第八章 月歌~gekka~

チケットを手に、私は大きなホールの前に立っている。

「森野君、凄い有名人になっちゃったよね…」

隣で笑う杉野チーフ…もとい、平原チーフが微笑む。

あの花見の日から一年が経過した。

森野さんはあの日の歌声がネット配信されてしまい、話題になってしまった。

お店には森野さんのファンが押しかけてくるようになってしまい、店舗に出られなくなってしまう程に。

結果、森野さんは退職するまでずっと事務仕事をすることになってしまう。

元々顔立ちが綺麗なので、ネット配信されてからの人気は凄まじいものだった。

そして6月…森野さんは惜しまれつつ店舗を退職した。

森野さんは退職後、ずっと森野さんの復帰を待っていたBlue moonのメンバーが集まって再結成デビューを果たした。

大手レーベルからのデビューで、人気は爆発的なものになった。

そして…本当に私の手の届かない人になってしまった。

私達が働いていたお店の本部も、森野さんのデビューを全店上げて応援している。

そんな中、お店に森野さんからライブのチケットが届く。

私はファンクラブに入っているのでみんなとは別チケットで入ろうと考えていのだが、私の性格を良く知っていらっしゃる。

添えらえていた森野さんの手紙に「皆さまにチケットをご用意してありますので、決して個別に購入しないで下さい」と書いてあった。

座席は二階席のご招待席のゾーンに通される。

見回すと、一階も二階席も続々と人が埋まって行く。

「凄いよね~。チケット、発売して速攻ソールドアウトなんて」

パンフレットを見ている平原チーフが微笑んで話している。

パンフレットはそれぞれの写真が載っていて、個人で写ってる森野さんの顔が険しい。

歌ってる写真は全て綺麗な顔をしていて、やぱりライトの下の人なんだと実感する。

そんな事を考えていると開始のベルが鳴った。

照明が消え、会場のボルテージが上がる。

人影がそれぞれのポジションに立った瞬間

「キャー!」

の歓声が大きくなる。

カチカチとスティック音が鳴ると、照明が着いて森野さんの歌声が流れた。

澄んだ綺麗な歌声に、歓声が一気に静まり返る。

ライブはトークを交えて進んで行き、大体が森野さんを他のメンバーがいじってトークが進むのですが…。

不愛想だった森野さんがステージで笑っている。

まるでずっとそこに居たかのように、眩しいライトの下で森野さんが歌っている。

ライトを浴びた森野さんは本当に綺麗だった。

その姿を見て、やっぱり森野さんの居場所はライトの下なんだって…。

森野さんと離れたのは辛かったけど…、ステージ上の森野さんの姿を見て

(これで良かったんだ…)

