ると、かぐや姫が立ち止っていた。そして、私のほうに手を振った。大きなクレーターの中だ。まるで、大きなスタジアムにいるようだった。

「ここ・・・」彼女が指差したのはドアだった・・・?どうして、ここにドアが?

やはり私は気が狂っているようだ。全てが現実のように見えるし感じられる。

かぐや姫がドアの方に進むとドアが音もなく開いた。

「おじさん、こち」と彼女が言った。

私は、唖然としながらもドアの中に入った。そしてもう一つのドアが開く。又一ツ、そして五つほどのドアを通過した時、私達のバリアーは消えていた。そして最後のドアが開くと、そこはパラダイス・・・まさしく緑と光にあふれ、美しい青い空の広がる自然の中に出た。

かぐや姫は、ニッコリと微笑んで両腕を広げ深呼吸した。そよ風に彼女の長い髪が揺れている。良く見るとかわいい女の子である。

「君は、本当にかぐや姫と言うの?」と私は聞いてみた。

「ううん」と彼女はクビを振った。そして、私は「サラ」と言った。「エッ!」と私は悲鳴のような声を上げていた。2300年のアメリカの大統領、私がコンピュータの中に残している女の子のポートレイトに似ている女性、そして各世紀のスーパーコンピューターよりパワーを持ち、全てのスパコンは彼女によって打ち負かされた。しかし、同じ名前だけで同一人物とは言えない。それに現在は2040年で、しかも私達は『月』にいた。

「家に行こう」とサラは言った。

「サラ・・・君は、2300年、大統領になるというようなことはない・・ないよね」私は確かめてみた。

「なるよ」と、私の予想を裏切った返事が返った。

「し、しかし、だよ。現在は2040年出し、それに、君・・・ここは月じゃないか。私が言っているのはアメリカの大統領のこと」

「あたし、そのサラだもん」と相手は言った。

私は目が飛び出るくらい驚いた。

力が抜けて、ヘナヘナと崩れ落ちた。

「ヘーイ、ユー」と、どこからか変な英語が聞こえた。そして「ニャア、ニャア」「ワンワン」と猫と犬の鳴き声がした。そちらを見ると、例の長靴を履いた猫・・・いや、違う・・私の頭は混乱し、私はゼイゼイと息を荒立てて地面にひざをつき両手もついた。

目の前に現れたのは、2300年のアメリカのホワイト・ハウスで会った事のある「ニャア」と「ワン」だった。

「あれ、前に会った人間じゃあないか」とニャアが言った。

「そ、う、だけど・・・」ゼイゼイ息をしながら私は答えた。どうして彼達が2040年の月にいるのだろう?

「へえ・・・」と相手は言い、感心したように私を見た。そして言った。「今回は人間か?」

「あの時は、その・・・サラ大統領が怖い女性だと聞いていたから・・・」

「怖い?」ニャアは、その後「ニャニャニャア」と変な笑い声を上げ、ワンが「ワオワオ」と言いながら盛んに尾を振った。

「よしなよ。あたい、助けてもらったんだから」とサラが言った。

「大統領、これは人間の『雄』ですよ」

「しってる」

「コイツは・・・」とニャアは、私を見て眼をギョロつかせた。ネズミを見る猫の眼だ。食べれるかもしれない、と私はバカな考えを持った。私の身体の方が数倍でかいのだが・・・猫に爪で引っかかれ、犬にアシを噛み付かれ・・・気の弱い男の想像はこの程度である。

その上、私の精神は現実の年齢65歳に戻って、千葉の家で待つ年上の女房のことを再びクヨクヨと考えた。

私は現在33歳のニューハーフのはずであるが考えはどうしても65歳になってしまう。

「月の宮殿には、いつまで?」と、ニャアがサラに聞いた。

「三日ほど、ね」

「かしこまりました」ニャアはサラにこう答えると、私のほうを再びギョロリと見て、ワンとともに歩き去った。

私は、額の汗を拭った。

目の前にいるのはZZ01に言わせると魔王のような女である。後で、食われる・・・そうでないにしても再生処理工場に送られるかもしれない。

とにかく、サラが昔話の「鬼婆」のように、夜中に包丁などをジョリジョリ砥ぎ始めたら逃げようと思った。

「乗るよ!」サラが私のほうに声をかけてきた。車のようなものがサラの前に見える。私はサラと一緒にシートに腰を下ろした。

「家」サラが言うと車はサッと動き始めた。動き始めて近くの壁に向ってゆく。

「あ、危ない!ぶつかる!」私は移動棒を持っていることも忘れて大声を立てた。「ナムサン(南無さん)!」などと、古めかしい言葉も言った。しかし、車は壁をスッとつきぬけ美しい住宅街に出た。そして、次から次と建物を突き抜け、そして止まった。2300年にアメリカのホワイトハウスを行った時に見た建物のような感じだ。質素でこぎれいな建物が咲き誇るバラ園の中にあった。

「着いたわよ」大人の女性の言葉に隣に座っていたサラを見た。例の小娘ではなく、気品のある大統領のサラだった。

「サラ大統領!」私は声を上げていた。

「今、2040年では?」

「月の入口の壁、いくつか越えたでしょう?あれは時間の壁。そして現代は2300年です」

「・・・・・・」私は声を出せなかった。絶望的になっていた。多分ここで再処理工場に回されて、月の地下都市で65歳の生涯を終えるのかもしれない。

「あの、あなたは怖い女性とうかがっていますが」私はやけくそで聞いてみた。

「怖い女性?」

「はい。世界のスーパーコンピューターを破壊したとか」

「ああ、あれは能力のないスパコンだからよ」

私はZZ01のことを思い浮かべた。彼によるとサラは悪魔と言うことになっている。

「それに、あなたは悪魔のような女性とか」

この言葉にサラは笑い始めた。彼女の笑いはしばらく続いた。

「誰が言ったの?」

「日本のスパコンです」

「ああ、京くんね。おちこぼれの京健介君」

「京健介?」

「そう。日本のスパコンの成れの果て」

「へ・・・」

「まあ、あなたは人間の雄だから、未来はないわね」サラが私を見た。私は蛇ににらまれたカエルのように縮こまった。

「でも、記録によるとあなたは私の先祖と少しつながりがあるみたい。それで、IDを発行します」

サラの目がコバルトブルーに光ったと思ったら私は自分の腕に軽い痛みを覚えた。腕に小さな黄色い光が当っている。そして、それはしばらくして消えた。

「これで、あなたは自由です。2085年に戻っても、このIDがある限り永遠に生存できます」

「永遠にですか?」

「そう」

「不老不死か・・・でも、生きる事も疲れる時がありますけど・・・」私は会社で働いていたころのことを思い返していた。

「自由です」

「自由とは?」

「人間がいやであれば、犬や猫、それがいやなら石や水、そんなものに変わりなさい。でも、大した違いはないわよ」とサラは言って歩き始めた。

「そんな、無茶だ!」と私は彼女の背後に向って声を上げた。

サラは振り返った。

「だから、わたしは全てのスーパーコンピューターを否定した。そして破壊しました」

「・・・・」

「わかる?」

「いえ、わかりません。私たち人間は男女が結婚し子供を作ります。永遠の命より、次の世代に生存の楽しみの権利を譲るわけです。ですから、親は、自分を犠牲にしても子供を守ります。例えば、食べたい一個の『たこ焼き』も子供に食べらす・・・」

「たこ焼き?」

「丸い・・・中に蛸がはいって・・・関西では有名ですよ」私はたこ焼きの大きさを親指と人差し指で丸を作り示した。

「フーン・・・」サラは興味を示したようだ。

「もちろん、例えば2018年、私の住んでいる時代ですが金持ちの人と貧乏な人が住んでいます。むしろ、貧乏人のほうが多い・・・でも、幸福・・・そうだ、サラ大統領、あなたは『幸福』と言う言葉をご存知ですか?」

「知ってます。2300年は、全ての人が幸福です。あなたの言う金持ちも貧乏もない。つまり、あなた達の作った格差社会は2040年以降ありません。男性を社会から排除した後、初めて世界の平和と、人々の幸福が実現しました」

サラ大統領は力強く私に説明した。

私は、言葉がなかった。男性達が人間社会をだめにしていた・・・確かに、男性は女性を、その肉体的有利性から社会より排除していた。そして、男性は自分達の地位と名誉を守る為に戦争を起こした。

私は月で、しおれた花のようになり佇んだ。



月面



或る日、サラは私を月面の表側に連れ出した。地球が見える。月に来る時にも見た地球である。

クレータの岩石に腰を落とし、地球を眺めていると神秘的な感覚を超越して、心霊の世界を感じられた。要するに超自然現象とでも言おうか、地球の物理的考察では説明がつかないものだ。母体の羊水に浮かぶ稚児のような感覚なのかもしれない。人間社会の物理学の観念、アインシュタインの相対性理論がここでは崩れている。例えば「時間のない空間」が存在していた。もちろん地球の人間界における物理的根拠による解釈ではない。

『神の世界』である。

(神様・・・)と私は思った。くどいようだがここでの神様は人間の創造した神ではなかった。大宇宙の超越した力だ。超神秘的で人間の思考では理解できない。しかし、心霊により感じられるものだった。

そして、私は疑問を持った。本当の『幸福』とは何かと言うことである。神のように偉大な力を持ち、我々を木の葉のように揺すぶったり落としたりすることが出来る力でさえも、人間の真の幸福は作れまい・・・それに、大宇宙の神は人間に生存の期間を限定した。


・・・・・


私はアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリの小説『星の王子様』のように、月のジェネシス・ロック(Genesis Rock /創世記の石)と呼ばれている石の上に腰を落とし、地球を見ていた。45億年前に出来たといわれる石は、不思議な力で私の心の深層を揺るがした。理由は分からない。

私は感じた。真の『幸福は』男女で構成される『家族』にある。

一匹の秋刀魚を分け合い、相手を思いやる家族の力である。これは、全能の神にも侵せない領域だ。

そして、私が得た結論は平凡に生きた65歳の年月が無駄でないという事だった。私だけでなく、全ての人々が生きた時間は無駄ではないのである。無理なく、その人に課せられた人生と言う時間だった。

「あなたの考えている事は正しいわ」とサラが言った。

「私が考えていることが分かるのですか?」

「分かります。そして、なぜZZ01と彼の仲間達があなたを選んだか・・・」

「私は無能で平凡な男です。それなのに『男性自由連合日本支局』の会員と行動を共にしています」

「あなたが、私の先祖を好きだった理由が分かります。確かに、未来社会は幸福と全世界の平和を手に入れました。しかし、人間の幸福はどうやら少し原始的なところにあったようです・・・もういちど、私達は人間の家族について考えるべきかもしれない。地球は、あのように美しい。地球には母性の力があります。それは、家族愛なのかもしれません。女性と男性と子供・・・」サラはここで話を切った。何かを考えているようでもあった。

私は、年上の女房を思い出していた。彼女は月が好きだったので、この月を見上げているかもしれない。しかし、私が月にいて、彼女の居る地球を眺めているかは知る由もないだろう。若し2018年の地球の戻ることが出来、満月の夜の月見の宴で、私が月の事を話しても信用しないだろう。それでも、私は月を見上げて、私の体験した事を物語のように話すに違いない。もちろんカミサンの尻に敷かれている亭主の代表として。




再びの地球


「私は一人、地球に戻りました。そして、一人静かに過ごしましたとさ・・・」と、私は「むかし話」のようにしゃべっていた。しかし、あたりには誰もいない。

ZZ01 やOS43、そして、YY55は未だ2300年から戻っていなかった。それとも私が時代を間違ったのか、私は何度ドラエモンを先祖に持つOS43から渡された「^^**」と呼ばれる移動棒をポケットから取り出し、位置や時間、そして年代を確認した。しかし、私が時間の中で迷子になったとしてもZZ01は探し出す事が出来るはずだ。

そして、数時間待ったと思う。彼達は現れなかった。移動棒がピピとなったのでポケットから取り出すと「VB03、私達は未だ2300年にいなければなりません。しばらく『男性クラブ』で待っていて下さい」と、YY55の声がした。「了解です。ところで、そのクラブはどこにあるのですか?」

2040年には、未だ『男性自由連合日本支局』は出来ていなかった。

「沖縄」相手は言った。

「沖縄ですか?」

「そう・・・」

「それは又、かなり南に外れてますね」

「さんご礁の海がきれいだから。そこで作りました」

「了解です。で、住所は?」

「まず、1975年にセットして『OK』のボタンを押してください。それで、直通です」YY55は言った。

「1975年まで戻るのですか?」

「なに、少しですよ」

「分かりました。そこでは私は何時間ほど待つのでしょうか?」

「一ヶ月ほど、楽しんでは如何ですか」

「一ヶ月も、ですか?」私は驚いて声を上げえていた。時間をコントロールできるとしても一ヶ月は長すぎると思った。

「今ZZ01が世界会議に出席してますので、そのくらいかかるのですよ」とYY55は気の毒そうに言った。

「仕方がないですね。分かりました・・・」私は教わったとおり移動棒で時間と移動場所をセットした。瞬時に私は沖縄の那覇に来ていた。歓楽街のようである。このようなところに「男性クラブ」があるのだろうか。

街頭に照らされた電柱に「桜坂」と書いてあった。私は、「男性クラブ」を探してあたりを歩き始めた。酔っ払いとか夜の女性達が歩いている。通りはゆるやかな上りになっており両側は全て飲み屋だ。バーとかスナックが立ち並んでいる。

私はあまり酒は飲まない。だから、こういう場所は珍しかった。

ここは・・・いわば、男性の天国かもしれないと思った。神々しい月の世界で感じた霊感も、ここでは死滅していた。私は「雄」と呼ばれる男性として楽しめるのかもしれない。

一体、この繁華街で男性や女性はどのように過ごしているのだろうか・・・私は懐の財布を気にした。10万ほど入れていたはずだ。しかし、福沢諭吉の一万円札は1984年の発行だから、現在の1975年では使えないだろう。

私は移動棒の連絡用スイッチでYY55を呼び出した。

「『OK(沖縄)』は如何です?」とYY55は言った。

「一体『男性クラブ』はどこですか?今『桜坂』と言う、夜の飲み屋街です」

「ああ、夜のネオン街か・・・お酒飲めます?」

「嫌、私は・・・そんなに飲めませんよ。それに、お金がありません。この時代のお金を持っていません」

「お金・・・ああ、あの時代の原始的な副産物ですね・・・経済市場を貨幣と呼ばれるものに代行して、それを普遍的にした結果、経済市場の規範が低級になった。あのようなものであれば幾らでも用意できます」YY55は少し間を置いて、シャツを脱いでくださいと言った。私は言われたとおりシャツを脱いだ。人目のつかないところで移動棒を入れてくださいと相手は言った。私はその通りにした。

