つくも神、というものがあります。
日本人は古来、物にも魂が宿ると考えてきました。(当然他の国や地域にもありますが、日本は特に擬人化が好きな国であるように思います)
物は意思を持ち、やがて感情を持ちます。
しかしその魂は持ち主に吹き込まれたものです。人の愛が物に魂を吹き込むのです。
本作のヒロイン・黒猫は科学者・平賀博士に作られた『機功』、いわばアンドロイドであり人造人間です。
人工物である彼女にこころはありません。
しかし彼女には学習する機能がありました。
『勉強熱心』な彼女は、平賀博士から、途中出会った斎藤一家から、感情とは、愛とは、そしてこころとは何かを『手探り』で学んでいきます。
最初は「人間とはこうするものだ」という一義的な感覚から始まった学習ですが、やがて彼女は自分が戦う理由について思考するようになります。
こころとは?
かぞくとは?
まもるとは?
人でない、物であるはずの黒猫が、人である読者の私に問い掛けてくるのです。
それを教えてくれるのは、誰なのか、何なのか。
そこには深い、深い、『人間らしさ』があります。
破壊のためだけに作られた生体機巧「ヴォストーク」――人の形をしていても命令に従うのみで学習能力はあれど心などない、いわば武器。
その一つとして作られた「黒猫」が、今作のヒロインです。
命を下されるまま目標の殺戮と破壊に従事する彼女は、無い心を痛めることなくそれが存在意義と認識していたのですが、己の創造主である平賀博士の置かれる状況が大きく転じたことを機に、徐々に変化を見せていきます。
ヴォストークの学習能力が我々人間の想像を大きく上回ったせいか?
それとも、黒猫の身に僅かながら与えられた「血」のせいか?
理由は誰にもわかりません。
しかし、彼女には確かに機巧の範疇を超えた意識が芽生え、破壊しか知らぬ身で戦う道を選ぶのです――「何としても守る」という、誰の命令でもない己自身の意志で。
いのちなきものにうまれた、こころ。
我々人間にも本当にあるのか、何処に存在しているのかわからない、目に見えず触れられない、不確かだけれど確かな何か。
彼女のそれが熱量と質量を伴って、自分の「こころ」に迫り抱き込み掴み掛かり、お前は生きているのかと強く訴えかけられるような心地を覚えました。
痛みも悲しみも苦しみも、生きてこそ。
普段自覚することなく当たり前に抱いている「こころ」を大きく揺さぶられる作品でした!
アンドロイドに心は芽生えるのか? AIが高度に発達したならば、彼らと人間とを隔てるものはあるのか?
フィリップ・K・ディックを引き合いに出すまでもなく、それはSFというジャンルが伝統的に挑んできた命題の一つ。この小説はその系譜に連なる作品です。
機巧が社会に浸透しつつある時代の陰で、殺しのために産み落とされた生体機巧「ヴォストーク」。
政府機関が運用するヴォストークの一体「黒猫」は、日々戦いに身を投じながらも、創造主である博士や任務の中で出会った人間との交流を送っていきます。
しかし、政府と企業とを巻き込んだ陰謀は彼女の周囲にも襲いかかり……。
といった具合に、緩急のある展開で読んでいる者を飽きさせません。獲得しつつある感情とマシーンらしい冷徹さの間で無自覚に揺れる黒猫の様子は必見です。