そう実感した。

2時間のステージはあっという間に終わり、アンコールになった。

拍手の音が鳴りやまず、あちこちからメンバーの名前を呼ぶ声が聞こえる。

しばらくの後、メンバーがぞろぞろと現れた。

アンコールの時はメンバー全員がツアーTシャツ姿で現れる。

森野さんもTシャツ姿で現れて、とってもラフな感じに見えた。

すると

「こいつ、今が一番緊張してると思うんだよね」

リーダーの鈴原さんが笑いながらそう言ってギターを担ぐ。

森野さんは鈴原さんを一瞬睨むと、マイクの前に立ち深呼吸して

「え~と…まず、アンコールありがとうございます」

そう言ってペコリと頭を下げた。

すると会場のあちこちから

「カケル~」

と叫ぶ女性の声が響く。

森野さんの名前を呼ぶ歓声の中、

「アンコールなのに、一曲だけ我儘を言わせてください。

 俺は二十年前、大切な人を目の前で亡くしました。

 ショックでした。彼女を守れなかった自分が許せなかった。

 事故だとしても、彼女を事故へ巻き込んだ自分のファンも許せませんでした。」

そう森野さんが話し始めた。

会場が一瞬にして静まり返る。

「歌う事が怖くなり、いつしか声が出なくなりました。

 歌おうとすると、音楽が聞こえなくなる病気になりました。

 俺はもう二度と此処には戻れないって…そう思っていました。

 そんな時、ある人物と出会いました。

 その人との出会いは、まさに二十年以上前。

 まだ、大切な彼女が生きていた時です。

 俺の歌を好きだと…、このBluemoonの演奏が好きだと言ってくれた

 小さな子供だった。

 その人は…二十年以上昔の俺達の曲を、まるで宝物のように大切に大切にして

 くれていて…

 俺…、上手く言えないけど…本当に嬉しかった。

 その人は俺の歌が…俺達の曲がずっと心の支えだったと言ってくれて…。

 その言葉を聞いて、俺の歌が…誰かの人生を支えていたんだって…

 初めて知ったんだ。

 だから…その人が居たから…今、俺は此処に戻って来られたんです。」

森野さんは言葉を選ぶように、ぽつりぽつりと話している。

私はその言葉に涙が溢れて来た。

森野さんはそこまで話すと深々と頭を下げた。

「すみません。今日、その人がこの会場に来て居ます。

だから…その人の為に一曲歌わせてください。」

そう言ったのだ。

私が驚いていると

「歌って~」

「カケル~、その人に歌って~」

会場中から割れんばかりの声が響く。

森野さんはゆっくり顔を上げると、泣きそうな笑顔を浮かべて

「ありがとうございます」

そう呟くと

「その人の為に書きました…。聞いて下さい。『月歌~gekka~』」

森野さんの声と同時に、綺麗なピアノの伴奏が鳴り出す。

とても綺麗で…切ないメロディーに涙が止まらなくなる。

森野さんの歌声が、私と森野さんの再会を思い出させていく。

喧嘩ばかりして大嫌いだった人。

でも、仕事に対しては真面目で尊敬できる人。

ぶっきらぼうだけど本当は優しくて…知れば知るほど大好きになった。

聞いていられなくなって、席を立とうとした私の腕を平原チーフが掴む。

「森野君の気持ち、しっかり受け止めなさい」

私は平原チーフの言葉に頷き、座り直してステージを見つめる。

多分、森野さんはこちらに向かって歌っているのだと思う。

会場のあちこちから、すすり泣く声が聞こえて来る。

月歌~gekka~それは、いつだったか…私が森野さんに言った言葉だった。

いつも同じ曲ばかり聞く私に、森野さんが「飽きないのか?」と聞いて来た。

『カケルさんの唄はね、月の光みたいなの』

『はぁ?』

『優しく穏やかに包み込んでくれるの。

 月の光って、太陽みたいに痛くないでしょう?』

『光に痛いもくそも無いだろうが…』

『もう!茶化さないで下さいよ!

 でもね…カケルさんの歌声は月の歌声みたいなんです』

『月ね…』

『そう!私の暗闇を照らしてくれる、一筋の光なんです。

 私、カケルさんの歌声があれば強く生きられるんです』

『大袈裟だな…』

呆れた顔をした森野さんの顔を思い出す。

あの時の話を…覚えてくれていたんだ…。

そう思ったら胸が熱くなった。

私の想いはもう届かないけど…、森野さんが私の為に歌ってくれている。

もう、それだけで良かった。

月歌~gekka~は、終わった瞬間物凄い拍手の渦だった。

そして最後にデビュー曲を唄って、2時間30分のライブが終わりを告げた。

「凄かったね~」

興奮する平原チーフが

「この後、楽屋に行くんだけど…行くでしょう?」

と私に尋ねた。

私は首を横に振ると

「泣きすぎで…顔がぐちゃぐちゃなので…」

そう答えた。

「え!全然大丈夫だよ!まだ好きなんでしょう?

