Final Wind: Departure from the shore

 青年と一緒に海岸を歩きながら、スレイは自分の来た理由を話す。


「海には来れたし、海も見れたけど、結局自分は馬鹿だなって思ったの。私はどこかしら何かに頼ってたわ。」

 海を見れば何かが分かると思った。海が道を教えてくれると思っていた。自分が情けなくて、格好悪くて、思わず苦笑が漏れる。

「自分で見つけなくてはいけないのよね。甘ったれてた。結局海に頼ってたのよ。」

 海は世界の広さを教えてくれた。道の多さも教えてくれた。でも自分が選ぶ道まで教えてくれるわけがない。選ぶのは自分自身しかいないのだから。

 髪を後ろへ払って笑う。哀しさもあったけれど、悲しんでいるばかりじゃいられない。

「来て良かったとは思ってる。今まで足踏みしていた分、頑張って急いで探さなくちゃいけないけど。それはやっておけば良かったと思うけれども、思うだけじゃ進まないもの。」

 海は広い。広い世界を見れて良かった。

 砂浜に波が寄せて、引く。貝が打ち寄せられてきた。どこかの海から流れてきた、白く、銀色に、そして薄桃色に光る小さな貝。

「ごめんなさいね。名前も知らないのにこんな話。」

「あ、別に。俺はかまわないし。言ったのこっちだし。」

「そう…?」

「ん。じゃあ名前教える。名前知ってる人ってことにはなるし。俺はスルヴ。」

 言ってスルヴが少し困ったように空を見てから、呟いた。

「でも…」

 スレイは首を傾げる。スルヴは遠慮がちにスレイを見る。えっととかあのとか言ってスレイを見ているので自分のことを差す。するとようやく落ち着いたように頷いた。それでスレイも名前のことを言っているのだと理解する。

「スレイです。」

 言葉で言って聞けばいいのにと思いながら呆れ顔で答えると、スルヴはそれには全く気づかないようで、続きを話し始めた。

「スレイはさ、町で幸せだった?楽しいとか嬉しいとか感じられた?」

「うん。…まあそうね。何も考えてなかったからかもしれないけれど…。」

 記憶を反芻する。まだまだ子供の時、町を駆け回ったりして遊んでいた。両親は優しいし、町の人たちの笑顔をいくつも見てきた。

「じゃあスレイ、今までの時間は無駄なんかじゃないよ。」

 スルヴがはっきりと、妙に通る声で言った。スレイは納得できず、苛立ちを感じてスルヴに言い返す。

「ゆっくり考えられる時間を自分の手で潰してきたんだわ。無駄にしてきたのよ?」

 睨めつけたスレイの視線はしっかりとスルヴの視線とぶつかる。スルヴの瞳は動かない。

「スレイ、その時間が大切かどうかは、その真意はなかなか分からないよ。」

 スルヴの言葉はゆっくりだ。落ち着いていて、その奥には重く厳しいものがある。

「スレイは幸せだったんでしょ?トティーナは平和だと聞いている。たくさんの形の幸せや平和を感じてきたし、見てきただろう?それは貴重なことだろう?だったらそれは無駄じゃない。確かにその間にやっとかなきゃ損することもあったかもしれないよ。そりゃあるだろね。スレイがもう少しやりたいってことを早めに真剣に考えていたらもっと夢に向かって沢山のことが出来たかも。その意見はもっともだし、それはかなり重要なことだ。」

 スレイの胸がどきりとする。


「でも全てを無駄とは言えないし、その中に大切なことだってあったはず。今からじゃ遅いものだってあるかもしれないさ。だけど、それを今うだうだ言っててどうする?言ってたって何も起きないんだ。それこそ前に進むどころか後ろ振り返って後戻りしてることになる。それの方がもっと馬鹿じゃないか?それだけはやっちゃいけない。」

 スレイは俯く。スルヴの視線を感じる。

「それだけ長い時間、心にもやもやしたものもなく純粋に感情が動くことは大切。それにそういった経験がなければ自分がやりたいことも分かるはずがない。自分の好きなことなら分かるだろ?それも過ごした時間がなくては分からない。」

 スルヴは笑う。暖かい笑みだ。

「それにこれから先にそうやってのんびり過ごす時もないかもしれないよ。そう考えたって無駄だとは思えない。いま将来の職を決めて、途中で変える人だって沢山いる。自分のペースで探すんだ。探そうって思った時じゃなくて全然別の時に見つかるものかもしれない。それも人それぞれだ。」

 スレイの耳に、明瞭に届く言葉。波のように静かで、でもよく聞こえる。

「時ってのは無駄な時はないんだ。どの時間だって大事だ。一瞬が大切だから、その時の気持ちは二度と同じものはない。スレイの時間は無駄じゃない。使った時間の中で、大切だったものも多いだろう?」


 楽しかった。大切だ。今まで使った日々。忘れちゃいけない。笑ったとき、泣いた夜、全て。

「使った時間の中に、本当にやりたいことが見つかるかもしれないよ。これから使う時間の中に見つかるかもしれないよ。そう考えないと後ろにさがってしまうよ。」

 足下の砂浜に、小さな丸い染みが出来る。スレイの白い頬を涙が伝って落ちる。砂の上にもう一つ染みを作る。

「スレイの生きている時間の中に、無駄なものなんて一つもないんだ。何かをなくす時もあるかもしれない。でもその時は新しい何かを見つけてるんだ。哀しい気持ちかもしれないけれど、それはスレイの糧となる。今の一瞬にだって何かがある。俺の言葉がスレイに届いてる。もしかしたらスレイの『やりたいこと』が見つかるかもしれないよ。」