「はいできました。偽物の金銭ではありません」

まるでマジシャンである。何かに布を被せて呪文を唱え、布を取り除くと、中にはアッと驚くものが入っている。

私はシャツの中を見た。一万円の札束が二つ棒の横にあった。

「それだけあれば、しばらく過ごせるでしょう?」YY55が言った。

「ええ、まあ・・・すると『男性クラブ』とは、この繁華街の事ですか?」

「そういうことです。時間を過ごすには良いかと」

「まあ、何とかします」と私は答え、札束をポケットに入れて歩き始めた。私は現在33歳だから、少しぐらいお酒を飲んでも身体に問題はないはずだ。

歓楽街を歩きながら空を見上げると月が見えた。つい先ほどまで住んでいた神々しいまでの月の宮殿。心霊的震撼を覚えた月面の世界、あの超神秘的な感覚は既にここでは抹殺されていた。私の身体は間違いなく1975年の男性に戻り、人間としての欲望が目覚めかけていた。

夜の街は、夏の夜風が怪しくそよいでいて、それは男の本能に刺激をあたえる。生暖かい夏の風には媚薬が混ざっているようだ。

なだらかな夜の坂を上り、少し進んだ右手に「モネ」「セザンヌ」「ユトリロ」などとフランスの印象派絵画の名前を持つスナックの看板が電球に浮かび上がっている。赤、黄、青、まさしく夜の街の印象だがフランスの画家の名前を看板にしているのに興味を引いた。私は、フランス印象派の絵が好きだ。

二階に上がり『モネ』と言う店のドアを開いた。薄暗い小さなスナックだった。二人の女がカウンターの中にいて、壮年の男が一番端のカウンターで飲んでいた。

「いらっしゃい」

私は無言でカウンターの席に腰をかけた。

直ぐにお絞りが出た。

「なににされます?」女が聞いた。

「では、ビールでも?」

別の女がビール、これはオリオンビールを用意した。そして、蛸の酢の物の小鉢が添えられた。

私は大して酒がいける口でもないがビールをコップについで一息で開けた。喉が渇いていたからか、それとも沖縄の「桜坂」と言う歓楽街で興奮しているのか、ビールが美味かった。

「あら?」女が言った。

「何か?」

「喉が渇いていらしたようね」

「ええ・・・月から帰ってきたばかりですから・・・」

「まあ!『月』から?」

「そうです。満月の月」

彼女は笑った。心底、可笑しかったようだ。

「ああ、可笑しい」と彼女は言い「よかった。あなたのようなお客様に来ていただいて、ああ、楽しい」

「そんなに可笑しいですか?本当の話ですけど・・・」

「僕も興味あるな」カウンターの端にすわっていた男が言った。

「先生は画家だから、ロマンチックな話がお好きなのでしょう?」

「初っちゃん。現実はつまらん話ばかりじゃあないかい?皆『海洋博』に浮かれて、カネの話しかしないしね」

「そうね・・・」

「『海洋博』」」

『あら?あなた知らないの?「やまとんちゅ(本土の日本人)」でしょう?『海洋博』で沖縄にいらっしゃたのかと・・・ごめんなさい』

「いえ。とにかく初めてのことですから」と私がコップにビールを注ごうとすると、彼女がサッとビール瓶を取り上げてビールを注いだ。ザワザワ・・・とビールの泡音がした。それは、月上で感じたあの震撼を覚える奇怪な現象を私の身体によみがえらした。サラが私にくれた「ジェネシス・ロック」と呼ばれる水晶のペンダントがビールの泡に合わせてリンリンと私の心情を揺さぶっている。

私はビールのコップを口にもって行った。

カウンターの端にいた画家と呼ばれた男が私のほうに少し席を近づけ「僕は、『海洋博』は反対です」と、まるで私が海洋博関係者であるかのように言った。

「人がたくさん集まりますからネエ・・・」私は、適当に相槌をうった。

「人ではなく、素朴さを失うのです。直ぐに皆、感化されて大和んちゅのようになる」

「沖縄の素朴さがなくなるということですか?」

「そう。その通り。この人は分かっているみたいだ。初ちゃん」

「先生。突然と失礼ですよ」

「いえ。私は、その、沖縄は素朴のままが良いと思いますから・・・全く賛成」

「ほら。ぼくはこの人が気に入った。今夜はとことんのみまっしょ」と画家は言った。

「では、月から来た人に乾杯しましょうか?」初子と言う女性の隣にいた、太目の女性が提案した。

「そりゃあいいね。マー姉」

「まあネエ(マー姉)?」私が聞くと「昌代に姉をつけて『まあネエ』とよぶの」初子が言った。

その「まあネエ」がさっさとビールとかピーナッツをカウンターの上に用意し、皆のコップになみなみとオリオンビールを注いだ。ザワザワザワザワザワと神の声だ。

「乾杯!」

画家がコップを高々と上げた。

沖縄には「ニライカナイ信仰」がある。コバルトブルーに輝く海の水平線の向こうには「楽園」があるというものだ。しかし、今の私には、ここが「楽園」に感じられた。オレは「人間」なんだ。月面で体験した崇高な力や、水晶のように透けてしまう魂とはオサラバだ、と考えていた。

「お泊りは?」突然と初子が聞いた。

「これから、探すところです。近くのホテルをとります」

「あら、やだ。近くにホテルなんてないわよウ。あるのは、連れ込みホテルだけ。私と、どう?」横から、まあネエが口を入れた。

「何を言っているんだい。朝まで飲むんだぜ」と画家が意気込んで言った。しかし、小一時間もしないうちに、彼には電話が来た。

「ほら、先生。奥様から・・・」

画家は受話器を受け取ると、先ほどまでの酔漢から尻に敷かれた亭主に成り下がった。そして、ブツブツ言いながら帰って行った。

そして、まあネエも帰り、初子と私だけがモネのカウンターに座っていた。他の店も未だ営業していて、近くから酔狂の男や女の話し声が聞こえていた。

「初子さんは沖縄本島の生まれですか?」

「伊是名(いぜな)・・・北の方よ」

「へえ・・・きっと、美しいでしょうねえ」

フフフと彼女は笑った。

私も伊是名島は、美しい島であるという事は知っていた。かって、沖縄に旅行しようとして観光案内などの資料をたくさん読んだ事があるからだ。

「月がみたいなあ・・・」初子はカウンターに両手のひじをつけ、両手で軽く顔を支え遠くを見るような仕草でつぶやいた。「月・・・ですか?」

「ええ、あなたの冗談が好き」

「私の冗談ですか?」

「そう・・・月からの帰りなんて、素敵だわ!」初子は私を見た。

「『月』か・・・」私は月面の生活を思い出した。サラの顔を思い出した。すると、神秘な自然現象の体験が再び私を震撼させずにはおかなかった。

私は初子を見た。女の「性」が完全に昇華されて頂点を仰いだ身体だ。セックスした男を虜にし、蟷螂のように食い殺すタイプかもしれない。

私は、65歳の経験から目の前にいる初子を判断していた。

「月は、見ながら話すことです。少し、あなたの生まれたという伊是名島に行って今宵の月を見ませんか?」

初子はゆっくりと私のほうを振り向いた。もちろん、私が瞬間移動できるとは夢にも思っていないであろう。しかし、彼女は酔っていたのか冗談か「ええ・・・行きましょう」と言った。

私は彼女を抱き寄せた。軽く香水のニオイがした。そして、移動棒を握り伊是名島に神経を集中した。



伊是名(いぜな)の月は、銀河の帯を背景にして豊饒の輝きを見せていた。

「ほら・・・」

初子は驚いていた。「夢?」とつぶやいた。

「そうですよ。貴女は夢を見ています。しかし、伊是名島の月は本物です」

私達は海岸の白い砂の上に座り月をみた。住んでいた月と、ここから見る月はまるで違う。

深夜の一時だったが海風には未だ幽かな温もりが合った。しかし、初子を見るとスナックのママらしく薄いドレス姿である。

彼女は私のほうに身体を寄せた。

大きな月だ。

「伊是名の月は、きれいですね・・・」

私の言葉に初子はうなずいた。彼女は夢の中にいると思っているようだ。潮騒が聞こえる。

やがて寒さを感じる風が出た。私は初子を抱えてスナック『モネ』まで瞬間移動した。

一般人を暇つぶしのように使いたくなかった。そもそも、なぜ『男性自由連合日本支局』は、私に沖縄の『桜坂』と呼ばれる不夜城のような飲食街に送ったのだろうか。1975年の時代に私を戻し、十二分な遊行費まで持たせた。

「あら・・・私、夢を見ていたわ」と、初子が我に帰ったように言った。私達はスナック『モネ』のカウンターに並んで腰を掛けていた。

「どんな夢ですか?」

「月を見ていた。私の生まれた伊是名島の大きい月・・・潮騒も聞こえてた」

「『月を見る』か・・・」

「お客さん。催眠術を私にかけたの?」

「いいえ・・・」

「私本当に月を見ていた」

夢で月を見る。しかし、私自身が夢の中の出来事なのである。2015年に生きている私が1975年に戻っている。冷静に考えてみると、私が夢を見ていた。

私は幽霊だ。この現実に怖くなった。

「初子さん。私は、そろそろ月に帰らなければなりません。ここに少しのお金があります」私は一万円の札束の一つを彼女に渡した。

「私、悪酔いしたのかしら。どこか変・・・」

「大丈夫です。変なのは私のほうですから」

「あなた、月に帰るの?」

「少し寄り道するかもしれない・・・」

私はふと「ニライカナイ」に行ってみたいと思った。沖縄の人々が夢見る理想の国、海の向こうの楽園に。



私は、那覇のはずれにある連れ込みホテルを一月借りた。昼夜と云わず両となりから男女の絡み合う声が聞こえた。

人間の生物的存続の方法は、精子をもつ男性と卵子を持つ女性が性交し細胞分裂を発生させるシステムである。セックスの快感は、この「システム」を継続させる為に必要不可欠な要因となっている。

どうして人間の「性」をわざわざ二つに分け、セックスに「快感」を用意してまで二つの性が頻繁に結合するように出来ているのだろうか。

男性の性欲を高めるのは「テストストロン」という睾丸から分泌される男性ホルモンで、闘争本能の形成にも影響を与えている。

つまり、セックスは闘争本能と言う原始的な行為の現われとも言える。男性は闘争本能(テストストロン)で女性を抱き、女性は「フェミールエチルアミン」という脳内物質の覚醒剤にコントロールされて精子を卵子に受け入れる。しかし、2040年以降、このシステムは次第に効力を失い2300年には完全になくなっていた。

男性を排除した2300年は、人間が人間らしく生きないように制御された社会なのだ。

そして、セックスは満足感で幸福感ではない。沖縄のニライカナイ信仰が求めているのは、人間の幸福な世界である。2300年の女性達は、人間の脳内から分泌される覚醒物質に左右されることなく精神を昇華させ、楽園を構築していた。そこに「戦い」のために存在する男性の必要性は見当たらなかった。

「これだ・・・これがサラが私に仕向けた結論だ」

『男性自由連合日本支局』は、私に人間の本能を復活させ、そのデーターを活用してサラを功略しようとした可能性がある。私は、初子の放つ「性の匂い」に自分を見失ないかけていたが、サラが私にくれた「ジェネシス・ロック」と呼ばれる水晶のペンダントがリンリンと鳴り私の精神を抑えてくれた。震撼とした月面の超自然現象の経験が私の精神に安定と、神の導きを誘発した。




2013年


一ヶ月、私は連れ込みホテルで過ごした。そして、YY55、OS43、ZZ01 との約束の日時、移動棒で本土の方に移動した。多分東京の近くだった。

そして、「失敗か・・・」と言うのがZZ01の第一声だった。

「失敗ですか?」と、私も聞いた。

OS43は例の丸く黒く大きな眼をして空間を見ている。

「ねっ、だから言ったでしょう」とYY55がZZ01に言った。

「上手く行くと思ったのになあ」木村卓也に似たZZ01は、髪を手でなで上げた。

「どういう意味ですか?」私は、彼達の魂胆はわかっていたが聞いてみた。

「女性、嫌いですか?」YY55が聞いた。

「いえ・・・私を沖縄の歓楽街に行かせたのは、何かの目的で?」

「煩悩のデーターが欲しくて・・・」ZZ01が小さく言った。スパコンらしくない考えだった。

「その程度のことなら、ZZ01さんのパワーで、なんとかなるでしょう?」

「・・・・・・」ZZ01は黙った。

すかさず、YY55が「VB03(私)のデーターでなくてはサラに勝てないのです」と言った。

「わたし・・・ですか?」

「そうです。しかし、詳しい事はZZ01しか知らない」

「どうしてですか?」と、私はZZ01を見た。彼は照れくさそうに「愛です」と、キリスト教の牧師のような発言をした。

「えっ?」

「サラがあなたを愛している・・・」と言い彼は爪を齧った。私は、ふとZZ01はサラを好きなのではないかと思った。

そして、ZZ01やYY55、OS43は2000年代初期の庶民の幸福を知らないようだ。

時間、移動、物質を自由に扱う事が出来ると、21世紀までに生まれ育った人間の経験する経済的な困難とは無関係だろう。「金がない」と言うことがどのように人間の精神に影響を与えるのか理解する事は難しいかもしれない。夫婦は自分達の食を外しても子供達に食を与える。

又、夫婦には冷蔵庫の中に残った一本の竹輪を相手に食べらせようと、お互い手をつけず、終いには腐らせてしまうと言うこともあるものだ。

「夫婦」と言う人間の家庭がない2300年には経済的、精神的幸福は満ち溢れているかもしれないが「神の至福」による信の幸福は見失われている。

貧乏は夫婦の絆を作り、子供たちの精神を鍛えて逞しく勇気と情愛にあふれた人間に育て上げる。それは、月から見る暗黒の大宇宙に、神々しく輝く青い地球と同じである。

私は彼達に、2013年の庶民の生活を体験してもらおうと思った。

「みなさん!」私は彼達に声を掛けた。

YY55が振り返った。ZZ01は爪を噛んでいた。もちろん、OS43は例の黒い大きな目で空間を見ていた。

「なんでしょう?」YY55が聞いた。

「私は、皆さんに是非この2013年の庶民の生活を体験してもらいたい」

「&&^^**%$」

「^^$#@&&^」

「%$@@」

「**$##^&」

「&%$」

彼達はとっさの時、例の宇宙語がでる。

ぺちゃくちゃしゃべった。そして、YY55が「面白そうですね・・・」と、予期しない言葉を返した。

「結構面白いと思いますよ」と私が言うと、彼達は再び「^^*%^$*$$#@」と話し合い、お互いが納得したようだった。

「よし、それでは私が計画を立てますので・・・まて、そのまえにルールを決めましょう。そうしないと、あなた達は自分の力で物事を解決してしまいますから体験にならない」

「我々の力?」YY55が言った。

「はい。未知を予期する力とか、瞬間移動、そして・・・とにかく、あなた達は魔法使いのようです。ですから、その『魔法』を使う事を止めていただく」

「なるほど・・・面白そう」今度はZZ01だ。まったくスパコンらしくなく、なにやら冒険を楽しもうとしている様子だ。

私はコホン!と咳払いをして「日本語学校」で教えたように三人を見回した。何やら、いたずら小僧の生徒達に注意をする時のような思いが蘇っている。

「君たちは、とにかく人間らしくなること。つまり、私のような人間以上の能力を使わない。分かりますか?」

三人は「はい」と言った。苦労を知らない人間は2300年の未来で生まれていても素直だ。

「では・・・」私は三人を見回しながら考えた。

「では、2013年の東京で仕事を探しましょう。仕事とは・・・分かりますよね?」

「%$&^*」

「&$#@」

「**&^」

再び例の言葉でしゃべった。

「『仕事』わかりますよね?」私は念を押した。

彼達は不安そうにクビを横に振った。

「仕事、知らないのですか?」

「それ何でしょうか?」YY55が恐る恐る質問した。要するに彼達は自分の知識にない言葉には畏怖の念を抱くようだ。

「仕事とは・・・」と私は切り出したが言葉を詰まらせた。一体『仕事』とは何なのだろう。自分の身体を動かして与えられた労働をし、それに見合った賃金を受け取る事・・・か。

