黒猫、鳴く

 春が近い。

 正体不明の集団による暴動の報道は、収束を見せている。

 人は、既に滅んで亡い政府と、サクマミレニアムが結託して進めていた人造人間の技術の失敗と暴走が招いたことであるとし、それを非難した。

 それを教訓とし、全ての生体技術は、凍結されることが決まった。元、政治家。あるいは、企業の重役。そういった連中が集まり、ひとつになって話を続け、そういうことになったらしい。

 人を導くはずの技術は、人を苛み、苦しめるものでしかなかった。それが、彼らの共通の認識である。


 今は、強化人間の狩りである。それは、あまり積極的に行われていない。それよりも、誰がどのようにして次の指導者になるのかということについての対立が早くも起きており、皆そのことに忙しい。

 人を導くことの出来るだけの仕組みもなければ、それを構築することの出来る人もいない。ただ流されるようにして従い、生きてきた者ばかりが残った。だから、彼らは、産まれて初めての選択の場に立たされ、戸惑っているのであろう。

 また、利権。そして、権力。

 今度こそ、人はそれを求め、奪い、傷付け合うことなく、あらたな仕組みを作って欲しいものであると声を上げる人も多い。それが世論となれば、それを実現しようとする新たな者が生まれ、立ち上がり、声をまとめ上げることがあるかもしれない。

 だが、それは、おそらく、もっとずっと先のことであろう。


 警察や軍の者の中にも、自らが新たな指導者になろうとする者がある。ゆえに、まだ残っている強化人間の残党狩りに手を入れる余裕がないのだ。

 少なくなったとはいえ、まだ強化人間は存在する。路地裏の暗がりや、人ごみの中から突如として現われ、破壊と殺戮を行う。一体、二体であれば、周囲の人間が寄ってたかって袋叩きにし、殺すことが出来る。しかし、やはり、その際にも犠牲が出る。


 しかしながら、短期間でここまで強化人間の数が急激に減ったのには、理由がある。

 権力争いの裏を暴くとかいう陳腐な内容の報道以外の話題と言えば、強化人間を殺す、正体不明の人物のことである。その活躍を追うことでも、マスコミは急がしい。

 騒ぎの場に現れ、鮮やかすぎるほどの手際でもって暴れる強化人間を葬り、そして消えてゆく。その人物の正体が何者であるのか誰も知らぬし、分からない。

 その身のこなしは、とても人間とは思えぬようなものであるから、軍や警察などが造り出した新型の機巧であると言う者もいる。しかし、軍や警察に、そのような技術もない。

 ヴォストークを僅かに保有している企業も数社あるが、そのことが明るみに出るということは、この時勢の中では、即、滅びを意味するから、その多くが破棄されるか、機能せぬよう自律制御システムを遮断させられていた。従って、誰もあれがヴォストークのであると声を上げる者はない。

 むしろ、マスコミが、に夢中になっているのは、彼らにとっては好都合であった。彼女がマスコミの眼を引き付ければ引き付けるほど、彼らは水面下での権力争いに専念出来るのだ。



 少女が、道をゆく。強化人間の減少に伴い、外出をしてもよいことになったのだ。久しぶりに再開された学校の終業時間を迎え、大人を伴っての集団下校の最中であった。

「先生、この辺では、悪い人はもういなくなったの?」

「そうよ。もう、いなくなったわ。だから、安心していいのよ」

「本当?よかった」

 少女は、嬉しそうだった。この騒ぎが起きる以前、道端で、と思われる集団同士の闘争に巻き込まれたことがあるから、大人達は彼女のことを心配していた。なにせ、謎の集団の一人が、弾丸の飛び交う中、彼女を盾にしたのだ。そのような思いを、二度とさせてはならぬと、付き添う大人は細心の注意を払った。


 だが、脅威とは、注意で回避出来るものではない。

 実際、今、目の前に突如として現れた強化人間を前に、その大人はどうすることも出来ずにいるのだ。泣き叫ぶ子供達を庇うように、その身を進め、脅威に晒したことが、為しうる精一杯のことであった。

「ころす」

「たすけて」

「もう、いやだ」

 呻くような声。テレビの映像で見たのと、同じものであった。

 三体のそれらが、一斉に、跳びかかる。

 大人は、子供らの盾になるべく、その身を挺した。


 何も、起こらなかった。

 ゆっくり、眼を開けた。

 ぼろぼろになった、真っ黒なコートが、そこに翻っていた。

「――安全な場所への退避を、お勧めします」

 静かな、女の声であった。黒髪を、僅かに風に靡かせて。片方の目には、眼帯をしている。

 謎の集団の一人が、白い液体を流しながら、足元に転がっている。

 排熱。

 跳びかかろうとする一人を、その女は捉え、身体を大きく回し、首を捻り切った。


 少女は、その女を、知っていた。

 一瞬、眼が合った。

 女は、わずかに微笑わらった。

「大丈夫よ」

 と小さく言いながら。思えば、あのときも、この女は、少女が傷付くかもしれぬ直前で道の脇の方に突き飛ばし、解放した。あれは、もしかすると、自分を守る動作であったのかもしれぬと解釈した。

 眼の前の大人は、震えながら、叫んでいるのみである。

「おとうさん、おかあさん」

 いつもは、ちょっと厳しい担任の先生であった。それが、このようにして恐怖を訴えかけるというのが、なんとなく不思議であった。

 それでも、その両腕の届く限り子供達を抱え、自らの背を脅威へと晒している。

「先生、怖がらなくても、大丈夫よ」

 あまりに怖そうだから、安心させてやりたくて、そう言った。

 え、という眼を、大人は向けてきた。

「おねえちゃんが、守ってくれる」


 突き出されてきた腕を捉え、その肘の機械関節を壊し、地に引き倒す。

「やめて、痛い――」

 苦痛の声。

 にも、いのちがある。

 だが、これは、人のいのちを奪うために存在する、歪んだいのち。

 哀れである。

 解放してやる以外に、どうしようもない。

 そうすることで、守らなければならぬものを、守る。

 今は、眼の前の人間達を。

 残っている全ての強化人間を殺し尽くすまで、あとどれくらい戦えばいいのか。それは、見当もつかない。

 だから、まずは、目の前の一体を。

 振り上げた、拳。



 ――わたしは、黒猫。壊し、そして守る。そのために、生まれてきた。

 あなたのいない世界で、わたしは、あなたが守ろうとしてきたものを、守る。あなたが、わたしを愛してくれたから。

 わたし達は、かぞく。

 とても歪んだ、ほんとうの、かぞく。



 機械関節の、唸り。

 眼下に組み敷いた一体にそれを放つとき、白い肌を飾るようにして桃色に塗られた唇が、動いた。

「――終わりだ」


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黒猫、鳴かず 増黒 豊 @tag510

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