 スルヴの声は爽やかだった。快活で歌うような言葉。

「…。ごめん。こっちこそ。初対面の人にいろいろ言われたら、腹立つかな…。俺そーゆーの全然気にしないんだけどさ…」

 スレイは顔を上げる。目の前がぼやけて見える。涙で潤んだ瞳を閉じる。スレイの瞳から溢れて流れる。世界が洗われたようだ。道が少し見えた気がした。心のごちゃごちゃしたものが溶けてきた気がした。海の向こうへ繋がる自分自身の道。

 熱いものがこみ上げてきた。胸へ、そして喉へ上がってくる。心の中から自然に言葉が出てくる。嗚咽に混じって言葉にならない。でも伝えたくて、伝えたいから繰り返し声に出して言う。


 ありがとうを。感謝の言葉を。


 ありがとう、としか言えなかった。他になんて言ったらいいのか、分からないけれど心の中にその言葉があったからその言葉を伝えたかった。

 見つけたいものがあった。選びたいものがあった、一人で足掻いていた。やっとけばよかったという後悔の気持ちもあるけれども。まだ心の中にあるけれども、今までの時間の分だけ頑張って、自分が胸を張って言えるような仕事にしたい。道は踏み出したばかりだと信じたい。


 涙で心が洗われていく。心にかかったものがとれていく。ずっとそこにあったような気がしていたものが段々と見えてくる。自分が一番好きだったものが思い出されてくる。

 見つけられたよ。私にもあったのだわ。こんなにちっぽけな私にも、やりたいと思うものがあった。思うだけで胸が躍るものがあった。見つけた。私のしたいこと。


 スルヴはしきりに頷いている。スレイの言葉は聞き取りにくかったが、スルヴには通じた。スレイの言葉は飾り気が無くて、真っ直ぐに響いてくる。


 スレイの唇が今までとは違う動きを見せた。スルヴの中に通っていく言葉が変わった。はっきりと聞こえる。波の音と一体となって耳に届く。

「あのね」

 スルヴが頷いて先を促す。

「私、やりたいことを見つけたわ。」

 スルヴの顔が自然と和らぐ。それを見てか、スレイも顔を上げて微笑む。

「何?」

 微笑み返して問う。対する瞳は少し不安そうだ。だが迷いはない。すっきりとしている。

 潮風が髪を撫でて去っていく。波の音はリズムを持って聞こえている。寄せては引いて、高く、低く。陽光が水面を白くきらめかせる。

 スレイの瞳は真っ直ぐ前を見ている。道は彼女の目の前にある。細いけれどもずっと先へと続いている。


「世界に花を届けたいの。」


*****


 夕暮れ時だ。空は淡いピンク色に、雲の影は紫がかっている。西の空は濃いオレンジ色。地上を照らす光は弱いようで大きく、優しい。少し黄色く染まってきた街路樹の間を小走りに行く姿があった。片手に大きな袋を提げている。

 少女は角を曲がってスパートをかける。通りに面した民家の門に飛び込む。


「お母さん、帰りましたっ」

「どうしたの?何処行ってたの?そんなに息切らして…」

 玄関に出てきた母親に持っていた紙袋を突き出す。潮の匂いが少しする。

「お魚よ。貰ったの。」

 靴を脱ぎながらスレイは言う。母に向きなおる。

「海に行っていたの。」

 驚いたような母親を目の端で見て、家の中に入っていく。叱られるかとは思ったがそれが怖くはなかったし、すっきりとした気持ちだったのでそんなことは些細なことに感じられた。…はずだが鼓動は何故か大きく、耳も注意深く聞こえてくる言葉を拾おうと準備している。しかし叱咤の言葉は聞こえてこない。かわりに予想外に押し殺したような笑い声が聞こえてきた。

 不思議に思って振り返ると、母がくっくっと笑っている。


「怒らないの?」

「どうして?」

「だって若者は…」

「そんな決まり無いもの。」

 じゃあどうして笑うのだろうと小首を傾げていると、母親が笑いをこらえたような顔で口を開く。

「嬉しくて、ね。あなたが晴れやかな顔してるから。最近暗いんだもの。そしたら、ねぇ。」

 母は再び笑い出した。スレイは恥ずかしいやら呆れたやらで、顔を赤らめる。そして何処か誇らしい気持ちで話しだした。

「お母さん、私ね、」

 ん?と首を傾げてみせる母親に笑いかける。

「やりたいことを見つけたのよ。」

 沢山笑顔を見たいから、花を世界中に贈るの。それで笑ってくれる人がいたらすごく嬉しいから。この町の花を世界中に届けたい。私が幸せだと思った瞬間、町の人が見せてくれた笑顔を、他の人々にもあげたい。


 あの海を渡って向こう側へ届いて欲しい。




 波は今日も海岸に打ち寄せる。

 あのきらめく水平線の向こう側から、小さな貝を送り届ける。



 ゆっくり、けれども確実に。


 —Fin

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蜜柑桜 @Mican-Sakura

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