「身体を動かして、つまりですね、労働をして賃金を得ることです。賃金とはお金です。ただ、泥棒はいけません」

三人は納得したように頭を振った。

「では・・・そうですね。まず、各自が何かの仕事を探して、数ヶ月仕事をするということにしましょう。もちろん、最初はお金が必要ですので10万円づつ渡します」私は沖縄で彼達が用意した残金の中から10万円づつZZ01、OS43、YY55に手渡した。

「その程度のお金ではアパートを借りれませんので、数ヶ月暮らすには工夫が必要です」と私は言いながら少し彼達がかわいそうに思えてきた。私自身が貧乏を経験していたので、最低の生活がどんなに辛く苦しいかを知っている。この無邪気な青年達(現在の私は33歳で、現在の彼達三人は27歳だった)はどの様に暮らすのか、もちろん経験もないことだろう。

―が、私は自分の考えが的を得ていないことを直ぐに知った。ZZ01、OS43、YY55はやる気十分に見えた。

「とにかく、東京の銀座にでも移りますか?それとも、大阪、この際、そうですね・・・アメリカでも良いや」私自身がアメリカに住んでいたので、つぶやくように言った。するとOS43が手を上げた。

「OS43はアメリカ希望ですか?」

OS43が大きく丸眼を向けた。そういえば彼の故郷はサンホセのINTELだった。

「分かりました。OS43はアメリカのサンホセ、そしてZZ01は俳優の木村卓也に似ているので東京の六本木辺りをうろうろしていたら仕事が見つかるでしょう。YY55は、どうします?片田舎にでも行って見ますか?」と私が聞くと、彼はニヤリと笑い「大阪」と言った。私は直ぐ、仁徳天皇の御陵近くに文化住宅を借りて住んでいた頃を思い出した。この小説の初めの頃に書いたと思うのだが『お化けのでる文化住宅』だった。

あそこに彼を住まわしたら、あのお化けどうなるのだろう?YY55は、もとは猫だから案外と捕まえて食べたりして・・・一瞬思った。しかし、YY55はただの猫ではない。先祖は、天皇家に飼われて、高い位「命婦」という官位を持っていた。下品な事はしないだろう。

「では、YY55は大阪」

私は再び三人を見回した。そして言った。「これで決まり。では、私はOS43とサンホセに行きます。そして、皆の行動は二ヵ月後に確認です。分かりましたね」私が「男性自由連合日本支局」のリーダーのようになっていた。

三人は再びコクリと頷いた。



「貧乏」とは百科辞典によると「財産や収入がなくて生活が苦しいこと」と書いてあるが、おカネのないことと考えて正解。むしろ、それが本筋である。私は現在、月面のサラから不老不死の命をもらっている。そして、寿命をコントロールできる。しかし、一般の人間はたかが平均寿命が100年以下と言う生命の中で、その日々の100パーセントを金銭に影響されて生きているのだ。

ZZ01、OS43、YY55は、人間社会の経済をどの様に理解し生活するのか楽しみだった。彼達だって私のように金銭的貧窮の暮らしを少しでも体験できれば、人間社会の理不尽な経済がいかに人の人生に影響を与えているか分かるだろう。

「良いですか、皆さん。この体験中、皆さんの持つ特殊能力は使わないように。使うと、品質の高い貧乏の体験が出来ません・・・このプロジェクトを『貧乏体験2013年』と名づけました。この経験を生かして男権復活につなげましょう!」私は昔の労働組合を思い出して自分のこぶしを上に突き出した。

三人も真似をした。

実質年齢が65歳の私は、狡猾にも2300年の未来から来た若者達に20世紀から21世紀に渡る経済格差社会の矛盾を、彼達の能力で改善してもらおうと計画していたのだ。

貧乏生活がいかに人間の精神に影響を与えるのか。アメリカのリーマンショックの後、我々は現代社会がモノとカネに束縛された社会であることを痛感した。モノと金と人とのバランスの取れない経済社会は、人間の生命の根幹までも揺るがしている。多くの金持ちは自分のクロンを秘密裏に作り、莫大な財産を自分自身の遺伝子に譲り渡そうとしていた。

このような格差社会を、2300年のスパコンであるZZ01、そしてOS43、YY55であれば簡単に180度変えることが出来るはずだ。出来るだけ彼達が金銭で苦労して生活の為にあがき、現在持っている純真な心を曇らして醜い心の持主になり、貧乏を毛嫌いするようになればしめたものだ。人間社会の貧困層の救済にはこれが最善だと私は考えた。



最初、私達は前もって計画したとおり、ZZ01と東京の六本木に瞬間移動した。直ぐ近くに街路木の小道があった。ゆるやかな坂の向こうには「神谷町駅」と書いた建物が見えていた。スパコンのZZ01は少しの間、ものめずらしそうに周囲を見渡していたが私達に手を振ると、下り坂の小道を駅の方に向って歩き始めた。


YY55は、枕草子に書かれている天皇家の猫『上にさぶらふ御猫』を先祖に持つことは前にも書いた。彼は、大阪の天王寺公園に行った。近くに通天閣が見えていた。彼は、公園の石段の上に腰を落とすと、猫のように大きくあくびをして背筋を伸ばした。


そして、OS43と私はアメリカのサンホセに移動した。

「OS43、どうやって生活するの?」と、私はドラエモンの末裔に聞いてみた。2013年のアメリカは不況経済下で、仕事を見つけるのが困難だった。2007年の大不況以来、家の価格が落ち込み又、イラク戦争で受けた経済的ダメージも尾を引いていた。そして、ユーロ経済国の経済危機にも過大に影響を受けていた。

OS43は例の大きく黒い目を空間にむけ、どういった意味なのか、両手の平をお化けのように前にだらりと垂らしブラブラ振り続けた。

「ほら、これ、円高だから」と、私は例の10万円をUSドルに換えたお金1200ドルを彼に手渡した。OS43がコクリとうなずいた。

アメリカには、多くの浮浪者救済施設があった。しかし、そういった施設を使うと本当の意味での「貧乏」が経験できない。

私はOS43に言った「Poverty is, in a sense, a blessing」(貧乏は、ある意味で、天の恵みだ)。これは私の好きな言葉である。

「お金」を否定するつもりはない。65年間の人生で、毎日のように金持ちになる事を夢見た。否、今だって夢見ている。

しかし、ZZ01、YY55、OS43と行動をともにするうちに一般的人間のもつ価値観が薄れ、貨幣経済を否定するようになった。

「OS43。意思決定が出来たら、早速二ヵ月後に行き、君達の『貧乏体験2013年』を、確認しょうではないですか」と、提案した。我々は設定した二ヶ月を待つ必要がなかった。時間を移動すれば結果が得られるのである。


二ヵ月後の東京六本木


私とOS43はカリフォルニアのサンホセから「男性自由連合日本支局」に戻る途中、東京の六本木に立ち寄った。ZZ01を探すのは結構大変だった。彼は完全に自分と言う存在を消し、2013年の人間に変化していたからだ。

予定外のトラブルだった。私とOS43は、六本木界隈を数日ほどZZ01を探したが見つからなかった。

「ZZ01は、一体どこへ・・・」10万円のお金では、東京で二ヶ月住めないだろう。従って何かの仕事に就いている可能性がある。

夜になった。

ふと横を見るとOS43が立ち止って空を眺めている。そうか、やはり彼もそろそろ郷愁を感じ始めたのかと思い、OS43の眺めている方角に私も視線を動かした。

東京タワーが見えた。青と白と青色の間の展望台には鈴の絵が・・・あれ?これはもしかしてドラエモンと私は思った。「ドラエモン」はOS43の先祖である。そして、OS43がドラ猫から依頼を受け、日本の漫画作者である藤子・F・不二雄に暗示を与え描かしたものだ。言っておくがこれは本当の話で、現にこの私はOS43と、その時間に行って見たことがある。

漫画家は締め切りに追われ、アイデアを欠いていた。そこで、OS43と私は依頼者(依頼猫)と協力し、漫画家にドラエモンのアイデアを与えた。ドラ猫は、漫画家から餌をもらったり蚤を取ってもらったので、その恩返しだったというわけである。藤子・F・不二雄と言う漫画家にヒントをあたえた時、OS43は先祖の「ドラエモン」を紹介した。

「OS43。あなたの、ご先祖様をイメージしたイルミネーションのようですね」と私が言うと、 OS43はいつものようにコクリとうなずいた。

私達は「男性自由連合日本支局」に戻って、少し休みをとった。そして、コンピューターの動画を戻すように、三人の二ヶ月間における「貧乏体験記2013年」を、見てみる事にした。



ZZ01の貧乏体験記


ZZ01は、ゆるやかな坂を下って行き「神谷町駅」に着いた。

駅の三番で入口辺りでうろうろしていたが直ぐに左手の方の歩道を歩き始めた。木村卓也に良く似たイケメンなので、通り過ぎる若い女性達が頻繁に彼に視線をむけた。しかし、ZZ01は興味を示さない。彼はスパコンであるし、それに2300年の女性王国から来た男性で、女性に関心がなかった。ZZ01は、たぶんデーターを集めているのかもしれない。

「貧乏になるには」というテーマがあるので、彼はそれに出来るだけ自分を近づけようとしているに違いない。

ここからは直接彼の方からの体験を記して見たい。


「ZZ01の直接話法的ストーリー」


「あの・・・すみません」女性が声をかけてきた。二十歳代の女性だ。オレは立ち止まって相手を見た。

「突然とすみません」と彼女は言った。

「はい」

「東京タワーに行きたいのですが」どうやらこの女性は地方から出てきたようだ。オレはデーターを集めて、彼女に説明した。

「ここを真っ直ぐ行って・・・でも、ほらあそこに見えるでしょう?」と、ビルの横に顔を覗かせているタワーを指差した。

「ええ、見えています。でも、行きかたが分からないのですけど。先ほど、タワーに向って歩いていると思ったら、ここに来ちゃって・・・」

オレは脳内にあるGPSのスイッチを入れた。「道案内します。暇だし・・・それに、僕も東京タワーに行こうかなと思っていましたから」

「本当ですか?」彼女は嬉しそうに二三度頭を下げた。なかなか上品そうな良い女性だ。2300年の女性にはない謙虚さがあった。少し、人間の「女性」という「種」を見直した。

彼女と並んで歩き始めると、相手から幽かな良い香がオレの鼻腔をくすぐった。人間の使う香水と言うものかと思ったが違うようだ。

東京タワーは「ドラエモン」の作者、藤子・F・不二雄展をやっていた。なんだOS43に伝えてやればよかった。

オレは女性と入場券売り場の前で別れた。二ヶ月間暮らすには「お金」と言う原始的な産物を稼がなければならない。

幸にも、東京タワーの下に「アルバイト募集」「HIGHBALL GARDEN」と貼り紙を見た。

オレは、丁度開店の準備をしていた従業員風のオッサンに「仕事」のことを聞いた。

「あんた、学生?」とおっさんは聞いた。

年齢と言うものは分からないが確か27歳に設定していたはずだ。

「いえ・・・フリーターです」と、はじき出された言葉を使った。

「ああ、そうか。フリーターであれば、丁度良いね。数ヶ月の仕事だから。いいよ。使ってあげる。しかし、賃金は安いよ。それに、結構ハードな仕事だぜ」と,おっさんは言った。良く名札を見ると「店長」と書いてあった。「店長」を脳内の日本語辞典で調べると「店の責任者」と言うことだ。

そんなわけで、オレは東京タワーの真下で働く事になった。「賃金」と言うものは、人間社会では己の肉体的労働と交換する「カネ」と言うものだ。あまり稼いではいけない。何分「貧乏」を体験しないと、2300年の大統領サラを倒せないからだ。

オレはスパコンだから仕事を簡単に覚えた。しかも、無理無駄なく動く事が出来たので、店長はオレを気に入ったようだ。

オレは六本木駅近くの賃貸アパートを借りた。月6万円で敷金なし。六畳の部屋に小さなバスとトイレが付いている興味深い人間の生活空間だ。もちろんオレはスパコンだから、このシステムは知っていたが生活するのは初めてだった。そうだろう?オレはどこにでも瞬間移動できる。今この時点でも、意識すれば「男性自由連合日本支局」の自分の部屋に移動できる。しかし、今回のプロジェクトは「貧乏体験」だ。平均以下、否、それよりも貧窮した生活をしなければならない。

オレは、東京タワーの真下にある野外ガーデンで、せっせと冷えた色々なハイボールを作っていた。もちろんスパコンだから、新しいハイボールを作って喜ばれていた。或る日、若い男がふらふらと来て野外ガーデンの真ん中あたりのテーブルに着いた。

彼は「角ハイボールジンジャー」を立て続けに三杯注文すると深いため息をついて椅子に身体を持たせ、東京タワーを仰ぎ見た。一時間もそうしていた。

彼を怪しく思った店長がオレの方に来て「ジッパー」(これはオレのあだ名だ。俺が名前を聞かれたときZZ01と言うと、相手は冗談に取ったのかジーか、じゃジッパー君だと店長が決めた)

「はい、店長。何でしょう?」

「ほら」と彼はあごで例の客を示し「あの客、おかしいぜ。だべ?」と最後は地方訛で言い、オレにそれとなく探れなどと探偵小説のようなことを言った。

オレは「ヘイ」と答え、トレイを持って彼のテーブルに歩んだ。二つの空のグラスを下げるつもりだった。

男はぶつぶつと独り言を言っていた。

「チップの発熱・・・コンピュータの速度が遅くなる・・・そこで、光の波長変化を・・・」

オレは直ぐに分かった。彼は、20世紀に俺の先祖が使っていたシリコンフォトニクスのデバイスを考案しているに違いない。

この時代のコンピューターはチップで情報を処理しているので、まあ、光のプリズム作用で作ればある程度はスピードのあるものが作れるというわけだ。

「お客さん。そこのコップ下げて良いですか?」とオレは聞いた。

「あ・・・」と男は言い「どうぞ」と付け加えた。

オレは空のコップを逆さにし下から豆電燈をつけて見せた。豆電燈は、ここの店が従業員に持たせているものだ。

そして、近くの壁に照らせて見せた。光が虹色の輪を作った。

「おもしろいでしょう?」

「・・・・・」

「光がガラスを通して虹を作りました!」

「なるほど・・・」と、相手は言った。

オレは、彼にそれだけのヒントを与えた。21世紀の人間の作ったスパコンは、集積回路の寄せ集めだ。基本的には数字の統計、数の密度の行列などを配分して作り上げていた。23世紀にはいると、オレのように生物学的な回路が考案されて使われている。