 ちゃんと会った方が良いよ」

心配そうに言う平原チーフに

「じゃあ、ちょっとメイクを直して来ます」

と嘘を吐いて席を立つ。

アンケート用紙を書く人や、スタンド花を写真に撮る人波を抜けて外に出る。

季節は春になっていた。

あの日に見た桜ではないけど…、白い梅の木が目に留まる。

会場を抜けて少し歩いた先に、白い梅林の公園があった。

私は公園のベンチに座り空を見上げる。

「あ…今日は満月なんだ」

暗い夜空に浮かぶ月を見上げて呟いた。

そしてふと…今日見たライブを思い出す。

大きなホールを埋め尽くす人、人、人。

色とりどりのライトに照らされて歌う森野さんの姿。

「本当に手の届かない人になっちゃったな…」

溜息交じりに呟くと

「お前…本当に言う事聞かないよな」

そう呟く森野さんの声が聞こえて、慌てて声の方へと視線を向ける。

月明りに照らされて、森野さんの姿がそこにあった。

「なんで?」

驚いて立ち上がる私に、森野さんは苦笑いしながら

「お前が、素直に言われた通り楽屋に来ると思う訳無いだろう?」

随分な言われように口を開きかけた瞬間、森野さんに抱き締められた。

一瞬、何が起こっているのか分からなかった。

「柊…、今から話す事を黙って聞いてくれないか?」

いつになく真剣な森野さんの声に、私は小さく頷く事しか出来ない。

初めて抱き締められた森野さんの胸は広く、ドキドキと鳴る森野さんの心臓の音が私と同じように緊張を伝えていて何も言えなくなる。

私が座っていたベンチに腰掛けると、森野さんは空を見上げてポツリポツリと話し出す。

「俺は清香を失ってから、かなり荒んだ生活をしていたんだ。

 かなり女も泣かせて来た」

森野さんの後半の言葉に胸がズキっと痛む。

隣で空を見上げて話している森野さんは、本当に女性なら誰もが惹かれる容姿をしている。

その上話す声も綺麗だから…、そういう状況は安易に予想出来た。

でも、予想しているのと、実際に聞くとなるとやっぱり好きな人からは聞きたくない言葉だった。

森野さんの言葉に私が俯くと

「軽蔑するか?」

森野さんの不安に揺れる瞳と目が合う。

「軽蔑は…しないです。

 森野さんなら、女性が放っておかないのも分かりますし…」

漆黒の瞳に見つめられると、言葉が喉に詰まったように出てこない。

必死に絞り出した言葉に、森野さんは私から視線を外して再び空を見上げた。

「そんな俺が立ち直ったきっかけが、お前だった」

森野さんの言葉に思わず森野さんの顔を見つめる。

空を見上げたまま、森野さんは小さく微笑み

「お前さ…、俺にファンレターくれただろう?」

突然言われて忘れていた記憶が蘇る。

CDをもらってから、従妹のお姉ちゃんにカケルさんの歌が大好きな事。

両親の離婚が決まって、転居しなくてはならなくなった事。

でも、カケルさんの歌があるから頑張れるって色々書いた手紙を託していたのを

思い出す。

もう、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい気持ちで顔が熱くなっていく。

「一番荒んでた時に、偶然お前のその手紙が出て来たんだ。

 もうさ…封筒がぶ厚くて、お前の気持ちがびっしり書かれた手紙。

 久しぶりに読んで…、荒んだ生活をしている自分が恥ずかしくなった。」

羞恥心で逃げ出したい気持ちの私とは裏腹に、森野さんは優しい笑顔を浮かべてそう続けた。

「え?」

思わず呟いた私に

「あのお店ってさ、出会った頃のお前みたいな子がたくさん来てるだろう?