学者にあまりヒントを与え過ぎてはいけない。人間の大脳の発達に即した科学の進展が一番自然的だからだ。

オレは、コップをトレイに載せて歩き始めたが「あの・・・」と誰かがオレに声をかけてきた。振り向くと、東京タワーの道案内をした女性だ。

「ああ、あなたは前に・・・」「はい。あの時は有難うございました」女性は頭を下げた。オレも頭を下げたら,その拍子にトレイのグラスが落ちた・・・とっさにオレの手は落ちつつあるコップを空中で受け止めていた。計算された手の動きだ。女性は少し驚いたがコップが大丈夫だったことで笑顔を見せた。

「女性」とは、つまり「男性」でない方で染色体が「XX」である。それに、人間の子供を産むための器官を体内に持っている。21世紀は、女性は子供を卵で産まない。子供を卵で生めるようになるには23世紀のバイオ技術が必要である。

「観光ですか?」と、オレは聞いてみた。夜の東京タワーの観光が情報の中にあった。

「いえ・・・」

「では、カクテルでもと」

「いえ・・・」

「?」

「実は人を探しているのです」と、女性は言った。

「『人』ですか?」

「はい。父ですけど・・・」

「ああ・・お父様が出張で、東京に・・・」

「いえ・・・家出です」

驚いたオレの表情を前に、女性は「ごめんなさい!。初めての方に、変なことを・・・」と言い、再び頭を何度も下げた。

オレはスパコンだから、正直なんでもできる。しかし、未来から過去に来るとやはり色々な約束事に制約されていた。例えば、不自然な行動だ。それは時間を乱すからと言う理由だった。

でも、オレは聞いてみた。「お父さんは又、どうして家出をされたのですか?」

彼女は少しはにかんで「母の浮気です」と言った。「浮気?」

「ええ・・・母がトンネル堀の工夫と出来てしまって・・・それで、怒った父が家庭を捨てたのですが母も既に歳で男に捨てられましたし・・・父も60歳になっていますので・・・それで・・・すみません。身しらずの方にこんな話をして」女性は2300年の女性の持たない、恥じらいを持った寂しい笑顔を見せた。

オレは、実は東京タワーの電波を常に傍受して分析している。又、この電波を使って人も探せるのである。

その時、店長がオレを呼んだ。客のようだ。

「すみません。後ほど」オレは、店の方に戻った。「ジッパー。このカクテルとコーヒーを、テーブルBの12、A5、C10に持って行って、5と8のテーブルを片付けて、ハイ、よろしく!」彼はオレのトレイに数個のカクテルを載せた。

「へい」オレは、再びテーブルの方に向った。コーヒーは、例の女性のもので、オレは彼女のテーブルで、お父さんの名前と特徴を紙に書いてくれるようメモ用紙を渡した。捜し出せるかもしれないというオレの言葉に、彼女はぼんやりと私の顔を見上げた。

オレは、単に複雑な人間社会の人間関係を分析しているのかもしれない。この世紀では、まだ男性と女性の異なった性器の結合により種を存続している。凸状の男性器が凹状の女性器に入る時、麻薬的な快感を作ることにより生殖行為を継続させるという原始的システムが維持されていた。だから、男女間の性の営みにより起こるトラブルが人間社会のルールを破る事は頻繁にあった。それは、人間が生物として未だ成長の段階にあるからだ。

しかし、オレはこの21世紀の女性が少し気に入っていた。彼女は男性を敵視して排除するような、24世紀の女性とはまるで違う。

この屋外ガーデンの「ハイボールガーデン」は、5月1日から9月1日までの限定で4時から10時のオープンだ。女性の父親がどこにいるのか、仕事が終わる前に見つけ出したかった。

彼女がマザー牧場チーズ盛合わせと東京タワーハイボールを注文した時、オレは彼女のメモを受け取った。

「山村悟史と言うのが彼女の父親の名前らしい・・・もと、建築設計士で・・・婦人が建築現場のトンネル掘り工夫と出来て、それで家族を捨てた・・・と言うことらしい」人間社会は単純でもあり、人間達の脳の動きを考えると申し訳ないほどつまらない事が複雑になる。

女性が他の男性と交わったとしても、人間の種の保存に影響が出るとは思えないのだが男性特有の大脳の遅れが家庭破棄の行動を起こすものと思われる。

さて、オレは東京タワーと言う電波塔を利用して、電波の跳ね返りにより応じる彼女の父親らしき人物を探し始めた。再度断っておくが俺はスパコンで、しかも24世紀の製品だ。人間の想像も出来ないパワーを持っている。数分で「山村悟史」と言う人物と「女性」父親を探している彼女の遺伝子の・・・実は、彼女の飲んだハイボールの隅に残っていた遺伝子細胞と、ある男の持つ遺伝子細胞・・・これは電波に乗ったオレの・・・21世紀の人間の言葉では見つからないが・・そう、触手のようなものが相手の細胞から遺伝子を取り出して照合させた。

男は現在テレビを見ていた。空港の近くである。

オレは、屋外ガーデンで仕事をしながら男に焦点を当てていた。次第に、彼のいる場所がクローズ・アップして来て、彼の現在の状態や顔まで浮かんできた。

プレハブの部屋で、小さなテレビを見ながら缶ビールを飲んでいた。近くに白いつなぎの作業服が見えている。どうやら空港の貨物関連の仕事をしているようだ。

オレは、女性のそばに行くと「お父さんは成田空港の貨物作業員をしています」と伝えた。

彼女の顔がパッと明るくなった。

「本当ですか!信じられません!どうして、調べたのですか?」女性は少し興奮気味だった。

「何、簡単でした。東京タワーの電波です」

「?」

「いや・・・私の友達があるコンピューター関連の仕事をしていまして、それで、偶然にも『山村悟史』と言う人物が履歴書と一緒にありました」

「履歴書?」

「お父さんは、仕事を得る為に履歴書を書かれたと思うのですが空港で働くには身元検査が必要です。細かいセキュリティー・チェックが行なわれます。それが運良くコンピュータに現れたと言う事ですよ」

彼女の目が涙目になった。

「良かった・・・」と言い二つの手を胸の前出合わせた。これがオレにとっての神の教示であった。

ハイボールガーデンは期間中は無休だが従業員は一週一日の休みがあった。丁度明日が水曜日でオレの休みの日だ。

「明日、お父さんのところに案内しますので、ここに9時に来てください。お父さんはシフトで働いていらっしゃいますので、仕事は夜の9時からです。だから、それまでにアパートに行けば会えますよ」

女性は立ち上がると何度もオレに頭を下げた。人間の深い感謝の表現らしい。しかし、原始的だ。

仕事の後、オレは瞬間移動して(これは、BV03、YY55、OS43 には内緒だ)彼女の父親を確認した。山村悟史と言う男性は間違いなく山村奈緒子と言う女性の父親だった。空港のはずれにあるプレハブのアパートで暮らしていた。無口な男性で、仕事はまじめと評価してあった。

なかなかのハンサムで頭もよさそうに見えるが、彼の妻はなぜ結婚した男が妻に望まない浮気と呼ばれる行為をしたか・・・オレは、それは単に人間と言う生物の自然の姿だと最初思った。しかし、それは人間の脳の発達に比例して生殖のコントロール機能が弱体化し、発情期を抹消した結果である。その機能の回復は、人間の知能の更なる発達を待つしかない。



YY55の貧乏体験記


繰り返すがYY55は、枕草子に書かれている天皇家の猫『上にさぶらふ御猫』を先祖に持つ。そして・・・「彼は、大阪の天王寺公園に行った。近くに通天閣が見えていた。彼は、公園の石段の上に腰を落として大きくあくびをした」と前のページに書いた。

その後、彼はブラブラと歩いて通天閣の方に行ったようだ。新世界と言う街を歩いている。辺りには下町独特の色とりどりの看板が立て横に並んでいて「日本一**」と書いた看板が多い。通天閣の塔が彼の目の前に見えていた。

YY55は、どの様な貧乏体験をするのだろうか。

彼は「ジャンジャン横丁」と言う狭い通りを歩き、そして「将棋、囲碁」とガラス窓に書いた店の前に佇んで中を覗き込んでいたが何を思ったのか店の中に入って行った。

「賭け将棋」と思ったが将棋クラブの張り紙には「その筋のお達しにより賭け事一切お断り致します」と書いてある。

すると彼は時間つぶしで将棋をさすつもりなのだろうか。とにかく「貧乏体験」だから、場所としては申し分ないエリアなのだが現実に乏しい貧乏体験になるかもしれない。

YY55はプライドを持っているので、こういった場所で彼の心が傷つく事が案じられた。

しばらくすると店の中からどよめきが聞こえてきた。

中を覗き込むと、YY55が数人を相手に勝負をしていた。囲碁が二人、そして、なんと将棋は三人と指している。どれも優勢のようだ。

次第に、勝負師達がYY55の勝負に興味を持ち始めた。

「つよい・・・」誰かが言った。取り囲んでいた連中が皆頭を振って肯定した。

「この人は、プロやおまへんか?」

「そやな・・・誰か、知ってますのか?」

皆は顔をあわせて互いに否定した。

対戦相手達は、頭をかいたり両手で顔をポンポン叩いたり、腕組みをしたり、とにかく呆然と駒や石の行方を眺めている。YY55は、間髪をいれずに相手の読みを打ち砕いた。

「あんさん、すごいでんな!」対戦相手の一人が言った。

将棋においては取った駒も使わず、囲碁においては難なく相手の石を取り囲んだ。

そして、結局、YY55は手持ちの十万円で二ヶ月間、将棋クラブで過ごした。


OS43とVB03(私)の貧乏体験記


私は、とにかく貧乏してきたので今更「貧乏体験」でもあるまい。そしてOS43はロボットだから、彼も「貧乏体験」は必要なかった。

しかし、二人でサンホセの路上で立っていると「ホームレス」のようだった。私は、セーフウエイ・マーケットのゴミ箱にあったダンボールをもらい「HOMELESS(ホームレス)」つまり「家なし、宿無し」と書いてみた。それをもって路上に立って実感してみようと計画したが本物のホームレスの男を見て、考えを変えた。サラにもらって首にかけている「ジェネシス・ロック」と呼ばれる水晶のペンダントがリンリンと鳴り、私の心を打った。

サンホセ市には六つのシェルターがあり、家のない人達に手を差し伸べていた。行き場のない母親と子供、妊娠している女性、父親が仕事をなくして銀行に家を取り上げられ、住むところのなくなった家族、身体障害者などがシェルターで生活をしている。世界で一番金持ちが多いといわれているアメリカで、そして、コンピューター産業のメッカといわれているサンホセで、多くの人達が食うや食わずの生活をしていた。空腹で、ベットの上で小さな子供が泣いていた。若い母親は途方にくれて頭を抱えていた。感情的な意見ではなく、現実だ。人間社会は格差社会である。平等の人生の時間の中に人間の作った副産物である金銭が重きを置いていた。「ハーバード白熱教室」と言うテレビ番組で有名なマイケル・サンデルは、彼の著書「What Money Can’t Buy(それをお金で買えますか)」の中で経済市場の倫理や正義感を問うているが、現実的には偽善でも金銭の援助の方が価値があると、私は思う。

腹をすかした子供を見る母親の目、彼女の心の辛さは他人では計り知れない。ホームレスの老人が餓えている。彼の両親は、彼のこの姿を見たくて産み育てたわけではあるまい。身体障害者が車イスの上でじっと空間を眺めていた。彼が望んでなった身体障害ではない。

「人は誰でも幸福で自由な人生を・・・」と、民主主義国家の憲法では明記されている。だが、現実はどうか。

「平等な社会においてのみ、社会の健全性・安全・道徳および世界平和は維持され、人々は幸福に生きることを証明した」と言う言葉を、ある本の中で見た。しかし、私は「平等の社会とは?」と、考えてしまう者だ。神は平等と言う言葉を人間に与える前に、試練を課した。それは、市場経済の矛盾に左右されない強い意志を持ち、マイケル・サンデルの言うように「倫理」と「正義」に生きる事だ。

「OS43 この人達を、何とか助けられないものかな・・・」と私はドラエモンを先祖にもつOS43に聞いた。彼は、例の大きな黒い眼を開いて空中を見ていたが「たすけよう・・・」と、つぶやくように言った。

「ロットを当てるのはどうだろう?」

「あれは、ZZ01が誰かに使ったから、もう使えません」

私は、内心ドキリとした。私が私自身を経済的に豊かにする為、ZZ01をだまして得た当りのロット番号のことではないだろうか。

「しかし、ロットの当たり番号など簡単に調べられるだろう?」

「規則です」とOS43は眼をぐるぐる回した。

「規則?そんなのあるの?」

「あります。一度使うと、しばらく使えない」

「何日ほど待つのかな?」

「30年から50年です」

「・・・・・」私は言葉につまった。

私は意を決して「私の使った当りロット」の事をOS43に話した。そして、2010年に戻って私のコンピューターから例の当りロットの番号を消すことにした。貧乏でも幸福を信じたい。

OS43 は、丁度私が2010年の家に戻った時に移動してくれた。


・・・そこには私がいた。壁にかかっているカレンダーを見たら日曜日だ。私でない私、つまり過去の私は机に向っていた。古いコンピューターがあり、彼はタイプを打っている。

スクリーンを覗いてみた。CHASEのセカンド・モーゲッジ(第二抵当者)に対する支払い遅延の言い訳のようだ・・・そして、少し時間を飛ばし、私がコンピューターにロットの当り番号を書くところだった。・・・“親愛なる2010年の私へ。私は少し未来から来たあなただ。ロットの当たり番号を教える・・・私は、書いた言葉をスクリーンから消し去った。これで、私は一生、貧乏から抜け出せないかもしれない。しかし、それでも「ホームレス」の人達より幸福である。家があり家族があった。この当りのロットで、数多い人達が幸福になれる。

私は彼(私)のコンピユーター・スクリーンに「頑張れ!あきらめるな!」とだけ、書いた。私の後ろで、OS43が例の大きな黒い眼を空間に向けていた。



私とOS43はロットで得た150ミリオンのお金をあちこちの施設に分配した。しかし、それでもお金は不足だった。

「OS43、お金で社会は変えれないね。あの人達が皆幸福になるには何が必要なのだろう?」

私の言葉に、OS43は空を指差した。(サラ・・・私は、2300年の大統領を思い出した。全てのスパコンを破壊し、男性をこの世から追放した女性)

「皆が幸福になるには男性がこの世からなくなる事なのだろうか・・・」

私は65年間、男性として生きている。少しは世の中の役に立ったと思うのだが、男性として存在が否定されることで人々が幸福になれるのなら、現在行なっている「男権復活運動」は、間違った行為と言うことになる。



再び「日本男性クラブ」(初期の男性自由連合日本支局)


ZZ01、YY55、OS43、そして私の四人は、日本男性クラブにいた。

「結局、分からない・・・」とZZ01が言った。

「人間社会は面白い」とYY55が言った。OS43は、空間を見ている。

私は、コホン!と咳払いをして言った。「皆さんには、人間社会の底辺を経験していただいたと思うのですが残念ながら、まだまだです」

「・・・・・・」三人は口を閉ざした。

「つまり貧乏は、選択では経験できないという事です。心から貧乏人になるには、先ず自分だけの利益を卑猥に考える必要がある。己だけでも助かりたいという・・・例の『蜘蛛の糸』のような話・・・知ってますよね。つまり貧乏人は心が貧しいこと。醜い心と経済的貧窮は一体化していなければならない。しかし、あなた達の心は美しすぎます。その美しい心が女性を労(いた)わり、女性の社会を作ってしまったということです」

私は、学校で生徒に教えるように話していた。しかし、本当に社会を変えるのに貧乏体験が必要なのだろうか。社会の底辺に位置する人達のすべては、経済的に貧窮している人達であるが「貧乏」と言う言葉が全ての人に当てはまるかどうかは定かでない。単に、その人が他人と比較する位置にいて、自分が経済的に他者より低く生活が不自由であると言った類であれば、それは「貧乏」とは言えない。精神や心の動きまでは比較できないからだ。

すると「貧乏」を体験しても、それが社会改善に繋がるとは思えない。

「計画を変えましょう」と私は言った。

三人は「&*^%%$#@@」と、例のわけの分からない言葉を低く言いあった。

「何か質問でも?」と私が言うと、ZZ01が「面白いのになあ・・・」と、スパコンらしくない人間の考えるようなことをつぶやいた。

「囲碁や将棋も大変楽しい」とYY55も言った。

「皆さん、それです。その面白い体験が良くない。それは、貧乏にふさわしくない」

皆黙った。

私の当初の計画は、つまり・・・前ぺージに書いたように、実質年齢が65歳の私は、狡猾にも2300年の未来から来た若者達に20世紀から21世紀に渡る経済格差社会の矛盾を彼達の能力で改善してもらおうと計画していたのだ。しかし、このままでは、私の計画は上手く行かない。彼達が20世紀から21世紀の大金持達を、社会から葬り去るのをこの目で見る楽しみがなくなってしまう。文豪ディケンズの作品「クリスマス・キャロル」に出てくる主人公のスクルージは無慈悲で守銭奴、そして、薄情者だったがクリスマスの精霊が改心させた。

ZZ01、YY55、OS43には「クリスマスの精霊」になってもらい、社員達を無慈悲に解雇して自分達だけ利益をむさぼっている大富豪達を改心させなければならない。

「ま・・・貧乏体験は、これでいいか。止めて、別のテーマに移りましょうか?」

三人は不満そうな顔を露骨に見せた。彼達は21世紀の何に興味を覚えたのだろう。

「皆さん。この世紀は、朝から晩まで働いても、経済的に十分潤うとは約束されていません」

「でも、楽しい」と皆が声をそろえた。

「そうです。つまり楽しいのは、皆さんが社会的地位とか経済的なものから束縛を受けていないからです」

「どうして、束縛を受けなければならないのか、分からない」YY55が言った。

「えっ?それは、変な質問です・・・」私は内心戸惑った。確かに、社会的なことを気にしないで生きることも出来る。学歴、地位、金銭、名誉、それに色々な欲求。人は他人の成功を嫉妬し妬むが自己満足で自分の現状に納得できれば、幸福と言う言葉が使えるのだ。

「あなた達未来の人は、お金に束縛されていない。従って、経済的束縛を知らない」

「経済的束縛?」

「つまりですね、例えばクレジットカードとか家のローン等の支払いとか、とにかく手に負えない負債ですよ。簡単に言えばお金のないこと」私は自分の過去の経験から、確信を持って言った。

「ああ、お金・・・例の人間の使う最も無駄な産物ですか?」

金銭が無駄な産物とは、以前沖縄で現金を彼達に用意してもらった時、聞いていた。

「貨幣は無駄な産物ではありませんよ。人が幸福になれる」

「貨幣は人間社会の法によって規制された価値尺度でしょう?自然じゃないですね。だから、惑わされる」

「惑わされる?」

「そうです」

「分からない」と私が言うと、ZZ01が答えた。「例えばお金を一杯持って無人島に一人暮らしても、貨幣価値はありません。二人いたとしても貨幣は価値を持たない。三人いても、四人いても、五人いても、六人いても、貨幣は価値を持たない。で、なぜ人間社会で貨幣が価値を持つのでしょうか?答えは簡単です。人間は利己的な生物にもかかわらず、他人を意識して生活しているからです。いや、せざるを得ないのが人間の生物学的本質です」

「未来人は他人を意識しないのですか?」

「良い質問だ。未来人は、神を意識しています」

「・・・・・・」

「我々の云う『神』とは、人間の信じている『神』と少し違います。あなたは月に行きましたよね」

「行きました」私は再びサラを思い出した。

「月面で何か感じましたか?」

「月面で・・・」私は、あの月面で大宇宙を越えた精神力を覚えた。超感覚的な神秘性、心霊上の思考などが自然に私の意志をコントロールした。

「あなたは、月面で神と接触できたはずです。透き通るような感性を覚えた時、あなたは神と一緒だった」

「ああ、あの感覚ですか・・・」

「そう。自然な精神の感覚、つまり『無』の状態です。禅の修行僧の到達点よりも、さらに高いところにある『無の境地』。そこに人々が到達した時、初めて人間社会は清められます」

「なるほど、金銭などに左右されない安定した幸福社会が出来上がるわけか・・・」

「ま、そんなとこです」YY55がZZ01に代わって答えた。

「でも、なぜ男性は、社会から追いやられたのですかね?」私は、この未来人達に皮肉を言った。

「それそれ・・・それを探しての旅でした・・・」

「もう一ツ質問があります。私とサラの関係に固持するのはなぜでしょうか?」

「それは・・・ZZ01がパワーを取り戻す為です」

「でも、彼は十二分にパワーを持っているじゃないですか。もしかしたら、この社会まで作り変えるような」

「僕は・・・」ZZ01が口を入れた。

「僕は・・・『神』が分からない。だから、サラに勝てない。だから、男性が社会の方片(かたすみ)に追いやられた」

「『神』ですって?まさか?誰も、分からないでしょう。素直に受け入れて、サラ大統領と和解したら良いではないですか」

「『和解』ですって?女性と男性が和解する?誰が出来るのです?」YY55が聞いた。

「話してみると、上手く行くかもしれない。例のあなたの友達のニャアに仲介を頼むとか・・・それに、サラ大統領には理性と人間らしい心の暖かさがあります」

「^&%$$#@*((#))」ZZ01

「(#)*&)」YY55

「・・・」OS43

「皆さんが男性の社会的地位の復活を2300年に取り戻すことには賛成です。しかし、どうも、取り戻す過程に何か間違いがあるような気がします」

「間違っているですって!」ZZ01が声をあげた。

「ええ・・・」

ZZ01は大きく腕を広げ両手を上にあげるような大げさなジェスチャーをした。「僕が間違っているなんて!そんなバカな!僕に間違いがあるなんて・・・」

「ZZ01、あなたは『愛』って分かりますか?」私は、何故かキリスト教の牧師のようなことを言っていた。

「『愛』?」と彼は言い、長々と百科事典にのっているような愛の意味を説明した。

「良く出来ました。そうかもしれない」

「でしょう?」

「でも、『神聖な力』までは理解していないようですね」

「『神聖な力』?」

「そうです・・・それは、たとえばこの大宇宙からもたらせた『生命』と言う『モノ』、簡単に言えば、生きているから全てがあると考えても良いわけです。宇宙的なエネルギー、それが『神聖な力』だと私は考えています」

私の考えは多分、胸にかけている例のペンダントに影響されていた。

65年間、人間の男性として生きてきて、何度も挫折を味わってきた。特に、社会的な成功には恵まれす、従って「貧乏」と言う言葉の上に「心」が腰掛けている。理性より欲に動かされやすく食欲、金銭欲、物欲、色欲、権力欲、名誉欲、睡眠欲などを抑止する力は弱かった。人間には、欲望は必要不可欠なもので欲を限界までため込むと、人間でなくなるとも言われているがこの「欲望の理論」からすると私は確かに『人間』である。どれも低い欲の水準で終わっている。人間は欲を満たす為に考え行動をとる生物だ。欲を満たすことには快感が伴う。

ZZ01やYY55が「楽しかった」「面白かった」と言ったのは、彼達が人間に近づいている証拠だ。スパコンと高貴な猫が我々人間の領域に入り込み、私の計画通りに私の要求を満たしてくれる時、私は65年の人生の中で一番の「快感」を感じるはずだ。

「ところで、私は2018年に戻って私のパソコンにセーブされているサラ大統領の祖先を消さなければならないでしょう?」私は突然、彼達が私の前に現れた時言った言葉を思い出して言った。

例のかわいい女の子のポートレートがコンピューターの中にある。そうする事で、スパコンであるZZ01のパワーがより強くなると彼達は信じていた。

もちろん「ポートレートの女の子」は2300年の大統領であるサラの先祖である。




再び月に行く


どういう訳か、私達は月に行く事にした。人間の七欲を考察する為であるとZZ01は言った。私を除いては、皆酸素を必要としない連中だ。私は、サラからもらっていた例の酸素ガムをクチャクチャ噛みながら、彼達と一緒に月面に降り立った。

「ほら、VB03(私)、このあたりですよ。アメリカのアポロ11号が着陸したのは」YY55の言葉に私はあたりを眺めた。例の、飛行士達の足跡があちこちに残っていた。

1969年7月20日、アメリカの月面着陸船「イーグル』が「静かの海」と地名付けされている月面に着陸した。

「これが・・・」私は、感動を覚えた。地球と違う灰色と黒の月面は、満月の明るい夜に学校のグランドにいるようだ。

月面に、人間の一歩を置いたアメリカの宇宙飛行士をテレビで見たのは、私が18歳の時だった。月面に一歩を踏み出した月着陸船の船長アームストロングは”That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.”(これは、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ)と言った。

「あの時の感動が蘇りました!」と、私は近くにいた三人に少し声を高くして言った。感激していたからだ。ZZ01はポケットに手を入れて、サラのいる月面の方に目を向けていた。OS43は、地平線の向こうの、墨のように黒い闇に浮かぶ青と白の美しい地球の方を見ていた。

「ところでYY55、地球の人間の間にはアポロ11号の月面着地捏造疑惑がありますが・・・ほんとうに来ていたのですねえ・・・」

「来ました。でも、無謀だった」

「えっ?」

「当時の人間の科学力では、克服できない事がたくさんありました。太陽フレア、バーレン放射帯、微小隕石などの問題が完全に把握ができていなかった」

「?」私は、思わず近くの地面にある無数の足跡に目をやった。実は、私達は地上から少し浮いていて、地面には私達の足跡は付かなかった。なぜ少し浮遊しているのか未だ聞いていないのだが多分、人間の印した歴史的な足跡を残す配慮かもしれない。

「アポロの月面着陸まで、時間を戻ってみますか」YY55が言った。

「本当ですか?本当に戻って見れるのですか?」

「ええ、もちろん簡単ですよ。でも、姿は消しておきましょう」YY55は、ZZ01とOS32に話して、私達は1969年の7月20日に戻る事になった。


月面のクレーターの石に腰をかけて上空を見上げていると、キラリと光るものが現れた。「あれです。あれがアポロ11号の指令船『コロンビア』です」と、YY55が指差した。

「あれですか・・・」私は感動のあまり感傷的にすらなっていた。あの歴史的瞬間を実際に目にしているのである。常識では考えられない事だった。

やがて、花火が空中で炸裂するように、複数のランプの灯りが母船のコロンビアを離れた。着陸船の「イーグル」が母船から切り離されたようだ。

四個の光は着陸脚に取り付けられた着陸燈で、真ん中はジェット噴射だろう。少しづつ近づいてくる。定まった航跡ではなく、蛍のように浮遊して飛んでいるようにも見えた。

「あのまま行くとクレーターの上に落ちてしまいます。このあたりで少し、援助しましょう」YY55は、ZZ01に言った。ZZ01が手の平を「イーグル」に向けた。傾いていた着陸船の体制が元に戻った。そしてZZ01は少しづつ手を近くの平地に移動し、まるで宇宙船を紐で操るような動作を続けた。

「%553$^%04026.69&&232822.69・・・静かの海」とZZ01の言葉に、YY55とOS43がうなづいた。

そして「イーグルは」我々の真上に近づいてきた。ゆっくりゆっくり降下して来る。

「コンピュータが誤作動している・・・随分古いコンピューターだな・・・訂正した」ZZ01がつぶやいた。

「燃料があまりないようだ・・・あまり飛ばしていると疑われるので、後40秒ほどでこちらに持ってくる」

つまり、現在の「イーグル」は自分で飛んでいるのではなくヒューストンとイーグルの乗組員のコムニケーションに合わせながらZZ01が念力のような力でイーグルを動かしているのだ。

「30フィート(9メートル)」蜘蛛のような形の月着陸船が目の前に迫っていた。

着陸船の小さな窓から宇宙服を着た人間の姿が見えた。ZZ01が少し動いた時、着陸船がぐらりと揺れた。私はヒヤリとした。私が18歳の時、寝ずに深夜放送のテレビの画面で見た光景が目の前に起こっている。

数分後、1、2メートルほど突き出ていた棒が月面に触れ、四本の着陸用の脚が着地した。7月20日に二十時十七分 (UTC)、人類が月面に到着した瞬間だった。しかし、ジェットのノズルからは弱いジェット噴射が続いていた。月探査船はZZ01が誘導して着地させたので、乗組員は未だ月面に着地しているとは思っていないようだ。

「VB03、パイロット達の声を聞きたいですか?」とYY55が言った。

「ええ、できれば聞きたいですね」

「では、これを」と彼が私に手渡したのは小さな耳栓のようなモノだ。耳の中に入れろと言う。

それを私の耳に差し込むと、直ぐにパイロットの声が聞こえてきた。

「ニール(アームストロング船長)、着いたようだよ?」

「オーケー、バズ(エドウィン・オルドリンの愛称)」

「やれやれ、無事に着いた。感動だね」

「思ったより、上手く行った・・・」

「退屈ではなかったね。汗かいたから」

*笑い声

「さて、第一声の準備だ」

「俺が先に言って良いかい?ニール」

「例の感謝の言葉だろ?」

「ああ、そうだ。神のご加護無しに、こんなこと出来ないからね?」

「それは、そうだ」

アームストロング船長が同意すると、オルドリンが「こちらは月着陸船のパイロットです。私はこの放送を聞いている人達がしばらく手を止めて、この数時間に起こったこと出来事に、私達とともに神に感謝して欲しいと思います」と言った。