 欲しい玩具を見つけて、嬉しそうにキラキラ瞳を輝かせて…。

 いつしか、あの時の子が「しっかりしろ」って背中を押してくれてるような

 気持ちになったんだ」

森野さんが私を見詰めてそう呟く。

「いつだって…俺はお前の存在に助けれられてた。

 あの店で働くようになって、あの時の子と偶然再会する事があった時に、

 恥ずかしくない自分で居ようと思えたんだ」

「嘘…」

驚いて私を見詰める森野さんを見つめ返す。

「それからしばらくして…、やたら生意気な女が現れて…」

森野さんはそう言うと、私から視線を外して思い出したようにフッと微笑んだ。

「いきなり俺の声を聞くなり、『カケルさん!』って叫ぶし…

 あの店では、過去の事を封印していたから本当に焦った」

「知らなかったとは言え…すみませんでした」

森野さんの言葉に小さくなると、森野さんは大きな手で私の頭をガシガシ撫でて

「嫌…。その後、お前が屋上で大の字になって俺達の歌を口ずさんでいたのを

 見て、もしかして…って思い始めた。」

森野さんと親しくなるきっかけの出来事を思い出し、再び顔が赤くなる。

「もう!それは忘れて下さい!」

森野さんの肩を叩こうとした手を森野さんの手が掴む。

真剣な眼差しが私を見詰めて

「お前の部屋で俺達のCDを見て、お前があの時の女の子だって確信してショック

 だった。何でか分かるか?」

森野さんが聞いて来た。

私は森野さんの瞳に見つめられ、又、声が出なくなり必死に首を横に振って答える。

すると森野さんは

「負けず嫌いで…何に対しても一生懸命なお前に惹かれてた。

 でも…俺は清香の事があったから、お前を好きになる事を否定し続けて

 いたんだ」

そう言って悲しそうに瞳を揺らす。

「俺に…誰かを好きになる資格なんて無いと思ってた」

この言葉に…、いつだったか森野さんが店長と話していた言葉を思い出す。

『俺があいつを好きになる事は無い』

あれは…そういう意味だったんだ…。

ぼんやりと考えていると

「でも…お前があの時の女の子だって知って…

 尚更、手を出してはいけないと思ったんだよ」

ここまで話すと、私の腕を掴んでいた森野さんの手がゆっくり離れる。

「もう…誰も好きにならないと思ってた。

 でも、いつしかお前の笑顔や俺に突っかかる姿に安心できる自分が居て…。

 気が付くとお前を目で追ってる自分が…本当に苦しかった」

両手で顔を覆い、森野さんは吐き出すようにここまで話すと

「こんな情けない奴で…ガッカリしただろう?」

そう言って小さく笑う。

私は必死に首を横に振って、顔を覆っていた森野さんの手に触れた。

触れた森野さんの手は小さく震えている。

きっと…自分の胸の内を話す事は、森野さんにとって苦しい事なんだろう。

「あのね…森野さん。

 私ね、森野さんがカケルさんでも、そうでなくても良かったんです。

 だって…私が好きになったのは…過去に出会ったカケルさんじゃなくて、

 あのお店で出会った森野翔太という人間だから。

 森野さんの仕事への姿、本当に尊敬してました。

 尊敬から恋愛感情へ移行するのなんて、簡単でしたよ。

 でもね、今の森野さんを作って来た過去なら、私は過去も現在いまも…未来も…

 全部ひっくるめて森野さんが好きです」

真っ直ぐ伝えた私の言葉に、森野さんは泣き笑いのような顔をすると

「お前…凄い殺し文句だな…」

そう言ってきつく抱き締めた。

「ごめん…。俺、お前の事、やっぱり手放す気ないわ」

と囁いた。

「え?」

驚いて森野さんを見上げた瞬間、森野さんの唇が私の唇に触れた。

驚いて固まっている私に

「柊…愛してる」

大好きな声で…瞳で…笑顔で…森野さんがそう囁いた。

私は信じられない気持ちと嬉しさで、涙が溢れ出して来た。

私を見詰める森野さんの瞳が優しく細められる。

「昔の俺は…たった一人の恋人も守れないガキだった。

 でも…今は違う。お前一人くらい、守り抜いてみせる。

 だから、側に居てくれないか?」

涙が止まらない中、森野さんの言葉に顔も気持ちもぐちゃぐちゃになる。

そんな私に、森野さんは悪戯っ子のような目をして

「まぁ…たとえお前が嫌だと言っても、もう手放す気無ぇけどな」

そう言って微笑んだ。

私は涙で歪む視界がうっとおしくて、両手で涙を拭いながら

「森野さんこそ…後悔しても知りませんよ!」

必死に声を絞り出してそう叫ぶ。

「望むところだ」

コツンと森野さんは私の額に自分の額を当ててそう答えると、再びゆっくりと

抱き締めた。

森野さんの腕の中で、私はふと夜空を見上げた。

夜空で輝く星や月が…、まるで私達を祝福してくれているかのように輝いていた。

私の長い片思いは、今、こうして終わりを告げた。

そしてこれから…私と森野さんの新しい関係が始まる。

きっとこれから先、何かある度に私はこの夜空を思い出すんだろう。

月の光がまるで…私達を包み込むように光り輝いているこの夜空を…。                                      ~完~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月歌~gekka~ 湖村史生 @Komura-1104

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