この言葉は、地球のアンテナからナサの管制室、そして全世界のメディアに流された。

当然18歳の私も聞いているはずである。

「『神』って、皆さんですね」私は横に立っている三人に言った。彼達は、未だ心配そうに地球から来た無邪気な着陸船を見守っていた。神のように。確かに彼達は神のように見えた。身体は浮遊し、光のバリアーで覆われている。人間の七欲を持たず、見返りを考えず無心のエネルギーを持っていた。

「バズ、さて外に出ようぜ」アームストロング船長の声だ。彼は、着陸船の三角窓から外を眺めている。私は、彼に手を振っていた。もちろん、彼から私達は見えない。

一時間から二時間後、ハッチが開いた。そして足先から現れたが背中に背負っている箱形の生命維持装置がハッチにつかえて、なかなか船外に出られないようだ。

私達四人は着陸船まで歩み、アームストロング船長が船外に出られるように助けた。やがて、彼はそろそろと芋虫のように外に出て梯子を伝わり、一歩一歩月面に向けて降り始めた。顔全体を覆うヘルメットの中のアームストロング船長の顔が紅潮している。と、彼の足が滑った。私は「危ない!」と思わず声を出し彼を支えた。

「大丈夫ですか?」と、英語で言った。

「ありがとう・・・」と船長は言い、ハッとしたように辺りを見回した。私たちの姿は見えない。彼は、船外の撮影用機器のスイッチを入れる紐を引っぱった。そして九段の梯子を降り、最後の一歩が月面の土に触れた。船長の着地した左足に静かに彼の体重がかけられて行く。恐る恐ると言った様子にも見えた。そして、次の右足が着地した。アームストロング船長は自分の状態を確かめるようにして言った。

”That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.”(これは、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ)

(これだ。この言葉を私達地球人は感激して聞いた)

そして、アームストロング船長は月面を数歩ほど歩いた。着陸船の窓からパイロットのバズ(エドウィン・オルドリン)の顔が心配そうに覗いている。

船長は、トコトコと歩いたりジャンプしたりした後にオルドリンの方を見て手を振った。そして、外に出ろと言うように手で合図した。

やがてオルドリンがハッチから姿を現した。彼も感慨深そうに月面を踏みしめ右手で十字を切った。そして、遠方に見える地球に目をむけ両手を胸の前に組んだ。アームストロング船長がオルドリンの前に来て「やあ!バズ」と言い、二人は握手をした。そして、船長はカメラを取り出し「記念撮影だ」と言い、オルドリンを少し離れた場所に立たせた。地平線の向こうには青く美しく輝く地球が見えている。

「用意は良いかね、バズ。はい、チーズ」と、船長は地球上のように言いカメラのシャッターをきった。

実は、私はアームストロング船長の横に立っていた。カメラには私の姿は写らないはずだったが後で地球に戻って見た写真には、ヘルメットに船長の姿と私の姿が幽かに写っていた。それは、よほど注意しなければ分からないものだ。

アームストロングとオルドリンは観測機材を月面上に設置したり岩石などを収集したり、窮屈そうな宇宙服で動いた。私は何度も彼達の仕事を助けたが彼達には、その全てが偶然もしくは神のご加護と思われたに違いない。

しかし、突然と東にある巨大なクレーターの影から大きな葉巻型の宇宙船が現れた。

「アッ!宇宙船です。巨大な宇宙船!」私の声に、ZZ01、YY55、そしてOS43がゆっくりと月着陸船を囲んで立った。

「来たな・・・」ZZ01が言った。

「予想したとおりですね」YY55が言い腕を組んだ。OS43は、例の大きく黒い目で空間を見ていた。

やがて葉巻型の宇宙船から5機のUFOが飛んできた。

月着陸船の宇宙飛行士達も気付いた。

「あれは何だ?」オルドリンが宇宙服の中で叫んだ。

アームストロング船長は地震計を設置していた手を止め、ゆっくりと白い宇宙服を声の方向に向けた。

「・・・・・」彼は、声を出さなかった。

「ニール!」オルドリンの言葉に船長は「夢だよ、バズ。錯覚。仕事を続けよう」とだけ言った。船長は事前に、NASAから、このような場合、異星人に敵対心が無い様であれば無視するようにという指示を受けていた。

UFOから放された光の帯がサーチライトのようにあたりを照らしている。

影が四方八方で短く長く動いていた。

その時の写真は人影や物影の向きが四方八方と違っており、アポロ11捏造疑惑を巻き起こした理由の一ツになった。

近くに立ててあったアメリカの国旗が、UFOの浮遊の為か風にあおられるようになびいている。

ZZ01がUFOに向けて両手を向けた。OS43が葉巻型の宇宙船に大きな目を向けた。すると、しばらくしてUFOは、尾を落としておびえる犬のように、ヨタヨタと母船の方に引き返して行った。葉巻型の母船も一瞬のうちに暗い墨のような宇宙に姿を消した。

「ニール!見えなくなった!」オルドリンが驚きを隠せないように言った。

「な、言ったろう・・・幻覚だって」

「しかし・・・リアルだったけどな・・・」オルドリン飛行士は葉巻型宇宙船のいた辺りを呆然と眺めながら、つぶやいた。宇宙飛行士として、精神をコントロールできなかった事に恥じたのかも知れない。しかし、彼が月面で見たUFOは真実だった。だから、アームストロング船長はオルドリンの言葉に背を向けていた。彼は一度も、宇宙船に目を向けなかった。現実を視覚に捉えない事で自分の精神の動揺を押さえ、アポロの船長としての責任を遂行したのだ。

そして、私が現実に住んでいた二十一世紀では、彼達宇宙飛行士が月面で遭遇した未確認飛行物体のことは、公然の秘密になっている。

二時間ほど経った後、ナサの管制センターより月面活動を終えるよう指示が来た。先ず、オルドリンが着陸船に戻り、それを見届けてアームストロング船長がハッチの中に入って行った。

彼達の姿が着陸船の中に消えると私はZZ01、YY55、OS43のいる場所に戻った。

「どうです?楽しかったですか?」YY55が聞いた。

「感激しました。あの場面を目の前に出来るなんて・・・それに、葉巻型の宇宙船やUFOが・・・夢の中のようです。信じられません」

「まだまだですよ。人間の月着陸船は月から離れられない」

「えっ?そんなバカな。彼達は無事地球に戻ってきましたよ。新聞やテレビで見ました。それに、ウキペディアなどのウエブにも書いてあります」

「もちろん。私達が帰したのです。良いですか、先ずエンジンが始動しません」

「エンジン?」

「はい。上昇用のエンジンです」

「すると、月の軌道を回っている司令船に戻れないということですか?」

「そうです。でも、私達が助けました。この、人間の月面着陸を成功させるためでした」

「成功させるために」

「そう・・・人間に、宇宙のモラルを教え込む必要があります。我々は全能の神のもとで宇宙の空間を移動しています。もちろん神とは、あなたたち人間のイメージする神ではありません。私は、人間の言葉を借りて話していますので『神』と言いましたが実は、あなた達人間が呼称するところの『神』に近い摂理と申しましょうか、それは『慈愛』と言う字の意味にも近い。とにかく巨大な愛に満ちたエネルギーです。しかし残念な事には、この人間の月着陸に対して懸念を持つ宇宙人もいるということです」

「・・・・・・」私は、深く息を吸い込んで出した。

「上空に巨大な葉巻型の宇宙船が現れたでしょう?。そこから、偵察用のUFOが飛んで来た。彼達は、このアポロ計画を失敗させようとしていたのです。それを阻止するのが私たちの役目でした」

「どうしてあなた達が地球の人間を、守るのですか?」

「我々は、地球で出来たアンドロイドで2300年から来たのは知ってますね?」

「はい」

「私達は、地球が好きだからです。こんなに美しい惑星は他の宇宙にありません」

私は、暗黒の空間に青と白に輝いて浮かぶ地球を誇らしく思った。我々は守られていたのだ。



月着陸船イーグルの船内に戻った宇宙飛行士たちが睡眠の後、離陸の準備を始めた。

「しまった。スイッチが壊れている」着陸船の中から声が聞こえた。パイロットのオルドリンのようだ。

「スイッチ?どれだ」アームストロング船長が怪訝そうに声をあげた。

「エンジンを起動させるブレーカーのスイッチが何かにひかかって壊れたみたいだ」

「下に、落ちていた。これだな・・・これ、合わないか?」

「いや、折れている。何かで押してみるか・・・」

ジージーと音が聞こえていた。

「だめだ・・・起動できない」

「クソッ!ここまで上手く行ったのに。月面で戦死か」

「戦死?戦っていないのにか?」

「?」

「戦場でなく、月面だよ」

「神に祈るとか」

「それも必要だが・・・諦めたくないね」

「オレもだ。家の近くに美味しいレストランが出来てね。月から帰ったら、家内とたらふく食事をする事にしているんだ」

「では、何とかエンジンを始動させて家に帰ろうぜ」

宇宙飛行士たちは狭い船内で不安を抱えながらも希望を捨てなかった。

「ねッ。エンジンが動かないでしょう」YY55が言った。「次に彼達がスイッチに手が触れた時、こちらでエンジンを起動させます。OS43、準備は良いか?」

YY55の言葉にOS43が例の大きく黒い目を開いてうなずいた。

OS43は着陸船に行くと、エンジンに何かを取り付けた。そして、帰ってきた。

「準備、できた」

「よし。では相手に気付かれないように、上手くタイミングを合わそう」

彼達は着陸船に視線をあてた。

私の耳には例の耳栓のようなアンプリファイア(拡声器)を通して中の会話が聞こえている。

「だめだ・・・動かない」少しあせり気味だ。

「こちら、ナサの管制センター。直ちにエンジンを起動させ、司令船コロンビアに帰還せよ」

「こちらイーグル。了解」とアームストロング船長が答えた。

アームストロング船長はオルドリンに「バズ、このボールペンでどうだ?スイッチに使うか遺書を書くか、好きなように使ってくれ」と言った。どうやら、ボールペンを壊れたブレーカー代わりに使うようだ。

「下手なジョークだ」とオルドリンは、ボールペンを受け取った。そして、ボールペンを壊れた穴に差し込んだ。OS43が手を動かした。

「ゴー」と音が上がった。と、同時に着陸の下のノズルから噴射が起こった。

「やった!動いた」オルドリン。

「こちら、イーグル。これより母船に帰還する」アームストロング船長がナサに連絡した。

ナサの管制センターから「イーグル。了解。コロンビアは現在月の裏側を飛行中」

「了解」

月着陸船イーグルは、ゆっくりと上昇を始めた。しかし、突然ジェット噴射が止まった。すかさずZZ01が手の平を向けて支えた。OS43が黒目を向けてしばらくする再びジェット噴射が始まった。

イーグルは右や左に動きながら次第に月面から離れて行った。



サラに合う


「皆さん、ご存知だと思いますが、この月にはサラ大統領の宮殿があります」私は、例のかぐや姫のことを思い出していた。

ZZ01、YY55、OS43は、月の石に腰をかけて足をぶらぶらさせ、地球を見ていた。例のアメリカの月面探査船「コロンビア」は今頃、地球に真っ直ぐ向っているはずだ。

「皆さん・・・」と私は、再び声をかけた。

「ああ、地球はいいなあ・・・。又、2013年もどりたいなあ・・・」誰かがつぶやいた。彼達は例の二ヶ月間における「貧乏体験記2013年」を懐かしんでいるのである。

「・・・・・」私は、まじまじと三人を見た。なぜ、あの様な体験を気に入ったのだろう。この月面における神秘な光景も、慣れると普通の光景になってしまうのだろうか。

「皆さん、サラ大統領に合いませんか?」私は三人に声をかけてみた。

三人が一斉に私のほうを見た。

「・・・・・・」考えている様子だ。

「&&8=^%」例の宇宙語だ。

「+」*&^」

「#@&^」

「どうですか?サラ大統領に会って話したほうが2060年や2100年に行って調査するより有効ですよ」

「僕はいやだ!」突然ZZ01が声をあげた。「あの女は魔物だ。話し合いなんかできるものか」

「ZZ01はサラ大統領は嫌いですか?女性として如何ですか?私は好きですけど。顔も品があるし教養もある、そして何より優しいですよ」

「まさか。あの女は悪魔だ。現に人間の男性は数え切れないほど命を落とした。ベルトコンベアに乗せ再生マシンに送り込むんだ」

「でも、ZZ01はスパコンでしょう?サラは、あなた達三人の男性を再生マシンに送らないと思います。私も男性ですが無事でした」

「VB03は、サラの先祖と懇親だったから・・・我々だったら、命は・・・」とYY55が言った時「ニャア、ニャ」と猫の鳴き声がした。そして「ワンワン」と犬の鳴き声だ。空気のない月面で声など聞こえるはずがない。しかし、月面におけるコミュニケーションは、テレパシーのように直接伝わってくるので、相手との間の伝道物質は必要ない。つまり骨伝道で鼓膜を震わせているようなものだ。

声のほうを見るとサラ大統領の飼い猫の「ニャア」と犬の「ワン」が近くのクレータの上でからこちらを見ていた。「ニャア」の目が黄金の月のように輝いている。

「ぼ、ぼくを壊すつもりだ・・・」ZZ01がどもりながら頭を抱えた。

「大丈夫です。『ニャア』は友達です」とYY55が言った。

しかし、スパコンのZZ01は、サラが言ったように「落ちこぼれの京君」になっていた。彼の先祖である日本の誇るスーパーコンピューター『京』は、2012に完成し「TOP500」(世界で最も高速なコンピュータシステムの上位500位までを定期的にランク付けし、評価するプロジェクト)で2013年までに一位、二位、そして「HPCチャレンジ賞」や「ゴードン・ベル賞」などと言うスパコン関係の賞をとっている。

現在の「落ちこぼれ京君」とサラが呼ぶスパコンは2013年の彼の先祖に比べて一億倍もの能力を持ち、人間の神の域までも到達していた。しかし、それでもサラにはかなわないようだ。サラは2300年の地球世界の大統領、女性国家の元首で絶対的権力を持つ女性である。完全な人間であるがスパコンを壊してしまうほどの能力を持っていた。

一体、一介の人間がスパコンを上回る巨大な能力をもっているのか、1950年代生まれの私には全く理解できない事だ。多分漫画や小説や映画などにあるSFやファンタジーの世界と同じなのかもしれない。突然変異や神の力で人間以上の能力を持った人間、そして遺伝子を操作して優秀で強力な人間を作り上げた・・・程度しか私には想像できなかった。現に今体験している事さえも、夢の世界であり、いずれ目覚めるのだとさえ思っている。そして、妻の作った朝食を食べ大好きなアメリカン・コーヒーをマグ・コップで飲み、いつものようにコンピーユーターでアメリカのオンラインにつなぎニュースを読む。飽きたらアメリカで購入してたデック(フィリップ・キンドレド・デック)の小説を読む。

デックは「貧乏」を体験している作家だ。彼の作品の「ザ・ゴールデン・マン」などでは、コミカルに貧乏生活が描いてある。時代は違うが私が住んでいたサンホセと、彼の住んでいたバークレイは遠くない。デックは、形而上学的洞察を求めた作品を多く書いている。ほとんどの作家は貧乏なものだ。従って、人並みの社会生活を送ることは容易ではなく「交換条件」が伴う場合がある。たとえば、私の40年来の友人でアメリカのライターであるトム・フーチェスは、現在もハリウッド近くのアパートに住んで活動をしている。彼は文学の世界に身をおくことで、独身を通している。

私は幸運にも年上の女房に拾ってもらった。彼女は、元農林省の官僚であった父親の残した家を、末っ子にもかかわらず譲り受けた。父親は娘が文学青年と結婚した時、将来を懸念して、この小さな家を娘の為に残したのだった。

私達はアメリカから戻った後、自分たちが出来るだけ快適に住めるように自分たちで家を修理した。小さい家だが彼女の親は「歳をとって大きい家に住む必要はない」と言ったと云う。結婚する前に彼女の父親と話した時「娘は貧乏に耐えることが出来るから」と言われた。今考えてみると、親としての最大の気配りだった。

(夢・・・)私は目を閉じて、そして開けた。しかし、目の前には輝くような灰色をした静寂な月面が広がっていた。

「ニャア!」再び猫の声だ。「ワンワンワン!」犬が鳴いた。私はきな臭い匂いをかいだ。地球上で石と石をぶつけると同じような匂いがする。これは月の土壌の匂いだ。微小隕石が月面に衝突するさいに生じる匂いが、土壌に閉じこもっていた。それが月面を歩くと突然に立ち上って来る。もちろん私はバリアーで囲まれ、身体は地上から幽かに浮き上がっている・・・なのに、どうして土壌の匂いをかいだのだろう。

私が始めてサラと月に来た時も「ニャアとワン」が現れた。その時にも、確か月の土壌の匂いをかいでいる。臭覚機能と関係のある大脳辺縁系は、記憶の保持と想起を行なうので、臭覚の記憶にスイッチが入ったのであろうか。

「確かに月にいる」と私は、思った。

ニャアとワンは靴の形をした乗物に乗り、ゆっくりと我々の方に近づいて来た。丁度、彼達の向こうに半月の地球が少し右に傾いて見えていた。月面の輪郭は金色と黒のコントラストに区切られており、灰色の静寂な風景が私の脳裏のカンヴァスに描かれた。

二人乗りの乗物は私達の目の前で止まった。「ニャンゴ!」「ワン!」と言うのが彼達の挨拶だった。

そして、ニャンはヒラリと車から降り「ヨッ!『雄』の地球人達」と言った。好い猫かもしれないが口が悪い。

「やあ、ニャアさん。お元気ですか?」YY55が立ち上がってニャアに言った。

「月で会えるとはネエ・・・」嫌味な口調だ。

「人間の、月面着陸船に用事があったものですから」

「フーン。だから、時間が揺れたんだ」

「時間が『揺れた』?」と私が口を挟んだ。

「なんだ。例の雄か。未だ月にいたのか」

「いえ。あれから一旦地球に戻りました。しかし、仲間と人間の『七欲』を考察する為に月に来たのです。そして、先ほど時間をずらしてもらって、アポロ11号の月着陸を見せてもらったところですよ」

「だから・・・か。葉巻型の宇宙船を見たろ?」

「はい・・・人間の月着陸船を壊そうとしていました」

「それで?」

「だから、仲間が月着陸船イーグルと母船のコロンビアを敵から守った、と云うことです」

「フーン・・・」ニャアは話の常でフーンと言い、やたらに長い猫の髭をピクピク動かしながら例の黄金の目で私を見つめた。

「UFOが葉巻型宇宙船から飛んできて・・・」

「たいしたもんだ。奴らは『&*%$』で、手ごわかったはずだ。誰だい、撃退したのは?」ニャアがギョロメをむいて聞いた。ワンが小さく唸り声を上げた。

「あの・・・何か問題でも?」と私が聞くと、ニャアは片手を上げて手の甲をペロリと一舐めした。そして「サラ大統領から聞いて来いといわれてね」と言った。

私は、YY55を見た。ZZ01が小さくなっていたからだ。神に近い力を持つZZ01が恐れているのは、サラ大統領に壊される事かもしれない。それは、我々人間の雄が再生工場に送られるのと同じ事だ。

「ZZ01です」とYY55は、正直に言った。OS43は空を見ていた。

「へえ?ニャンだ。ZZ01もいたのか?」とニャンは、片方に背中を見せて座っている木村卓也に似たZZ01に目線をあてた。

「サラ大統領も依存はないはずですが」YY55はニャンに言った。

「ニャい」ニャンは猫らしく日本語の「な」を「ニャ」と発音してしまう。

「ああ良かった・・・」私は安堵して、胸をなでおろした。

「サラ大統領が君達『雄』を晩餐会に招待したいと言っておられる」ニャンが言った。

「本当ですか?」私はサラ大統領の月の宮殿を思い出していた。

「ニャン」「ワン」と大統領の使者は答えた。

「理由は?」冷静なYY55が聞いた。

ニャンはギョロメを動かしてZZ01の後姿を再び見て、そして答えた。「今回、大統領は君達『雄』の活躍を見ておられた。と言うより、監視されていた。そして、巨大な力を持つ『&*%$』を簡単に撃退した事に感心された」

「ああ、それで。でも私達は『雄』ですが大統領の宮殿に招かれる権利を持ってよいのですか?」

「ま、今回は特別らしいね」

「特別ですか?」私が言うと、ニャンは例の大きな黄金の目を細めて、ニヤリと笑った。

「まさか、騙すのじゃあ・・・」

「フン。だから人間の七欲は無くならない」

ニャアの言葉に私はうなだれた。少し恥ずかしかった。多分顔は赤くなっていたに違いない。

「でも、人間の雄は再生工場に送られたという歴史があるじゃないですか」

「ニャン(何)も知らない人間だニャン!」ニャンは二つも「ニャン]を言葉に入れた。少し興奮したのかもしれない。

「すみません私は2015年の人間ですから」

「再生工場に入れられた雄は、次には女性となり生まれ変わる。もちろん卵からだけどニャン」

「味気ないじゃあないですか。貧乏も体験しないで・・・それに、セックスも」私の言葉は月面の荒野に淀んだ。

「・・・・・」ニャンは黙って黄金の目を見開いていた。真ん中に細い種のような黒目がある。

「VB03の言う通りだ」ZZ01が突然と言った。

「ところで『貧乏』ってニャンだ?」ニャンが聞いた。

「なぁんだ。君は『貧乏』を知らないのかね?」ZZ01は、勝ち誇ったように言葉のトーンを上げて言った。

「^*%$$*&」ニャンは宇宙語を使った。

「^$#@(&**^)」ZZ01が答えた。

「フーン」ニャンは納得したようだ。

「だから、私達は地球の『貧乏体験』を、懐かしんでいたのですよ」YY55が言った。

「ニャるほど・・・」

私は彼達の会話に懸念を持った。ZZ01は「貧乏」と言うことを知らないはずなのに、ニャンに説明して納得させた。何かおかしい・・・私はニャンに「ZZ01は『貧乏』をどの様に説明したのですか?」と、聞いてみた。

「『貧乏』は楽しくて幸福だ」

「えっ?」

「オレの先祖は、貧乏な家族の三男を王様にしたぞ」

多分寓話に出てくる『長靴を履いた猫』のことらしい。

「ああ、そうですよね。ニャンさんのご先祖様のことは以前アメリカで聞きました。しかし『貧乏』と言うのは、現在・・・つまり、私が現実に住んでいる時代2015年では、なかなかやっかいなことで『格差社会』になって『金持ち』は益々金持ちに、貧乏人は益々貧乏人になっています。お金と言うものが人間の生活に100パーセント割り込んでいます。つまり、お金がないと何も出来ない」上手く説明は出来なかったが私は、とにかくお金がない事を『貧乏』と言う言葉で定義付けした。彼達の力を借りて『格差社会』を是正したかったからだ。

「フーン」と、ニャンは言ったきり黙った。ああ、やはり猫に小判か。日本の諺で「猫に小判」とは、猫に小判のような値打のある物を与えても、猫には価値がないという意味だが、ニャン程度の猫になると経済論の分厚い本を一冊程度は読んでいるだろうと思っていた。私は、入学願書を出そうとしたアメリカの大学で「この経済学の本を一日で読める英語力がないと、授業にはついていけないよ」と言われ、諦めた事があった。事務所の本棚にはケインズやマルクスなど経済学者の分厚い本が並べてあった。

「確かに・・・貧乏は楽しくない・・・ZZ01がおかしいニャン」

ZZ01は驚いたような表情で私達を見た。

「貧乏は楽しかったけど?」木村卓也に似た彼は長髪をかき上げながら言った。

「君は、貧乏と言う女神に魅入られたのさ。あれは魅力があるからな」ニャンが言った。

『貧乏と言う女神』とは、どういった女神なのか、いずれにせよ私は、貧乏とは縁を切りたかった。

「フーン」今度は『フーン』とZZ01が言った。

「2015年であれば当然マイケル・サンデルの『市場主義の限界』が示唆しているように世界経済が荒廃を始めた時代だ」ニャンがギョロメをむいた。

この猫、すごいなと私は内心思った。2300年の猫が2018年の経済市場を論じる事が出来るのである。

「一言で言えば『貧乏』は楽しくありません。一般的に言われる貧乏の状態で、人間にとって必要な倫理とか道徳とかを維持する事は難しい・・・宇宙における神の法則などがあれば、それは倫理や道徳を重んじるものでしょう?だから、人間から『貧乏』を排除する事は大切な事ですよ」と私は言い、思わず「コホン!」と咳払いをしてしまった。あまりにも自分が無作法で即興的な意見をはいたと思ったからだ。私の魂胆としては、途方もない力を持つ彼達に2018年に私が経験している貧乏生活を無くして貰らうことだった。格差社会を是正してもらい、私は貧窮生活から脱出したいと考えていた。

そして、以外にもニャアの口からは「その通りだニャ」と同意の言葉が出た。

私は、暗黒の宇宙に浮いて輝く青い地球を見上げた。「神」は、あの惑星を大宇宙の中に維持するだけでなく、身勝手な人間に地球という惑星に生存する事を許し、曖昧な人間の哲学を認め又、人間を出来るだけ幸福と呼ばれる状態に持って行きたいと願っておられる。

そして現在、神々の使者達は荒涼とした月のクレーターの石に座り、足をブラブラさせていた。



月の宮殿


古代インドの世界観によると、月は須弥山(しゅみせん)と言う高い山の中腹を回っていた。月を治めているのは月天子(がつ天子)で、美しい奥さんと月宮殿に住んでいるという事だが現在、実際に月に住んでいるのは2300年の地球人で、サラという大統領である。全宇宙を支配し、時間さえもコントロールしていた。

ニャアとワンは、私達をスクーターに乗せて月宮殿に案内した。もちろん私達は瞬間移動しなかった。私とYY55がニャアのスクーターに乗り、ZZ01とOS43はワンのスクーターに乗った。私達は地上10メーターを飛行している。大小さまざまなクレーターがあちこちに見られた。大きなクレーターの中には小さなクレーターも見える。月面は黄金の光を受けて銀灰色に輝き静寂だった。スクーターは音を出さない。飛行は快適だ。私は酸素を得る為に例のガムをクチャクチャ噛んでいた。例の大きなクレーターの中には、月宮殿の入口がある。

月には地下に大きな空洞があった。中には人間の住む社会がある。「月」は人工物なのだ・・・と、私は思った。クレーターの無い、一般的には「海」と呼ばれている月面上を飛行した時、一部分が剥げていて、修理したような跡を見た。多分小惑星でも衝突した直後だったのだろう。金属の部分が鈍く光って見えていた。

『月』は惑星ではないのだろうか?

私は、前席のニャアに聞いた。

「フニャ・・・」と彼は言い、少し間を置いた後に「宇宙船のようなモノさ」と言った。

「宇宙船?」

「ニャ(うん)」

「驚きです・・・」私は、ため息を出すように言葉を吐いた。

「&^%$」と、ニャアは言い、私を振り向いて金色のギョロメを向けた。

「『月』を宇宙船だなんて・・・」

「考えられないでしょう?」私の後ろの席にいたYY55が言った。

「考えられません」私は下方に広がるクレーターに視線を向けていた。そして、海の中の巨大なザトウクジラを思い出していた。あの、皮膚についている「フジツボ」のようなクレーターが月の表面を覆っている。

広大な宇宙を航行する間に、このクレータがーフジツボのように月面に付いたのだろうか。

私は身勝手に想像した。(暗黒の宇宙を「月」は、新たな宇宙空間を求めて移動した。何百何千の小惑星が月に衝突した。月人達は月面を修理しながら太陽系にたどり着き、地球の軌道に宇宙船を乗せた。そして、「月」を地球の惑星とした)

しかし、私の想像は違っていた、

「月の他にもう一つの小惑星が地球に向っていたのですよ」とYY55が言った。

「もう一ツ?」

「はい。丁度その時、月人の先祖達も破滅した自分達の星を離れて太陽系近くを航行していました。彼達は二つの小惑星が美しい地球に衝突する事を知り調査した結果、大きい方の惑星、つまり現在の月に近づき、地球に衝突する事をくい止めたわけです。それが地球に衝突したら、地球は粉々になったからです」

「なるほど、そして彼達はその小惑星を彼達の天体にし、人間の名称した『月』に改造した・・・」

「しかし、もう一つの小さな方の小惑星は地球に衝突し、地球環境を狂わせました。ご存知のように白亜紀で「恐竜」と「哺乳類の先祖」が生存を共有していた時代です。ただ、月人の先祖達は彼達に似た人間の先祖が住みやすい環境に変えるために、意識的にもう一つの小惑星を地球に衝突させたとも云われています」

「計画的に?」

「そうです。小惑星の衝突は一時的に地球の磁場を狂わせ、人間と違う前庭器官(耳中の平衡感覚器)を持つ恐竜の器官の一部を狂わせました。恐竜は身体をねじる事の出来ない体型です。身体のバランスが調節できなくなると倒れて起き上がれない。食物収獲が不能となり次第に絶滅した、と言うわけです」

「なるほど・・・『氷河期』で恐竜達が死滅したのではなかったのか・・・」私はうろ覚えの、小学生の理科の時間に習ったことを思い出していた。

「月の裏側に、月人達の使っていた古い宇宙船が置いてあります。既に、岩のようになっていますが良く見れば分かるものです」YY55が言った。

「宇宙船って、月人の祖先の?」

「%^#@」(知らなかったのか)と、ニャンが再び例の金色のギョロメを私に向けた。ニャンの目は月の自然に良く似合う。ニャンの背後の暗黒の中に青い地球が見えている。

「あの・・・私は2015年の人間ですし・・・それに、わずらわしいことは嫌いですから。特に、あの『宇宙船』は嘘だという記事が2013年のヤフーの知恵袋と言うウエブサイトに書いてありましけど・・・私も、嘘だと思います。『モナリザ』とか呼称された中国人のような女性のパイロットなんか、あれは紛れも無い偽者ですよ。特に、目とか口につけた器具が原始的です。あんなもので、巨大な宇宙船がコントロールできるはず無いです」

「あの宇宙船は、他の宇宙人のだ」ニャンのギョロメが光って見えた。

「『宇宙人』だなんて・・・」と私は言い言葉を失った。私は宇宙人もUFOも見た。そして、実際に未来人達と行動をともにしている。彼達は、宇宙の中でも特に優れた生物で崇高な倫理観を持っていて、人間社会を助けている。人間が空想でしか描けない時間さえもコントロールする能力があり、神のような存在でさえある。

しかし、私の古い2018年の人間社会の観念から、どうしても信じられなかった。私の中では、現在私が体験している事の50パーセントは半信半疑だ。完全に信じれれないのだ。どこかで、変な薬を飲まされて、それで月面にいると錯覚しているにのかも知れない。

とにかく夢は夢で、私は月人達が太陽系に到着し、地球軌道に乗る時代に行って見たかった。

「行って見たいですネエ・・・月が地球の惑星になるのを。ま、映画とかテレビのようなスクリーンでしか再現できないでしょうけど」

「フンニャ」と、ニャアが言った。

そして「#@!(ニャゴ!)」と言うような、猫の喧嘩の時の声を聞いたと思ったら、我々は宇宙空間にいた。

「あれ見る、ニャア」

ニャアの手の向こうに青い地球、そして大きな小惑星が見える。月だ。まるで、動いていないようだが猛烈な勢いで地球に近づいている。

大型の宇宙船が小惑星の影から現れた。まるで、惑星を観測しているように惑星に沿って動いていた。

「あれは、月人の先祖の宇宙船です」YY55が言った。

月人の祖先達は、どのようにして惑星を止め、地球に衝突するのを避けたのだろう。小さな点のような地球が次第に大きくなり始めている。未だ、惑星は地球に向って突き進んでいるようだ。突然、大きな宇宙船は地球と小惑星の間に入り止った。そして、虹色の光が先端の部分から放出され小惑星を覆った。惑星、現在の月は次第にスピードを落として行き、やがて止まった。宇宙船がゆっくりと動き出し惑星に向った。

「ニャア!」と言う声に、ふと私は我に帰った。私達は数分前のように、月面をスクーターに乗り「月宮殿」に向けて飛行していた。どうやら瞬間移動で時間を旅行し戻ったようだ。そして、その間数分に私は、広大な暗黒の中で行なわれた宇宙劇を観た。

月人の祖先達は惑星を地球の軌道に乗せて、安定した地球の惑星とし、地球自体も月との引力関係で安定した自転と公転を得て、現在の地球環境を作り上げた。

恐竜時代は終わり、月人と良く似ている地球人、つまり人間が生まれた。そして、月人達は「かぐや姫」のように選出した子供を地球に送り地球人として育て少しづつ地球の人間社会を変えたに違いない。

そして、サラ大統領も・・・実際の地球人ではなく宇宙から来た高度な生命体の子孫だった。だから、地球で製作されたいずれのスパコンも能力の面において負かされた。

「女性王国は」宇宙生命体の社会なのだ。



ニャアとワンの操縦するスクーターは、月宮殿の入口のある大きなクレーターの中に静かに入っていき着地した。

ZZ01がスクーターから離れようとしない。

例の「サラに対する恐怖」が始まったようだ。

「ZZ01、現在のサラ大統領はスパコンを壊すような事はしませんよ」と私が言っても、木村卓也に似た彼は長い髪を両手ですき上げながら、深いため息をついた。この辺りは何かの気体があるのか、地球上のように音が伝わってくる。ふと見た月の岩石の間にアロエのような植物が数本生えていた。どうやら、酸素があるようだ。私は月面では、かぐや姫から手渡されていたバリヤーを作るUSBフラッシュ・ドライブのようなモノや酸素を作るガムを使っていたが、思い切ってバリヤーのスイッチを切った。間違えば死だ。宇宙空間や太陽から降りそそぐ宇宙線(放射線)はかなり強く、人間の身体は原発事故の屋内に入ったような影響を受ける。私は、クチャクチャ噛んでいた酸素発生ガムを手の指でつまみ口から出した。そして、恐る恐る息をしてみた。「スー」と、覚えのある楽な感じの気体が喉に入ってきた。かすかな風がほほを打った。(空気がある!)

「酸素が・・・」と私が言う前に、ニャアが「ニャンゴ!」と、声をあげた。

目の前の壁がスーッと開いた。

「この壁は、通り抜けられニャイ(ない)」とニャアが言った。そして、次の壁をスクーターは「スー」と抜けた。そして、私がかぐや姫のサラと月宮殿に降り立ったように五つのドアを過ぎて、月の世界が現れた。相変わらず美しい自然界だ。地底に空があり海があるなどSFの空想でしか作れないものが現実に目の前に広がっている。

ZZ01を除いた他の者達は、月面の静寂な荒涼とした風景とはまるで違う美しい月下の景色に見入った。

私達は皆、大きく深呼吸した。一人を除いて・・・そう、ZZ01だ。彼はスパコンだから、サラ大統領に壊されると勘違いしているようだ。

「ZZ01、若し不安なら、シュミレーションしてみたら如何ですか?そうすれば、分かるでしょう?どうなるか」私は彼にアドヴァイスした。彼は、弱々しくクビを振ると「サラに関してはシュミレーション出来ない・・・」と言った。

YY55が少し苦笑いしながら「VB03、サラ大統領に対する情報は遮断されています。スパコンでも何も情報を得ることが出来ません」と、言った。

「2013年、アメリカ国家安全保障局は同盟国の首脳までをも通信傍受の対象にしていましたが現在では、それも出来ないわけですか?」

「サラ大統領のパワーは、我々の想像を超えています」YY55が答えた。

「でも、私のように2013年に住んでいた人間からすればあなた達の能力は、我々人間の想像を越えています。神秘的にさえ思えます」

「数度、我々も女性王国の情報を収集しようとこころみましたが逆に、潰された。全く苦い思い出があります。とにかく、我々はありとあらゆることに手を回して『男権』の復活に努めたのですがことごとく失敗しました。それで、OS43をあなたの時代に送り、あなたを見つけ出したわけです」

「それが私には分からない。単に、サラ大統領の先祖を好きだったというだけで、私が皆さんのお手伝いが出来るとは・・・」

「ZZ01がシュミレーションして得られた結果ですよ。あなたが『男性の権利』を復活させる。この女性王国において、男性の権利が戻ってくるのです」YY55は、希望を持った目で私を見た。

私は、月世界の風景に視線を戻した。そして、ただ単純に(一体どうなっているのだろう)と考えるだけだった。



サラが私たちを笑顔で待っていた。

月の大統領官邸は、アメリカの官邸と良く似ている。白い質素な建物がバラ園に囲まれていた。

ただ・・・彼女はT―シャツを着ている。大統領らしくない風体だ。

「大統領。お連れしました」とニャアがサラに言い、ペコリと頭を下げた。つまり「長靴を履いた猫」のように・・・。

「お帰り『ニャン』、それに『ワン』。ご苦労様」とサラは言い、私たちのほうに歩いてくると軽く微笑んだ。

そして「いらっしゃい。皆さん。ようこそ、私の月の官邸へ」と言いながら、一人一人を目で追った。サラの視線はZZ01の上で止まり、彼女は再び軽く微笑んだ。「あら、京くん。お久し振りね。お元気?」とサラはZZ01に声をかけた。

ZZ01は、赤面症のように顔を赤くした。私は内心、可笑しかった。サラから聞いた言葉「ああ、京くんね。おちこぼれの京健介君」が蘇った。

スパコンが「落ちこぼれ」とは信じがたいがサラほどの能力を持つと、所詮人間の開発したスーパーコンピューターは、幼稚園児に思えるのかもしれない。

ZZ01は、例の長髪を手ですくいあげ照れくさそうに「へへ・・・」と苦笑いのように顔をしかめた。

「ところで大統領、この『人間の雄達』をどの様に?」ニャンがギョロメをキラつかせた。

私達四人は、少し身を寄り添うようにした。蛇ににらまれたカエル?そんな感じだ。

「そうね・・・」サラは、少し考えるような仕草をし「食事を先にしましょう。皆さんお腹がすいているでしょうから」

確かに私達は空腹だった。

「ニャン。2018年の食事にしましょう」サラは、例の「かぐや姫」の時の経験から私を考慮して食事を選んでくれたようだ。

私達は少し変わった室内に案内された。

そして直ぐに、室内は移動した。『移動した?』と書くと変に聞こえるが確かに移動した。2018年の私が瞬きをした間に月面の上に出ていた。そこには、食事が用意されていた。どうやらここは透明なドームに囲まれていて、酸素もあり普通に生活できる空間のようだ。外は暗黒の宇宙を背景にして銀色の月面の世界が広がっている。そして、地平線に半分の地球が見えていた。青と白に輝く地球が大きく見える。不思議な事に、くっきりと陸と海の境界線、山脈、川、湖、都市も・・・不思議だ。

私が不思議そうな顔をして地球を見上げていることに気付いたニャンが「そういえば、2018年ころには、グーグルの『グーグルアース』と言う『バーチャル地球儀ソフト』があったニャ」と、私に確認するように言った。

「はい。あれは便利でした。地球のどんな場所にでもいける。私は良くこのソフトで楽しみました・・・懐かしいですよ」

「しかし、ここから見える地球は本物です」YY55が口を挟んだ。私は驚いた。

「どうしてあのように近くに見えるのですか?ドームがレンズになっているとか・・・」

「レンズの応用はかなり古い。これは、空間を縮めているのです」

「空間を縮めるなんて、不可能でしょう。強力な重力でも空間は縮まないと何かの本で読んだ事があります」

「空間の物質の質量を操作し、空間を歪めるように縮めて、レンズのようにしているわけです」

私は再び地球を見上げた。直ぐそこに日本が見えていた。

サラはいなかったが食事が始まった。

フルーツを主体にしたものだ。どの様な物を食べてみても美味しかった。野菜もフレッシュで、まるで採りたてのような味だ。年上の妻と菜園で収穫するナスとかトマト、大根やニンジンを思い出した。私と妻は、良くその場で採りたての野菜を食べたものだ。(そう言えば、今週の日曜日には借りている菜園に野菜の収穫に行く予定だった・・・)私は妻との約束を思い出した。あの日、市民会館でOS43に会った日は妻と夕食に焼鳥を食べに行く事にしていた。私は65歳で妻は年上の70歳。私達夫婦は、人生の大半をアメリカで過ごして、昨年日本に戻って来た。そして、私は市民会館で週一で行なわれる市民講座の授業をボランティアで受持ち、男女の格差問題をテーマとして授業を行なっていた。もちろん、OS43が現れるまでだ。

私は月宮殿から地球を見上げながら妻の顔を思い浮かべた。

現在、私は三十三歳のニューハーフのようになっているが六十五歳だ。年上の女房との「貧乏生活」が懐かしい。

私は2018年の、あの日に帰り妻と焼鳥を食べに行きたかった。

その時、私の耳に「あなたは、そろそろ家に帰る時が来ています」と、サラの優しい声がした。そのほうを振り向くと、白い見たことの無いような服を着たサラがいた。全身は光に覆われて『神』のように見えた。

サラと私との距離はかなり離れていたがサラの声は私の耳元に聞こえてくる。

「でも、私は仲間達と『男性の権利』復活のために・・・」と、私は小さく答えた。

「『男性の権利』は復活させます。あなたが願う『幸福』とともに」

「本当ですか?本当に2018年に帰れるのですか?」私は声を上げた。美しい月宮殿から見る神秘的な大宇宙、それでも、私は千葉にある小さな家で家内と細々と暮らすのが性に合っている。

2015年では、各国の大富豪は大豪邸で贅沢に暮らしていた。アメリカの大富豪であるマイクロソフトのビルゲイツ氏などもあちこちに大豪邸を持っていた。それはそれでいいだろう。しかし、贅沢な暮らしは青い鳥が運んできたものではない。むなしい時間の浪費に過ぎない。青い鳥は本当の『幸福』を貧乏な人達に運んで来る。

私はZZ01、YY55、OS43、それにニャンとワンを見た。皆『女性王国』では奴隷身分の『雄』だ。

「ありがとう」と、私は彼達に言った。OS43が例の大きく黒い目で私を見た。ZZ01が、長髪を手でかき上げた。YY55が微笑んだ。ニャアの目が黄金色に光った。ワンが犬らしく「ワン!」と鳴いた。

「用意はいいですか?」サラが言った。

「はい。でも2018年の・・・その・・・わたしがOS43と会った日に戻してもらえるのですね?」

「そうです」

「年齢も65歳に戻してください」

サラがうなずいた。

私はもう一度仲間を見た。そして、頭上に青く輝く大きな地球を仰ぎ見た。又、地球で暮らせる。経済的に余裕の無い貧乏生活が始まる。小さな家で妻と二人で暮らす生活。

私は地球を両手で示し、皆に「さようなら。有難う」と言った。


フッと、私は我に帰った。午睡の後のような気分だった。私は、市民会館の中にいた。時計を見ると午後三時である。私は、自分の顔を手で触ってみた。皺に触れた。手の甲を見た。壮年の男の手だ。間違いなく65歳の年齢に戻れたのだ。

私は思わず笑っていた。そして、窓に行くと青い空を見上げた。水晶のような月が見えている。しばらく見つめていたが、私はカバンを持つと市民会館を出て家路についた。

「ただいま」小さな家の土間で私が奥に向って声を掛けた。妻が「お帰りなさい」と言い、出てきた。平凡な一日の終わりだった。

夕方私達は歩いて駅近くの商店街にある焼き鳥屋に行った。

「久し振りに飲もうかな」と、私はビールを頼んだ。普段は飲まなかったが気持ちが高揚していた。

横では妻が幸福そうに座っていた。

「君も飲めよ」と私はコップを二つもらい、ビールを注いだ。

「乾杯しよう」

「あら?あなた、ご機嫌ね?何かあったの?」妻がビールのコップを取り上げながら聞いた。

「うん。あった。月に行った」

「まあ!ほんとう?」妻は、このような性格だ。私の言動を疑わない。焼き鳥屋の親父がチラリと上目遣いに私を見た。

「月で、愉快な友達と神様に会ったんだ」

「『月』に行く・・・いいわねえ」

私達は乾杯をして、ビールを飲んだ。焼鳥がジュージュー音を立てていた。

「かぐや姫にも、合った」と、私は妻に言った。妻は口にしていた焼鳥の櫛を皿に戻すと「ウサギは?」と聞いた。

「ウサギはいなかったが猫と犬がいた」

「猫と犬が?」

「うん。名前は『ニャア』と『ワン』だ」

「あら、単純な名前だこと」

「でも、ニャアは『長靴を履いた猫』を先祖に持ち、五ヶ国語をしゃべる」

「すごいわね、月の人達って」

「そりゃそうさ」私はサラにニャアやワン、そしてZZ01、YY55、OS43を思い浮かべた。

胸のペンダントがリンリンと鳴った。

幸福だった。



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女性王国 三崎伸太郎 @ss55

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